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王の剣士 七

<第三部>

第七章『輝く青』

二十一


 西へと陽は傾き、沈んで行く。
 王都からは決して目にすることのできない遙か西辺、その先に広がる海は、浮上した西海の皇都イスも今周辺に漂わせるのは波のみで、半月前まで犇いていた西海軍の姿は拭い去ったように消えている。
 ただそれを、西海軍の完全撤退と捉えている者は一人としていなかった。
「西海穏健派との和平交渉は引き続き進める。一方で、次の、そして最後とすべき西海軍との戦いに向け国内及び軍の態勢を整え、西辺への部隊配備を進めて行かなければならない」
 内政官房長官ベールはそう言い、場を見渡した。
 僅か三刻前、王都を訪れた西海穏健派との会談を終えたばかりでの、十四侯の協議だ。
 夕刻の淡く枯れた陽光は、謁見の間の高い天井へ差し掛かり、彫り込まれた精緻な彫刻を淡い陰影に染めている。
 その下、扉から玉座のきざはしへと真っ直ぐに延べられた深緑の絨毯の左右に諸侯が並び、ベールが階の下に諸侯を向いて立つ。
 王太子ファルシオンは今は、玉座を戴く階の中段、踊り場に置かれた仮の玉座に腰掛けていた。傍らにスランザールが控える。
 これが円卓の協議に委ねられた議論ではなく、国王代理である王太子ファルシオンが決定権者としてあることを明確に示すしつらえだ。
「バージェス、及びイスの周辺に西海軍の姿が認められなくなり、今日で六日。とは言え、西海――ナジャルが地上を諦めたと捉えるのは尚早に過ぎる」
 左斜め前のアスタロトへ、ベールはその瞳を向けた。
「正規軍の考えは」
「西海がどう、何を謀っているのか窺い知れないが、それに対して様子見をしているつもりはない。この機にサランセラム、そしてグレンデル平原、フィオリ・アル・レガージュ、この三箇所に部隊を展開したい。今日、この場で布陣を決定し、明後日西辺へ向け動く。布陣完了は五日後の十一月二十二日を目処と考えている」
 アスタロト、タウゼン、参謀総長ハイマンスが一列目に立ち、二列目に正規軍各将軍、北方将軍ランドリー、東方将軍ミラー、南方将軍ケストナー、そして西方将軍代理ゴードンが並ぶ。
 更に次列に各第一大隊大将、そして西方軍第五大隊大将ゲイツ、第七大隊中将ワッツが控えていた。
 アスタロトの言葉を受けて彼等の間に漂ったのは緊張と、高揚だ。軍部だけではなく、文官達の間にも彼等と同様の張り詰めた空気が漂う。
 最終戦に向けた出兵は、明後日、十一月十九日。
 西海の侵攻を受け、六か月と十九日、ようやく終わりに向け動くことができる。その抑え難い感情。
「最終戦の戦術については、近衛師団、それから法術院を含め検討しているが、一定の方向は出せている」
 アスタロトは深緑の絨毯を挟んで斜め前に立つ近衛師団の総将代理グランスレイ、参謀長クーゲルへ顔を向け、それから法術院へ視線を流した。
「西海軍主力部隊との主戦場は、水都バージェスのあるグレンデル平原とし、サランセラム丘陵のボードヴィルまでを戦線拡大の限界点とする。正規軍主力をサランセラム丘陵手前にまず布陣する」
 十月、アスタロトを総大将として展開し、勝利を収めた第二次サランセラム戦役と同じ場所だ。
「西辺、特にサランセラム近隣の住民達には、戦火を避けて村や街を離れる苦難を強いている。この上再びサランセラムが戦場となる彼等の想いは酌まなければならないけれど、だからこそ次の戦いで全てを終わらせる。――それから」
 アスタロトはアルジマール、そして再び近衛師団の、二列目に立つレオアリスへと瞳を移した。
「対ナジャル。これには私自身と、法術院長アルジマール――近衛師団第一大隊大将、レオアリス。三名を中心に戦術を組む」
 アルジマールは灰色の頭巾を被った頭を揺らした。
「ナジャルを抑え切るのは僕ら三人の布陣でも困難だ。それは西海穏健派との会談でも判った。中途半端に戦えば兵達にも、周辺の土地にも大きな被害が生じるだろう。だからナジャルをバージェスもしくはグレンデル平原で捕縛、先の風竜戦と同様、アルケサスに飛ばしたい。その為にはナジャルが人型ではなく、本体を現している必要がある」
 灰色の法衣の肩をすくめる。
