Novels


王の剣士 七

<第三部>

第八章『輝く青 2』

三十五



 
 全ての音が周囲から消える。
 ただ一人向かい合い、そして影は正面に、ほんの三間ほど離れたところに立っていた。
 纏っていた闇がゆっくりと剥がれ落ちていく。その姿が現われる。
 レオアリスは緩く首を振り、一歩、足を引いた。


 見たくない。
 見てはいけない。
 視線を逸らし、通り過ぎろ。
 ボードヴィルへ――
 ファルシオンがそこにいる。ファルシオンを、護らなくては。それがレオアリスのやるべきことだ――この剣が。


 頭の中で、警告の声が激しく渦を巻く。
 その全てを理解している。


 紛い物だ。違う。
 これはナジャルが創り上げただけのもの。
 レーヴァレインがそう言ったように、ただの影――残滓。ナジャルの悪意の塊。
 その人では、決して無い。


 解っているのに、それでも瞳は逸らせず、閉ざすこともできなかった。
 纏っていた闇は既になく、その姿は今、レオアリスの前にはっきりと在った。
 乾いた大地に陽光が落とす、影の輪郭の明らかさ。
 深い智慧と威厳と、静謐を湛えた黄金の双眸。
 半年前、あの朝、レオアリス達の前に立っていた、王の姿――
 幼い頃から何度となくその光を想い描き、そして王都で初めて目にした姿、レオアリスの前に在り続けた姿。
 眼差しも、身に付けていたものも寸分違わず、それは彼の王の姿だった。何も、何一つ変わっていない。
 銀の髪と、暗紅色を重ねた長衣の裾を風が揺らす。
 王は身を揺らし、レオアリスへ、その黄金の双眸を当てた。
「レオアリス」
 低く紡がれたその、声――
 深い響き。
 口元に浮かぶのは時折目にすることのできた、微かな笑みだ。威厳に満ちて温かく、深い。


 見開いた瞳から涙が零れ、頬を伝って落ちた。


「陛――」
 言葉を発しようとして、掴み損ない、息すら吐き出せなかった。喉は微かにその周辺の空気を震わせただけだ。
 湧き上がる無数の想い、感情は何一つ言葉にならず、ただ喉の奥を塊が塞いでいる。


 違う。
 違う、はずだ。絶対に。
 解っている――
 それでも。


 それでももう一度、その姿を目にしたかった。
 その存在の前に立ち、声を聞きたかった。
 名を呼ばれたかった。
 熱の塊が喉の奥を競り上がり、零れた。
「――陛下……」
 押し出した声と共に、押え込んでいた感情がどっと溢れ出す。
「陛下」
 王が帰らなかったなど、信じていなかった。
 そうだ。
 信じていなかった。絶対に違う。
 イスに行けばわかる。きっとまだ王は、イスにいて、王自身の何らかの考えがあって、だからそこに留まっているのだ。
 兵達を救う為に残った。まだ戻らないのは王自身の意思のもとのことだ。
 いずれ戻る。ファルシオンも、エアリディアルも、王妃もいる、王都へ。
 戻らないはずはない。
 そんなはずがない。
 だって自分はそこにいなかった。この剣を持ちながら、イスに――王の傍にいなかった。
 だからそんなはずはない。
 そんな時に・・・・・王の傍に自分が、いられなかったはずがない。
 そんなのは嘘だ。
 絶対に。
「そうだ――」
 頬を涙が止めどなく伝う。それをレオアリスは意識していなかった。
 口元に微かに、あるかないかの笑みが浮かぶ。
「やっぱり、嘘だったじゃないか――」
 こうして今、王は目の前にいる。
 戻らないなど嘘だった。
 嘘だった――ずっとそう思っていたように。


 それなのに何故、胸を掴むような苦しさがなくならないのだろう。


 レオアリスは力無く下ろしていた両手を、緩く握りしめた。
 手の中から、剣は消えていた。











Novels



2021.1.31
当サイト内の文章・画像の無断転載・使用を禁止します。
◆FakeStar◆