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王の剣士 七

<第三部>

第八章『輝く青 2』

十七


 
『何ということか――、この、この私が、よもや敗走などと――!』
 フォルカロルは奥歯を軋らせ、吐き出す当てのない怒りを擦り潰した。舌の上で現実ではない苦みが広がる。
『このような、無様な――』
 僅か三千の兵と、シメノス脱出の際にからくも創り上げた使隷五千。二万の兵を指揮していたというのに無惨な有様だ。
 足元を使隷が波となってフォルカロル達を南へと運ぶ。
 視線の隅にはまだボードヴィル砦城の大屋根が見える。シメノスの流れからも南に三百間(約900m)ほどしか離れていない。もっと離れたいが、離れすぎては下流にあるヴォダの第三軍と合流することができなくなる。
 早々に合流し、第三軍を防衛に当てつつ、体制を立て直さなくてはならない。
(レガージュまで引き、そして一旦イスへ戻る――いや、いいや)
 イスへ戻るという考えはフォルカロルの背筋を凍らせる。
 イスに戻ればナジャルに対し、戻った理由を説明しなくてはならない。
(できん)
 アレウス国の策にはまり部隊を分断された上、指揮下二万の兵の大半を失ったなどと、ナジャルの前で到底口にできるはずがない。
 やはりこのままヴォダと合流し、レガージュで体制を立て直す。そして兵の増強をイスへ求めるまでが限界だ。
(あの鬱陶しい剣士どもさえいなければ――アレウス軍だけなら勝利は確実だったのだ。己が力で戦わず、他者に頼る、戦いへの誇りの無い軍など――)
 使隷の波を進め、シメノス岸壁沿いにある小さな森を南から回り込んだ瞬間だ。
『閣下――!』
 側近の一人、バスルの悲鳴に近い声にフォルカロルは思考から返り、指差す前方に見えた光景に怒りと、羞恥を覚えた。
 前方、森が切れた先、既に三百間も無いか――シメノス岸壁に沿うように黒い群が見える。
 兵列。
 アレウス国の軍旗が翻る。
『伏兵……』
 アレウス国の伏兵だ。北岸に伏せていたと同じように。その数は、目視しただけでもフォルカロルの兵の倍近い。
 使隷の波を急停止させた時には、互いの距離は二百間を切っていた。
『くそ――!』
 歯軋りし、海馬の手綱を手の中に握り込む。
『待ち伏せとは、卑怯な』
『閣下、さ、左辺からも、アレウス軍が――!』
 バスルの狼狽きった声に苛立ちつつ振り返った森の向こうに、風を打つ音と共に竜騎兵の一団が空へ広がるのが見えた。




「来たか」
 シメノスに沿って生い茂る森の陰で、前方を過ぎる地上の波、西海軍の一団を一旦やり過ごし、ワッツは飛竜の手綱を繰った。
 西海軍が前方の平原に布陣した一軍――ランドリーの北方軍に気付き、その足を急激に止める。
「行くぞ」
 ワッツの飛竜に続き、五十騎の竜騎兵が空へ上がる。
 それまで流れていた波音――使隷の立てる移動音に替わり、飛竜の翼が巻き起こす風の音が辺りを占める。
 前方の北方軍に対し、西海軍の退路を塞ぎ後方上空に布陣した。
 銀色の波とその波に囲まれた一個大隊を見下ろす。
「中央、でかい海馬の奴が敵の大将首だろう」
 シメノスではまだ自軍が戦ってるというのに、その指揮を放り出して逃走した。「大した指揮官だぜ」と呟き、左右へ指示を送る。
「奴を捕らえる。交渉の価値があるかどうか、微妙なとこだがな」
 前方の北方軍が矢を放つ。ワッツはそれを合図に、地上の西海軍へと急降下を開始した。




 北方将軍ランドリーは二百間先で止まった西海軍の一団へ、手にした剣の切っ先を向けた。
「削る。第一陣、矢を放て! 左右翼前方陣、騎馬による突撃を開始!」
 一つ千の方形陣十個を菱形に並べた北方軍一万の先頭陣が、ランドリーの号令に矢を放つ。一呼吸後、菱形の左右の方形陣から半数の兵が、騎馬を駆り西海軍へと突進した。




