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王の剣士 七

<第三部>

第七章『輝く青』

十七

 
 ロットバルトはレオアリスを素早く見たが、レオアリスの表情は、明暗を浮き立たせる陽射しの中でも変化は伺えない。
「直接的な原因ではありません。例えばザインさんのような、外傷として失った訳ではなく」
 答える声にも揺らぎはない。
「俺の剣の主――国王陛下の不明によるものです」
 ロットバルトはアルジマールと視線を交わした。午前中の会話が二人の頭の中にある。
 カラヴィアスの投げた危うい問いに変化は窺えず、だが王の『不明』と言う。
 その響きはやや頑なにも聞こえる。
「西海との不可侵条約破棄――古い盟約の破棄が切っ掛けだと考えています」
「なるほど。内因的なものということか」
 カラヴィアスにそのレオアリスの様子がどう伝わっているのか、彼女の様子からは読み取れない。
 ただその言葉は、レオアリスの抱えるものに切り込む鋭さがあった。
「なら、その原因を取り除く必要があるだろうな」
 陽射しのもとで、レオアリスの表情は変わらない。
 カラヴィアスはレオアリスを手招き、開け放したままの硝子戸を周り室内へ入ると、空いている椅子の一つに腰掛けた。
「まあ、焦ることはない。何日で戻る、何日で戻らなければ効果がなかったと、もともとそんな明確な基準は無い代物だ。西海との戦いが始まるまでの骨休めと思ってのんびりしていればいいさ」
 レオアリスは束の間、まだ陽光の注ぐ庭園に立っていたが、硝子戸を潜るとカラヴィアスと向かい合う椅子に腰を下ろした。
「剣については、もう少し様子を見ます」
 そう言って、姿勢を正す。
「今日、話をさせて頂いたのは、もう一つ、お願い事があったからです」
「何だ」
 カラヴィアスは卓の上に置かれていた茶器に手を伸ばし、既に温度のない紅茶を一口含んだ。
「西海戦――ナジャルとの戦いに、ルベル・カリマの助力を、頂けませんか」
 漆黒の瞳を上げ、手にしていた茶器を受け皿へ戻す。陶器が触れ合う固く小さな音が立つ。
「それは無いと、断ったはずだが」
「理解しています」
 レオアリスを見つめ、口元に笑みを浮かべる。
「どこが理解しているのだか――やはりお前はなかなかの頑固者だな」
 カラヴィアスは指先で薄く繊細な茶器の腹に軽く触れ、琥珀色の液体に生じた波紋を眺めた。陽射しが微かな波に反射し、散る。
「確かに、剣が戻らない状況ではナジャルと対するのは不安があるだろうな」
「そう考えています。正直に言えば――風竜に対して、俺は抗し切れず自軍に損害を与えました。今のままでナジャルに対すれば、前回の倍どころではなくかなりの被害が生じるでしょう。風竜には周囲を巻き込む意図はまるで無かった。でもナジャルは違います」
「だろう。あれは喰らうだけの怪物だ」
「俺は、できる限り兵達に被害を及ぼしたくない」
「それは甘い考えだ。戦う以上――国同士の戦争である以上」
「分かっています」
 カラヴィアスは肩を竦めた。
「分かっているか? お前、本当に頑固だな」視線がロットバルトへ動く。「近衛師団では苦労しただろう」
 ロットバルトの笑みに同じく苦笑を浮かべる。
「極力少なくしたい。その為には、俺の剣――今の一振りだけでは不足です、絶対的に」
 視線で言葉の先を促す。
「貴方は先日、戦い方を考えろと言いました。だからそれを、次の戦いで教えてもらえませんか」
「――戦場で、直接か」
「はい」
「お前なぁ」
 カラヴィアスは溜息を吐いたが、否とも応とも答えず、会話の矛先を変えた。
「まあまずは、ナジャルについて教えてやる。対策も立てやすいだろう」
 口を閉ざしたレオアリスを見て笑う。
「海皇が西海に降る以前から存在する古の海の王。その本体は大海蛇だ。赤竜オルゲンガルムの話では、体長はおよそ四十間(約120m)、身を鎧う鱗は通常の剣や槍は通さず、法術で捉えることも困難だという」
 アルジマールが被きの下で虹色の瞳を揺らがせる。
「僕は捉えるつもりだけどね」
「ふふ、まあそうせねば奴に向き合いようもない。好き放題喰われて終わる」
「能力は――」
 慎重な響きでロットバルトが尋ねる。
「四十間もの巨体で暴れられるだけでも相当被害が出るが、一番は使役だろう。貴国が先の戦いで身を以って知ったように――」
 ヴァン・グレッグ率いる西方軍およそ二個大隊を、ナジャルは喰らった。
 喰らい、
「吐き出し、使役する」
 ロットバルトは意識を、傍に座るレオアリスへ向けた。
「使役された者は既に死者だ。首を落としてすら或いは動く。喰らうというだけでも厄介だが、使役することでナジャルは無限に兵を作り続けることができる。それを掻い潜り、更に本体を倒すのは至難の技だ。我々の剣であっても、あの鱗を通すのは並大抵の技ではないだろう」
 窓から降り注ぐ陽射しが格子に区切られた影を彼等が座る卓の上に落とし、庭園は陽光の中に横たわっている。
「勝ち目が無いということかな。まあ勝ち目はなくても僕等は勝たなくちゃいけない、そうしないと終わらせられないけど」
「だからそう簡単に、我々が参戦すると私が答える訳にはいかない。氏族を預かる責任がある以上」
「剣士は勝てる戦いにしか参戦しないと言っているように聞こえるね。保障付きの戦いだけ参戦しているから、その剣が恐れられているわけかな」
「馬鹿にするな。僕達は――」
 立ち上がり尖った声を出したティルファングの腕をレーヴァレインが押さえる。
「ティル。長が話してる」
 ティルファングはカラヴィアスを見て、不服そうな頬をしたままもう一度椅子に座り直した。
 カラヴィアスは笑みを浮かべ、アルジマールへ改めて顔を向けた。
「当然我々は、そうした・・・・相手とこそ戦うのを好む。だからこそ滅びに瀕してもいる」
 カラヴィアスの言葉は静かに室内に落ち、意識に沈み込んだ。
 レオアリスはゆっくりと息を吐いた。
「――解りました」
「勝ち目さえあれば、参戦は可能なのかな」
 そう言い募ったアルジマールも、もう挑発までしようとは考えていない響きだ。
「さあ、どうだろうな」
 カラヴィアスはそう言って、もう一度微笑んだ。



