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王の剣士 七

<第三部>

第八章『輝く青 2』

二十七



 ハヤテは立ち上がる竜巻を、その風の動きを利用して螺旋状に駆け下った。
 河面が一瞬で目の前に迫る。翼を打ち、河面に平行に翔る。二つの闇を従えた、ナジャルへ。
 ハヤテの背でレオアリスの右手の剣が青白く発光する。鳩尾に一瞬走った痛みを、意識の外に押し出す。
(何度でも――)
 あれを、消し去るまで。
 上方で炎が爆ぜる。アスタロトの放った炎の矢が竜巻を貫いた、その熱風が押し寄せる。
 太陽よりも強い光を受け、河面に影を落とし直進するハヤテの背で、レオアリスは右後方へ剣を引き、身体を捻り生んだ力と共に水平に薙いだ。
 迸る閃光が河面に立つナジャルを――、二つの闇を断つ。直後にハヤテの躯が胴を絶たれ傾ぐナジャルの脇を過ぎる。
 レオアリスはハヤテの背を蹴って跳び、シメノス岸壁へ左足をついた。撓めた左脚で身を蹴り出す。三閃、真横と斜め、剣光が走り、傾いだナジャルの身を更に分断する。
 剣を振り下ろし迫る水面へと叩き付け、その衝撃で身を跳ね上げる。
 宙空のまま後方へ身を返し、その勢いを乗せ、下から掬い上げるように剣を一閃、振り切る
 青白い剣光がシメノスの河面を裂き、川底を覗かせ、ナジャルの身体を下から縦に断った。水飛沫が高く上がる。
 その水飛沫を割り、ハヤテが滑り込む。
 背に降りた直後、空から三筋、炎の矢が降った。
 ルシファーの竜巻を縦に切り裂き、ナジャルと二つの闇へ落ちる。
 高温の矢を受け、シメノスの河面が水蒸気を吹き上げる。
 レオアリスは岸壁の間を疾駆するハヤテの背で右手の剣を握り直し、深く、息を吐いた。苛立ちが篭る。
 何度でも、終わらせるまで剣を振るう覚悟だ。
 だが。
 分断されたナジャルの身体が、ズレたまま身を捻り、レオアリスを――そして更に上空のアスタロトを見上げた。
 視界を曇らせていた水蒸気が一瞬にして掻き消える。水面に無数の波紋が生じ、雫を跳ね上げる。
 雫が刃を形作る。無数に。
『――再会を、喜んでもらえないのかね?』
 一瞬、風がぴたりと止まり、次いで上空へ、突風となって吹き上げた。
 水の刃を乗せ。
 上空のアスタロトへ。
 アスタロトは炎の壁を足元に張った。刃が次々突き立ち、蒸発し、それも構わず更に突風と共に刃が飛来する。
 レオアリスの放った剣光が河面から放たれる刃のを断つ。
 尚も生み出され、撃ち出される水の刃が炎の壁を突き抜け、浮かぶ飛竜とアスタロトへ迫った。
「ッ」
 刃が飛竜を切り裂く寸前、飛竜の下に白い法陣円が広がる。後方、ボードヴィル砦城の城壁に並んだ五十名の法術士団による防御陣だ。
 防御陣は無数の刃を受け数回震え、だが永遠に続くと思われた水の刃は唐突に失せた。いつの間にか身体のあちこちから幾筋か、血が流れている。
 アスタロトは飛竜の上で、一瞬よろめいた。大技を連続して用い、疲労が足元から膨れ上がるようだ。
 肩で息を吐き、眼下のナジャルを見据える。
 ナジャルはまるで痛痒を感じていない様子で、青い剣に切り裂かれた痕跡すら残さない。
「――どう、すれば」
 河面に再び波紋が生じる。波紋の中心が盛り上がり、するすると伸びる。伸びるごと、先端が研ぎ澄まされる。
 水の槍。
 鋭く、細く、その数は数百に及ぶ。
 アスタロトは息を吐き、手のひらを水の槍に向けた。
 一瞬、ぐらりと視界が回る。
 水の槍が一斉に撃ち出され――、横凪の青白い剣光がそれを断つ。直後に青白い剣光に重なり、斜め上空から新たな白い剣光が水の槍を断ち切った。
 雨のようにシメノスへ降り注ぐ。
「無闇に戦ったってしょうがないだろ、全くさあ」
 遠慮のない呆れた口調に視線を上げた先、ティルファングとレーヴァレインが柘榴の飛竜をアスタロトの斜め上に浮かべている。
「あんなに本体に拘ってたのは何でだ? 理由があったんだろ? 忘れたの?」
「……忘れてない!」
「いや忘れてただろ。あれはただの影だ。影なんか攻撃したって意味がないんだから」
 アスタロトは唇を尖らせ、それから息を吐き出した。
 怒りに見失っていた冷静さが、戻った。
 そしてティルファングの言葉の意味。
 アルジマールも同じことを言った。
 ナジャルの本体でなければ転位陣で飛ばせない。人型はただの投影だと。
 ナジャルの悪意の。
「――じゃあ」
「解ってるだろ。奴が吐き出した闇だ。あれを斬らなきゃ――あれを斬ってようやく、奴の力を削り始められる」
 アスタロトは瞳を瞬かせ、ティルファングを見た。
「なら……倒せる……?」
 今度はティルファングが唇を尖らせる。
「知らないよ。僕は削り始められるって言ったんだ。それこそあいつは、赤竜に近いくらい無尽蔵なんだから」
 その黒い双眸が不快さを帯び下へ落ちる。アスタロトの瞳も。
 含み笑いの声が這い上がる。
『ルベル・カリマの剣士か。そなたの言う通り――。だがそれが判ったところでどうと言うことはない』
 それではつまらぬ・・・・・・・・
『我を削り取る、その機会を与えてやろう』
 言い知れない悪寒が踵の裏から背筋へ、ぞろりと這う。


