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王の剣士 七

<第三部>

第八章『輝く青 2』

十四



『堰を破壊するのだ! 数の利を生かし、押し包め!』
 ベンゼルカが声を枯らして指示を飛ばす。
 堰へと矢が塊のごとく飛来する。
 ベンゼルカ自身が作り出した二百を含む使隷五百体が何度となく、堰の橋脚に次々と取り付く。
 堰は五つの水門を持つ橋に似た構造で、中央の大門と左右二つずつの小門を閉ざすことで水を堰き止めた。水門を上下させる滑車があり、操作は橋の上をボードヴィル側の北岸、河面に近い場所からも行えた。
 堰による西海軍分断で、数の不利を補うことがアレウス国の戦術――それ以外に、六万の大軍に対しアレウスが優位に立つことは、シメノスを西海軍が抑えた現状では困難だ。
 堰を抑え水門さえ破壊すれば、アレウス国は西海軍を分断できず、逆に西海軍は無限とも言えるシメノスの水を幾らでも利用することができる。
 ベンゼルカ等西海軍先陣は当初、第二、そしてこの第一の堰も越えてボードヴィル足下の流域を確保し、優位に立った――はずだった。
『進め!』
 使隷が橋脚に取り付く。
 だがベンゼルカにはそれが虚しい行為だと判っていた。使隷の波は既に高さを失い、水門を破壊する威力に成り得ていない。
 一旦下流へ動いたのが響いている。ベンゼルカの失策だ。
 失策を回復しなければならないが、ベンゼルカが生み出せる使隷は最大で二百。アレウス軍の竜騎兵による攻撃で、他の使隷創出操作を担う士官が半数近く討たれ、今の五百に満たない使隷では兵達を乗せ動かす充分な波を作るに足りない。
 フォルカロルは使隷を創り出してはいるが、前衛には送らず自らの周囲を固めている。
 そして、敵の存在。
『敵は、ほぼ一人だというのに――』
 堰の上に降りた剣士はフォルカロルと対する剣士と同様に、法術の足場を用いて西海兵が堰を囲もうとするのを阻んでいる。
 その剣はさほど速いとも、苛烈とも見えず、だが近付けば全て斬られていた。
 何度使隷を生み出し差し向けても、一向に攻勢をかけられずにいる。
(レガージュのザインとは違う。アレウス国の剣士でもない。いつの間にか新たな戦力を得ていたとは、状況を見誤ったのか)
 ベンゼルカは何度目か、後方――下流を確認した。
 使隷の輝き、そして波紋が時折見える。
(閣下――)
 フォルカロルは自らの防御を固め、ベンゼルカ等先陣へ応援を送って寄越す様子はない。
(だが閣下の守りこそ重要だ)
 総大将であるフォルカロルが討たれることは、西海軍の敗北を意味する。
 ただ懸念はあった。
(閣下は状況を早期に判断されようとなさるだろう)
 上官の思考傾向をベンゼルカは良く判っていた。不利と見ればフォルカロルは撤退を考える。
 ここまで来て撤退となれば、もう次に同じ戦術は使えまい。
 西海軍を勝利へ運ぶ潮流はその流れを変え、西海軍へは戻らない。
 剣士の存在により、既に流れは変わりかけている。
(完全に変わる前に戦況を我等に優位に引き寄せなければ――やはり、ここはヴォダ将軍の後方陣を呼び込み、数の利を維持するのが得策なのだ)
 フォルカロルの指示は堰破壊だが、それでは既に変わりかけている流れを押し戻せない。
(堰の破壊はいい。一旦置け)
 ベンゼルカは勝利の為、自らに言い聞かせた。
 四万のヴォダ軍が進軍する場所・・を作る必要がある。敢えて後方陣の進軍を抑えていたことが裏目に出ていた。
『戦術転換! 進軍し、堰を越えろ! 何としても上流域を手中に収める!』
 ベンゼルカの号令に使隷が身を起こす。使隷指揮の士官が不足しているが、三千の兵が堰を越えるだけなら可能だ。
(これ以上失う前に、堰を)
 使隷は一体となって波を起こし、シメノスの谷底を上流へ、這うようにどっと流れた。