「本体は四十間(約120m)らしいから、アルケサスに飛ばす転位陣が途方もないけどね。だからやっぱり僕は、どうしても転位陣に力を割かざるを得ない。アスタロト将軍や大将殿の防御についてはその間法術院が頑張るけど、僕の補佐もしてもらうから手薄になる。そこは堪えて欲しい。転位させてしまえば僕も攻撃、防御に転じられる」
「分かってる。任せて」
 捕縛し、転位させるまでナジャルを抑え込めとアルジマールは言い、だがアスタロトは迷いなく頷いた。
「僕は明日、一足先にボードヴィル入りするつもりだ。捕縛陣、それから転位陣を仕込まなきゃいけない。何とか五日で終わらせるつもりだけど、万が一その間に西海の侵攻があったら、二人にはナジャルを転位陣まで呼び込み、かつ転位陣手前で持ち堪えてもらいたい」
 法衣に隠れた瞳を一度並びに立つロットバルトへ向け、戻す。
「そうは言ってもナジャルを確実に飛ばせるか、これはやってみないと判らない。だから前はアルケサスに大将殿が待機していたけど、そもそも飛ばす為にナジャルを押さえ込んでおく必要があるからそれはしない。今回は、ナジャルと同時に僕達もアルケサスへ飛ばなきゃならない。そうすると法陣に組み込む術式は更に複雑になるし一層集中が必要だ。大将殿」
 レオアリスへ、虹色が揺らぐ瞳を当てる。
「ナジャルを抑えるのにルベル・カリマの協力を確実に得たいね。レガージュのザイン殿もいるけど、西海はレガージュへも同時に侵攻する可能性が高い、ザイン殿はレガージュから動けないと思う。大戦で持ち堪えたレガージュが突破されれば、全体の士気に影響するからそれは避けたい。カラヴィアス殿はあの二人を残していったけど、彼等の戦力を組み込んで考えていいのかな」
 グランスレイがやや身体を斜めに向けて視界を開け、レオアリスは真っ直ぐアルジマールと向き合った。
「ナジャル戦へのルベル・カリマの助力を願い出て、カラヴィアス殿は彼等を残しました。二人の意思次第ですが、引き続き理解を求めていきます」
 そう言い、
「恐れながら――」
 レオアリスは一歩、前へ出た。
「先日の風竜戦において、アルケサスに配置した近衛師団隊士、そして法術院の術士に多くの被害を被りました。それは私自身の力不足と読みの甘さに寄るものと心得ております。また、この失策について改めて御審議頂き、その責を負う必要があると理解しております」
 その上で、と続ける。表情、そして身に纏う気配は抑えられている。
「今後のナジャルとの戦いに向けてもう一度、風竜戦を踏まえた戦術提案をお許しください」
「王太子殿下」
 ベールの問いかけに、ファルシオンは傍らのスランザールへ瞳を向け、それを戻して頷いた。ただその瞳はレオアリスの姿を不安げに映している。
 ベールがレオアリスへ促す。
 レオアリスは場の判断を求めるように見渡した。
「既にこれまでの度重なる戦いで、我が国は全兵数の二割弱を失っています。それは西海も同様ですが、ナジャル戦でこれ以上兵達に犠牲を出せば、終戦後の治安維持が困難な状態になる恐れがあると考えます」
 次第に室内は陽光の光より、壁や柱に掲げられた蝋燭の灯りが揺らぎ始めている。高い天窓はもうすっかり西陽の輝きを消していた。
「一番に重視すべきは西海戦での国家の勝利ですが、これ以上多くの兵を失うのは避けるべきです」
 アスタロトが機先を制するように声を上げる。
「だから自分一人で戦うとか、そういう提案なら聞かない。兵士達の犠牲は誰もが理解している。でも、今はまだ、西海とどう戦うか――ナジャルとどう戦うか、そこからだと思う」
「ナジャルとどう戦うか、その提案です。損害を抑える手段はあると、以前もこの場で申し上げました。もう一度検討していただければ」
「それは却下だよ」
 アルジマールの幼い声が、それを感じさせないほどきっぱりと響く。
「封術だろう、黒竜戦の。君があの時、黒竜と共に封術の中に入ったのは、初めからそうしようと考えていたものじゃないはずだよ」
 虹色の瞳がちらりと、深緑の絨毯を挟んだ正規軍へ、そして階のファルシオンへ向けられる。
「王太子殿下の御前でこの言い方をするのを、他意はないと流して欲しいけど、あの時は黒竜の危険と、十八年前の争乱の中心にあった剣士の氏族ルフトの末である君への危惧と、それを同じ秤に乗せていた。だから君が封術に巻き込まれても術をそのまま続行した」
 四年前のことだ。
