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王の剣士 七

<第三部>

第八章『輝く青 2』




 ザインは文字通り坂道を駆け上がった報せを受け、息を吐き立ち上がった。
「想定はしていたが、早いな――」
 もうあと一日、二日の時間が欲しかった。
 だが、事態が動き出した以上、それに対応して動くだけだ。
 交易組合の会館にはザイン、ファルカン、領事、交易組合長カリカオテ以下幹部――そして正規軍南方第七大隊大将ダイクと副官の合わせて十名が集まり、今後の協議を行っていた。
 既に窓の外には西海軍が寄せるときの声が届いている。
 潮騒に似て、潮騒よりも不穏な。
 窓から見える港は陽が落ちて全容が捉え難いが、さほどの猶予もなく西海軍が街へ至るのは容易に想像できた。
 現在のレガージュの戦力、三千七百。
 報告された西海軍兵数は、六万を超える。
「ここに、全兵力を持って来るとは」
 正規軍本隊は騎馬で二日の距離のグレンデル平原にある。
 だが一方でこれは、想定していた事態でもあった。
 要衝であるレガージュだからこそ、戦禍を避けることは不可能だと。
 そして、万が一総攻撃を受けた際の対応も、既に決めていた。
 フィオリ・アル・レガージュの交易組合――街の人々の、総意だ。
 この街を、放棄する・・・・
 ザインは同席していたユージュへその顔を向けた。ユージュもまた、ザインが何を自分に指示するか、理解している。
「住民達を即刻、避難させる。急げ。ユージュ、お前がみんなを守って引くんだ」
「父さんは」
「足止めをする。お前達が住民を安全な位置へ連れて行くまでな」
 ユージュは一度父の顔を見つめ、頷いた。
「住民のみんなは任せて。父さんが来るのを待ってる」
「ああ」
 ザインはこの半年で自分がユージュに頼るようになったことを誇らしく思い、笑った。
「ザイン。船団は」
「決めた通りだ。船団も住民達を守って引いてもらう」
 ファルカンは一度物言いたげに口を動かしたが、首を振りザインの双眸を見返した。
「判った。ここはザイン、あんたに任せる――ダイク大将、ザインの援護と住民達の警護をお願いします」
「承知した」
「カリカオテ、領事。組合は任せる」
「必要な書類、資産は全て退避が済んでいる。街の再興は問題ない」
 その場の十名は互いに顔を見合わせ、一呼吸の後、それぞれ靴音を鳴らし動き出した。
 通りに出たファルカンと第七大隊大将ダイクはレガージュ船団の男達と正規兵へそれぞれ矢継ぎ早に指示を出す。
 街は騒然とし、だが混乱はしていない。
 住民達は西海軍の姿を見た時から既に、この街を発つ最後の準備を整え、路地へ出てきている者も少なく無い。
 ユージュが交易会館から駆け出し、人々へと、街を出るよう声を張る。交易組合長カリカオテとビルゼン等幹部達が先に立ち、街の東門へと坂道を登り始めた。
 街が揺れるように思え、その間を住民達がゆっくりと、塊となって動く。
 放棄は一時のことだ。みなそう信じている。
 窓から見下ろすザインはゆっくりと息を吐いた。
(勝つ為――、住民達かれらを守る為に)
 そして、この街を――アレウス国の交易の玄関口たるフィオリ・アル・レガージュを破壊させない為に。
 敢えて西海軍を呼び込み、放棄、撤退を選ぶ。
「必ず、戻る――」
 必ず、レガージュを復興する。
 それがフィオリ・アル・レガージュの全住民の意志だった。



