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王の剣士 七

<第三部>

第七章『輝く青』


 
 大法廷は、この国の秩序が法より保たれていることを体現するかのごとく、王城中央棟の三階に位置している。
 外部へ通じる窓はないが五階までの三階層を貫く造りで、一階の中央に被告席、その左右に原告席、弁護人席、証人席、書記官席があり、一段上がった正面に裁判官席が横長に設けられている。裁判官席に対して三方はすり鉢状に関係者席と傍聴人席が設けられており、およそ百名を収容することが可能だ。
 大法廷の特徴としてもう一つ、二階部分に当たる位置には劇場によく見られる半個室の箱席が左右にそれぞれ五室設けられ、そこから他の視線を受けることなく裁判を傍聴することができた。三階部分には廊下からの光を取り込む硝子窓がぐるりと取り巻き、法廷を見下ろしている。
 そして、この大法廷だけではなくいずれの法廷にも共通するのが、裁判官席の後ろ、更に一段高い位置にある、王列席の為の部屋と張り出し台だった。
 今、国王代理、王太子ファルシオンが、紗幕で隔てられた奥に座し、その傍らに内政官房長官ベールとスランザールが控えている。
 裁判官席には五名の裁判官が着座し、左端に座った裁判官の一人が読み上げる訴状の一文一文が、朗々と大法廷に響いていた。
 ボードヴィル戦から四日後の十一月十四日。午前十一刻。
 被告人、原告人――今回は正確に言えば個としての原告人はなく、国家騒乱罪の常であるように、司法庁が国家として原告を代理した――の確認、そしてそれぞれ真実を述べる宣誓を終え、裁判は始まった。近年、最大の国家騒乱罪としての法廷だ。
 大法廷は関係者席から傍聴席に至るまで全て人で埋まり、その全ての視線は被告人席に一人立つ、年若い青年に向けられている。
 イリヤ・ハインツに。
「今回のサランセラムに於ける一連の騒乱は、西方軍第七大隊軍都ボードヴィルに於いて、元西方公ルシファー、ヒースウッド伯爵、そして西方軍第七大隊中軍中将ヒースウッドにより画策され、起こされたものである事。その中心にイリヤ・ハインツ。貴方がいた事で間違いがないか」
 イリヤは三方を囲む狭い被告席にまっすぐ立ち、顎を持ち上げ裁判官席へ顔を向けている。
「間違いはありません」
 被告人は権利として弁護人を選定することができる。
 だが、イリヤは弁護人を付けなかった。
 イリヤの声が明瞭に耳に届き、レオアリスは身体を包み込む椅子の上で身動いだ。
 レオアリスは二階部分の半個室の一つに身を置いていた。ボードヴィルでの近衛師団の関わり、役割について求められれば証言する立場にあるが、先日のアルケサスでの負傷と剣を戻す為の薬の作用がおもんばかられ、その役割はグランスレイに委ねられている。
 昨夜薬を飲んで以来、身体は石を飲んだように重く、鈍い痛みと熱とが絶えず鳩尾から体の末端へ流れ出しているように感じられた。その感覚は波のように不安定に、時折意識を手放しかねないほどに響く。
 その意識にとっても、イリヤの言葉はあまりに明瞭に届いた。
 身を乗り出そうとして椅子の肘を掴み、傍らに同席していたフレイザーがその手を抑制するように押さえる。
「――」
 フレイザーを見て、身体を背凭れに戻す。
 ほんの一年前、だった。
 イリヤの――かつてはキーファー子爵家による、王太子ファルシオン誘拐に関する裁判が行われたのは。
 あの時と同じ状況と、異なる状況。
 違いは大きく、最大の点は国王代理たる王太子ファルシオンが予め、列席を伏せることなくこの場にいること。
 そして、イリヤの存在が誰の目にも明らかな状態で裁判を行おうとしていること。
 同じなのは、イリヤの真の身分には一切触れられないだろうということ。
