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王の剣士 七

<第三部>

第八章『輝く青 2』

二十八



「良く見るんだ。君の剣の主じゃないのが判るだろう?」
 白く凍り付いた思考が色を取り戻す。
 レオアリスは止めていた息をようやく吐き出した。
(そうだ)
 あの存在は、違う。
 幾度となく思い描いた黄金の輝きも、身を包む畏怖と憧憬も感じない。同じ外見というだけだ。
(同じ血――?)
 奥歯を噛み、右手の剣を握り込む。手の中に剣の感覚がやや遅れ、だがしっかりと伝わった。
「あれはもう残滓でしかない。確実にここで倒さなくちゃならない。そしてそうすることでナジャルの力を削れる」
「削る? 吐き出した、ものを、倒すことで――ならナジャルを本体に戻すこともできますか」
「おそらくね。ナジャルは」
 レーヴァレインはほんのわずか沈黙を混ぜた。
「喰らって取り込んでいく。取り込んだ分を積み重ねてきた存在だ。多くの命数と力とを。取り込んだものを吐き出して使役するけど、それを消せばナジャルの力はその分減るはずだ。だから俺と君とで、まずはあの影を削る。いいね」
 ナジャルをもう一度本体に戻す。そうする必要がある。倒すには。
「――はい」
「足場は?」
「発動は、いつでも」
「うん。じゃあ、気を抜かないで。残滓と言っても海皇――それもナジャルの力が加わっている」
 頷き、レーヴァレインと同様視線を向けたレオアリスは解っていてもやはり、息を詰めた。
 王の顔。解っていても吸い寄せられる。
 鳩尾の奥に小さな熱と痛みの塊がある。
 レーヴァレインがふ、と、肩を下ろす。
 その場を圧していたがあったことに気付く。それがレーヴァレインのその仕草でやや緩み――緩めた瞬間、二人を見上げる海皇の姿が揺らぐ。
「動け」
 レーヴァレインの短い声に、先に反応したのは主より銀翼の飛竜の方だ。
 二頭の飛竜が左右、斜め下に身を滑らせた、そこに開いた空間を、海皇を取り巻いていた闇が鋭い槍のように貫く。
 一直線に伸びた闇は次の瞬間、ばらりとばらけてハヤテと柘榴の飛竜、それぞれの上に投網を投げるように覆い掛かった。
 白光と青白い閃光がその網を断つ。ほんの僅か、レオアリスの剣が遅れている。
「囚われちゃだめだ、レオアリス」
 闇は溶け、海皇の周囲へ戻る。
 直後、形を変える。二つに分かれ、更に四つに。それぞれが槍を形作る。
 大きさこそ通常の兵が用いる槍と変わらないが、槍が纏うのは悍ましさだ。『海皇』の存在と同じく――ナジャルという存在と同じく。
 更に分裂する。一呼吸の内に、数十の槍が穂先から闇を滴らせ、海皇の周囲に並んだ。
 一斉に打ち出される。
 一足早く動いたのはレーヴァレインだ。柘榴の飛竜の背を離れ、右手の剣を振る。白光が数十の槍を断ち、次の瞬間にはレーヴァレインは海皇の懐に踏み込んだ。
固定ゼッテ
 足元に六角形の光る盤が生じる。法術による視線設置の足場――レーヴァレインはその足場を蹴り更に一歩、踏み込んだ。
 右手の剣を斜め下から、弧を描くように斬り上げる。闇が海皇の足元から湧き起こり、レーヴァレインごと球体となって包む。
 レオアリスが剣を振る前に内側から白光が走り、黒い球体は光の筋を走らせ、崩れた。
 レーヴァレインは足場を蹴り、後方へ跳ぶと同時に剣を流した。崩れた闇が四方へ、鋭く欠片を散らす。レーヴァレインの剣がゆるく弧を描くように見え、無数の闇の欠片を弾く。
 後方や足元、川岸の岩が欠片を浴びてぼろりと崩れる。
固定ゼッテ
 闇の欠片が寄り集まり、鞭のように長くしなった。レーヴァレインが蹴ろうとした足場が、沸き起こった靄に呑まれる。靄はレーヴァレインの右足を捉えた。じわりと、足を溶かしにかかる。同時にしなる鞭が真横から打ちかかる。
 青白い光が鞭と靄を縦に断ち切る。
 レーヴァレインの横に浮かんだ六角形の盤に降り立ち、レオアリスは正面の海皇へ、剣を薙いだ。
 海皇の姿が揺らぎ、剣の軌道よりも更に二間先へ、身を移す。レオアリスは視線で空をなぞり、海皇の右横へと十箇所、飛び石のように設置した光る足場を駆けた。
 斜め右から剣を振り下ろす。
 海皇がレオアリスへ顔を上げる。
「――っ」
 一瞬、レオアリスの剣が軌道を揺らした。
 剣山のように、鋭く長く闇が四方へ突き出す。振り下ろしたレオアリスの剣を受け止め、擦り抜け、肩や腕、脇腹、脚を裂いた。レオアリスは体勢を崩し、よろめいた。
 闇が瞬時に戻り一本に纏まり、槍の如く突き出す。レオアリスの胸へ。
 レーヴァレインの剣が白い光と共に流れ、闇が作った槍を断った。下方へ、白刃が一筋の風の流れのように落ちる。海皇の左肩を捉える。
 胸へと斬り下げた剣を、海皇の右手が掴んだ。
 内側から光を放つ白刃を、海皇の手から滲む闇が這う。剣を引きかけ、レーヴァレインは眉を顰めた。海皇の手が剣を固定している。
 レオアリスが踏み込み、海皇の右手首へ、剣を走らせ落とす。そのまま斜め十字に、剣を二度走らせた。
 海皇が黒い血を吹き上げ、二間、後方へ退く。
「剣は――右足も」
「大丈夫だよ、ありがとう。君の方こそ相手の攻撃は避けつつね。押し切ろうとする戦い方はあの影にも、ナジャルにも通用しない」
 レオアリスは自分の身体を見下ろし、頷いた。海皇の攻撃による負傷は軍服に痕を残すのみだが、まだ防御を意識しきれていない。
「はい」
「うん」
 レーヴァレインは笑い、右の剣を払うように振った。
「けどあんまり掴まれたくないね。それと、やっぱり足場が悪い」
 海皇は与えた傷も既に消えている。海皇の足元の闇がぞろりと動く。
 レーヴァレインの合図で岸壁の間を降下した飛竜の背に移る。
 振り仰いだ空はシメノスの北岸と南岸に遮られ、細い。北岸からは剣戟の音が遠く響いている。
「南岸がいい」





