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王の剣士 七

<第三部>

第七章『輝く青』

十九

 
「即時停戦は可能か」
 ベールが投げ掛けた端的な問いに、レイラジェは束の間言葉を選ぼうとし、それを止めた。
「――困難だろう。ナジャルの存在がある限り。あの存在が在り続ける限り、或いは奴が飽きない限り、この戦いが終わることはない――、いや」
 言い直そう、とレイラジェは円卓を挟むアレウス国側の列席者へ、取り繕うことのない視線を向けた。
「両国の軍が疲弊し戦力を使い果たしたとしても、ナジャルは気に留めぬだろう」
 ベールの問いはレイラジェの――西海穏健派、そして西海の現状を図る為のもので実際に即時停戦が可能だと考えたものではない。
 だが、明確に否定したレイラジェの言葉は、そうと理解していても場に重く落ちた。
「ナジャルは喰らう存在だ。我等が西海に下る遥か前から西海の生命には恐怖の対象だった。今の西海のままでは永遠に、その恐怖に支配され続ける。もしくは喰らい尽くされて終わるか」
 停戦の為には、まずその現状を変えなければならない。
 ベールが頷く。
「我々は一度、この王城に現れたナジャルを見ている。貴殿方ほどではないが、彼の者の在り方は理解できる」
 投影ではあったが、ナジャルは王城の謁見の間に現われ、その深淵のような本質の一端を垣間見せていた。
 喰らう存在だと、そう言ったレイラジェの言葉は今この場にいる誰にも理解できた。
 ロットバルトは斜め後方の席のレオアリスへ、視線だけを投げた。あの時直接的にナジャルと対峙したのはレオアリスただ一人だ。
 あの時の彼がナジャルの存在をどう捉えたのか――
 自分一人の剣ではナジャルを倒すのに不足すると、そう言った背景には、あの時ナジャルと向き合った感覚があるはずだ。
(もう一人)
 ナジャルとイスで対峙しただろうアスタロトも、唇を引き結び黙している。
「では、今回の侵攻、西海の利はどのようなものか――我々アレウス国としては、無益な戦いは避けられるのならばそれに越したことはない。それが偽らざる考えだと捉えて頂いて構わない。西海が地上に侵攻する利について貴殿のお考え、把握するところをお聞かせ願えないか」
「軍には得られる利はほぼ無いと言っていい。先ほども申し上げたとおり、第一軍将軍フォルカロルは地上への復権の望みを持つが、多くの将兵達の中で、不利な地上へ敢えて打って出てまで地上に侵攻したいと考えている者などごく僅かだろう」
「ならば――」
 ベールとは違う、尖った声が後方から上がる。
 西方将軍代理として随伴者席にいたゴードンだ。ゴードンは思わず声を上げた自分自身の失態に気付き、不礼を詫びる言葉と共に顔を伏せた。
 だがゴードンが何を言わんとしたのか、アレウス国側には――レイラジェ達にも彼が飲み込んだ言葉は浮かんだだろう。
 発せられなかった言葉が指先に刺さった棘のように、互いの中に引っ掛かりを生んでいる。
「僕も発言していいかな、大公」
 アルジマールは場の空気を気にした様子もなく右手を上げ、ベールが頷くのを見てレイラジェへやや身を乗り出した。
「お初にお目にかかります、僕は法術院長を務めるアルジマールと申します、レイラジェ将軍。単純な質問だけれども」
 レイラジェが返礼に一度面を伏せる。
「今回の出兵に不賛同な人たちを貴方が纏めて、大勢たいせいとして出兵を拒めば、いくらナジャルの力が強大でも出兵自体は叶わないんじゃないかな」
 レイラジェの傍らで、ミュイルとアルビオルの目が自らの上官へ流れる。
「――我々の国は、弱者は強者に喰われる存在だ。海皇は西海に降りて千年、その在り方で統治し続けてきた。尤も海皇の統治以前の西海もそう変わりはなかっただろう。ナジャルが駆り立てる限り、兵達はナジャルの腹に入る恐怖より不利な地上での戦闘を選ぶ」
 レイラジェが言っているのはたった一言だ。
「つまりは、ナジャルを倒さなければ終わらない、ということだね」
「残念ながら、そうだとお答えする。そして我等――かつての皇太子殿下は、弱者がただ喰われるだけの国の在り方を変えたいと願っておられた」
 答えながらふと、レイラジェの視線がアルジマールの後方へ動く。すぐに卓のアルジマール達へと戻された。
「海皇は地上を望んだが、その望みは地上を西海と同様に支配することだ。ナジャルもまた、ただ地上を喰らおうと欲しているに過ぎん。あの方――四百年前に亡くなった皇太子殿下、ただお一人だけが――」
