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王の剣士 七

<第三部>

第八章『輝く青 2』

二十六


 
 シメノス岸壁から内陸へおよそ百五十間(約450m)の地点において、生者と死者、二つの軍はぶつかった。
 ゲイツは槍を左右へ振るい、つぎはぎ・・・・の死者の兵の頭を的確に刎ねた。槍をぐるりと回転させ、横薙ぎに、首を跳ねた死者の胴を薙ぐ。五体の骸がよろめき、仰向けに倒れる。
「進め! ともがらを、西海兵を、解放してやれ!」
 西方第五大隊――かつての第四大隊、ホフマンの部下達を含む二千の兵が雄叫びを上げ、死者の軍へ突進する。
 ゲイツの西方第五大隊に続き、シスファンが率いる東方第七大隊もまた転進し、死者の軍と向かい合った。
 ナジャルの影響範囲を考えれば、退くのが正解だ。
「ゲイツめ、退くべきだが確かに――」
 ちらりと後方へ視線を向ける。およそ一里先に陣を敷くのは東方将軍ミラーの本隊だ。その隣には丘一つ挟み、西方将軍ゴードンが陣を置いている。ゲイツの動きを見ているだろうが、制止の動きは無い。
「閣下も同じお考えと思おう」
 視線を戻して手綱を握り、シスファンは近付いてくる死者の軍を正面に見据えた。頬にうっすらと笑みを刷く。視線の先――その奥にあるものを、斬り払わんと願う笑みだ。
「あそこに知人もその部下も居ようとは、悍ましいにも程がある。あれをこの地に晒すことそのものが許し難い」
「仰るとおりですな。人として、許せない領域を土足で踏み荒らされてる、けったクソ悪い気分って奴です」
 副将イェンセンが無精髭を蓄えた顎に手を当てる。細い目は鋭く前方へ据えている。
「口が悪いな、少し慎めよ。だが同感だ」
 シスファンは肩を竦め、鎧で愛馬の腹を叩いた。
「我等もゲイツの意に添おう――彼等を弔え」
 シスファンが灰色に輝く騎馬を駆り、死者の軍の先陣に突っ込む。右手に掴むのは柄と刃渡りの長い、優美な白銀の戦斧だ。
 柄がしなり、回転するように騎馬の前後左右を斬り裂く。周囲の敵兵が崩れおち、影が落ちたような死者の軍の中にぽかりと一つ、空白が生まれた。
 闇が払われたように。
 断たれた骸は地面の上で尚も立ち上がろうと蠢いている。シスファンは細い眉を顰めた。
「終わらせてやるには足りんな。だがそれは我々の領域では無い――」
 彼等の将軍アスタロトや法術院長アルジマールの領域だ。そしてレオアリスの。
「まずは動きを止める」
 騎馬が進み、白銀の戦斧が陽光を弾いて回転し、歪な死者達を払う。
 イェンセンの騎馬が遅れて踏み入る。槍が数体を纏めて突き、そのまま直進する。第七大隊の兵達が続く。


 北岸から剣戟のぶつかり合う音が大気を埋めるように流れる。北岸に沿い縦長に展開していた西方軍及び東方軍の部隊およそ一万が、ナジャルから解き放たれた死者の軍を迎え撃つ。
 タウゼンはボードヴィルに寄せた飛竜の背から北岸を睨んだ。
 ナジャル本体の災禍を避け、後退するはずだった。だが死者の軍をただ引き摺りながら後退するより兵の士気の為にはいい。
「応戦しながら退かせよ」
 傍らのハイマンスが頷く。
 ただ、死者の軍はどれほど斬っても動きを止めない。封じ込めるには北岸の戦力はやや薄い。法術によらなくては、死者達を滅するのは困難だろう。戦線を長く引き摺ることになる。
 南岸へ目を向ける。逃走する敵軍を想定して伏せた北方軍がいるが、シメノスを越えて北岸へ戻すには時間がかかり過ぎる。
「竜騎兵だけ戻させよ」
(ナジャルが転位しない場合も当然想定していたが――)
 それでも本体が余りに容易く、アルジマールの捕縛陣と転位陣をすり抜けた。
 僅かずつ、想定から外れ始めている。
(法術士団は公とレオアリス殿の補佐だ。法術院、アルジマール殿は、なおさら)
「閣下」
 ハイマンスもタウゼンの考えと同じ事を口にした。
「北岸は現戦力で対応するほかございません。ほぼ同数の死者の軍には苦戦を強いられましょう。しかしながら、アルジマール殿が動けない以上、法術士団及び法術院はナジャルとボードヴィル守護から外せません」
 タウゼンは頷いた。
「あの影――あと二つがどう動くか……三つの内一つがルシファーであったならば」
 アスタロトと飛竜を並べているレオアリスからは、離れた場所でもその身が纏う凍り付くような気配を感じられる。
 タウゼンはレオアリスが何を見ているか、それを想像することができた。
 恐らく誰もが、それ・・を恐れている。
 ファルシオンが一足早く砦城内に入っていたことを、タウゼンは幸いだったとそう思った。
 ナジャルの前のあの影に、姿を重ねずに済んでいる。
「王太子殿下にはいつでも王都へお戻りいただけるよう、準備を整えておけ。法術院の人数を半数、殿下の護衛に向かわせよ」
 そう指示はしたが、その判断は厳しいものだ。ファルシオンがいることでナジャルをこの地に引き付けている。ファルシオンが王都へ戻った場合、それを追ってナジャルが王都へ出現する可能性もまたあるのだ。
 兵力をこの地へ集中させている今、王都はほぼ空に近く、却ってファルシオンを守れず王都に被害を及ぼすことになる。
 ハイマンスが了承の意に頭を伏せた、その横顔へ、重苦しく生臭い風がどっと吹き寄せた。