 アスタロトは立ちはだかるルシファーに炎の矢を向けながら、彼女の姿越しにレオアリスを見た。
 レーヴァレインの言葉で、自分を取り戻したように見えた。
 そのことに安堵しながら、一方で、形を成した二つ目の闇――海皇の存在に、胃の奥を凍る手で掴まれるような感覚を覚えた。
『寄越セ』
 油の切れた歯車のように軋んだ響きだった。
 生者のものとはまるで異なる、それ――
 貪欲に他者の命を欲するそれは、けれどアスタロトがイスの謁見の間で目にした海皇そのものでもある。西海兵の命を命とも思わず吸い上げ、自らのものとしていた、あの在り方そのものだ。
 違うのは、ナジャルとも異なりつつ同列にあったかつての威厳を失い、悍ましさだけを増した気配。
 アスタロトはふと、あの時見た海皇とナジャルの関係が、国主と三の戟――その守護ではなく、同じ捕食者同士だと感じたことを思い出した。隙を見せれば頭ごと食い千切る無慈悲さと貪欲さ。死と同義の絶対者。
(そうだ)
 もともと、海皇は、捕食者だ。
 命を喰らい力とする。違うのは自我がおそらくほとんどないこと、それと。
(あの時の海皇と違うのは、もう一つ――)
 ぞくりと肌が粟立つ。
 海皇そのものの――
(三叉鉾――)
 そうだ。
 三叉鉾がその手に無い。


