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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』



 
 鈍い音――黄金の光によって海皇を閉じ込めた貴賓室廊下の扉を、壁を、天井を、塊が打ちつけるような重い音が響き、振動が足元に伝わる。
「あちらへ、殿下――! 飛竜が待機しています」
 階段を更に昇り、砦城の六階へ至ると、セルファンは抱えていたファルシオンを床に下ろし、自らは剣を抜きファルシオンの後方へ位置取った。
 この階のすぐ先に飛竜が待機する降騎場がある。そこから飛竜に乗り、空へ退避するのだ。
 ファルシオンは再び、自らの足で石造りの廊下を駆け出した。
 半年前、夜の中を王城の奥深く駆け降りた記憶が蘇る。あの時の呼吸と鼓動がすぐ横にあるようだ。
 けれど、あの時よりも不安は感じていなかった。自分があの時よりも少し、経験を重ねたこともある。
 この場に総大将として来た、その役目を理解している。そして共に戦う兵達や法術士達――彼等がいるからでもある。
 彼等が自分を守ってくれていることと、彼等を守れるのは自分だという自負と。
 何より、約束したのだ。
 ファルシオンが呼んだら、来てくれると――
 今、とても強くそれを信じていた。自分でも不思議なくらいだ。
 でも、それがわかる。冷えた青い石を握り締めれば、その想いはその都度強くなった。
(だいじょうぶ)
 ファルシオンは意識を集中させた。海皇の気配はまだ、貴賓室の廊下を出ていない。
 まだファルシオンが張った光――それは法術の封術に近いものだ――その光が途切れていないことに、ほっと息を吐く。
「セルファン、皆は」
「貴賓室廊下前からは退避させました。中庭と、街へ抜けるようにと。あとは我々が飛竜で出れば。外で法術士団と法術院が、攻撃陣を展開させているはずです」
 足止めの為に、とそう言う。
「ただ海皇が追ってくる以上、この城そのものも状況によっては放棄することになるでしょう」
「だいじょうぶ」
 セルファンは僅かに瞳を開いてファルシオンを見つめ、だがそれ以上は何も言わず、ひりついた空気の中廊下を進んだ。
 風が流れて来る。目指す場所はすぐにそれと分かった。セルファンの部下の小隊が扉の前に待機している。
「大将」
 第三大隊左軍中将ムラノがセルファン達と入れ替わるように前へ出て、開かれている両開きの扉へとファルシオンとセルファンを導く。
 やや暗い廊下から、光が満ちた広い空間に飛び込んだ。風が全身を包む。
 この場所は降騎場――飛竜を乗降する場所だ。ボードヴィル砦城の六階、大屋根のすぐ下にあり、六騎ほどの飛竜が待機できる広さがあった。飛竜が飛び立つ為に前面は幅およそ五間(約15m)、折れ戸を設けている。今、折れ戸は全開にされ、すぐにでも飛び立てる準備が整えられていた。
 三騎の飛竜の姿があり、傍らに法術士十名が控えている。飛竜は防御陣だろう、法陣円を背負っている。
 セルファンは一瞬も足を止めず、開口部近くに待機している銀翼の飛竜へ足を進めた。セルファンの乗騎だ。
 ファルシオンを抱え上げ、鞍に乗せる。
 自らも跨ろうと手綱に手をかけた時、足元が揺れた。階下で何かが崩れる音と振動が身体に伝わる。
 ファルシオンは右手で握り締めていた石に、更に力を込めた。
 貴賓室廊下への扉を抑えていた光が、急速に失われていくのがわかる。
 吸われて・・・・いる。ファルシオンの力ごと。
 逆流するように、闇が自分に迫るのを感じ、ファルシオンは半ば無意識に、切り離した・・・・・。遮断したと、そう表現した方がいい。
 ただの感覚でしかない。
 それでも、闇が光を辿り、自分を喰らい尽くそうとしたのが判った。
 三叉鉾の闇。
「殿下――」
 顔を強張らせているファルシオンの様子に気付き、セルファンが問おうとした、直後だ。
 降騎場の床が音を立てて崩れた。
 セルファンは咄嗟に手綱を繰り、飛竜を空へ、滑空させた。
「セルファン!」
 ファルシオンは手を伸ばしたが、既に飛竜は降騎場を離れた後だ。セルファン達がまだ降騎場に取り残されたまま、空へと、銀翼の翼が風を掴む。
 用意も何も整っていない。手綱を掴めず、ファルシオンは鞍にうつ伏せになるように、飛竜の首にしがみついた。
「――っ」
 唇を噛み、懸命に首を巡らせたファルシオンの瞳に、崩れていく降騎場と、砦城の外壁が映る。
 崩れる石の間を縫い、触手のような、鞭のような、黒い影が幾筋も現われうねる。闇――赤黒く蠢く光。
 それが大気から、周囲の――ボードヴィルの兵士達から、そして飛竜から、命を吸っているのがわかる。城壁の上に兵士達が倒れ、或いは壁に寄り掛かるように蹲っている。中庭にも、窓から垣間見える廊下にも。
「――だめだ!」
 ファルシオンの瞳が黄金に輝く。
 手の中の青い石が、光を放つ。指の隙間から光が溢れ出る。
 それはファルシオンが気付く前に一瞬で収まり、ただ手のひらの中の石はその中心に光を灯し続けていた。
 浮かび上がるのは、交差した二振りの剣の彫刻だ。
 ファルシオンの身から放たれた黄金の光が、ボードヴィル砦城を染める。
 倒れている兵達を包み、崩れた瓦礫に押し潰されかけていた身体を浮かせる。
「みんな、私が守る――」