 声に力が滲む。
 力と、そして。
「西海を、この地上と同様、法と秩序を以って、弱者が弱者故に支配され食われることなく、生きられる国をつくりたいと願っておられた」
 レイラジェの面を悲嘆と、後悔と、誇りが彩っている。
 静かな議場の中に、アスタロトの言葉がぽつりと落ちた。
「ファー、は……」
 俯きがちだった顔を上げる。
「ルシファーは皇太子の想いを、知っていたの」
 レイラジェは銀貨のように光を弾く双眸を見開き、束の間、アスタロトを見た。
「――ご存知だった。あの方は当初から、皇太子殿下と想いを共有され、その為のご自身の役割を考えておられた。我等は……四百年前、皇太子殿下の理念にも、あの方の想いにも、応えることはできなかったが――」
 アスタロトはレイラジェをじっと見つめ、唇を微かに綻ばせた。
「ありがとう。彼女は私個人にとって、大切な友人だった。彼女の想いの一端を見せてくれた、貴方の言葉に感謝する」
 ベールへ私的な発言を詫びようとしたアスタロトを、レイラジェは右手を上げてとどめた。
「あの方と我々は、皇太子殿下が失われて以来袂を分かち、この戦いに於いても交わることはなかった。だが、私がナジャルに喰われかけた時・・・・・・・、あの方のお陰でこの脚一本で免れた」
 レイラジェの左手が卓の下で左膝を包む。この場の誰からも今目にすることはできないが、その左脚は膝から下を義足で補っていた。
 あの場にルシファーが現われなければ、レイラジェは今ここにはいなかっただろう。
「それについて私は、友人である貴方に感謝と――謝罪を伝えねばならない」
「謝罪……?」
 何に対してなのかと、アスタロトは銀色の瞳を見返し、次の言葉に息を呑んだ。
「恐らくあの方はナジャルと相対し、イスで命を落とされた」
「――え」
 真紅の瞳が瞬く。「いつ……」
「七日前だった」
 後ろにずれた椅子が大理石の床に引きずる音を立てる。
 アスタロトは卓に両手をつき、立ち上がっていた。
「七日――」
 十一月十日。ボードヴィルでの戦いが終結した日。
 アスタロトがルシファーと、ハイドランジアで対峙した日だ。
 瀕死の状態のまま、彼女は目の前から消えた。
 アルジマールはもう追う必要は無くなったと言ったけれど、アスタロトは、どこかで彼女は
 生きているのではと、思って――
 願っていた。
「アスタロト」
 ベールから着座を促され、アスタロトはまだ茫然としたまま腰を下ろした。
 アルジマールがその様子へ虹色の瞳を向け、場を引き取る。
「西方公が、相当の負傷はあったとは言え――命を落とすほどか。それはあまり聞きたい情報じゃなかったな」
 その場の問いかける視線へ、アルジマールは虹色の瞳を返した。
「僕は唯一、彼女はナジャルに単体で抗し得ると思っていた」
 明瞭に告げられた言葉は、音を奪うような濃密さを帯びていた。
「彼女の能力であればナジャルがいくら巨大であろうと、呼吸を断つかそれとも空気そのものを抜いちゃうか・・・・・・、それで終わる」
「……御方が万全であれば、或いはその結果になったのだろう」
 アルジマールは束の間、口を噤んだ。
「道をたがえるというのは、つまりはそういうことだね」
 その幼いといえる面を円卓に巡らせる。
「ナジャルに対するには――倒すには、今ある戦力を全て結集しなければ難しい。僕は和平に賛成だよ。ナジャルを倒した先にしか停戦は無い。当然和平も同様だ。具体的な話をしようよ、大公」
「法術院長の言の通り、前段の確認はこの辺りで良いだろう」
 円卓で二つの国が向かい合う。
 会談が始まって、既に半刻近くが経過していた。
 この議場には窓が無く陽の移ろいは感じられないが、それでももう進める段階だとそう思えた。
「では、和平を目指すにあたり必要となる事項を共有したい」
 アレウス国側の随伴者席で、身動いだのは、西方将軍代理ゴードンだ。ゴードンは膝の上で両拳を握り締めていたが、意を決したように顔を上げた。
「僭越ながら、大公閣下、将軍閣下、分不相応の立場ではございますが、どうか、発言をお許しください」
 進みかけていた場の視線が、顔を強張らせているゴードンへと集まった。








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2020.9.13
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