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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

十二


「そこは我々が引き受けた。もう向かわせている」
 張りのある声が空から落ちる。
 再び見上げた空、崩れずに残った尖塔の近くに、柘榴の鱗の飛竜が三騎、浮かんでいる。
 そのうちの一騎の背にいるのはティルファングと、背の高いすらりとした女性だ。
 ルベル・カリマの長、カラヴィアスだと気付いてファルシオンは驚いたが、レオアリスはカラヴィアスを見上げ、黙礼した。
 カラヴィアスは飛竜の背から中庭に降り立ち、ファルシオンへの礼として、右膝を軽く曲げて一度膝をつき、その流れのまま立ち上がった。
「見事な剣だった。雷を帯びているか。属性はやはり大気系――ルフトと、ベンダバールの子だな、お前は。何を選択した故か、今は聞くまいが――状態はどうだ」
「状態は整っていると、思います。先程は有難うございました」
 レオアリスを南岸からここまで連れてきたのはカラヴィアス――この柘榴の飛竜だった。
 ただ、その時は二騎だったはずだ。もう一騎、太陽を背にしているせいで、その上に誰がいるのかが見えない。
 ファルシオンはカラヴィアスと向かい合い、丁寧にお辞儀した。
「カラヴィアス殿、またお会いできて嬉しいです。でも、どうして、ここに」
「改めて、今この戦場で王太子殿下と言葉を交わさせて頂けることを、光栄と申し上げます」
 目礼し、カラヴィアスはにこりと微笑んだ。
「殿下の問いに対しては――、我等が剣士という存在ゆえ、とお答えします」
 カラヴィアスの口元に浮かんだ笑みに、ファルシオンは首を傾げた。
「先日、我々は貴国の要請をお断りした。それは我々剣士という氏族の行く末を考えてのことです。今もその考えが間違っているとは思いません。私は一族の者達に対する責任を負っている」
 しかし、と続け、浮かべた笑みにやや苦笑が混じる。
「ナジャルほどの存在との戦いを目の前にして何もせず、この先、例えば数百年、剣を大事に身の内で錆びつかせたまま種が途絶えるのを待つというのは、どうにも我等の性根に合わないのですよ。ならば我々のこの剣とは一体何か――」
 レオアリスの視線へ、カラヴィアスは苦笑とは異なる笑みを返した。
「ティルファングやレーヴァレインが戦うことを選ぶのであれば、氏族の長として助力すると決めていたのです。加えて言えば、ルフトにのみ負わせることもない」
 レオアリスはカラヴィアスへ一度、ただ頭を下げた。
「レーヴさんは」
 カラヴィアスは一歩近寄り、レオアリスの耳元で小さく告げた。「ナジャルから受けた傷が深い。回復が追いついていないようだ」
 厳しく目を細めたレオアリスへ軽く笑みを見せ、ファルシオンへと改めて向き直る。
「王太子殿下、レーヴァレインに対し、貴国の法術士による治癒をお願いしたいのですが。兵士達をまず回復させなければならないでしょうから、その後で構いません」
「あとなんて――わたしたちを助けてくれたのです」
 ファルシオンは首を振った。
 けれど、剣士でさえ法術を必要とするほど、ナジャルの力が大きいということだ。
 剣が戻ったレオアリスと、それからカラヴィアス達ルベル・カリマの助力。
 アスタロトは万全ではない。アルジマールはまだ動けない。
(でも、わたしが)
「俺達はいつまでここに居ればいい、カラヴィアス殿」
 愛想の欠けた声が割って入る。
 上空、翼を泳がせるようにして浮かんでいる飛竜の背からだ。三騎目の。
「ああ、うっかり忘れていた。みな降りて来るといい」
 カラヴィアスが手を振ると、待機してた飛竜が中庭へと降下する。
 飛竜がボードヴィルの屋根を過ぎた辺りで、三騎目の飛竜の背から一人、飛び降りた。
 石畳に降り立ったのは男――ファルシオンは思わず、レオアリスを庇うように男に身体を向けた。
「殿下」
 レオアリスがすぐファルシオンの前に出る。ファルシオンはその腕、軍服の袖をぎゅっと掴んだ。
 男はプラドだ。ベンダバールの。
 カラヴィアスが近付いて来るプラドへ、腕を組み向き直った。
「別に留まれとは言っていなかったぞ。自分の判断で降りて来い」
「そのような雰囲気ではなかった」
「はは。そんなことを気にするのか、お前」
「プラドはね、意外と繊細なの。寡黙なだけで」
 後から飛竜の背を降り追いかけて来たティエラがプラドの傍らで小首を傾げ、プラドは眉を顰めてじろりとティエラを見下ろした。
 カラヴィアスが柔らかく笑う。
「いい理解者がいるようだ。だが、ややこしくなるから言動はそのまま抑えていてもらおうか。せめてナジャルを倒すまで」
 プラドへ釘を刺し、組んでいた腕を解く。
「レオアリス。この男が持ってきた問題は、お前自身で解くといい。だが今は我々も含め、少しの助力として期待してくれて構わん」
 レオアリスはカラヴィアスと、プラドとティエラ、それから後方の飛竜――ティルファングはレーヴァレインを乗せた飛竜の側にいる――へ、深く頭を下げた。
「有難うございます」
「とは言え、我々の力が加わった程度では、あのナジャルをそう簡単には滅せん。海を干すのが困難なようにな」
 いや、それでは不可能な例えか、と苦笑する。
「考えるだに厄介だ。何かしら、それなりの勝ち筋はあるのだろうな?」
「はい、ごく単純ですが」
「単純――嫌な予感しかしない」
 カラヴィアスが細い眉を寄せる。
「取り敢えずは、一度軍議を」
 降り注ぐ陽光が中庭を暖めている。太陽はそろそろ中天に差し掛かり、戦いが始まってからだいぶ時間が経ったのだと、ファルシオンは改めて、そう思った。
 けれど、まだ終わってはいない。あと少し――
 そのあと少しがどれほどあるのか、わからないけれど。
 斜め前に立つレオアリスの横顔を見つめる。
 今は、背中ではない。
 とても近くにいるような気持ちがしている。
「殿下?」
 レオアリスが首を傾け、ファルシオンと視線を合わせる。
「何でもない」
 そういうと、レオアリスはにこりと笑った。