 ロットバルトは財務院へ戻る為、カラヴィアス達と共に部屋を出た。
 彼等が滞在している居室の前まで並んで歩く。
「王太子殿下へは、先ほどあなた方が今日発つ意向を書面でお伝えしています。後ほどご連絡を」
「無理をして頂かなくてもいい。礼を失しない程度に辞意を伝えさせて頂ければ」
「王太子殿下がお会いになりたがられるでしょう」
 カラヴィアスは頷いた。
「殿下はお可愛いらしい方だ。年齢とはかけ離れて聡明でもあられる。その行く道を支えたいとこの国の方々が考えらえるのも良く分かる」
 居室の扉の前で、ロットバルトはカラヴィアスと改めて向き直った。
「私は彼に、その剣を以ってファルシオン殿下を支えてもらいたいと、そう思っています。それが今の彼にとって必要な存在意義でもあると。だからこそ、あなた方にご協力頂きたかった」
「そう志しているようには見えるが。不安定だな、確かに」
「剣が戻らないことに現れているように思えます」
 カラヴィアスはそれには直接的には答えず、ここまでの礼を述べた。
 ロットバルトも踏み込んでは問わず、一礼して歩き出す。
「ヴェルナー侯爵」
 呼び止められ、横を通り過ぎたところでロットバルトはもう一度カラヴィアスと向かい合った。
「貴方が彼の立場に立って動いてくれていることに感謝する。それについて我々が感謝する義理ではないかもしれないが――」
 漆黒の瞳が廊下の淡い光の中でじっと覗き込む。
「とは言え、興味がある。貴方の行動はどういう理由からなのかな。国家の利か、侯爵家にとっての利か、個人的な利か」
「いずれの利も」
 カラヴィアスが双眸を細める。
 その後ろでティルファングがカラヴィアスよりもきつい光を瞳に宿した。
「国家の利はご想像の通り。彼の力が戦力として必要であり、彼がこの国王のもとにあるということには、政治的面も含めて多くの利があるでしょう。ヴェルナーの利としては、我が長老会などは彼への助力、後ろ盾をするのであれば、彼にいずれ近衛師団総将まで昇り詰めてもらいたいと考えています。それがヴェルナーを利する」
「そんな話をここで口にしていいのか」
 近衛師団総将に、と。カラヴィアス達は知らないが、ロットバルトが非公式の場とは言えそれを口にしたのは初めてのことだ。
「構わないでしょう。単なる将来像の一つです」
「では、個人的な利は。貴方が動く理由はそれが最も大きいのだろう」
 ロットバルトは蒼い瞳をカラヴィアスへ据えた。
「――何故、そうお考えになるのです」
「何故? まさか貴方は、自分のことだけ見えていないということかな」
 カラヴィアスの口調にロットバルトは苦笑に近い笑みを返した。
「いえ、まあ、そう周囲にも見えているでしょうね。しかしなるほど、納得していただける理由を一つ挙げるとすれば――そう、彼は私に道を示してくれた」
 カラヴィアスは弓なりの眉を上げた。
「道か――どんなふうに」
「叩きのめされただけですよ」
 ほお、と瞳を輝かせ、腕を組む。これまでで一番興味深そうだ。
「物理的に?」
「両方です」
 一言で返り、破顔する。
「それはいい、その話は気に入った」
 快活な響きでそう言い、先ほどまでいた部屋を見透かすように、来た廊下を振り返る。「そうか――」
「それにしては今のレオアリスは、他者に道を示せそうには見えないな」







