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王の剣士 七

<第三部>

第八章『輝く青 2』

十九



『フォルカロル――! あのド阿呆め!』
 フォルカロルの消えた血溜まりを睨み、ヴォダは怒りを露わに吠えた。同時にワッツが撃ち込んだ剣を頭上で受け止める。
本隊指揮シメノスに戻したのか!」
『そんな殊勝なものか!』
 ワッツの剣を弾き、踏み込んだランドリーの斬撃へ剣を返す。
 ヴォダの剣の平がランドリーの剣を先に捉え、動作半ばのランドリーの剣を弾く。ヴォダは手の中で剣を握り変え、ランドリーへ振り下ろした。
 ランドリーが後方へ跳ぶ。すれ違うようにワッツが踏み込み、ランドリーを捉えかけた剣を弾き上げた。
 ヴォダの爬虫類的な面に笑みが浮かぶ。弾いたと思った剣がワッツの上に再び落ちる。
 ワッツは息を肺一杯吸い込んで踏み止まり、叩き込まれるヴォダの剣を数撃、迎え撃った。剣が噛み合う音が辺りを圧し、空気をひりつかせる。
 五撃をしのぎ、肺の酸素を使い切る。
 六撃目は逸らされ、七撃目は弾かれた。
 ヴォダの剣がワッツの剣を潜り疾る。
 喉元へ。
 ワッツの首を刎ねる寸前、ランドリーの手がワッツの後ろ襟首を掴んで引き倒す。空を切った剣の空間に踏み込み、ランドリーは斜めに剣を切り下ろした。ヴォダの剣が既に返り、ランドリーと二合、撃ち合う。
 跳ね起きたワッツの横薙ぎとランドリーの縦の斬撃も、ヴォダはほとんど同時に弾いた。
 腕に痺れを伝える剣を握り直し、ワッツは息を吐いた。
 速い。
 首こそ跳ばされなかったが、切っ先は薄いとはいえ鉄と革を合わせた胸当てを断ち、鎖骨付近を血で濡らしていた。他の斬撃についても躱したつもりでいたが、気付けばそれ以外にもあちこちに薄らと血が滲んでいる。ランドリーもだ。
(速ぇし、膂力がすげぇ)
 ランドリーは模範のような円熟した剣技を誇る。
 そのランドリーと二人がかり、その上で押し負けていることにワッツはつい感嘆を覚えた。
「感嘆している場合ではないぞ」
 ランドリーの見透かす声と、踏み込んだヴォダの横薙ぎの剣が重なる。
 銀の軌跡を弾き、距離を取る。
 ヴォダが三角形の頂点の一つに位置どり、剣を構える。身体の中心線、中段に構えた剣先はワッツとランドリー、二人の動きを制している。ただヴォダもまた右の肩当ては剣撃の間に砕け、血を滲ませていた。
 ヴォダが視線を流す。ワッツとランドリーそれぞれの斜め後方にアレウス軍の士官――北方軍第四大隊大将エンリケと、第七大隊大将マイヨールが同じく剣を構えている。
「同時に来テ構ワんぞ」
「いや。却って動き難い」
「あの逃げた野郎を助けに来たんじゃねえのかよ」
「腹が立ツ――、思イ出さセるな」
 声に苛立ちが滲んでいる。
 やや同情を覚えつつワッツはヴォダを見据えた。後方シメノス寄り、ヴォダが伴った部下達はいつでも上官を補佐できるよう控えている。
(兵は二十程度だが、使隷がある。それにこのヴォダって将軍をこの状況に置いて慌てもしねぇってのは、相当の信頼だ)
 二対一、或いは四対一であっても、ヴォダが負けることはない、必要に応じて補佐すればいいと、そう考えているのだろう。
『どうせ一人逃げ帰ったのだろう。浅ましい。今頃六万の兵の敗戦の言い訳でも考えているのだろうよ。いや――』
 ヴォダが独言ひとりごちる。
 西海の言葉はワッツには分からないが、注意深く目を向けた。ヴォダの声の響きが、やや落ちた。
『逃げ帰ったのなら――。となれば・・・・うかうか・・・・しても・・・居られん・・・・
(何だ――)
 何かを警戒したようだ。
 目の前のワッツ達ではなく。
 彼等が警戒するもの――
 不利な状況にあってもなお。

 “ダガ、結果、コイツらはナジャルに、喰わレる――”

(まさか。いや)
 ワッツ達は――、アレウス軍は。ファルシオンは。
 アスタロト、アルジマール、レオアリスは、それを待っている。
 ワッツは空気の僅かな変化さえ感じ取ろうと、感覚を研ぎ澄ませた。
 ヴォダの剣が直線に走り、ランドリーの剣を潜って右肩を貫き、引き抜く。
 ワッツは地面を蹴り、ヴォダの右半身へ低い軌道から剣を斬り上げた。







