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王の剣士 七

<第三部>

第七章『輝く青』

十五

 
 朝の九刻を回り、冷えて気持ちの良い空気の中、王城中庭の渡り廊下を歩く学術院生や法術士達の視線が珍しい姿を追って流れ、或いは通り過ぎた後で足を止める。
「ヴェルナー侯爵だ」
「お一人で?」
 ヴェルナーの来歴は渡り廊下を歩く学術院生ほど良く知っている。この渡り廊下の向かう先、王立学術院であれ文書宮であれ、また法術院であれ、どこを訪れても違和感はない人物だが、現在の立場とその外見に加え、供もなく一人というのがより目を引いた。
 それから、彼の前からちょうど歩いて来る、両手に広げた書物に頭を突っ込むようにして貪り読んでいる灰色の法衣を纏った小柄な人物――法術院長アルジマールの姿と。
「法術院長が」
「早朝から」
「歩いてる――」
 と良く分からない驚かれ方をこちらはしつつ、次第に近付いていく二人をその場の全ての視線が追う。アルジマールは一切気付いていないが。
 ロットバルトはアルジマールの一間(約3m)前で足を止めた。
「アルジマール院長、ちょうど良い所に。お話があって伺おうと思っていたところです」
 呼び掛けられたアルジマールはまだ書物に頭を突っ込んだまま、ふらふら歩き続けている。
 立ち止まっているロットバルトにあと数歩というところで、ロットバルトは手を伸ばしアルジマールが身体の前に広げている分厚い書物を取り上げた。
「何するんだ! 本読むのを邪魔するなんて最低の行為だ石像にしてや――あっ!」
 顔を上げたアルジマールは漸く相手に気付き、顔色を変えて一歩、踏み込んだ。
「君!」
「読書を中断される度に相手を石像にしていたら、貴方の周りは全て物言わぬ石になる。非常に迷惑ですね」
 残りの距離を詰め寄り、爪先立ちになってロットバルトの顔を睨み付けた。小柄なアルジマールはそれでも六尺(180㎝)をやや超えるロットバルトの胸の辺りまでしか届かず、子供が食ってかかっているように見える。
「君はよく平然と僕に声を掛けられるねぇ!」
「何かありましたか」
「何かありましたか?! じゃないよ! たった四日前だぞ!?」
「四日前――?」
 アルジマールから取り上げた書物を左手に抱え、ロットバルトは記憶をたぐるように瞳を細めた。
 アルジマールが更に一歩踏み出す。もう距離が無い。
「忘れたとは言わせないぞ! 僕が、僕がっ、この僕がっ! 剣士について知的探究を試みようとしたのを君は邪魔したじゃないか!」
 興奮して声が上擦っている。
 この広い中庭に十字に渡らせた橋状の渡り廊下は、王城と王立学術院や王立文書宮、法術院を繋ぎ、学術院生や文官、そして法術士達が絶えず行き来する場所だが、目の前の珍しく騒がしい状況に通りかかった全員足が止まっていた。
「大将殿とルベル・カリマの長がせっかく話をするってところを、君は! あろうことか僕を部屋に入れなかったんだぞ!!」
「ああ、その件ですか」
 そう言うとロットバルトは一旦、渡り廊下に立ち止まった学生達へ微笑みを向けた。注目していた十数人ははっと我に返り、そそくさと自分の目的の場所へ歩き出した。
「ここでは込み入った話が難しい、こちらへ」
 ロットバルトはアルジマールの法衣の背に手を当て、すぐ側の中庭へと降りる階段へ促した。
「ちょっと! 聞いているのか? 今僕は苦情を申し立てているんだぞ! 君と話をする了解もまだ」
「アルジマール院長」
「話をするならまず先日の詫びと今後の約束を」
「今、財務院では次の予算の骨子を議論しております」
「――」
 アルジマールはぴたりと黙った。
「私共ヴェルナーにも、この状況下で様々な方面から出資の依頼が連日舞い込んでいます。必要かつ有益な出資を惜しむ訳ではありませんが、とはいえその財源も無限ではありません」
「――」
 黙り込んだアルジマールへロットバルトはにこりと微笑み、渡り廊下からやや離れた庭園の中の東屋にアルジマールを連れ込――伴うと、六角形の壁に沿って廻らされた白い大理石造りの長椅子に互いに腰掛けた。
 アルジマールが背筋を伸ばす。
「お話を伺いましょう、ヴェルナー侯爵。この僕にできることがあれば何なりと」
 声の響きまで違う。ロットバルトは穏やかに微笑んだ。
「話が早い」
 アルジマールが唇を尖らせる。
「何をさせるつもりかな?」
「法外なことではありませんよ。この先の、西海との最終戦に向けた話です」
 アルジマールは腕を組み、白い大理石の椅子の上で背中を壁に預けた。
 壁は窓硝子の代わりに、繊細な透かし彫りが施された大理石の格子が嵌め込まれ、全体に光を呼び込んでいる。
「西海か……。十月半ばの王都襲撃以来、動きがないのが気になるね。とは言えあれで終わりってことは無いだろうし」
 いつ動きが出てもおかしくはない、と、虹色の瞳を揺らす。
「で、僕と法術院は、何をするの?」
「それ自体は明日、西海穏健派との初回の会談後、その情報、状況も踏まえて十四侯の場で協議します。それに従い近日中に最終的な派兵を行うことになるでしょう。派兵までの間に西海――特にナジャルとの戦いについて、対応策を綿密に検討、整える必要があると考えています」
「ナジャルか」
 双眸の虹色が濃さを増す。「あの存在はかなり厄介だ」