『二人目』


 ナジャルの右側で、もう一つ――
 蟠っていた闇の塊が、形を変えていく。
 揺れながら、人の形を象る。
 背の高い、緩やかな長い衣装を纏った――男。
 アスタロトは男が纏う衣装の色を見つめ、呻いた。
「――海、皇……」
 イスで、謁見の間を埋め尽くす暗がりの中でぼんやりと浮かび上がっていた足元、辛うじて見えたのは胸元まで――
 けれど目に焼き付いている色と模様。夢でも見た。何度も。
 何度も。
 忘れたことなど無い。
 だが、その顔は――
「嘘だ」
 その否定を、心が打ち消す。
 そうじゃない。
 目の前にあるものは、嘘などではない。
 浮かんだ思いは――やはり・・・
 イスから戻された、バージェスの海上を、昂然と歩み寄る姿。
 王が残ったはずだった。
 海皇を滅する為に。盟約を終わらせる為に。
 ウィンスターが、一里の館の転位陣の向こうで向かい合った。押し出すように漏らした言葉。
『まさか――』
 そう言った。
 ウィンスターは何に驚いたのか。
 アスタロトはそれを、想像していた。
 喉に詰まった声を、懸命に、紡ぐ。
「――陛下」
 王の顔だ。まるで同じ。
 瞬間、血の気が全身から引き、アスタロトの瞳は五十間ほどを置いてハヤテを浮かべているレオアリスへ向けられた。



 レオアリスは顕れた姿を見つめ、息を呑み――、凍りついた。
 レオアリスだけではなく、アスタロトも――ボードヴィル城壁も。
 呼吸に肩を揺らし、レオアリスは声を押し出した
「――王……」
 いや。
 知らず、ゆるく首を振る。
 違う。
 王ではない。王に、その面差しは瓜二つでも――
 身に纏う装束は異なる。黒に近い紺。青の美しさより禍々しさが勝る。
 別人だ。
『海皇だよ。初めて会うかね?』
 ナジャルは満足気に双眸を細め両手を広げた。
 懐かしむ口振り――昔語りのように。
『アレウスの王と海皇は、同時に生を受け、血を分けた兄弟だったそうだ』



「兄弟――」
 アスタロトがゆっくり、息を吐く。
 イスの、あの暗い玉座の間、そこに座していた海皇の姿は闇に包まれ、アスタロトは目にすることができなかった。
 向かい合い、海皇と語っていた王の言葉は確かにどこか、親しみを含んでいた。
「でも、じゃあ」



 レオアリスは海皇の姿を見据えたまま、頬を笑みの形に歪めた。
「ああ、じゃあ、違う・・……」
 違う。
 いつか、兵が戦場で見たという姿は。
「あれは、王じゃない――」
 安堵なのか、落胆なのか、喜びなのか、怒りなのか、恐れなのか。
 レオアリスは掴みきれないその笑みを、頬の上に残したまま、呟きを零した。
「違う」
「――レオアリス!」
 瞳を上げた、目の前に、男の姿があった。
 闇を纏ったその姿――
 判っていても、息が詰まる。
 王の顔。
 でもこれは、海皇だ。
 判っていても思考が、止まる。
寄越セ・・・
 軋んだ声。海皇を取り巻く黒い闇が触手を広げる。西海の兵達の身体を、三の矛ゼーレィを、レイラジェの片脚を、フォルカロルを、ルシファーの身体を呑み、取り込んだ闇――
『ソノ命、ヲ、寄越セ』
「レオアリス!」
 アスタロトは炎の矢を放ちかけ、正面に立ちはだかったルシファーに阻まれた。
「ファー! どいて!」
 闇の触手がレオアリスの身体を取り巻きかけた、瞬間、空から白刃が落ちた。
 触手を断ち、闇が散る。
 ハヤテが呪縛から放たれ、銀翼で激しく空を叩いた。斜め上、柘榴の飛竜の横に並ぶ。
 柘榴の飛竜の背でレーヴァレインは剣を顕した右腕をゆるく下げ、穏やかな眼差しをレオアリスへ向けた。
「レオアリス、良く見るんだ。君の剣の主じゃないのが判るだろう?」
 静かな、心に染み入る声だ。
 レオアリスは止めていた息を、ようやく吐き出した。
「海皇でもない。これは残滓、実体のない思念を捏ね上げて固めたもの。紛い物だよ。でも、命を欲しがってる。復活したいんだ、あんなになってもまだ」
 黒々とした闇を纏い、正気の無い姿で、白く濁った瞳だけが意思の証を表しレオアリス達を見上げている。
『寄越セ』
 悍ましく――貪欲に。
「あれは確実に、ここで倒さなくちゃならない。そしてそうすることで、ナジャルの力を削れる」









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2021.1.3
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