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王の剣士 七

<第三部>

第八章『輝く青 2』

十一



 フォルカロルの放った波紋が、ボードヴィル砦城の城壁を穿つ。
 続く波紋が剥き出しのその一角へ襲いかかる。
『何ともろい――』
 浮かべたフォルカロルの笑みは、城壁の前に突如として燃え盛った炎が波紋を巻き込み打ち消したのを見て、不快さに歪んだ。
 目の奥に残る鮮やかな紅蓮の輝きに舌を打つ。
 矛を薙ぎ、波紋を放つ。
 三連撃の波紋は、ボードヴィルの城壁を捉える前に、再度燃え上がった炎の壁に飲まれ、蒸発した。
『あの炎の小娘か――』
 苦く歪めた口角をすぐに上げる。
 炎一つで今の情勢が覆ることはない。
『所詮この距離では、悪足掻きに過ぎぬ。シメノスがある限り我が技は無限――』
 矛を回転し、石突きで足元を突く。
 足元全体が持ち上がるように、使隷がゆるゆると身を起こした。連なり、フォルカロルの前にぶ厚い水の壁を作り上げる。
 フォルカロルは矛で水の壁を薙ぎ、波紋を撃ち出した。


 シメノスから波紋が奔る。
 アスタロトの炎の壁が呼応するように沸き起こり、波紋を打ち消す。
 視界が白く霞み、水蒸気を含んだ風が城壁を叩き、渦巻いた。
「ナジャルばかり警戒してたけど、あいつも結構厄介だ」
 アスタロトは何度目か、炎を作り出した手を握り込み、眼下のシメノスを見据えた。シメノスの流れと西海軍までの距離が、波紋の連撃を有利にしている。
「ルベル・カリマの二騎、動きました!」
「西海軍先陣、第一堰を完全包囲!」
 物見の兵から西海軍の動きを知らせる声が落ちる。
「伝令使」
 タウゼンは素早く伝令使を呼び、現われた白頭鷲に指示を与えた。
 同時にハイマンスがその指示をボードヴィル駐屯部隊の間に走らせる。
 次の手へ動くのだ。
「ゼン、ここを指揮しろ」
 ワッツはハイマンスからの指示を受け、少将ゼンが頷くのを確認して数人の兵と共に城壁を中庭へと駆け下った。駆け降りつつ、最上段の城壁に隊を置くクライフへ片手を上げる。
 城壁の上を正規軍兵士達が慌ただしく動き、その半数がワッツと同じく中庭へと降りて行く。中庭に引き出されているのは数騎の飛竜――ワッツが手綱を掴んで飛び乗り、すぐに上昇させる。
 アスタロトはその動きを見送って身を返し、城壁上に待機している紅玉の飛竜へ足早に歩いた。アスタロト自身も機動力が必要だ。
「アスタロト公――」
 掛かった声の焦れた響きに、手綱を掴みながらじろりと一つ上の城壁を睨む。
「言ったはずだぞ、お前は剣を温存しろって。敵大将はルベル・カリマの、あのツンツン剣士に任せたし」
 言い募ろうとするレオアリスへ、アスタロトはもう一度、声に力を込めた。
「ファルシオン殿下のお側にいろ」


