三十
ボードヴィルから下流へ、およそ半里(約1.5km)ほど離れたシメノス南岸で北方軍一万は、僅か二十ほどの西海兵と睨み合ったまま既に半刻近くが経過しようとしていた。
動けない理由は彼等の中間にある、踏み込み難い空間の為だ。
北方将軍ランドリー、そして西方第七大隊大将ワッツ、武を持って鳴らす二人の剣を半刻もの間封じ込めている相手――西海軍将軍ヴォダとの三者の剣のぶつかり合いに呑まれ、北方軍の大将達でさえ助力に入るつもりで剣の柄に手をかけたまま、介入のきっかけを見出せずにいた。
「閣下と、あのワッツが」
手を出せないというより、憚られる。
ランドリーやワッツの剣技、それからあの西海人の剣技――意外なと、そう思う――卓越した剣技の交換は、御前試合でも眺めている感覚に陥る。
「西海にも、剣の技というものはあったのだな」
第五大隊大将カッツェが感心して呟き、第七大隊大将マイヨールは複雑そうに眉をしかめた。
南岸側に待機している西海兵達も、おそらく同じ思いのように感じられた。それがもう一つ、北方軍と西海兵の間に三者の戦いを置いて動かない理由でもあった。
同じものに感じ入ること――それは西海兵達への印象の範囲外にあったものだ。
ワッツは全身で息を吐いて吸い、踏み込んだ。
ランドリーと同時に薙いだ剣はヴォダの剣にほんの数瞬の差で二方向へ弾かれる。その正確さと速度は舌を巻く思いだ。ランドリーとワッツ、二人を相手取り剣速が落ちる様子も無い。
弾いた直後に走る切先を避けて後方へ跳び、ランドリーに並んでワッツは右後方に控える北方軍の布陣をちらりと見た。
「北方の大将方が高みの見物決め込まれてんのは、どうなんですか」
ランドリーが剣を構え直す。
細面の中の双眸を、同じく一歩引いたヴォダへと据える。
ヴォダ自身は後手を維持し、ワッツ達が機を伺い、畳みかける、その繰り返しだ。そのやり取りの中で互いに僅かずつ、切先が相手を削っていく。
「手が増えても剣撃の範囲が狭まるだけだ。構わん」
「なら俺は見物の方に回りたかったです」
北方軍一万に対し、ヴォダの配下は二十程度しかいない。ただヴォダが引かない理由はヴォダ自身が言っていた。
退けば兵は、ナジャルに喰われて死ぬだけだと。
『可哀想だろう』
その感覚がどの程度の感情から出たものかワッツには解らないが、一つ確実に解ることもある。
(俺も嫌ってほど知ってるぜ――)
あの時、ナジャルはボードヴィル前の戦場にいた兵士達を、敵味方関係なく喰らった。
目の前で部下達が喰われていく光景は当然腹立たしく痛ましく許容し難かったが、西海兵達が喰われることに対しても、同じように痛ましく思う。
(終わらせてぇな)
もちろん、勝たねばならないが。
ワッツは息を吐いた。
汗が顎を伝い、足元へ落ちる。十一月半ばの冷えた大気の中で、真夏にいるように汗が流れすぐに冷やされる。
傷に染みるのが鬱陶しい。
流石にそろそろ、腕を上げるのにやや気合が必要になっていた。
ワッツもその体格から力押しに見えて、力の抜きどころは心得ている。二対一ということもあり、ヴォダに押し切られることもなく剣合を続けてきたが、さすがに半刻近く続ければ反応に遅れが出始めていた。
ランドリーは一振り一振りが未だ的確で鋭い。ワッツはランドリーの剣の流れを作る役割を敢えてしているが、気が付けばランドリーの剣に引っ張られていると感じた。
こんな時に不謹慎ではあるが、確実に命を取り合おうとしているにも関わらず、斬るべき敵であるヴォダの剣技とも、噛み合っていることが心地良くさえ思える。
ワッツは剣を低く走らせ、直角に跳ね上げた。ヴォダが剣を打ち下ろす。ランドリーが空いた上半身へ、剣を薙ぐ。
ヴォダの剣は既に跳ね上がり、ランドリーの剣を左へと逸らした。左から踏み込んだワッツの剣を弾き、対角から突き出したランドリーの剣を叩き落とす。
直後、ヴォダの手元から銀色の筋が走り、ランドリーの肩口を裂く。
同時にランドリーは剣を下から斜めに斬り上げた。
ヴォダが後方へ大きく一歩退き、二方向からの剣を躱す。
互いの切先を、相手を制し向け、その延長線が彼等のちょうど中間の空間で交わる。
ワッツとランドリーは血の渇いた傷跡、まだ血を滲ませる傷をあちこちに負っている。だがヴォダもまた無傷とは言えず、たった今ランドリーの剣が刻んだ胸の傷から血を滴らせた。