 その時も西方軍が対応した。
 その中心だったヴァン・グレッグもウィンスターも、ボルドーも今回の戦いで失われたことを想い、アスタロトは改めてこの戦いの激しさに深い息を落とした。
 あれは全ての始まりのようだった。
「巻き込まれた君は結果的に剣を覚醒させ、黒竜を斬った。あれと同じことを意図してやろうとしたって――」
 そこまで言って、アルジマールは盛大に眉をしかめた。
「まさか君、剣が戻ることまでなぞろうとしてるんじゃないだろうね?」
 アスタロトがはっと顔を上げ、レオアリスを睨む。
「そんなの、駄目だ。無茶苦茶過ぎる」
「可能性は高いと考えます。今のままでは私は十分な戦力とは言えません。ならば何で補うか、考えた上での提案です。可能性の高い手段があるのであれば、それを取ることは必要ではありませんか」
「反対だ。そもそもナジャルを捕らえるほどの封術なんて現実的じゃないし」
「アルジマール院長の結界は以前ボードヴィル周辺を囲もうとしたように、広範囲で機能させられるでしょう。アルケサスのナジャルの出現先に敷設しておけば」
「僕を過労死させるつもりかな。捕縛陣と、転位陣、その上で更に封術? それを同時にやれって? 無理だ無理。期待してくれてるところ悪いけど、もうこれ以上僕も余剰はないよ」
「いずれか一つは法術院が担えば院長ではなくても可能だと考えます」
「出現位置がずれたらおしまいだし。ていうか君もしつこいなぁ。いや、なんとなく最近分かってきたけど」
 アルジマールは肩を竦めるようにして息を吐いた。
「いいかい。こんな時だ、僕は決して、君一人の命を惜しんで言っているわけじゃない。僕だってこの戦いを終わらせるのに必要であれば、自分の命を法陣にぶち込む覚悟くらいはある。その上で、君の提案は法陣敷設の観点から却下したい。僕が言ってるのは全体効率の話だよ」
 呆れた色を隠さないまま、アルジマールは場を見渡した。
「まあ他に、大将殿の提案が最も確実だと考えているひとがいるなら、その考えを聞いた上で判断してもいいとは思うけど」
 列席者達が互いに視線を交わす。
 さざめきが流れ、ただ発言は無い。
 アスタロトは彼等の発言を妨げないようぎりぎりまで我慢し、誰も発言しないのを確認し、声を張った。
「満場一致で反対だな。全然そんなやりかた確実じゃない。お前が」
 言葉を一度、飲み込む。
「ナジャルに、喰われたら? ナジャルは喰って、使役するんだろう」
 アスタロトの言葉に謁見の間に沈黙が落ちる。
 見交わす視線には先ほどはあった検討の余地を消している。
 ロットバルトがベールと、そして階のファルシオンへと瞳を向ける。
「私も、アスタロト将軍、アルジマール院長のお考えに同意します。これまでの情報を踏まえれば、黒竜とナジャルを同等に考えるのは賢明とは言えません。首尾良く封術に押さえ込めたとして、たった一人が相対してナジャルを滅ぼすことが可能かどうか――。逆に確実性は落ちるとも考えられます。そうなれば単なる戦力の分断に過ぎない。財務院の立場の私が今更戦術を論じるものでもありませんが、戦力を自ら分断する策は戦術において悪手です」
 場の意思は一人を除き、ほぼ同じ方向を向いている。
 それまで黙っていたファルシオンは、仮の玉座の肘置きを小さな手で掴み、身を乗り出した。
「レオアリスも、アルジマール院長も、アスタロト将軍も、兵達も――この国にいるみんな、戦いが終わってからもこの国に必要だ。そのための方法を考えたい」
 レオアリスはファルシオンを見上げ、顔を伏せた。
「――承知致しました」
「アルジマールも。自分の命で法術をおこなおうとしてはいけない」
「えぇ、僕もですか? 僕は別に、ものの例えで……」
 アルジマールはそう言ったが、ファルシオンの真剣な眼差しを見て顔を伏せた。
「心得ます」
 レオアリスとアルジマールが元いた場所へ一歩退がり、アスタロトはほっと息を吐いた。
 改めて、瞳を居並ぶ諸侯へ向ける。
「西海との最終の戦いに向け、派兵部隊を次のとおり編成する」
 列から抜け、アスタロトはベールの隣、きざはしの前に立った。
「――西方軍第七大隊左軍中将、セオドア・ワッツ」
 呼ばれ、ワッツは短く応じ、深緑の絨毯に進み出て膝をついた。
 アスタロトの声が続く。
「本日付で一階級昇進とし、第七大隊大将に任じる」
