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王の剣士 七

<第三部>

第八章『輝く青 2』

二十三



 アルジマールの細い白木の杖、その先端に戴く宝玉が詠唱に従い色彩を七色に変えていく。
「跳ばすよ――」
 地に突いた杖の先から地へ伝う光は、敷き詰めた紋様を同じく輝かせた。
 ナジャルを囲む光の檻――捕縛陣、そして転位陣、二つの陣の重なる紋様が。
 檻の内部は光が降り注ぎ、或いは湧き起こり、輝きでその内側を埋めていく。
 美しい光景だった。北岸の正規軍兵士達、そして僅かに残った西海軍兵士達もまた、蔓草のような美しい紋様が構成する檻、その檻がナジャルを捕らえる様を、固唾を飲んで見守っていた。
 長くシメノスに伸びる蛇体は捕縛陣によって川底に押しつけられ、杭か鎖で固定されたかのように動かない。
 アスタロトも同じように、上空の飛竜からシメノスを見下ろした。鼓動が逸る。
(行ける――?)
 この詠唱で・・・・・
 南岸のアルジマールへ一度、視線を向ける。アルジマールの手にある杖は七色に発光しながら地に根を伸ばし、空へ光る枝を広げ、あたかも燃え立つ樹がそこに枝を揺らしているように見えた。
 檻の内側の抵抗はおそらく、アルジマールの持つ杖に――彼の腕、身体、全身に負荷を伝えているはずだ。それはこの美しい光景からは計り知れない負荷だろう。
(でも、アルジマールなら……)
 あのアルジマールが六日をかけて織り上げた捕縛と転位の、二重陣なのだ。光の檻による捕縛、そして七色に移ろう転位陣。
 息を吐く。気を落ち着かせる。
 アスタロトはナジャルから気を逸らさないまま、光の檻近くへ飛竜を慎重に寄せた。
 見計らい、転位陣の中に入る為だ。ナジャルを捕捉し続ける為にも転位先へ、ナジャルと同時に跳ぶ必要がある。アスタロトと、レオアリス、それからアルジマール、三人が跳び、ナジャル本体を滅する。
 転位した後を、その先を考えながら深い呼吸を繰り返す。
 全て、順調だ。
 この先も。
 ちらりと右へ視線を送る。レオアリスもまた同じように飛竜を寄せている。
 檻を見下ろす、その横顔――
 表面上は普段と変わりはなく、右手に引き出した剣は青白く美しい輝きを備えている。欠けた一振りを不安に感じている様子もない。
 ただどこか危うく思えた。
(結局剣は戻らなかった)
 薬を飲んだはずなのに戻らなかった。それがどういうことなのか、アスタロトには判らない。けれど。
(私が助けてやる)
 そうすればいい、――そうするのだと、息を吸う。
 強い光が視界の端を染める。
 光の檻が収縮する。軋みを上げる。
 驚いたのは当初シメノス両岸と同じ高さだったそれが、今や二分の一ほど、直径四間(約12m)の球体となっていることだ。実際に縮んでいるのか、それとも目にはそう見えているのか、ナジャルの躯はそこに収まっている。
 檻の中に光は満ち、次第に光そのものに変わっていく。
 光が渦を巻く。
「転位する――! レオアリス、行こう!」
 アスタロトが飛竜の手綱を繰り転位陣へ自ら突入しようとしたと、同時――
 ハヤテが行く手を遮った。
 衝突する寸前、アスタロトの飛竜が騎首を辛うじて逸らす。
「――ッ、危ないだろ!」
 瞬間、アスタロトも理解した。



 ぞくりと、腹の底から悪寒が突き上げた。
 足元から膨れ上がるように、突風のように吹き付ける。
 声が這い上がった。



『転位先は、熱砂の荒地かね?』



 声の響き――皮膚の下、細胞に侵入するようなそれに、胃の腑が掴まれ、吐き気とも痛みとも違う強烈な不快感を覚える。



『適切だ』



「良くない」
 アルジマールは白く細い杖を握る両手に力を込めた。
 詠唱と共に杖はアルジマールの手を通じて地面へ――ナジャルを捕らえる法陣を構成する紋様へ、『力』の流れを伝えていた。
 あとほんの僅か、それで転位する。
 そのはずが、力の流れが弱まっている。術式に問題がある訳でも、陣に綻びがある訳でもない。
 ただ、手応えが少しずつ、薄れている。
「やっぱり、削ってから・・・・・じゃないと・・・・・――」


