二十四
青白く輝く閃光が目を灼く。
レオアリスはハヤテの背を蹴り、ナジャルの頭上へ、落下の勢いを乗せ剣を振り下ろした。光が空間を縦に割く。
有無を言わさず叩き込まれた剣がナジャルの額を捉える寸前、ナジャルの周囲に闇が吹き上がった。
レオアリスの身体が塊に当たったように弾かれ、北岸の岸壁へ叩き付けられた。
「レオアリス!」
落ちる身体へ、ハヤテが滑り込み背に掬い上げる。
「無茶するな! アルジマールが言ってただろう! 人型じゃ」
「無茶――? あいつは」
離れていても耳に触れる冷えた声。
レオアリスは膝に手を置き、ハヤテの背に立ち上がった。
双眸に青白い光が灯るようだ。
青白い陽炎が全身を覆って揺れる。
「今、この場で斬る」
声は冷静だ。
だが。
(何だ。わかんないけど、でも)
レオアリスは焦っている――『恐れて』いると、そう言ってもいい。
ナジャル自身や戦うことにではない。何か。
「倒すのは、当然だ。でも一旦落ち着いて手を考え直さなきゃ。本体に戻す方法――」
「時間が無い。今だ」
ハヤテの背でレオアリスは左足を踏み込み、膝を落とした。
右斜め後方へ引いた剣。
その剣身を雷光のように光が爆ぜる。
「待――」
レオアリスは引いていた右足でハヤテの背を蹴り、弧を描いて剣を薙いだ。
光が走り、次いで空間そのものが断たれたかのような鋭く高い音が耳を打つ。
放たれた光はシメノスの川底に立つナジャルの胴を、斜めに断った。
後方、シメノスの南岸に亀裂が走る。
ナジャルの身体が腰の上下で、ずるりとずれた。
一瞬、アスタロトはナジャルの姿に目を奪われた。
(斬った――?)
期待が湧き起こる。レオアリスの剣ならば、斬れるのでは。
断たれたナジャルの上半身はそのまま下半身を斜めに滑り地面へ倒れかけ――、ぴたりと止まった。
闇がナジャルの周囲に湧き起こる。
アスタロトの視線の先、レオアリスがナジャルの背後に降り立つ。慌てて視線を向けたハヤテの背は当然空だ。
視線をレオアリスへ戻す。
レオアリスはズレたままのナジャルへ、数撃、剣を叩き込んだ。青白い閃光が重なる。
ナジャルの上半身は剣を受けて細切れに散った。
息を呑むアスタロトの視線の先で、破片は形を崩し、闇になった。
更に踏み込んだレオアリスを取り巻き絡め取り、広がり、揺れる。
上半身を失ったままの身体から、声が湧く。
『そなたらが考えていたとおり――』
闇は一度、大きく波打った。
『我が身を削るのであれば、我が蛇体でなくてはなぁ』
立ったままの下半身から闇が泉のように湧き起こる。
シメノスの川底になだれ落ち、こんこんと湧き出し、広がり、岸壁を這い上がる。
流れ広がる闇の中、レオアリスの剣が闇を生み出すナジャルの下半身を縦に断つ。
闇は構わず北岸を這い登ると、岸壁の上の草地へ、広がり、煙のように舞い起こる。
『さて、饗宴を始めよう。招かれた礼に、我が貢ぎを受け取ると良い』
舞い起こった闇は細かく分かれ、一つひとつ、形を成した。
騎馬に乗り進むもの。
或いは歩行で進むもの。
這い進むもの。
壊れた鎧を身につけ、首や手足を皮一枚でぶら下げ引きずり、虚ろな目をしたもの。
アレウス軍と、そして西海軍。
その兵士だったもの。
死者の軍――
北岸を後退していた正規軍から、呻き声が、怒りの声が次々上がる。
西方軍第五大隊大将ゲイツは束の間後退の指揮を忘れ、騎馬のまま彫像のように立ち尽くした。
「――おのれ、一度ならず……ッ」
握り込んだ拳の、爪が手のひらに食い込む。
「何度死者を辱めれば気が済む――」
その数はおよそ、一万。
『以前その娘――あの竜の炎に焼かれてしまったものは戻らぬが、なに、充分――足りている』
死者の軍は岸壁の上の草地に、湿った音を立て進み始めた。
後退するアレウス軍を追い、ボードヴィル砦城へ進む。
「させない――!」
アスタロトは一旦空高く飛竜を駆った。
「何度でも、私が送る!」
あの時、何度断っても立ち上がるヴァン・グレッグ達死者の軍を解放したのは、柘榴の鱗から生じた炎の竜だった。あれは葬送、そして浄化の炎。
だが今の自分であれば、同じことができると確信している。
開いた手のひらに炎を宿す。
『娘』
悪意。
這い上がるそれに、アスタロトは炎を放とうとしていた手を、身体を凍りつかせた。
『そなたに会いたがっている者がある』
ナジャルの正面、左右、三方に闇が立ち上がる。
それは謁見の間に現われたナジャルが、王都へ海魔を放った時と同じだった。
あの時、闇の塊の一つひとつが、ナジャルの吐き出した海魔だったように。
ナジャルの左に立ち上がった一つ目の闇が、揺らぎ、凝る。
人型へ。
アスタロトは、自分の呼吸が失われたのを感じた。
影のように暗く、だがそれが何か、すぐに判った。
レオアリスが焦り、『恐れて』いたものが何か。
小柄な――女だ。
女の姿を覆っていた闇が、上からゆっくりと足元へと剥がれ落ちていく。
項垂れたように立っている。
顎のあたりまでの長さの、ゆるく波打つ黒髪が、その頬に落ちかかっている。
「――お前は……お前は、許せない……」
脳裏を、激しい怒りが焼き尽くす。
呼吸が、上手くできず――喉を塊となって塞いでいる。
目の奥に赤い炎がちかちかと燃えた。
良く知った姿。
姉のように慕った、彼女の――
息を吐き出せないまま、更に吸う。
「……ファー……」
『一人目』
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