 ボードヴィル一階の廊下に倒れていたアスタロトは、身体を包む温かさに、閉じていた瞳を開いた。
「――私」
 途端に蘇る、全身に感じる突き刺すような痛みと、強い疲労。
 それでも、癒されているような感覚が全身を包んでいた。
 何とか、力を込めて体を起こす。手を突いた床も、壁も、黒く煤けている。アスタロト自身の炎が炙った痕だ。
(海皇と、戦って――)
 幾つも傷を負って、その後は――
 眩しさに瞳を向けた窓、その向こうに見えた光景に、アスタロトは自分の身体のことを忘れ、駆け寄った。とたんに全身を襲った痛みを噛み殺し、窓に手をつき外を見上げる。
 大屋根の上に浮かんでいる銀翼の飛竜。その背にいるのはファルシオンだ。
 ファルシオン一人だけ。
「一人……」
 廊下の左右を見回し、中庭への扉を見つけて駆け寄る。押し開けた瞬間、空を光が埋め尽くした。
「何――」
 攻撃の為の炎を呼び起こそうとして、同時にその光が何かを理解し、咄嗟に廊下へと戻った。
 直後に降ったのは、光条だ。
 上空を覆うように並んだ十数個の法陣円が輝き、その中心から光の筋が降り注ぐ。光弾ではなく、白熱する雷光。正規軍法術士団の最高位の攻撃術式による雷撃だ。
 轟く音と共に十数の雷が束になり、三階、貴賓室のある一角へ、突き刺さる。ボードヴィル砦城全体が揺れる。
 アスタロトは炎を身に纏い、雷撃の余波に備えて身体を庇い身を縮めた。
 だが、ごく軽い痺れが身体を走るのを感じただけで、予想した衝撃は無い。
 うっすらと目を開け、アスタロトはまだ光りを放ち続ける光条を見透かした。一撃ではなく、長時間の連撃だった。恐らくこれが今いる法術士団術士達の、全精神をかけて紡ぎあげた術式だということがアスタロトにも判る。
 それでも――
 アスタロトの予想を、なぞるように。
 貴賓室の辺りに突き立っていた光条の、根本が黒く染まる。
 そう見えた次の瞬間、黒い闇は光条を逆流するように、空へ走った。上空の法陣円へ。
 法陣円が黒く染まり、砕ける。
 上空に足場を置いていた法術士団の術士達へ、闇が伸びる。
 広がった防御陣を一瞬で飲み込み、溶かす。
 闇が術士達を推し包みかけた時、再び黄金の光が空へ広がった。
「ファルシオン、殿下」
 アスタロトは膝に手をつき、身体を押し上げ、数歩、再び中庭への扉へと寄った。
 先ほどよりも更に強い眩暈が湧き起こり、胸や腹、膝が、熱を持って焼けるように痛い。身体の重さと痛みを押し、手のひらに炎を浮かべる。
 アスタロトが炎を放つのと、砦城の三階から黒い三筋の闇が走るのとが、ほぼ同時だった。
 炎が闇を捉え、包み――霧散する。
 一切勢いを弱めることなく、闇は砦城の大屋根、そしてその向こうの尖塔を、斜めに断った。尖塔が、ゆくりとずれ、大屋根の上に倒れていく。
「――」
 アスタロトはよろめく身体で中庭へと踏み出し、そこで膝を落とした。身体中から力が抜けていく。三叉鉾に吸われているのがわかる。
 ファルシオンの放つ黄金の光がそれを遮ろうとしているが、三叉鉾はその間にも、ますます力を、悍ましい存在感を増し続けている。
 身体が中庭の石畳に倒れたのも気付かず、アスタロトは頬を石畳につけ斜め上の空を見上げた。
 ファルシオンを乗せた銀翼の飛竜が、視界の中で霞む。
 三階の、崩れて内部が剥き出しになったその一角に、男の姿が見えた。先ほど受けた雷撃の束による影響など、その上に一欠片も見当たらない。
 右手に握られている、赤黒く蠢く鉾。
 それが、霞む視界の中でただ一つ、明瞭にその形を表している。
 つい先刻アスタロトが戦った時よりも尚、力を増している。どれだけ、この砦から命を吸い上げたのか――
(起きなきゃ――、わたしが、戦わ、なきゃ……)
 ファルシオンを、兵達を守らなくては。
 視界が暗く歪んでいく。
 力が出ない。
 三叉鉾から溢れ出し蠢く闇が海皇の身体を宙に浮かべ、ゆっくりと――、上空の銀翼の飛竜へ、ファルシオンへと、近付いていく。
 ファルシオンがアスタロトを、兵達を守ろうとして放つ黄金の光を、喰らいながら。
「わ、たし……が」
 動かない。
「殿、下――逃げ」
 誰か。
「――レオ」