 太陽が西の地平に、ほぼ水平に浮かんでいる。
 王都はその半分が影の中に沈んでいた。
 カラヴィアスは、彼等が初めに王都に降り立った着騎場に立ち、降り立った時とはやや異なる顔ぶれを見回した。
 レオアリスと、グランスレイ、クライフ、フレイザー、ヴィルトール。正規軍は南方軍第一大隊大将アルノー、ワッツ、タウゼン、アスタロト。
「急な出立にも関わらず、ここまでの方々にお見送り頂くのは光栄だ。またいずれ、お会いできる機会があればと考えている」
「本当に、そう思います」
 そう答えたのはアスタロトだ。
「あなた方には多くのお力添えを頂きました。改めてお礼を申し上げます。風竜との戦いについても――赤竜の鱗を頂いたことも」
 四騎の石榴の飛竜が今すぐにでも飛び立ちたい気持ちを表すように、翼を揺らしている。翼の起こす緩い風が何度か、髪や服の裾を煽った。
「礼には及ばない。あれは単なる切っ掛けに過ぎず、炎を戻したのは公ご自身の意思だ」
 カラヴィアスは手綱を掴み、軽く地面を蹴ると自らの飛竜の背に降りた。カロラスがそれに続く。
 ティルファングも石榴の飛竜へと歩きながらアスタロトの前を過ぎ、じろりとその顔を見た。
「炎が戻ったからって浮かれてたら、ナジャルには到底勝てないぞ」
「そんなことない。私が焼き尽くす。そしたら参りましたアスタロト様って言えよ」
 ティルファングとアスタロトはお互いにガンを付け合い、同時に顔を逸らした。
「さて、これで発たせて頂くが――」
 騎上からその様子を見下ろし、カラヴィアスは苦笑混じりの声を落とした。
「レーヴァレイン、ティルファング」
 レーヴァレインが手綱に伸ばした手を止める。
「はい」
「お前達二人は王都に残れ。力になれることもあるだろう」
 ティルファングがぱっとレーヴァレインの顔を見上げる。喜色がティルファングの可憐な少女のような面を彩り、ティルファングはそれを抑える為にぷくりと頬を膨らませた。
 レーヴァレインがカラヴィアスへ向き直り、頷いた。
「承知しました」
「――それじゃ、参戦を……」
「それはあくまで、レーヴァレインの判断だ」
「有難うございます!」
 アスタロトはカラヴィアスを見上げ、それから顔を輝かせレオアリスを振り返った。
「レオアリス――」
 アスタロトと、カラヴィアスの声が重なる。
 アスタロトは口を閉ざし、一歩引いた。
 向き直ったレオアリスへ、カラヴィアスは黒い双眸を据えた。
「発つ前に、お前に一つ問おう。今すぐ答えを出さなくても構わん問いだ」
 地平線に消えかける太陽の光線が、斜め下から着騎場に差し込み、長い影を壁と高い天井に投げ掛けている。
「お前、何の為に剣を戻したいのか、定まっているか――?」






 カラヴィアスが南方アルケサスへ去り、それと入れ替わるように、翌日、十一月十七日――
 王都、王城の正議場へ、西海の使者が会談という目的のもと、立った。








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2020.8.30
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