 どこまでも、イリヤは自らの出生を中核に置いた出来事の中心的立場にありながら、その出生とは徹底して切り離される運命なのだと。そう思うのはレオアリス自身の感傷と、そして自らへの悔恨に近い念があるからだろうか。為すべきこと、為せたはずのことを、自分はしてきただろうかと。
 ただ一年振りに目にしたイリヤは、それらを受け入れているように見えた。その上で現状を運命と甘んじるのではなく、自分自身の意志として、この状況の中で動こうとしているのだと。
 ヴィルトールが半年の間イリヤの傍らにあり、道を共に歩もうとした想いも、今、被告席に真っ直ぐ背筋を伸ばして立つイリヤ自身を見ていれば理解できた。
(西海との和平――)
 イリヤもまた、その為に動こうとし、その為にここに立っている。
 それが進めるべき道なのは、レオアリスにも判っている。
 昨夜ロットバルトとワッツと和平の話をしたが、ロットバルトはもう改めて和平の必要性を説こうとはしなかった。
 この大法廷では、昨年の法廷と同じ方向で進むだろうということ、そしてその中で、和平と、ファルシオンの望みと、それを叶える方向で動かしていくことになると、そう言いはしたが。
 法廷が流れていく。
「起訴状の全文を朗読することを原告に求める」
 原告席で代理原告人として出廷している司法官六名――主席、次官、補佐官一名、書記官二名及び事務官一名の内、主席司法官が立ち上がる。
 静かな、感情を差し挟まない声が、ボードヴィルにおける争乱を、その時系列と関わった人物、偽りの王太子旗を掲げた事実、そして結末まで、およそ四半刻をかけてつまびらかにしていく。
 その間、関係者席や傍聴席に座る者達の視線は何度も何度も、イリヤの上に注がれた。
 特に、ミオスティリヤの名に触れられるごとに。
 イリヤの外見はやはりどことなく王に似ているのだ。淡く白に近い銀色の髪、右の瞳の金。面差し。
 それに対し戸惑いの視線を交わす者もいる。
「偽りの王太子旗を掲げ、半年もの間ボードヴィルを占拠し、人心を不安たらしめ、国家に騒乱を招いたこと。これらに基づき、イリヤ・ハインツの罪状を、大きく三つ主張します」
 首席司法官が手元の資料から顔を上げ、裁判官席を見上げる。
「罪状は、国家騒乱罪及び王家に対する反逆罪及び詐称罪」
 イリヤは動かない。
「これに伴い、次の刑が求刑されるべきものと考えます」
 端的な、僅か一言の、認識の相違を許さない言葉だ。
「第一級犯罪人として、死罪」
 法廷内は衣擦れの音すら憚られるほど静まり、その中でイリヤは一度瞳を伏せ、それでも顔を上げ続けている。
 レオアリスは斜め前に見えるファルシオンの姿へ、掠めるように視線を向けた。
 その姿を真正面から見つめることはできかねた。ファルシオンの心情が、想像の余地もないほどに分かる。
 鳩尾の熱がやや温度と痛みを増し、眉を寄せる。
「――」
 裁判長は原告代理である司法官へ着座を求め、その面をイリヤへ向けた。
「被告人、イリヤ・ハインツ。原告の述べた公訴事実に異論は無いか」
 イリヤが深呼吸をしたのが分かる。
「――ボードヴィルにおいて起きた事実として、異論はありません」
 ファルシオンが立ち上がりかけるのが見えた。傍らのスランザールの制止を受け、椅子に再び身を落とす。
 レオアリスは重さを増した鳩尾の痛みに、薄く息を吐いた。
(このまま進んだとしたら、イリヤへの求刑は揺るがない)
 ボードヴィルでの半年間の明確な、誰もが承知しているくつがえりようのない事実がある限り、ここから減刑へ導くのは不可能にすら思える。
 いっそ、イリヤはボードヴィルで命を落としたことにしておいた方が良かったのではないか。
(ああ、でもそれじゃ、十九年前と同じでしかない)
 存在そのものを消す他なかったあの時と。
 イリヤはそれを選ばなかった。
「続いて、本件に対し証言を求める。騒乱、及び反逆に関する事項の証人として、正規軍副将軍、ウルリッヒ・タウゼン将軍」
 タウゼンは関係者席の最前列に座っていたが、名を呼ばれ三段ほどの階段を下りると、証人台の前に立った。