『あれは海皇の鉾だ』
 イスの暗い謁見の間で聞いたナジャルの囁き。
『血を得れば得るだけ、力を増す――』


「レオ――」
 注意を促そうと声を上げかけ、目前で膨れ上がった黒い風に全身を弾かれた。咄嗟に手綱を掴もうとした手は空を切り、一呼吸後にはアスタロトの身体はシメノスの岸壁を越え、ボードヴィルの尖塔よりも高く吹き上げられていた。
 岸壁の枯れた草地が遥か下だ。奥に死者の軍と戦う正規軍の布陣が見える。
(まずい)
 そう思った瞬間、身体を押し上げていた風が消えた。
 がくんと、身体が落ちる。
(地面に、)
 叩き付けられる――
 鳩尾の奥がぎゅっと縮まる感覚に、アスタロトは飛竜の姿を探した。
(――アーシア……)
 ここには連れて来なかった、最も信頼するが頭を過ぎる。
 直後、左腕が、肩から抜けそうなほど引っ張られた。
「いっ」
「気を付けろ」
 身体が空中でぶら下がり、上下に浮き沈みしている。足――靴先がまだ十間は下の草地を背景にぶらぶらと揺れた。
 顔を上げた先、ティルファングが飛竜の背から身体を伸ばし、アスタロトの腕を掴んでいる。少女のような顔が眉を顰める。「ちゃんと手綱を掴んどきなよ」
「ありがとう」
「君らの飛竜は僕達の飛竜とは違うからな、あの風に負けるのは仕方ないけど」
 ティルファングの言う通り、彼が操る柘榴の鱗の飛竜は正規軍の乗騎として用いられる種よりも一回り体格が大きい。アルケサスの過酷な環境に暮らす種だからかもしれない。
 アスタロトは翔けてきた乗騎の手綱を掴み、その背へ移った。風は緩く周囲を渦巻いている。
「今は目の前の相手に集中しろ。まずはアレを倒して、それから海皇もどきを倒す。それから」
 ティルファングはまだ岸壁の半ばに浮かぶルシファーと、その向こうの海皇、そして河面に立つナジャルの、正面に揺れる闇の塊を睨んだ。
「残る一体も。アレは僕達がやった方がいいんだろ? だから時間はかけられない」
 そうだ。
 あの最後の一体は、レオアリスの前に出させたくない。
 あれが何か、誰を象るか、解っている。
『違う』と言った、あの表情。
「だから、今気にしてる場合じゃないって言ってんの。一つ一つ削らなきゃ、三つ目どころかナジャル本体にたどり着く前に全滅だから」
 普段と変わらない口調と言葉遣いだが、全滅、という言葉には冗談の響きも無い。
 アスタロトはぐっと唇を噛み締めた。
 岸壁の半ばに立つ姿を見下ろす。瞳のない顔がアスタロト達へ向けられている。
 その向こう、白い剣光が走った。空気を叩く衝撃と。咄嗟に視線が動いたが、剣光の主は追えなかった。
 でもレーヴァレインのものだ。おそらく。
(レオアリス――)
「レーヴなら心配ない。それよりもどうする? 僕が斬っていいならそう言って」
「駄目だ! 私――」
 首を振り、再び唇を引き結ぶ。
「私が、自分で戦う」
 斜め下へ、まっすぐ視線を向け向かい合う。
「ファー」
 名を呼んで、それは違うと思った。
 アスタロトはもう一度、首を振った。
「貴女じゃない」
 そうだ。
 声に出せばより、そう思う。
 全く違う。目の前のあの虚な存在と、彼女とは。
「貴女は――軽やかで、素敵な人だ」
 凛として、声はルシファーとの間に落ちた。
 大気が揺れる。
 黒い風がすり鉢状に渦を巻く。シメノスの岸壁を削り取る。アスタロトの乗騎は徐々に渦の中心に引き寄せられ始めた。
「お前は、できるところで離脱して」
 飛竜へ声をかけ首を叩き、ボードヴィル城壁へ手を上げた。タウゼンと法術士団への合図だ。足場が要る。
 城壁で法陣円が光った。
 飛竜の背を蹴り、宙へ踏み出す。
 一瞬落下しかけ、直後足元に円盤状の法陣円が光り、両足がその上についた。どうにか立てる。
 周囲を風が鋭い刃のように渦巻き、法陣円が実体を持つが如く振動した。
「っ」
 よろめく足を踏み締める。
 吸い込もうとする風の力との相克に、法陣円が光を増した。
 一呼吸後、身に感じる引力が消える。法陣円はすり鉢状の風の、渦の縁とほぼ同じ高さに浮き上がった。飛竜の代わりの移動手段で速度は無いが、防御陣も兼ねている。
 飛竜の離脱を確認し、アスタロトは再び、両手に炎を作り上げた。









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2021.1.10
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