 ファルシオンは、近付いてくる闇を見ていた。
 兵達の命を吸い、法術の雷撃の力すら吸い上げ、ファルシオンの力をじりじりと削り取り喰らっていく、闇を。
 その奥に立つ、海皇――父王に生き写しの、そして何一つ同じではない、その姿を――
 赤黒く輝く三叉鉾を。
 それから。


 ぎゅっと、手の中に小さな石の飾りを握り込む。
 それから、海皇と、ファルシオンとの間――崩れかけた大屋根の上に立った、後ろ姿を。
 緩く下げた左右の手に、それぞれ一振りずつ、青白く輝く剣が握られている。
 胸の奥で鼓動が一つ、鳴った。
「――レオアリス」
 海皇が顔を上げ、レオアリスの姿を捉える。
『アレウスの剣士』
 嘲笑交じりに、海皇は相貌を細めた。
『主の死の間際、傍らにすら在れなかったそなたが、今さら何の用か』
 ファルシオンからレオアリスの顔は見えない。
 ただ、海皇の嘲笑は、どこにも届かなかったように思えた。
 海皇が苛立ちを浮かべる。
『主の後を追うがいい。そなたと――そして、その王子と。なれば再びまみえる奇跡もあろう』
 三叉鉾が揺れる。
 次の瞬間、三叉鉾が半回転し、足元から空へ、掬うように振り抜かれた。空を裂く音と共に闇が疾る。
 石造の壁を紙の如く切り裂いた闇は、だが瞬きの後、消失していた。まるで初めから何もなかったかのように。
 青白い光だけが残る。
 レオアリスの姿は大屋根にはなく、海皇の正面にあった。剣が、火花を纏うように、青白く爆ぜる。
 三叉鉾が頭上から振り下ろされる。
 レオアリスの左手の剣が光の筋を残して上がり、振り下ろされた鉾の刃を捉え、断ち切った。
 三叉鉾が震え、どろりと溶ける。
 悲鳴か、怨嗟か、叫びか――耳の奥をつん裂くような音が迸る。
 レオアリスは右足を踏み込み、鉾を断ち切った左の剣の速度を、右の剣に乗せ替え、薙いだ。
 まだ残る三叉鉾の柄ごと、青白い閃光が水平に一閃、海皇の胴を断つ。
 一瞬、辺りが青く染まる。


 青い光が消えた後には、海皇の姿も、三叉鉾の闇も、何一つ残っていなかった。










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2021.2.21
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