 タウゼンの証言は正規軍の視点からのものだが、原告側の述べた内容と大筋の違いはない。ただ、タウゼンは正規軍側の視点として、原告の公訴事実には無かった二つの点を述べた。
「我が軍は国王代理、ファルシオン殿下の御名のもと、ボードヴィルに対し再三状況の説明を求め、不当な旗を下ろすよう勧告しました。それについてボードヴィルからの返答は一切返っておりません」
 ボードヴィルの反逆の意図を更に深める証言だ。
 ただタウゼンの証言はそこでは終わらなかった。
「一方で、我等正規軍がサランセラム丘陵において西海軍と戦闘を行なった際、ボードヴィルが西海軍に加担したことはなく、西海軍はボードヴィルを囲み、攻撃していた事実があります。また、不可侵条約が破棄された四月末日、深夜、西方軍がボードヴィルを囲む西海軍に対して攻撃を仕掛けた折には、ボードヴィルは一時的にこれに呼応し、城壁から西海軍に対し攻撃を加えてもおりました」
 淡々と事実を述べるタウゼンの言葉に、傍聴席からの視線がタウゼンからイリヤへ、原告席へ、そして裁判官席へと彼らの思考を確かめようというように動いてく。
「今の証言について、被告人イリヤ・ハインツから反論または補足はあるか」
 イリヤは束の間、視線を自分を囲む低い腰壁に落とした。
「――ボードヴィルに対する勧告については、二回ほどあったと記憶しています。ヒースウッド中将が返答を送ったと言っていました。それに対して、王都側の改めての返答がないことに疑問を抱いていると」
「勧告は、先日十一月九日の最終勧告を除いて二回、また使者として伝令使を発したのは五回、いずれもボードヴィルの返答は受けておりません」
 タウゼンが断言する。
 イリヤは首を振った。
「送っていたはずです。証拠は――ありませんが」
「裁判長」
 原告側、主席司法官が手を上げ、立ち上がる。
「正規軍が勧告或いは使者を発した回数は記録されています。五月当初から重ねて七回、いずれもボードヴィルからの回答、或いは使者は記録されておりません。被告人の記憶違いか、抗弁か、或いは中将ヒースウッドが偽りを述べていたと考えます」
「ヒースウッド中将は、偽りを述べる方ではありませんでした」
 主席司法官はやや侮蔑の篭った視線をイリヤへ向けた。
「裁判長、被告人の発言は恣意的な、印象による人物像に基づいています。コーネリアス・ヒースウッド当人が死亡している以上、被告人の言葉を裏付ける事はこの場では困難です。本法廷における先程の発言の撤回を求めます」
「ヒースウッド中将は」
「被告人は許可を得ない発言を控えるよう。ただ、発言については撤回の必要はないと判断する」
 主席司法官はそれ以上は言わず、裁判官席へ頭を下げた。
「ボードヴィルから使者が王都へ送られた記録はない。これは事実と認める」
 裁判長の言葉にイリヤは視線を落とした。
 そのイリヤを見据え、主席司法官が再度手を挙げる。
「裁判長」
 傍らの次席司法官が差し出した書類を、改めて取り出した。ややくたびれた薄い巻物だ。
「ボードヴィルにおいて、コーネリアス・ヒースウッドは自らを上級大将と僭称しております。また被告人イリヤ・ハインツはシーリィア第二王妃の遺児ミオスティリヤと詐称し、コーネリアス・ヒースウッドと共に元西方公及び風竜の武威を背景に、周辺諸侯に対しボードヴィルへの集結を呼びかけています。これについては檄文が残されており、ボードヴィルに反逆の明確な意図があった証拠として十分と考えます」
 本文を読み上げさせていただく、と断り、主席司法官はその書面を持ち上げ、閉じていた紐を解くと胸の前に広げた。
「我等が地――」










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2020.7.19
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