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王の剣士 七

<第三部>

第八章『輝く青 2』

三十四



 辺りに満ちた黄金の粒子が大気に溶け、消えて行く。
 その向こうで、海皇の三叉鉾が再び闇を纏い、表面を赤黒く蠢めかせた。
 歩き出す――レオアリスとレーヴァレインに目もくれず。その動きはそれまでと同様に意識など感じられず、ただ思念だけが一つのことへ、引き寄せられているようにも見える。
 向かおうとしているのはシメノスを挟んだ対岸、この場からおよそ百三十間(約390m)先に建つボードヴィル砦城――そこに誰がいるか、あの黄金の光で海皇は気付いた。
 ファルシオンがいることを。
「行かせない」
 ファルシオンのところへ行かせる訳にはいかない。
 何より、あの姿を――
 父王と同じ姿を、ファルシオンの目に触れさせる訳にはいかない。
 絶対にだ。
 レオアリスは地面を蹴った。まだ纏い付いていた眩暈を、そのひと蹴りで振り払う。
 青白い閃光を引き、踏み込み、海皇の喉元へ薙ぐ。
 剣は海皇の首を断ち、身体の脇に立てていた三叉鉾の刃元を撃った。瞬間柄から手に伝わる、悍ましい痺れ。三叉鉾に触れるもの自体から、力――生命というべきか――を吸い上げるのが判る。
「ッ」
(押し切る――)
「レオアリス!」
 レーヴァレインの警告と同時に、視界の左に黒い闇が走った。
 剣の腹で受ける。
 引いた剣では勢いを殺せず、レオアリスは弾かれ、十数間先の地面へと叩きつけられた。
 背で受け身を取り、左手で地面を突いて跳ね起きる。同時に地面を蹴り、左へ跳ぶ。
 直後、三条の黒い光の刃がレオアリスのいた地面を裂いた。三叉鉾が放ったやいばの風だ。躱したレオアリスを追い、三条の黒い刃がぐん、と直角に曲がる。
 視線が捉えた海皇は再び背を向け、ボードヴィルへ歩き出している。
 着地点へ三条の黒い風の刃が次々突き立ち、レオアリスは地面を蹴り、身体を縦に半回転させて躱すと間髪入れず、再度左腕で身体を跳ね上げた。
 何度躱し、地面を砕いても黒い風の刃は衰えず、角度を変えて追尾する。
 後方へ身を蹴り上げ、追尾する黒い刃を剣で迎え撃つ。
 青白い剣光と撃ち合い、黒い風の刃はそれで砕けた。残った欠片が皮膚を掠め、痺れが伝わる。
 地面に降り立ち――、身体がぐらりと揺れた。
 欠片が掠めた傷は思った以上に深く、血が流れている。
(焦るな)
 三叉鉾が現われ、海皇の力は一層増した。力というよりも底知れなさ。どれほど身を断っても、完全には断ち切れない感覚はナジャルと同じだ。
 ナジャルが吐き出した残滓だからか。
 ナジャルを倒さなければこの影を倒しきれない――だが、吐き出された影を倒してようやく、ナジャルを削れる。
(どっちでも同じだ。迷ってる暇はない)
 海皇は足を引き摺り、のろのろと、だがシメノスの岸壁へおよそ二十間(約60m)の位置まで進んでいる。
 ボードヴィル砦城の城壁に兵達の動く姿が見える。辿り着けば貪欲に、そこにある全ての命をを取り込む。そしてファルシオンを。
 右手の剣を握り込む。剣が青白い光を増し、尾を引く。
 掬い上げるように振り切った剣が、地面を裂き海皇へ奔る。
 海皇はぎこちなく振り返り、鉾を薙いだ。
 放たれた黒い風の刃が剣光を砕く。
 そのまま、三条の刃がレオアリスの身体を裂いた。
「ッ――」
 よろめき、視線を上げた、その目前に三叉鉾の切先があった。三叉戟だけだ。
 胸へ――
 三叉鉾がレオアリスを切り裂く寸前、横からすり抜けた白光が切先を弾く。
 レーヴァレインの剣――レーヴァレインはそのまま、弾いた剣を振り抜いた。
 三叉戟が弾かれ、海皇の手元に戻る。
 レーヴァレインはレオアリスの前に立ち、直後に膝を落とした。
「レーヴさん!」
 気付いてレオアリスは眉を寄せた。
「傷が」
 まだ、先程の戦闘で受けた傷が治り切っていない。レーヴァレインは肩で息を吐き、それでも立ち上がった。
「落ち着いて。あれをただ砕こうとしても底がない・・・・。君はまず、ボードヴィルへ行くんだ。海皇は俺が止めるから」
「けど」
 三叉戟が生命を吸いかけたこと、そして一番の要因はおそらく、剣を海皇の闇に掴まれたこと――闇の侵食が原因となっている。法術による治癒が必要だ。
「大丈夫だよ」
 レーヴァレインは息を吸い、吐いた。
 乱れていた呼吸が整う。右腕に顕した剣が輝きを強め、熱を帯びる。
「さあ」
 レオアリスは頷き、身を返した。海皇と、シメノスの岸壁と並行に走る。空へ視線を上げる。銀色の翼が陽光を弾くのが見えた。
 海皇へ視線を戻し、ぎくりと息を呑む。