 揺れる五つの竜巻が、それぞれ僅かずつ異なる動きで、鞭のようにしなりアスタロトへと打ちかかる。
 アスタロトの周囲に炎の壁が立ち上がる。右手を上げ、その動きに従って炎が高く伸びる。竜巻の一つを壁が受け止め、激しく燃え立つ。
 重い。
「一本で――」
 あと四本の竜巻が身を捩らせながら次々打ちかかる。その向こうの、闇を纏ったあの女性の姿。両手をだらりと垂らし、背を丸め、首だけ持ち上げたその顔には瞳が無い。
 アスタロトが奥歯を噛み――残り四つの竜巻を炎の壁が受け止める。
 青白い閃光が斜め上から奔り、三つの竜巻を断った。回転を失い、竜巻が霧散する。
 アスタロトは飛竜の背を踏み締め、伸ばしていた重い手を、払った。
 炎が巻きあがり、残る二本の竜巻を喰らう。
「消えろ!」
 右手を握り、生み出した炎を掻き消す。炎に喰らわれた竜巻もまた、身を揺らして消える。
 アスタロトの傍にレオアリスが飛竜を寄せる。交わす言葉は無く、二人は正面へ視線を据えた。
 岸壁の半ばほどに浮いたルシファーの周囲に灰色の風が再び渦を巻く。今度は一つ――より大きな渦だ。
 シメノスの水を吸い上げ、水に浮かぶ西海兵達の亡骸を巻き上げ、渦の中にすり潰す。河面に立つナジャルの纏う闇を巻き込む。
 風に巻き込まれたモノを、中心に立つ体が吸い込んでいるのが判った。溜め込み、そして風の勢いに還元される。そしてそれは、ナジャルへ。
 更に吸い上げ、巻き込み、すり潰し、溜め込み――
「やめてよ……」
 アスタロトは怒りを覚え、口の中で呟いた。
 許せない。
 あんなにも美しく、軽やかだった、あのひとを。
 灰色の禍々しい竜巻がシメノスの岸壁の間に立ち上がり、空と川面を繋ぐように揺れる。
 アスタロトは際限なく込み上げる怒りを堪え奥歯をきつく噛み締め、飛竜の背で両手を開いた。その手のひらに炎が揺れる。
 傍らでレオアリスがハヤテの手綱を軽く引く。
「アスタロト――」
 レオアリスの視線は片時も逸らされず、河面に立つナジャルへ据えられている。低く、押し出す一言。
「任せていいな?」
「任せろ。てゆうかお前は無茶すんな」
 レオアリスの剣でも、炎でも、決定打を与えられていない。解っている。
 けれど、限界だ。
 怒りが。
 あの存在を貶めたもの――
 河面に揺れる二つの闇。
 ハヤテの翼が大気を叩く。シメノスへと、灰色の竜巻を螺旋状に駆け下る。河面のナジャルへ。
 アスタロトは両手を正面へ伸べて炎を合わせ、腕を張ったまま左右へ開いた。炎が半円を描く。赤々と輝く弓――、張られた弦もまた炎でできている。
 左手を伸ばしてを掴む。生み出した炎の矢を番え、アスタロトは弓を引いた。
 炎の矢先が煌々と灼熱の光を帯びる。矢先は次第に、赤から青へと色を変えた。
 実物の弓と同じく、アスタロトは右手で引いた弦を弾いた。
 放たれた炎の矢が空を焦がし、激しく回転する竜巻に突き立ち、貫く。水を巻き込んだ竜巻は炎の矢の周囲で瞬時に蒸発した。竜巻を切り裂き、中心のルシファーへ迫る。
 突き立つ寸前で炎の矢は更に激しく渦巻いた風の中に霧散した。
「――まだ」
 再び矢を番える。三本、三筋の炎が揺れる。
 緋い弓がしなり、矢を撃ち出した。








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2021.1.3
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