 前方、そして上空――
 放たれた矢、迫る騎馬。
 空には竜騎兵五十騎。シメノスで西海軍を苦しめた光弾が降る。
 矢と光弾を受け、兵士達がばたばたと倒れる。
 フォルカロルは矛を回転させ石突きで使隷の波を突き、壁として立ち上げた。傘状に、西海軍を覆う。
『おのれ』
 フォルカロルの兵力は兵三千、使隷五千。フォルカロルが使隷を波紋に変えて撃ち出せば、水の無いこの地上ではあっという間にその数は目減りする。
 詰んだようなものだ。
 シメノスへ逃げても北岸からの攻撃に晒される。空いている南方へ逃げても、内陸深くへ入り込んで自滅する。
 追い込まれたのだと、憤りを飲み込む。
(何故だ、何故こんな)
『閣下、どう』
 ただフォルカロルの指示を乞う問い。
 それが更に苛立ちを増させる。
(自分で考えろ! 役立たずが!)
 碌な部下がいないこと、それがフォルカロルをこの状況に陥らせた一番の原因だ。
 使隷が受ける攻撃の負荷が、フォルカロルの矛に振動を伝えてくる。
 限られた使隷ではそう長くはたない。
(こうなれば――)
 この状況を逃れるには使隷を水に戻し、それを媒介に西海へ跳ぶしかない。
 だがそれをすれば直属の部下を全て失うことになる。三千の兵を共に跳ばすことはフォルカロルだけではできないからだ。せいぜいが百――
(いいや)
 西海への転移を確実にするなら、百では多い。十でも。
 フォルカロルは唇を舐めた。
 仕方がない。
 手段があるにも関わらず、情にかまけて共倒れするのは愚かな行為だ。
 重要なのは兵ではなく、指導者なのだ。
(使隷解除を――)
 矛を掴んだ瞬間、鋭い痛みが肩を貫いた。
 上空から降った光弾がフォルカロルの肩を貫く。
『ッ』
 振り仰ぐ間も与えられず、光弾が視界を埋める。
 フォルカロルは堪らず、矛の石突きで使隷の波を突いた。
 使隷の壁が厚みを増し、光弾を防ぐ。
 だが光弾はの中を縫い、使隷の核を次々と砕いた。
 奥歯を鳴らし、崩れた水を再び使隷へと変える。そこへ畳み掛けるように、竜騎兵の波状攻撃による新たな光弾が降る。
(こ――)
 使隷の壁から漏れた兵達がばたばたと倒れ伏す。
 蹄の音が轟き、前方から突進した騎馬がフォルカロルの薄い陣を更に削り取る。
(これでは、解除できんッ)
 跳べない。
 使隷を操れる指揮官は五人、だがそれぞれ百体を創り出すのが精一杯だった。創り出すそばから核が砕かれ、水に戻り、地面に染み込み、総量が失われて行く。
『使隷を作り続けろ! 役立たずども!』
 五人が使隷を立ち上げる。
 光弾が指揮官の一人を撃ち抜き、次いで二人、同じく胸を撃ち抜かれて倒れる。
 フォルカロルは怒りの言葉を吐き出し矛を回転させたが、兵と使隷の壁はフォルカロルを中心に外周から削られ、円が収縮するようにせばまり始めた。三千の兵は反撃も虚しく、アレウス軍の地上と空からの攻撃に、既に半数までその数を減らしていた。
 あと四半刻もなく、フォルカロルの防御は崩され、玉座への夢は泡沫のごとくついえる。
『こんな――こんなところで……ッ! 認めぬ! 認めぬぞ、私は!』
 激しい怒りと共に振り抜いた矛が、使隷の壁を叩き、波紋を打ち出す。
 空を斜めに引き裂いて走り、アレウス軍先陣の騎馬兵数十と、竜騎兵四騎を切り裂いた。
 更に二撃。
 波紋はだが、左右に展開した騎馬兵と竜騎兵を掠めもせず、空へ消えた。
『認めん――! 私が、西海と地上の王となるのだ! この私が――!』
 再度波紋を打ち出そうとした使隷の壁は、だが、もうフォルカロルを覆っていなかった。
 目の前で光弾に砕かれた最後の使隷が、フォルカロルの足元に水飛沫となって跳ねる。
 染み込んでいく。
『――な……』
 フォルカロルは草に染み込む雫へ、手を伸ばした。
 失われる。使隷――その元となる水が。
 転位の為の。
『ああ!』
 膝を落とし、濡れた草を掴む。ほんの数滴、その手に触れるだけだ。
『待て、待て、待て! わ、我が技が――西海への道が――!』
 見回した周囲には立っている西海兵の姿はなく、フォルカロルのみだ。
 耳に届くのは蹲る兵達の呻き声のみ。
『――』
 上空の飛竜。
 フォルカロルを取り囲む、アレウス国の兵列。
 風が流れる。
 僅か三百間かそこらの距離しか隔てられていないシメノスからは、まだ攻防の音が聞こえて来る。
 シメノスにフォルカロルが置いてきた西海軍兵士が残っていたが、フォルカロルにはシメノスへ戻る術さえ、もう無かった。
 膝の力が抜け、フォルカロルはぺたりとそこに腰を落とした。
 正面のアレウス兵の中から、騎馬が三騎、進み出る。
 中央に騎馬を進めた北方将軍ランドリーは、倒れ、蹲る西海軍兵達の手前で止まった。その視線を中央へ向ける。
「貴官が将か」
 フォルカロルの虚な目が、ランドリーを見上げる。
「これは自軍を置いて逃走し、己が身しか守らなかった結果だ。敗北、そして虜囚となることを受け入れよ。そうすれば今生きている兵達は保護しよう」
 ランドリーの傍らの士官が片言の西海語でランドリーの意を伝える。
『――この私に、投降しろだと……』
 フォルカロルは羞恥に顔を黒く染め、矛を握り直し――
 その腕を下ろした。
(水さえ――)
 水さえあれば。
 激しい怒りと羞恥に苛まれるフォルカロルの心中を知らず、ランドリーは手早く指示し、まだ息のある西海兵を収容していく。
『閣下――』
 横を見れば側近のバスルが蹲り、武器を手放し疲れた表情でフォルカロルを見ていた。
 苛立ちが募る。
『――貴様が』
 張り上げかけた声は、不意に持ち上がった騒ぎに掻き消された。
 取り囲むアレウス軍の左翼、シメノス寄りの一角が騒めく。
 直後、左翼数十騎の騎馬兵が、馬ごと断たれ、あるいは騎馬から転げ落ちる。
「敵襲――!」
 走る声にランドリーは騎馬の首を巡らせ、素早く号令をかけた。
「鶴翼陣へ移行! 右翼は中央を取り三十間退け! 左翼及び前後陣は展開し両翼を構成――!」
 シメノス側を前面に、アレウス軍が鶴翼の陣を展開する。
 フォルカロルの目も、開けたそこに突如として現われた一団を捉えた。ほんの二十人程度の小さな一団だ。フォルカロルが喉を鳴らす。
 良く見知った姿。
『ヴォダ――!』








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2020.11.29
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