 海皇は三叉鉾を頭上へ掲げ、その石突で地面を、突いた。
 黒い闇が鞭か、波のように噴き上がる。大地に放射状に亀裂が走り、砕き、南岸の縁がシメノスへ向かい崩れ落ちていく。黒い波を伴った亀裂はレオアリスの足元へ、そしてレーヴァレインの足元へも走る。
 レオアリスは亀裂が到達する直前で地面を蹴り、滑り込んだハヤテの背に飛び乗った。黒い波を躱し、空へ上がる。
「レーヴさん!」
 レーヴァレインの姿は、宙空だ。足場を置き浮いている。
 闇――黒い波がその周囲を埋め尽くし、上下に踊るように蠢き――、一斉に立ち上がった。レーヴァレインを囲み、頭上から降り注ぐ。
 白い閃光が走り、闇を断つ。蒸発する。
 更に二度、レーヴァレインは剣を走らせた。周囲の闇が失せ、割れた大地が剥き出しになる。二十間離れた位置の海皇の姿が。
 海皇が再び三叉鉾を掲げた、次の瞬間には、レーヴァレインは海皇の懐にいた。
 剣が光を増す。
 レオアリスは我に帰り、ハヤテの手綱を繰った。今のうちに、ボードヴィルへ行く。
 ハヤテが翼で風を打ち――「止まれ!」
 声を上げレオアリスは咄嗟に、手綱を引いた。
 正面、ボードヴィルとの間の空のなかばに、ナジャルの姿があった。
 ナジャルが片手を上げる。
 瞬間、レオアリスはハヤテごと、弾かれた。
 ハヤテの背から滑り落ち、十間下の地面に降り立つ。喉の奥に迫り上がった熱を吐き出す。土が剥き出しになった地面を、吐き出した血の塊が染めた。
 剣を右斜め下に構え、レオアリスは上空を見た。
 いない。
「どこだ」
 視線を巡らせ――、踏み出す。左後方、四十間――ナジャルがいた。
 海皇と対峙するレーヴァレインの、後方。
「レーヴさん!」
 血で掠れた声で叫ぶ。
 レーヴァレインは振り返り、剣を構え直した。
 海皇が歩き出す。
 海皇へと剣を薙ごうとしたレーヴァレインへ、ナジャルが片手を上げた。足元から巻き起こった闇が、レーヴァレインの足を捕らえる。
 レオアリスは剣を下から、振り抜いた。
 青白い剣光がナジャルへ奔る。
 ナジャルは空いていた右手を上げ、手のひらを開いた。そこに剣光を受け、握り込む。
 青白い光が霧散する。
 海皇は足を引き摺り、のろのろと、だが確実にボードヴィルへと向かっている。ナジャルと海皇と、二つの距離を測ったレオアリスの耳に、含み笑いが届いた。
『生きたいという望みを、無碍にするものではない』
 嘲笑を含んだそれ。奥歯に怒りを噛み殺す。
「望みだと――、操り人形――お前が喰らった者相手に、よくそんなことを」
『だからだよ。我は寛容だ。世界は基本、一個の希望など省みないものだろう? 容赦なく命を奪い、容赦なく生み出す。どのような辛苦がそこにあろうと考慮などしない。だが、我は憐れに思う』
 低く這い寄る、冷酷な響きだ。
泡沫うたかたの存在の願いを叶えてやりたいと――そう思うのだよ』
 含まれた笑い。
 温かさなど一欠片もない。
『あの男はずっと地上を――片割れを求めていたのだ。一つに戻りたいと願っていた。千年越しの願い、邪魔するのは酷というものではないのかね?』
 片割れ・・・
 怒りが、足先から頭の奥まで、駆け上がる。
「勝手を言うな……」
 ようやくそれだけ、押し出した。
 怒りで眩暈がする。
 肩が荒い呼吸に揺れる。
 押さえ込んでいた感情が、弾け飛びそうだ。
 片割れ――
 ナジャルが嗤う。
 下ろした剣を握り込む。
「お前は――」
 迸った白光がナジャルの身体を縦に断った。レーヴァレインの剣光だ。
「レオアリス、君は行け! 今君がすべきは、君達の王子を護ることだ!」
 はっとして、レオアリスはレーヴァレインを見た。先ほど足を絡めた闇から抜け出し、足場の上に立ってレオアリスを見据えている。
「――」
 身を返し――レオアリスの足は、ボードヴィルへ向かおうとする自分の意思とは無関係に、止まった。
 息が詰まる。
 瞳を見開く。
『そう慌てずとも良い――』
 ナジャルが五間ほど左に移した場所で身を揺らす。レーヴァレインの剣が断った痕跡は既に無い。
『そなたには、まだ会うべき者がいるのだから』
 レオアリスの正面、三間も離れていない。
 一つの影が身を揺らしている。
 レオアリスは緩く首を振り、一歩、足を引いた。


三人目・・・――』


 その言葉は、禍々しく耳に届いた。



『会いたいと、望んでいただろう?』










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2021.1.24
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