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王の剣士 七

<第三部>

第七章『輝く青』

二十

 
 ゴードンは声に、震えを抑え込んでいる。
「ゴードン、控えよ」
 傍らのタウゼンが厳しい声を発したが、ベールは片手を上げタウゼンヘ発言させるよう促した。
 ゴードンが立ち上がる。
「申し上げます――」
 眦を上げ張り詰めた面を西海穏健派の席へ向ける。
「そもそもの始まりは半年前、西海が突然、不可侵条約を破棄したことによるもの――、一方的に不可侵条約を破り、我が国へ一方的に侵攻しました。結果これまでに失われた我が国の将兵は、万を下りません――」
 抑えた声に隠しようもなく滲むのは、激しい怒りだ。
 それはこれまで半年間、抱え込んできた感情であり、ゴードン一人の感情に限ったものではない。
「ヴァン・グレッグ閣下を失い、ウィンスター、ホフマン、グィードを失い、近衛師団に於いては総将アヴァロン閣下を失った」
 グランスレイが素早く左隣に座るレオアリスへ視線を流す。その双眸が意外さを表し、僅かに瞠られる。
「誰一人、ここで失われると定められていた訳ではありません。西海の侵攻さえなければ失われずに済んだのです。和平は――」
 グランスレイから見たレオアリスの表情は、ゴードンの言葉に触発される様子はない。
 ゴードンは震えを押さえ込んだ声で続けた。
「和平は、そもそも西海が不可侵条約を一方的に破らなければその必要も無かったのです。失われた命への償いなくして、和平などあり得ないのではありませんか。少なくとも、兵達、そして戦場で命を落とした兵達のその家族は、到底納得致しますまい」
 溜め込んでいた言葉を全て吐き出し、ゴードンは両肩をゆっくり、何度も呼吸に上下させた。
「その発言は理解できる。恐らく多くの兵に共通する想いだと言うことも」
 ベールはそういい、ゴードンへ着座するよう命じた。
 ゴードンが深く頭を伏せ、腰を下ろす。
「和平の大前提として、そこを議論せねば話は進まないだろう。だが、問題はレイラジェ殿方に、それを求められるか・・・・・・どうか・・・にある」
 言葉の響きに、視線は再びベールへと集中した。
「失礼ながらレイラジェ将軍、今回、この初回の会談においては、まずその確認をさせて頂くことが本旨でもある。即ち、あなた方穏健派が和平への意志だけではなく、和平を締結する体制、組織、そして締結後に和平を維持する体制、組織を持ち得るか」
 黒い双眸は遮るものもなくレイラジェ達へ向けられている。
「全てはそれに基づく」
 議場は先ほどのゴードンの滲ませた激しい怒りも拭い去り、ベールの言葉と、そしてレイラジェがどのように返すか、その答えを待ち静まっている。
 レイラジェは椅子の上で昂然と顔をもたげた。
 その姿には、この場の空気に臆するところは欠片もない。
「我等は、新たに国を樹立する。先ほども申し上げたように、弱者がただ喰われるだけではない、新たな国家を」
 ミュイルもアルビオルも、上官へ向けていた視線を、正面へ戻した。
「我が第二軍が現在、ナジャルに抗する西海唯一の組織ではある。西海軍現有兵力八万三千の内、およそ一万八千が我が第二軍にある。海皇亡き今、ナジャルを倒せば、この数は少なくとも逆転すると考えている」
 手持ちの情報は全て卓に載せたと示すように、レイラジェは卓の上で両手を開いた。
「貴国もまた、ナジャルを倒す必要がある。そしてナジャルを倒した後はいずれかの組織と、現在我々が囲んでいる卓と同様の卓を囲む必要があるだろう。我が現有組織は確かに、国家として条約を締結するには不足している。当然、選択権については貴国に比重が大きい。だが戦乱終結後の貴国の交渉相手として今現在、そしてこの先を見た際にも、我々こそが唯一の相手方であると認識している」
 ベールは理知的な面に微かに笑みを浮かべた。
「私もまた、将軍と同様の認識だ。その認識に相違のある者は考えを述べてもらいたい」
 スランザール、アスタロト、ランゲ、ヴェルナー、そしてアルジマールへ、順に視線を向け、そして正面へ戻す。
「レイラジェ将軍、まずは今日、互いに話すべきことは話したと考える」
 レイラジェはベールの視線を受け止め、頷いた。
「次は和平の締結について互いの条件と状況を持ち寄ることとなるだろう。その上で、戦乱の終結後――王太子殿下臨席のもと、話ができればと考えている」
 ベールがファルシオンの臨席に言及したことで、アレウス国内部での和平条約締結への道筋は、ほぼ定まったと言える。
 次の会談を五日後――、十一月二十二日と約し、アレウス国と西海穏健派との和平に向けた会談は一旦の幕を下ろした。