 大柄な身体を深々と伏せる。
「大任、謹んで拝命致します」
「また、第六大隊の現兵力を第七大隊に統合する。統合後、第七大隊はグレンデル平原に布陣する本隊、左翼に配備するものとする。可及的速やかに隊を掌握せよ」
「承知致しました」
「第五大隊大将、オスカー・ゲイツ」
 更にアスタロトはゲイツの名を呼び、先ほどと同様、第四大隊の兵を第五大隊に統合し、ゲイツの指揮下に置くことを指示した。
「第五大隊をグレンデル平原本隊、右翼に配備する。敵左翼を打ち砕く役だ。サランセラムに散った兵達の意志を継げ」
 進み出た絨毯の上で、ゲイツもまたワッツに並び、上体を伏せる。その面に刻まれた傷は七月の第一次サランセラム戦役で負った負傷の名残だ。
 立てた右膝の上に置いた手を握り込む。
「必ずや――、閣下の御高配に応えて御覧に入れます」
「西方軍第一大隊大将、エメリヒ・ゴードン」
 ゴードンは背筋を張り、進み出た。
 全身の神経を張り巡らせた所作で膝をつく。
「一階級昇進とし、西方将軍に任ずる。西方軍を所轄せよ」
 深々と上体を伏せる。
「ヴァン・グレッグ閣下に恥じぬよう――努めさせて頂きます」
 続いてアスタロトはタウゼンを呼んだ。
「正規軍の直接指揮を一任する。私に代わって西方、南方、北方、東方――四方の軍を全て掌握指揮し、西海軍との決戦に当たれ」
「御下命、心して承ります」
 タウゼンはアスタロトの前に跪拝し、静かに顔を上げた。
「ランドリー、ミラー、ケストナー、ゴードン」
 四人の将軍がタウゼンの後ろに膝をついて並ぶ。
「四方各隊は大隊の五分の一を治安維持の為に残し、残り全ての隊を以って当たるものとする。王都守護第一大隊についても各隊千を残した上で、サランセラム、そしてフィオリ・アル・レガージュへ当てよ」
 現有兵力七万二千の内、王都守護と国内治安維持の最低限の数を残し、総計五万七千六百の兵を西海との最終戦に当てることになる。
 真の総力戦だと、その数が物語っている。
「明後日の出兵に備え、各隊早急に隊を整えよ」
 アスタロトは身を返し、階へと向き直るとその場に片膝をついた。
 階の半ば、仮の玉座を見上げる。
 ファルシオンが立ち上がる。
 傍らのスランザールが手にしていた書面を広げ、差し出す。ファルシオンはそれを取り、幼い響きのまま、読み上げた。
「正規軍は西海軍本隊へあたり、今後新たな戦乱をくり返さないよう、これをたたく。法術院はグレンデル平原本隊、及びナジャル討伐において、その補佐を命ずる」
 一呼吸置き、ファルシオンは書面から顔を上げた。
「正規軍将軍アスタロト」
 幼い声が呼ぶ名と共に、アスタロトは一度顔を伏せた。
「近衛師団第一大隊大将、レオアリス」
 レオアリスは深緑の絨毯へと進み出て、同じく片膝をついた。
「法術院長アルジマール」
 アルジマールがその場で両膝を下ろす。
「三名には、ナジャル討伐の任を命じる」
 既に日は暮れ、謁見の間は掲げられた燭台の灯りが幾つも重なり場を浮かび上がらせている。
 ベールが再度、謁見の間に揃う十四侯の顔触れを見渡した。
「西海軍との戦いは厳しいものになるだろう。だが、この戦いを以ってそれも最後となる。その為にはまず、個の意志を全体の意志として揺るぎなく統一しなければならない。今回」
 声がその場を圧するように流れる。
「総大将は、国王代理、王太子ファルシオン殿下がその任に当られ、諸兵を統率される」
 謁見の間の空気が水を打ったように静まり、張り詰める。
 ベールを始め、その場の全ての者が階の半ばに立つファルシオンへ、膝を下ろす。
 ファルシオンは幼く小さな身体を階下へ向け、その身に国を負う存在としての威厳を纏った。
「この戦いを終わらせる。そして全ての隊、全ての者に、生きて帰って欲しいと、願っている。そのために、みなの力を貸してほしい」
「国王代理、王太子ファルシオン殿下の御旗の元に――」
 ベールが宣じ、上体を伏せる。
 身を伏せる衣擦れの音が波のように流れ、ファルシオンはその音を耳に、小さな手を握りしめた。










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2020.9.21
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