二十二
「捕縛陣と転位陣、捕縛陣と転位陣――捕縛陣と転位陣、捕縛陣と転位陣!」
ぶつぶつと独り恨みがましく呟いているのはやや幼く、だが相反して深い智慧を備えた声だ。
アレウス国法術院長、アルジマール。
「もうほんと、働かせすぎなんだよね! 僕お爺ちゃんなんだけどね!」
アルジマールはボードヴィル砦城対岸、シメノス南岸の、開けた草地にいた。戦いの初めから。
ただ、その姿が誰の目にも映っていなかっただけで。
開戦に先立ち十一月十八日にボードヴィルに入ると、この六日間、アルジマールは昼夜を問わずこの場所でナジャルを捕らえる為の捕縛陣――そして、転位陣を敷設し続けていた。
空から少女の声が降る。
「アルジマール、頼んだ!」
「えっもう?ほんと無茶振りするなぁこっちの都合ってものもあるんだからもうでも一番無茶振りは王都にいるあの人だけどほんと良くこの場にナジャルが出現してくれたよねぇグレンデルだったら連れてくるだけで一仕事だったよ」
空を見上げる。
紅蓮の炎と、青白く空を切り裂いた剣光の名残りを捉える。
あの二つですらナジャルを討つには足りない。
シメノスの谷底で、ナジャルの銀の鱗が濡れたように光を弾く。
「けど何とか間に合った――! 今回僕結構気張ったからね!」
アルジマールは指先で宙空に複雑な術式――敷設した一連の法陣の最後の一節を書き込んだ。
その姿が現われる。
アスタロト、そしてレオアリスは、南岸の上にアルジマールの姿を捉えた。
アルジマールの手元には、白く輝く細い杖が握られている。滑らかな表皮は樹木の枝のそれだ。普段は用いることのない、術を補強するための術具。
杖の高さは彼自身の身長を越し、頂点は細い枝が編み途中の籠のように絡み合い膨らんでいた。
籠は閉じ切らず、細い枝は外に向かって花弁のように開いている。
その籠の中に一つ、虹色に輝く宝玉が浮いていた。
「抑え込むとも! 一つ目――!」
息を吸い、吐くそれと共に詠唱を紡ぐ。
『――我が意思は悉く地に満ちる』
術式に合わせ、宝玉が輝く。
虹色の輝きが籠を作る白い枝に吸い込まれ、杖を伝う。
杖が枯れかけた草の大地を軽く突いた、次の瞬間、アルジマールの足元から光る筋が走り、草地へ花弁のような紋様を描き出した。
光る筋は止まることなく走る。そこに予め描き込まれていた紋様が光を帯び、明らかにされて行く。
アルジマールの正面、シメノス岸壁へ。南岸の切り立つ壁を光る紋様が飾り立て、埋め尽くす。川底に至り、北岸へ。
ひと息か、ふた息――ほんの僅かな間に、アルジマールが立つ南岸、谷底、そして北岸、五十間(約150m)四方を光る紋様が埋めた。
次いで谷底を塞ぐように両岸から互いの光が伸び、絡み、結合し、巨大な光の方形――籠を作り上げる。
光る紋様はナジャルの長大な躯をすっかりその籠の中に収めた。
『檻の如く揺るぎなく』
その言葉は、意図する事象に至るよう道程を紡ぐ為の術式とは異なる。術式は計算式のようなものだ。
これは術式の補佐、集中力を高める、呪言という。
杖と同様、アルジマールにとっては普段ならば用いることのない――用いる必要の無いもの。
『彼の者は過ぎ去らず』
ナジャルが初めて、厭うように身を軋ませ、捩る。
大気、そしてその場の意識はシメノスへ――苦しげに身を捩らせ、束縛を外そうと蠢くナジャルへと収斂するようだ。
「……もー! ……重い――っ!」
地に立てた杖から、抵抗が伝わる。
ナジャルの躯のその巨大さ、内包する力が捕縛陣にもたらす負荷。光る籠がぎしぎしと歪み、軋む。気を抜けば、周囲ごと弾け飛ぶ。
アルジマールは両手で、杖を握った。
七色の宝玉が輝きを増す。
最後の一節。
『――とこしえに魂を繋ぐべし』
シメノスに張り巡らされた光の紋様が、一際強く輝く。
ナジャルの動きが――
止まる。
「二つ目!」
転位陣だ。
捕縛陣の下に敷いていたものを発動させる。
予め施しておいた、多重の陣。
大きく息を吸い込み、更に杖を握り込む。
意識を切らさず転位陣の呪言を唱える。
『天も地も時も全ては同一のものならば』
ナジャルを囲っていた籠の紋様が、光を移ろわせる。
淡い紫。
深い藍。
そして空の青へ。
『肉体は個を分離する一つの具象に過ぎず』
樹々の緑。
輝く黄。
杖に伝わる抵抗が、僅かずつ衰えていく。
アルジマールの双眸が虹色に輝く。
『全てこの地に在り 彼の地にまた在る』
沈みゆく太陽の橙。
『なれば真なるは我が双眸が眺むるのみ』
燃えたつ炎の赤。
ナジャルを包む光の籠、檻は震え、激しく輝いた。
次いで、収縮する。
「跳ばすよ――」
「レーヴ」
北岸側、遠巻きに飛竜を浮かべていたティルファングは、南に向けていた瞳をレーヴァレインと合わせた。
「うん」
そう決めたんだね、と、レーヴァレインは頷いた。
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