 レーヴァレインは法術で生み出す光る六角形の盤を足場に、自分の身を次々と移した。
 場を移し、そして使隷を断ち霧散させる。全ての動きは連動し、風か水が流れる様を思わせる。
 西海軍の動きを見て取り、レーヴァレインは足場を蹴って高く跳び、堰の上へ戻った。
 使隷が波となって西海軍兵を運び、この第一堰の足元、左右を越えていく。
 指揮官だろう西海兵士官と目が合い、レーヴァレインは右腕の剣を振った。
 生じた剣風が指揮官――ベンゼルカの通り過ぎた直後を叩く。
 使隷の波は一旦大きく揺れ、だが第一堰の真横を過ぎる。
 西海軍から放たれた矢を全て弾き落とし、レーヴァレインは上流へ流れ込む西海軍の動きを目で追った。
「俺の役目は、ひとまず終わりかな」
 ボードヴィル砦城を見上げ、それから下流へと視線を向ける。
「ティルがやり過ぎなきゃいいけど、そこをちゃんと解っているかな」
 これはあくまでもアレウス国と西海との戦いだ。
 剣士はそこに介入はしても、主体となるべきではない。それはこの国に所在を持つ剣士としてのレーヴァレインの根本にある考えであり、カラヴィアス――ルベル・カリマの考えだ。
 下流を見つめるレーヴァレインの眉根が寄せられる。
「うーん。後でもっとしっかり言い含めないといけないかもな」




 ティルファングは光る六角形の盤を踏み込み、フォルカロルとの間合いを詰めた。視線設置の足場を既に使いこなしている。
 西海兵の陣列、左右から次々と突き出す槍や矛が、ティルファングが過ぎた後の空間を噛む。
『おのれ!』
 フォルカロルの手元で矛が風を巻き、切り裂く。
 矛が捉え弾き上げた白刃が、直後に軌道を変え、フォルカロルの鼻先を掠める。足元を叩き、水飛沫を跳ね上げた。
 飛沫の白い幕を突き抜け、ティルファングはフォルカロル正面、懐に入った。斜め下から剣を掬い上げ、斬り上げる。
 寸前、水の壁が立ち上がり、フォルカロルは飛び退いた。
 剣を受け、水の壁が四散する。
 瞬間に間合いを埋め、白刃が頭上から落ちる。使隷の壁も矛も間に合わない。
 白刃はしかし、ただ水を打った。
 ティルファングは足場に立って身を起こし、下流を見据えた。




 フォルカロルはティルファングから二十間離れた下流に身を移し、大きく息を吐いた。
 位置を移したのは水を用いた転移の技だ。肩で息を吐く。
 躱していたつもりが、気付けば幾筋も血が滲んでいる。
 その上、傷が回復しない。
 接近戦では波紋を出せず、使隷を創り出す時間も無い。
 何もかもフォルカロルに不利だ。
『おのれ』
 歯を軋らせ、フォルカロルは波紋を五撃、立て続けに放つと、同時に更に二十間、水を媒介に移動した。ティルファングが波紋を砕き、だが自身は元の位置に止まっている。
『兵共!』
 兵が矢を一斉に射掛け、槍と矛を倒して進む。
 フォルカロルは苛立ちを滲ませ、矛を振った。
『我が第一軍総数二万、たった一人の剣士に斬り尽くせるはずもない! 取り囲み、飲み込んでしまえ!』
 突き進む西海兵の立てる波音がシメノス一帯を埋める。
 ティルファングは足元に光る盤を複数作り上げて繋ぎ、広い足場を作った。
 剣を右斜め後ろに構え、身体を沈める。
 迫り来る西海兵の波へ、引いていた右足を蹴り、剣を振り切った。
 半径十間、白光の走った範囲の兵士が断たれて倒れる。
 フォルカロルは咄嗟に使隷の壁を張り、余波を防いだ。
『――おのれッ』
 岸壁に挟まれたシメノスの中で、二万の西海軍は中央に集中しつつ前後に長く、伸びた。
 不意に――
 ボードヴィル砦城から高い喇叭の音が鳴り響いた。
『何だ――!』
 フォルカロルは聞き慣れない喇叭の音に驚き、首を振り周囲を見回した。
 音はボードヴィル砦城から流れている。
 太陽を背に、砦城の影は濃い。
 その左右、太陽と空とを切り取るシメノスの岸壁から、呼応する喇叭の音が複数響く。
 直後。
 シメノス北岸の上に、陽光を受けた無数の人影が一斉に立ち上がった。
 谷底へと向けられた大型弩砲アンブルスト
 そして、岸壁上に翻る数十の軍旗。
 アレウス国正規軍、二万の兵が北岸上にずらりと長く並び、シメノスの西海軍を見下ろした。









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2020.11.22
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