『一連の仕掛け、見事なものであった。レガージュを空けて兵どもをシメノスへ呼び込み、優位に立ったと見せかけて戦う場をシメノスに限定した』

 
 光る檻は軋み、激しく明滅し、アルジマールの手元の輝く杖はその全身を震わせた。
 アルジマールが失われて行く杖の振動と熱を留めようというように、細い杖を握り込む。


『地の利を自らの不利と見せ、また利と成す。さしもの我が大軍もひとたまりも無かったようだ』
 我が、という言葉が空虚に響く。
 ナジャルにとって西海軍六万の大軍がどのような結果を出そうと――勝利しようと敗北しようと、何の違いもなかっただろう。
『最大の目的は我を此処に引き出すことかね? ここで捕え、場を移す。熱砂の地ならば我が力を少なからず削(そ)げると――』


 杖が震える。それはそよ風が草花を揺らす程度になった。
 アルジマールは虹色の輝きを増した瞳で、見えない崖下を見つめた。
 陣はまだ、生きている。
 だが。
「だめだ、擦り抜ける・・・・・


『適切だ。しかし叶わなかった』


 地に広がる紋様、そして檻。
 七色に踊っていた光が――
 弾けた。
 衝撃が大気を突き上げる。
「翼を畳め!」
 レオアリスの声、アスタロトは咄嗟に手綱を引き――その半ばで吹き上がる突風に巻き込まれた。
 突風は二騎の飛竜をただの枯葉のごとく揺さぶった。遠巻きに退避していた飛竜の一団も風に煽られ、数騎が墜落する。
 北岸の兵達が風に身体を刈り取られるように地面から浮き上がり、転がる。
 アスタロトは上下左右に振れる激しい回転の中、飛竜の首に両腕でしがみつきながら何とか目を開き、シメノスの、ナジャルの位置を追った。
 断片的に視界に飛び込む光景――
 目にしたものに、奥歯を噛む。
(消えた――、ッ)
 回転する視界。それでも分かる。
 捕縛陣――檻はまだあるものの、七色の光を放つ転位陣は既に失われていた。
 残る檻もまた、発光はどこか白々として見える。
 そして、捕らえていたナジャルの姿が無かった。
 消えた。
 転位ではない。
 気配を残したまま、蛇体が消えたのだ。
「どこに……」
 身を震わせる感覚が再び背を走る。
 アスタロトは視線を、吸い寄せられた。
 まだ、捕縛陣の白い檻の中だ。
 墨をひと雫、そこに垂らしたように、黒い染みが湧き起こった。
 霧の如く漂いこごる、闇――
 蠢く闇。
 更に変わって行く。
 人の姿へ。
 蛇体よりも更に、纏うおぞましさが増した。
 肌を撫でる悪意が。


 ゆらりと揺れて立つ。
 百年も年老いた男のようにも見え、青年のように若くも見える。身の丈は六尺を越え、細く冷酷な面、髪は赤みがかった銀。
 双眸は同じく、血を滲ませたように輝く銀。
 半年前、王城の謁見の間に現われた姿――
 辛うじて光を留めていた捕縛の檻が、頂点から解けるように消える。


『本体でないと飛ばせない』
 アルジマールはそう言った。
『人型を取ったとしても、あれは投影みたいなものだから』
 ナジャルの、悪意の。
『人型で現われた場合は、まず本体を出させなくちゃいけない。転位はそれから――でももしかしたら。いや』
 謁見の間に現われた時もそうだったように。
『人型のままでは、倒せないと思う』


 呼吸を止めたアスタロトの横を、放たれた矢のように青白い光が過ぎた。
「――レオ」








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2020.12.20
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