 かつて一度、王城の謁見の間へ現われた時が思い起こされる。王の防御陣が崩れていたとは言え、易々とこの国の中枢に現われ、そしてナジャルの吐き出した海魔は王都に多大な損傷を与えた。
 ナジャル自身があの時、王都を食らおうとしなかったことは幸いだった。
「倒そうとするなら大将殿の剣が必要だけど、剣は――」
「まだ戻る様子はありません」
「そうなの? それは気になるね。だから僕がちょっとお腹の中診てみようって言ったのに。今日診ようか――――――嘘です。何でもありません」
 アルジマールを斜めに見ただけで、ロットバルトは話を進めた。
「剣が戻るのを待っての派兵が望ましい、ですが、西海の動きは我々の都合に合わせてくれるものでもないでしょう。剣が戻る前に動かざるを得ないことも充分に考えられる。剣が戻ったとしても、それだけでナジャルを倒すのは容易ではない――場を整える必要があります」
 法衣の中でアルジマールが腕を組み直す。
「ナジャルを切り離したいよね、当然、風竜の時みたいに。まあ、ナジャルは敵味方お構いなしに喰らう。引き離すことは敵兵力の分断的には重要じゃないかもしれないけど、それでも自軍への被害は避けたいし」
「ナジャルとの戦闘に適切な場は、やはりアルケサスでしょう。ナジャルと西海軍を引き離す目的よりも、水辺から離れること、そして周辺への被害が抑えられることがアルケサスの最大の利点です」
「アルケサスか。僕もそこが良いと思う。けどナジャルをアルケサスに転移させるとなると、かなり大掛かりな法陣を組まなきゃいけないな。それにナジャルは王城に出現したみたいに、僕等の使う転位と近い移動の手段を持ってるようだし」
 まああれは影だったけど――と呟き、眉をしかめる。
「アルケサスに移動させたとしてもそこに留めておくのが困難だ。僕と、それから法術院から……それにはナジャル本体がどれほどなのか……」
「今日、午後にルベル・カリマのカラヴィアス殿と再度話をする予定です。貴方もご同席を」
 難問に眉を寄せていたアルジマールの表情はみるみる輝いた。
 ルベル・カリマと、レオアリスが話をする場に、ということだ。
「ほんとに?! いいの?!」
 飛び跳ねるように立ち上がり、ロットバルトの手を両手でぎゅっと握った。
「君は何ていい人なんだ! 僕にできることがあったら何でも言ってくれて構わないよ!」
 そう言うと、六角形に白い大理石の椅子が囲む東屋の中を軽やかな足取りでぐるぐると回り始めた。既にルベル・カリマの剣士に何を聞こうかとぶつぶつ考えを巡らせている。
「貴方に同席いただく目的は確かに彼の状態の把握もありますが、ナジャルへの対処の為です。念頭に置いてください」
「分かってる分かってる」
 ロットバルトの前で足を止める。
「となると、カラヴィアス殿にまたアルケサスでの戦いの了承をもらうのかな?」
「それもありますし、ナジャルについての情報も得ることができるでしょう。問題はその後です」
「後?」
「明日の十四侯の協議にもよりますが、その件で貴方に幾つか、事前にご相談したい」
「相談? どんな?」
 続くロットバルトの言葉を聞きながら、アルジマールは短く唸り、法衣の中で腕を組んだ。
「なかなか骨の折れる依頼だなぁ」
「万が一その状況になったら――いえ、貴方には失礼ですが、おそらくそうなるでしょう。その時点で対応しようとしても間に合わない」
「まあ、そうだね。僕も同感だ。打てる手はできる限り打っておく必要がある。とすると今から準備を始めてギリギリかな、新たに術式を組み上げなきゃいけないし。西海がいつ出て来るかによるけど、それでも最低で五、六日――うん、五日で仕上げたい」
 頷き、それから頭巾を目深に被ったままの首を傾げた。
「でも、大将殿はそう望むだろうけど君はそれでいいの? 君はっていうのも変だけど」
「そう望むでしょうし、何より戦うことは避けようが無い。であれば現状を十二分に生かせる手を打つ他ないと考えています」
 アルジマールは向かい合う椅子に戻り、腰掛けた。
「僕はもう一つ、ずっと気になってることがある。君は覚えてるだろう。正規軍のあのおっきい人が、五月の当初、ボードヴィルの戦場から上げてきた情報だ。あの後西方軍が壊滅して、その話はうやむやになってたけど」
 隠されていた虹色の瞳が、ロットバルトをしっかりと捉えている。
「陛下の姿を、戦場で見たっていう、兵士達の話」
 ロットバルトが返した視線にアルジマールは頷いた。
「僕はね、怖いことを考えてる」
 明るい日差しの中で、白い格子が作り上げる光と影の模様に彩られた六角形の東屋は、優美な鳥籠のようにも見える。
「兵士達は陛下の姿をボードヴィルの戦場に見た。でも、あのおっきい人はそれを海皇だと言った。でもアスタロト公の話では、陛下は海皇との盟約を破棄することが目的だった。盟約の破棄よってご自身が滅びることを是としておいでだったと」
 矛盾する三つの証言。
「その意味を君は当然考えただろうね」
 沈黙は肯定だ。
 アルジマールは息を吐いた。
 吐息はまだ十一月の温度を持った日差しに、白く凍ったように感じられた。
「ナジャルは喰らったものを使役する」









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2020.8.23
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