 昨日、二十二日夕刻フィオリ・アル・レガージュを占拠後、レガージュに残っていた西海軍は僅か三千、西海軍としては一大隊にも満たない数だった。
 マリ海軍が去った今、海からの攻撃は無い。
 そして深夜に本隊がシメノス遡上を開始して以降、既に戦いに勝利した空気が兵達の中に広がっていた。港の倉庫や家々に僅かに残されていた珍しい地上の食料や酒、口に合うもの合わないもの。
 実入りは少なかったが、戦利品――勝者としての一口目をまず味わうことができたのは、レガージュに残ったこの部隊だった。兵達は緊張を解いて地上の風景を眺め、海中との暮らしぶりと比較しては自分ならどちらを選ぶかと語り合い、疲れた者は適当な寝具を見つけて微睡んでいた。
 指揮官としてレガージュを任された大将ブルエルは、全身が鱗で覆われた原種と呼ばれる西海古来の種族出身だ。レガージュ交易組合会館の部屋の一つで休息をとりつつ、暮らし方も食事も合わない、自分はやはり海の方がいいなどと、そんなことを考えながら届く勝利の報を待っていた。
 その空気が一変したのが、午前十刻まであと半刻ほどのことだ。
 空の青く透き通る輝きと流れる雲だけが見えていたレガージュの上空を、東から飛来した真紅の鱗の飛竜が一瞬で埋める。気付いて見上げた西海軍兵士には、空の青が赤に反転したかに見えた。
『――て、敵襲――!』
 警告の叫びが斜面の街に響く間も与えられず、五十騎もの飛竜の前に浮かんだ法陣円が輝き、光弾を放つ。
 降り注ぐ光弾はレガージュの家々を掠めることなく、路上の西海兵のみを撃ち抜いた。
 湧き起こる混乱の中、南方将軍ケストナーは飛竜の上で右手の剣を高く掲げた。
「地上部隊、レガージュへ突入し、路地を封鎖しろ!」
 昨夕レガージュを“放棄“し、東へと撤退した南方軍第七大隊と、ケストナーの本隊一万二千のうちグレンデル平原から強行進軍した五千。計八千の部隊だがレガージュを奪還するには充分だ。
「守護者もいるしな」
 ケストナーは視線を前方の飛竜へ向けた。
 飛竜の背から、ザインが飛び降りる。
 港の荷役広場へ降り立ち、そこで右往左往する兵へ、剣を薙いだ。三十近い兵を一刀の元に斬り伏せる。
 ザインを中心に円の空間が生まれる。
 街の家々、或いは路地から飛び出してきた西海兵が広場を遠巻きに囲む。既に海へ飛び込み逃げる者もいた。
 交易組合会館にいた指揮官ブルエルは、広場に立つザインの姿を目にし立ち竦んだ。
『ザ、ザイン――!』
 呻くブルエルへ、ザインは身体を向けた。
 一度その剣が切り裂いた以外は、遠巻きにする西海兵を威圧して立つだけだ。だがブルエルは既に敗北を悟った。
「投降しろ。本隊はシメノスで逃げ場を失った。ここに戻ることはない」
 海へ逃れようとした兵の足元をザインの放った剣風が砕く。
「逃げる、或いは戦うのならば斬る。だが投降するのであれば、身柄は拘束した上で保証する」



 街のあちこちに散っていた兵は港へと下れず、慌てふためき丘側の街門を目指した。
 だがその街門から雪崩れ込んだ南方軍、そしてレガージュ船団の男達と先頭に立ったユージュにより、狭い路地を逃げ惑うことも叶わず次々と斬り伏せられ、抵抗を止めた者は捕らえられた。
 奪還への強襲から一刻も経たないうちに、レガージュの街には船団員と南方軍兵士達の喜びの声が響いた。



「レガージュ奪還、完了しました。捕虜千名弱、街への損害は現在調査中ですが、破壊痕などは無くごく軽微と見えます」
 奪還完了は攻撃開始から一刻後、午前十刻。
 ボードヴィルで西海軍との戦いが始まってからおよそ三刻――昨日夕刻、西海軍本隊の襲撃を受けこの街を放棄してから、丸一日も無い。
「上出来だな。街の住民達も喜ぶだろう」
 報告を受けケストナーは満足げに息を吐いた。
 残すところは次の行動、レガージュだけではなく西海軍との戦いの仕上げ。
 シメノスを遡上した西海軍本隊の、撤退を阻止すること。
 ボードヴィルの本陣から伝令使により、シメノス北岸からの攻撃開始と南岸への北方軍配備の第一報が届いたのが一刻半前。となればそろそろ、北岸からの攻撃に押し込まれた西海軍が撤退の動きを見せる頃合いだ。
 ボードヴィルの堰、本隊、シメノスの岸壁と配備した正規軍、そして退路であるレガージュを奪還することにより、西海軍をシメノスに閉じ込める。
「それで終わる」
 彼等の戦いは・・・・・・
 その先にあるだろう戦い――ナジャルとの戦いは彼等の領域ではなく、委ねる他ない。
「貴殿はどうされる、ザイン殿」
 この先の戦い方を、と問うケストナーへ、窓際に立つザインは厳しい眼差しのままのそれをレガージュの港へ、その先の青く輝く海へと向けた。
「――俺はここに、残る」
 陽光が砕けて光る海面は、束の間の静寂を漂わせている。
 ケストナーは頷き、託すように一度右腕で軽く自らの胸を叩き、副官ゴルドと顔を揃えた七名の大将達へ向き直った。
「良し、早速動くぞ、ゴルド。レガージュにはこのまま第七、第六、第五大隊を残し河口を封鎖させろ。指揮はゴルド、お前に任せる」
 ゴルドと第七大隊大将ダイク、第六大隊大将バーランド、第五大隊大将グロウが右腕を胸に当てる。
「アルノー、ヨルゼン、ホセ、ケッセル各隊は俺と一緒にシメノスだ。両岸を北上、西海軍の後尾を捉えてこれを討つ。まだ追い付いてない隊は行軍速度を早めろ。この戦いが終わったら褒美を出すと兵達を急かせよ。へばっていたら褒美は残ってないぞとな」
 第一大隊大将アルノー、第二大隊ヨルゼン、第三ホセ、第四のケッセルの隊は騎馬が主体で、まだグレンデル平原を転進しレガージュへ急行している最中だ。大将達は苦笑し、だがすぐに顔を引き締め敬礼を返した。
「承知しました」









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2020.12.6
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