 海皇の侵入により受けた損害は、改めて見回せば少なくないものだった。
 三叉鉾が切り裂いた城壁、城の外壁、そして何より、砦城の印象を作り上げていた大屋根はその半分が断たれ、崩れている。城を修復するのは戦いが終わった後、早くても半年近くはかかるだろう。
 大屋根のすぐ下の階にあった飛竜の降騎場も床のほぼ三分の二を失い、崩れた屋根や壁の瓦礫に埋もれていた。
「セルファン大将殿――! どちらにおられますか! セルファン大将殿!」
 ワッツの部下、西方第七大隊少将ゼンは埃が舞う廊下を降騎場の入り口まで駆け寄り、扉の奥を見回した。ゼン自身、負傷はほぼないものの、三叉鉾の影響で体力とそして思考もぼんやりとしたまま、まだ戻りきっていない。
 だがその重苦しい頭を一瞬で冷やすほどの想像以上の光景に、ゼンは奥歯を噛んだ。
 降騎場は二階下の四階まで崩れ落ち、大小の瓦礫がなだれ込んで五階の床を越えるほどの大きな山を作っていた。
 海皇の三叉鉾によって崩され、あの時降騎場にいたセルファンや近衛師団隊士達を巻き込んだのを、何人もの兵士が目にしている。
 傍らで同じく崩壊した降騎場を見つめていた部下達が呻く。
「少将……これでは」
 ゼンは首を振った。
「殿下が、お助けになられたはずだ――」
 あの鉾の重苦しくうねるような空気の中、黄金の光が辺りを包んでいたのも、ゼンだけではなく多くの兵達が目にしている。ゼン達自身もまた、ファルシオンの黄金の光に包まれたことで命を落とさずに済んだのだ。
「とにかく瓦礫を退ける。これ以上崩さないように慎重にかかれ」
 ゼン達が室内にそろそろと踏み込み、まずは端から瓦礫をどけ始めようとした時、山となった瓦礫の一角がぐらりと揺れた。
 肝が一瞬で冷えた。崩落する。
「崩れる、退がれ――!」
 ゼンは声を張り、自らも二、三歩退がった。「法術士を……」
 瓦礫の頂点付近、斜めに倒れていたおよそ一間四方の壁が崩れ――
 たと思った次の瞬間、重量のあるそれがごそりと持ち上がる。
「え?」
 その下から大柄な男が身を起こした。
「ぶはぁッ」
 持ち上げた壁を足元に滑らせ、野太い息を吐く。盛り上がった筋肉が崩れた壁からの陽光を浴びている。
「さすがに死ぬかと思ったぜ」
「ワッツ大将!?」
 ゼンが驚きに立ち尽くしている前で、更に瓦礫が揺れ、飛竜が首を伸ばした。
「おっと悪ィ」
 ワッツは飛竜の周囲の瓦礫を手際よくどけ始めた。ひと抱えもある天井装飾を取り除き、瓦礫の山を滑らせる。
「ゼン。おい、ゼン」
「――――――――ハッ」
 ゼンは我に返り、背筋を張り踵を鳴らして敬礼した。
「ご無事で!」
「ちょうどいいとこにいてくれた。まずは入り口辺りの、動かしても問題なさそうなところから取り除いてけ。まだこの下に何人かいる」
「――は!」
 二、三度瞬きをし、それからゼンは取り敢えずあれこれ考えるのを止め、部下達と共に瓦礫の撤去に取り掛かった。
 ワッツは飛竜の周りの大小の瓦礫をどかしつつ、飛竜に「お前ちょっと動かずそこにいてくれ」と頼みながら更に一つ一つ瓦礫を取り除いていく。
 兵達も瓦礫を手から手へと渡し、廊下へと運んだ。瓦礫の山は着実に、嵩を落とし始めた。
 他の場所でも、兵達が声を掛け合いながら救助活動を行なっている様子が伝わってくる。
「――おい、大丈夫か」
 ワッツは声をかけて身を屈め、飛竜の腹の下から一人、肩に抱え上げた。
 セルファンだ。こめかみから血を流し、意識が無い。負傷の様子も見える。
「ゼン、ここに数人いる。担架を――」
 セルファンの身体が白い光に包まれ、ワッツがゼンへと受け渡す前に宙にふわりと浮かんだ。
「法術か」
 法術士団か法術院か、救助活動に入り始めたようだ。そのことに、ゼンは深い安堵を覚えた。
 一つ、乗り越えたのだ。
 息を吐く。
 そうするとどっと眠気が襲いかかってきた。
「ちょっと、眠りたい……」
 まだこれから、最後の、最大の戦いが待っているが、ゼンの気持ちはどことなく軽かった。
 一番大きな理由は、瓦礫の下から立ち上がったワッツを見てしまったからだが。
「ワッツ大将……岩、いや、鉄でできてんのかな……」
 実際のところはファルシオンが落下と、そして瓦礫の重量が埋まった兵士達にかかるのを防いだからなのだが、この一件以降、ゼンや兵士達はことあるごとにこの衝撃を語り倒し、ワッツは兵士達の間から『鋼鉄』の二つ名で呼ばれるようになった。










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2021.2.28
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