『惜しいものだ――西海でこういう戦いは滅多にできん』
ヴォダの呟きは二人には意味を掴めない言葉だが、同時に一つ、呼吸を落とした。
ワッツが懐へ、踏み込む。
息を詰め、斜めから剣を斬り下ろす。ヴォダが剣を弾く直前、ワッツは身を深く沈めた。ワッツを捉え損ねた剣は、だがすぐに宙で切り返され、沈んだワッツの首元へ落ちる。
ワッツの影から、ランドリーが右腕で一直線に剣を突く。左に躱したヴォダへ、ランドリーが身を蹴り出していた左足を引き寄せ、更に踏み込んで薙ぐ。
ワッツは身を起こしながら剣を斜め上へ走らせた。
ヴォダが剣を薙ぎワッツの剣の軌道を逸らし、更にランドリーの剣を捉える。
打ち合った金属音が消える前に、ヴォダはそのまま剣を突いた。踏み込んでいたランドリーの喉元へ。
ワッツは剣を返そうとしたが、間に合わない。
「閣下――!」
咄嗟に地面を蹴り、低い体制からヴォダへ、ワッツは肩口から突っ込んだ。二人が草地を絡まるように二、三度転がり、身を起こす。
ワッツは飛び起き、右手に剣がないのに気付いて首を左右に振った。一間ほど離れた草の上だ。
剣へ飛び付こうとし――喉元にヒヤリと冷たい刃が当たる。
「――」
上げた視線の先にヴォダが剣を構え立っている。
そのまま喉を剣が切り裂くことを覚悟したが、ヴォダはワッツではなく空を――シメノスの方角を見ていた。
『ナジャルめ――三叉鉾まで、再現するか』
ナジャルという響き。
ワッツにも、ヴォダの見ている方向から、大気が揺らぐのを感じた。
不意に身体の重さを実感する。首に重しを一つ括ったように。
「――何だ」
「終わッタな」
視線を上げる。ヴォダの視線が一度落ちる。
「俺モお前達モ、このママ吸ワレて海皇ノ鉾の養分ダ。残念だガな」
「どういうことだ。何も解らん」
ヴォダは剣を払い、鞘に収めた。
空を雲が、東へと動いていく。
『海皇もどきめ、制限など一層効かん。こうなっては周辺の命全て、あの鉾が喰らいつくすぞ』
その鉾は闇と血とが縒り合わされ、形作られたように思えた。
赤黒く濡れたような長い柄、頂きには三叉に別れた両刃の、三つの鋒。
どくりと脈を打つ。
命を吸う――吸って力を増すものだと、本能で判る。
「海皇の三叉鉾――」
レオアリスは一度、呼吸を整えた。右手の剣に意識を巡らせ、研ぎ澄ます。
視線の先で海皇の周囲の草が枯れた色すら失い、ぼろぼろと崩れ、その範囲が急速に広がっていく。
大気が一度、塊を押し出すように動く。肌を撫で、風が流れる。
足元へ、血が流れ落ちる感覚にレオアリスは眉を寄せた。
(これは――)
「まずいね」
レーヴァレインも同じくそう言い、正面を見据える。
「さっきまでのは本当に残滓だ。でもあの鉾――」
立ち上がった海皇はつぎはぎの身体のまま、三叉鉾をその手で掲げるように持ち上げた。
「連撃――鉾を砕く」
レーヴァレインの指示と共に、二人は同時に草地を蹴った。
「固定」
左右、六角形の光る盤が十、宙に道を作る。
「降りずに」
「はい」
鉾が生命を吸い始めている。先ほど血が流れ落ちるように感じたのは、地面に触れる足元から力が吸われていく感覚だ。草は既に二十間四方一面枯れ果てて崩れ、まばらに立つ樹々が葉を散らし幹を枯らしていく。
南岸の岸壁は端から崩れ始めた。
光る盤を駆け、二人は左右から同時に剣を薙いだ。海皇の身体はもう一筋も切断箇所が見て取れないほどに回復している。命を吸ったからか。
だがあれほどに似て見えた海皇の姿は、今は一切王とは重ならなかった。
王とは存在の根本から、違う。
青白く光る剣と白光する剣が海皇の身体を背中から斜めに交差して断つ。断った感覚はある。
(動きは遅い――)
そのまま、鉾の柄へ振り切る。
剣が鉄を噛む感覚。
更に押し切ろうとした剣が一瞬、吸い込まれる感覚を覚えた。
レーヴァレインの剣が翻り、海皇の胴を真一文字に薙ぐ。
三叉鉾を掲げた右上半身を残し、海皇の身体が地面に落ちる。レオアリスの剣が鉾の柄に食い込む。
三叉鉾の石突が地面に突き立った。
鉾全体から膨れ上がった衝撃が、身体を貫いた。
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