 十月から少しずつ、日々修復を重ねていた桟橋を、西海軍の兵列が押し寄せる波のように乗り越える。ようやく元の姿に戻っていた五基の桟橋は西海軍の重量を受け端から崩れ、海中に沈んだ。
 港から街を見上げれば、街の半ばから頂上に近い辺りを住民達が避難していく姿が見える。この短時間では全ての避難は間に合わず、まだ住民達の三分の二が街の中に残っていた。
『見ろ。慌てて逃げ出して行く』
 西海軍第一軍将軍フォルカロルは路地を埋める黒々とした帯となり蠢く塊を嘲笑い、手にした矛でじりじりと移動していく住民達の姿を指した。
 入り組んだ道が、一斉避難の妨げになっているのは明らかだ。
『あれこそ自らの首を自ら絞めているというものだ』
 フォルカロルを取り巻く兵等が、同じように嘲笑を滲ませる。
 フォルカロルは住民達を示していた矛をすいと引いた。
『使隷ども――』
 足元の海面を、矛の石突きが突く。
 海面から透明な人型が次々身を起こす。
 千を超す使隷の群れ。それ等が西海軍の“足場”を作る。
『逃すな。全て捉え、処刑しろ。奴らの首を一つ残らずシメノスの両岸に晒し、開戦――そして、アレウス国滅亡の狼煙を上げてやれ』
 フォルカロルの声に、唸るような兵士達の声が沸き起こり、港を、街を、その響きがじわりと侵食し、街を出ようと動いて行く住民達目掛け、突き進んだ。
『進め!』
 使隷の波に乗り、西海軍はあっという間に港を、交易の為の広場や倉庫を埋め尽くした。
 街へ至る。
 侵攻を阻む入り組んだ路地を嘲笑うがごとく、家家の壁を乗り越え、避難する住民達へと進軍した。悲鳴が風に乗る。
 その先頭へ、白い閃光が走った。
 使隷の波と兵列が、岩にぶつかったかのように切り裂かれ、一瞬、侵攻が止まる。
「追わせはしない」
 ザインは家の屋根瓦に立ち上がり、次いで足元を蹴った。
 右腕に顕れた剣を振るう。
 数十の西海軍兵を一刀に薙ぎ、ザインは一つ先の屋根へ降りた。扇状に広がっている街が狭まり始めた、この位置を自分の防御線と定める。
『ザイン――!』
 フォルカロルは吼えた。
 突き進もうとしていた西海兵の動きが、巨大な掌に押されたように止まる。
 次いで上空から、飛竜の羽ばたき音と共に、西海軍の前衛へ矢の雨が降り注いだ。南方第七大隊の竜騎兵五十騎が、街の斜面の沿うように駆け降り、再び矢を放つ。
 引き波に似て、一度、西海軍は後退した。自らの意思ではなく、圧された為だ。
『下がるな!』
 フォルカロルは矛をぐるりと回し、跳ね上げた使隷の波を刃のように、上空を飛ぶ赤鱗の飛竜へ飛ばした。
 水の刃に翼の一部を切り裂かれ、飛竜が二騎、街へ落ちる。
『ザイン一人、飛竜の数十騎ごときで、我等六万五千の兵を止められはせん! 街ごと飲み込んでしまえ!』 
「フォルカロル――」
 ザインは踏み込み、西海軍前列の数十を再び切り裂いた。
 竜騎兵の矢の雨が続く。
 だが、六万五千の圧倒的な物量に対し、ザイン一人と竜騎兵五十では、あっという間に飲み込まれるのは目に見えている。
 分かり切っていることだ。
「住民達が街を出るまでだ――」
 それだけ保てばいい。
 ちらりと、背後へ視線を送る。
 避難する住民達の最後尾は未だ街の半ばを少し過ぎたところにいる。
 ユージュ達が最後尾についてはいるが、全てが避難を終えるまで、少なくとも四半刻――。
「――六万五千、全てを相手取る訳でも無い」
 ザインは右腕に顕した剣に白い光を纏わせ、一歩踏み出した。取り戻した剣に迷いは無い。
 打ち寄せる波のごとき、西海兵の群れ。
 かつての――大戦の、その再現。
 かつての悲鳴、嘆き、悲嘆――
「フィオリ」
 口元に笑みを剥き出す。
 押し寄せる群れへ、ザインは足元を蹴り、剣の白い光の帯を引き、突進した。