 フォルカロルは矛を回転させ、足元を満たす水面を突いた。
 水が高く吹き上がり、壁を作り出す。
 使隷の壁は幾らでも、フォルカロルの前に立ち上がる。
 無尽蔵に。
『その高さ、城壁が貴様らの枷だ』
 シメノスの岸壁とその上に積み重なるボードヴィル砦城の城壁は、十八間(約55m)にも及ぶその高さからも難攻不落と言われたが、フォルカロルからしてみれば、それこそが却って自らの手足を封じているようなものだった。
 シメノス上にアレウス兵の展開できる場所は無く、頼みの飛竜での攻撃も沈黙した。
 アスタロトの炎の邪魔はあるが、フォルカロルの優位を覆すほどのものではない。
『たかが炎、所詮この私にひれ伏す属性に過ぎん』
 炎が何度遮ろうと、それを上回り攻撃を繰り出すことがフォルカロルには可能だ。足元にシメノスがあれば。
 フォルカロルにとってボードヴィルをおとすのは容易い。
 フォルカロルの波紋の技は矛で水を弾き上げ波紋を生み、鋭い刃として打ち出すものだ。敵兵はもとより、岩をも砕き、断ち切る。
 レイラジェやヴォダは波紋を用いるフォルカロルの技を、海中以外では役に立たないと決めつけ、軽んじていた。
 だが、おそらく地上でもっともアレウスを苦しめるのはフォルカロルのこの技だ。
『奴等の武器はあの城壁まで届かん。この私こそが――』
 勝利に相応しく、そして玉座に相応しい。
 薄く笑う。
 フォルカロルは矛を身体に巻くように、薙いだ。
 使隷が作り上げる壁――水の塊が矛に合わせ、波紋を打ち出す。ボードヴィル城壁へ、薄い半月の刃となり空を切り裂き走る。
 続いて二撃、更に二撃。
 息もつかせず五撃、五枚の刃が正面、左右の三方からボードヴィルの城壁へ襲いかかる。
 波紋はボードヴィル城壁に届く手前で、懲りずに湧き上がった炎の壁に阻まれ、水蒸気を吹き上げた。
 ボードヴィルの姿を白く覆い隠す。
『無駄な足掻きだと――』
 矛を薙ぎ、まだ水蒸気に隠されたボードヴィルへ、新たな波紋を飛ばす。
 視界を覆う水蒸気を横一文字に切り裂きかけた、その直前――
 水蒸気の向こうからはしった鋭利な光が、波紋を縦に断った。
 同じく断たれた水蒸気の膜から垣間見える、ボードヴィル砦城尖塔と、青く晴れた空。
 炎。
『何――!?』
 白い水蒸気を突き破り、一頭の飛竜が突進する。
 炎と見えたのは飛竜の、紅い鱗の輝きだ。
 その背の姿を捉える前に、ぞくりと、背筋を走る悪寒、警告・・を覚え、フォルカロルは咄嗟に右肩を引いた。
 白い光が弧を描く。
 フォルカロルの前に置いた使隷の壁が、霧散した。
 吹き上がる水飛沫を潜って紅く艶やかな鱗が目前を過ぎ、フォルカロルの頬を飛竜の尾が掠める。
 その背に少年の姿を捉える。右手に白く輝く剣を顕している。
『剣士――貴様、アレウス王の――』
「何言ってるか分かんないけど、多分違うぞ!」
 ティルファングは顔をしかめ、上昇中の飛竜の背を蹴ると、躊躇なく宙へ踏み出した。
 足元に一瞬、六角系の淡い光の盤が生まれる。
 光る盤を蹴り、身体を跳ね上げる。
「僕はルベル・カリマの――」
 視線を、空へ向ける。光る盤が出現する。
「――ティルファング様だ!」
 盤を蹴って落下速度を増し、右腕に顕した剣を振り下ろす。
 生じた剣風が嵩を増したシメノスの水面と、使隷の波を叩いた。
 使隷の核が次々と砕け、水に戻る。波が立ち、周辺の西海兵達が弾かれ、フォルカロルの周囲に円形の空間が生まれた。
 そこへ、ティルファングが落ちる・・・
『剣士ごときが――!』
 フォルカロルが矛を薙ぐ。
 唸りを上げる矛の切っ先と、空を断ち振り下ろされた剣が打ち合い、生じた衝撃にシメノスの水が叩かれ、一瞬後、吹き上がった。


 フォルカロルの矛とティルファングの剣がぶつかり合い、振動が岸壁を伝い足元が震える。あたかもボードヴィル砦城そのものが身を揺するようだ。
 ファルシオンは思わず息を呑んだが、引きかけた足を、こらえた。
「王太子殿下。城内へお入りになられますか」
 セルファンの問いに、ファルシオンは改めて首を振った。
 セルファンは何度も心配してくれているが。ファルシオンの立つ城壁の前には法術士達の張った防御陣が置かれ、周囲にはセルファン達近衛師団隊士が控えている。
「だいじょうぶ――みなも、それから法術でも、守ってくれているから」
 立て続けの激しい攻防を目の当たりにした瞳は緊張を隠し切れず見開かれ、頬は張り詰めている。
 それでもファルシオンは可能な限り、兵達と共にこの場にいたかった。彼等だけの戦いではなく、自分達の戦いだ。この国の為の。
 少しでも、彼等の力になりたい。
 兵達から姿が見えなくては、そして兵達の姿が見えなくては、それができないと思う。
 心臓は早い鼓動を打っているが、斜め前に立つレオアリスへ視線を向けると、ほんの少し落ち着いた。
 視線に気付いたのか、レオアリスがやや首を傾ける。
 見つめた双眸に深い安堵を覚え、ファルシオンは張り詰めていた頬を僅かに緩めた。












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2020.11.15
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