『閣下』
 初めに通された来賓の間に戻り、ミュイルはゆっくり息を吐いた。
 窓の外は空の青が埋め、どことなく光の揺らぐ海中に戻った想いも抱かせる。
『まずは第一歩を順調に踏み出せたことを、喜びたいですね』
 そう言ったものの、つい先ほどまで自分を捉えていた感覚を思い起こし、自嘲気味に笑みを刷く。
 彼の意識は会談の間、卓の正面で向き合うベール達より、そして怒りを滲ませたゴードンよりも、随伴者席にいた一人に向けられていた。
『ずっと肝が冷えておりました。いや、覚悟をしてここへ来たとはいえ。ヴィルトール殿が彼の傍らにおられたが、俺はいつ身を断たれてもおかしくないと構えていたほどです』
 レイラジェも頷く。
『だからこそ海皇は、彼のイスへの帯同を認めなかった。アレウス国王の為であれば彼の剣は、海皇の身を脅かす可能性になると考えたからだろう』
 喉元に剣を添えられているような感覚。それを会談の間絶えず感じていた。
 ごく抑え込まれた――抑え込もうとされていた。
 それがほんの束の間、緩んだのは、レイラジェが皇太子のことを口にした時だった。
揺れた・・・ように感じられた)
 それがどのような理由故か、レイラジェには測りようがなかったが。
『ミュイル、アルビオル』
 続けて中将二人の名を呼ぶ。
 四人の部下達はレイラジェへ向き直り、姿勢を正した。
『早急にフォロスファレナに戻り、今日の大言壮語を現実のものとするよう動かねばならん。ナジャルがいつ地上へ兵を出すか、いつまで我々を放っておくかは、ナジャルの気紛れ一つに過ぎん』
 ミュイルが胸の中央に掌を当てる。
『我が軍――いえ、ナジャルが掌握する兵数は既に従前の十二万から大きく数を減らしております。地の利もなく、最早数の利も無い以上、兵を出すとすれば次が最後の動きになると考えます。ただ、だからこそ今兵達を動かすのはナジャルへの恐怖だけであり、ナジャルを倒し得れば閣下の仰った通り、我等へ合流する者は少なからず出てくるでしょう』
 アルビオルも無言で一度、頷く。
 レイラジェは同意を返し、窓の外の空へ向けた双眸を細めた。
『まずは一歩――皇太子殿下の理念へは、この一歩分、確実に近付いた』







「レオアリス、ちょっといいかな」
 正議場を出て近衛師団の士官棟へ向かおうとしていたレオアリス達へ、大階段の手前に立っていた二人のうち一人が片手を上げ呼び止めた。
 レーヴァレインとティルファング、呼び止めたのはティルファングの方だ。
「少し話したい。周りに迷惑にならないところでね」
「ティル」
 レーヴァレインの嗜める声に、ティルファングは唇を尖らせた。
「僕じゃないよ」
「上将」
 フレイザーの気遣う響きを受け、レオアリスは彼女へ首を振ってみせた。
「少し話をしていく。フレイザー達は先に」
「いえ、お待ちしてます」
「――ありがとう」
 フレイザーはヴィルトールと瞳を交わし、それからレオアリス達が話す場所をどこにするかと、廊下を振り返った。




 ティルファングはずかずかと庭園を歩いて、昨日カラヴィアスが立っていた石造りの手摺りまで行くと、後から来るレオアリスを振り返った。レオアリスがまだ歩いているうちに遠慮のない言葉を放り込む。
「君の剣の気配が僕等のところにも伝わってきた。まさかここで剣を抜くのかと思ったよ」
「――」
 レオアリスは立ち止まり、ティルファングの面を見つめた。
「君は本当に未熟なんだな。この僕に言われるなんて相当だ」
 太陽が上空の雲に隠れ、周囲が淡く陰る。
 陽の光が戻る僅かな間、レオアリスはただティルファングと向き合った。
 再び射した陽光を右の手のひらに掬うように受ける。
 やや離れた庭園の一角でその様子を見つめていたフレイザーには、その仕草は掴めないものをそこに見るように感じられた。
 レオアリスは手のひらから瞳を上げた。
「――剣の主を、持ったことは」
「無いね。持つ気もない。長は剣の主なんて必要ないって言ってる。持たない方がいいって。僕も同感だ。ザインとか、君とかを見てりゃね」
「なら、俺は今の自分の感情を、どう説明すればいいのかわからない」
 ティルファングがぴくりと眉を跳ね上げる。
「ああ、そういうの――そういうの、そりゃそうだけどなぁ! 何ていうかさぁ!」
 もどかしそうに声を苛立たせ、ティルファングは可憐な少女のような顔を膨らませた。
「もう、何で長は僕等を残したのかなぁ。レーヴっ」
「ティルを残したのは、今君がやってる役割の為だと思うけどね」
「どういうことさ」
 睨むティルファングには答えず、レーヴァレインは二人の側に歩み寄った。
 レオアリスへ、穏やかな瞳を向ける。
「レオアリス、ティルは感情のまま言ってるけど、それが今の君に必要だ。本来の君は違うんだと思うけどね、君は感情をもう少し、自分自身に見せた方がいいし、その上でそれを理解し押さえる必要がある」
 三人の瞳は同じ漆黒だが、レオアリスのそれだけは暗く、光を吸い込むようだ。
「君は今は、全く薬の影響を感じてないんじゃないかな?」
 剣を戻す為の薬がもたらす身体の内側を引き裂くような苦痛は、まるでその影を潜めているようだ。
 レオアリスの沈黙をレーヴァレインは肯定と受け止めた。
「長は君に問いかけただろう。何の為に剣を戻したいのか。その答えがないと右の剣は戻らないと思うよ。そしてその答えは、多分」
 レーヴァレインは労わるように、ただきっぱりと告げた。
「君が前を向かないと手にできない」









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2020.9.13
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