 フィオリ・アル・レガージュ陥落――
 その報は、やや遅れて夜の九刻、総大将、王太子ファルシオンのいるボードヴィルへも至急もたらされた。
 グレンデル平原の総指揮、タウゼン自身によってだ。
 タウゼンはアスタロトと、そしてファルシオンの前に膝を下ろし、報告を続けた。
「西海軍は侵攻より一刻でフィオリ・アル・レガージュを完全に占拠。レガージュは南方第七大隊が住民達を伴い、避難を続けているとのことです。今後、西海軍は間を置かずシメノスの遡上を開始すると見られます」


 ファルシオンはじっと、自らの両手を見つめた。
 いっぱいに開いてみても、まだ何をつかめるでも無い小さな手だ。
 そんな小さな存在でしかないファルシオンのもとで、最後の戦いが始まった。
 難攻不落の地であったフィオリ・アル・レガージュを、呆気なく西海軍の手に明け渡したことには、忸怩たるものがある。
 だが、レガージュの住民達の生命を重視した選択だ。
 何より、レガージュの住民達自身の苦渋の選択だろう。
(かならず。みなにレガージュをとりもどす)
 両手をギュッと握り込む。
 まだ、これからが始まりだ。
 アスタロトの声がタウゼンへ問う。
「グレンデル平原本隊は」
「レガージュに置いていた南方第七大隊の救援を第一に、ケストナーに南方軍一万を率いて向かわせました。他部隊も、既に」
「充分だ」
 頷く。
 シメノスを遡上し、六万の大軍の先鋒がこのボードヴィルに到達するのは、遅くとも明日の早朝と予想された。
 今、ボードヴィルの駐留部隊はほぼ無い。
 グレンデル平原本隊の動きがどれだけ迅速か、時間との戦いでもある。
「ボードヴィルは、予定通りだ。最悪私達がいる。ナジャルの姿は」
 西海軍がボードヴィルに至るまでに正規軍本隊が整わないとしても、アスタロト、そしてレオアリスの戦力で一定の足止めは不可能ではない。
 ただ、それにはナジャルが同時に動き出さないことが重要だった。
 ナジャルが今動けば、流れは一気に西海へ傾く。ファルシオンを王都へ逃したとしても、西海がシメノスを遡上すれば王都へ容易く至るだろう。
「ナジャルの目撃情報は未だありません」
 レオアリスは窓辺へ歩み寄り、窓枠に手をかけ、硝子の向こうを見透かした。
 既に陽が落ち窓の外は夕闇が染めている。それでなくともこの場所から、レガージュの動きを見て取ることは不可能だ。
 西海軍のシメノス遡上の速度。
 正規軍本隊の動き。
 アルジマールはまだ多重陣の布陣を終えてはいない。
 ナジャルが動く、その前に――そう考え動いてはいるが、ナジャル出現に間に合うか。

 だが、西海との最後の戦いがこの夕刻の、フィオリ・アル・レガージュの占拠をもって始まったことは、誰の目にも明らかだった。




 ロットバルトは王城の南大階段の踊り場に立ち、壁に掲げられた地図を見上げた。
 この国の全域を多彩な糸で織り込み表した、縦三間、横二間の地図だ。
 蒼い双眸が動く。
 水都バージェス。
 当初、正規軍が本陣を張ったグレンデル平原。
 サランセラム丘陵。
 王太子ファルシオンが座すボードヴィル。
 その傍らを流れる大河シメノス。切り立った両岸はこの地図上では見て取ることはできない。
 シメノスを下って辿り着く、アレウス国の交易の玄関口、フィオリ・アル・レガージュ。
(要衝としてのレガージュ、防衛線としてのボードヴィル)
 多くの人々がそう認識してきたものは、そのように機能するが故だ。
 ただ、想定外はやはり、ナジャルの存在だった。
 地図から視線を外し、階段の上に半分覗いている大窓へと投げる。
 夜明けまではおよそ、六刻――
 夜が明ければ、シメノスを遡上する西海軍との激しい戦闘が始まる。









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2020.10.18
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