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王の剣士 七

<第三部>

第七章『輝く青』

十三

   大法廷は先ほどまでの密度と熱気をすっかり吐き出し、まるで違う場所のような姿を見せている。
 レオアリスは吹き抜けになった広い空間の二階から、手すりに手を置いて立ち、人の姿が消えがらんとした法廷を見下ろした。
 イリヤの刑が一定程度でも減刑されたことに深い安堵を覚える。
(殿下――)
 ファルシオンの様子はレオアリスのいるこの場所から――同じように関係者席からも傍聴席からも、そして法廷の中央に立ち裁判官席を見上げていたイリヤからも、高座を遮る薄い布に隔てられ、窺い知ることはできなかった。
 裁判の間どれほど、ファルシオンは二つの場所を隔てる布を払いのけ、イリヤの為に自らが声を上げたいと願い、それを押し込めたのか。
 ファルシオンが最悪の結果を聞かなくて良かったと、そう思う。
(それにしても、大公閣下まで動かれるとは)
 当然ファルシオンを慮ったこともあるだろうが、ベール自身がこの場に立った理由はもう一つを重視したからだろう。
 西海との和平、そしてそれをこの場に示し、公にすること。
(なら、多分――)
 西海と和平に向けた協議をする為の道筋が整ったのだ。
(ヴィルトールが戻ったから)
『ヴィルトール中将は今、西海に』
 扉が軽い音で叩かれる。すぐフレイザーが扉へ歩み寄り、それを開いた。
「上将」
 呼ぶ声の語尾が震えている。
 レオアリスは法廷へ向けていた視線を持ち上げ、振り返った。
 ゆっくり、息を吐く。
「ヴィルトール――」
 扉を潜ったのはヴィルトールだ。
 身に纏っているのは近衛師団の軍服で、先ほど法廷に立っていた姿のまま――、いや、七か月前の四月半ば、レオアリスがイリヤ捜索の任務の為に送り出した、その時の姿と変わらず。
(少し痩せた)
 ヴィルトールは灰銀の瞳を細め、笑みを浮かべた。
「上将」
「――良く戻ってくれた」
 ヴィルトールはレオアリスの前へ進み出て、片膝をついた。
「今、帰還致しました」
 そう言って上体を膝の上へ低く伏せる。
「まずは、作戦の失敗をお詫び致します。少将ファーレイ以下隊士四名及び法術院のデュカー殿を失ったこと、またその結果ルシファーに近衛師団の立場を利用されたこと、全ては私の指揮の過誤によるものでした」
 レオアリスは首を振った。
「いや、そうじゃない。俺の指示が――考えが甘かった。そのせいでヴィルトールには七か月もの間、負わなくてもいい苦労を負わせてしまった。ファーレイ達にも、デュカー殿にも」
 あの時、失踪したイリヤを追った先にルシファーがいることを想定していたにも関わらず、その想定と対応が甘かったのだ。
「でも、ヴィルトール、お前がいたからイリヤを救えたんだ。ファルシオン殿下はそのことをお喜びだろう」
 ヴィルトールは一旦顔を伏せ、レオアリスから促されて立ち上がった。
 フレイザーが近寄り、肩を抱く。
「ヴィルトール。帰って来てくれて、嬉しいわ」
「何とかね。クライフの奴は元気かい」
「この間のアルケサスで負傷して静養してたけど、でも、もうだいぶいいわ。貴方に会ったらすっかり良くなるんじゃないかしら」
「クライフが静養――」
 想像付かないな、と口の端を上げ、「この後師団に行くよ」と言った。
「喜ぶわ、すごく」
 フレイザーが頷いたのを見て、束の間その顔を見つめ、自分の口の中だけで「風向きが変わったかな」と呟く。
 それから再びレオアリスと向き直った。
「上将、半年も眠っておられたと聞きました。お身体はいかがですか」
「俺は、もう――」
 右手を鳩尾に当てる。
「今は剣が戻るのを待ってるところだ」
「剣が――」
 レオアリスは椅子に座るよう言って、自分も向かいの椅子に腰掛けた。法廷を見下ろせるように置かれていた椅子を向かい合わせにしている。
「ご家族にはもう会ったのか?」
「今朝王都に戻ったばかりですので残念ながらまだですが、報せだけは送りました。今晩、速攻帰ります」
 残業は断固としてしません、と言ったヴィルトールへ、口元を綻ばせる。
「当然だ、この上残業なんてさせたら娘さんに許してもらえない。しばらくゆっくり休むといい。休暇を」
「有難うございます。この件が整ったら少し長く頂きます」
 ヴィルトールがその先に何を言おうとしているのか、レオアリスは改めて先ほど法廷に立っていた彼の姿を思い起こした。
 その為にヴィルトールは戻って来たのだろう。たった今『この件が整ったら』と言った、それを進める為だ。
 一度視線を落とし、それを上げる。
「――西海に、いたと聞いた」
 ヴィルトールはレオアリスを見つめ、頷いた。
「はい。ヒースウッド中将が私とワッツを捕らえようとした際、私はイリヤの傍に残るつもりでしたが、思い掛けず西海の穏健派の手によってボードヴィルを脱しました。その先、先ほど上将が仰ったように西海で西海第二軍――レイラジェ将軍と会い、彼等の意志を知るに至りました」
 レオアリスの後ろに立っていたフレイザーが、ヴィルトールへやや咎める眼差しを送る。
「穏健派――」
 レオアリスは迷うように瞳を揺らし、ただそのまま逸らさずヴィルトールの上にとどめた。
「彼等には、感謝を伝えたい。ヴィルトールがボードヴィル陥落時、あの場所にいなかったことは、お前自身にとって幸いだったと思う」
 イリヤの傍にヴィルトールがいる状態でボードヴィルが陥落していた場合、ヴィルトールはそこで命を落としていたか、イリヤに対するヴィルトールの関わりを踏み込んで問わざるを得なかっただろう。
 穏健派がヴィルトールを救ったことは間違い無い。
 間接的にはイリヤの立場も。
「上将にはいずれ、近い内にレイラジェ将軍とお会いいただきたいと考えております」
「ヴィルトール」
 フレイザーが小さく呼び、ヴィルトールが返した笑みを見て、止めようと伸ばしかけていた手を戻す。
 レオアリスがゆっくり、息を吐く。
「――和平の、話は、そのレイラジェ将軍が穏健派を代表して行うのか」
「はい。穏健派はレイラジェ将軍を代表として進めることになるでしょう。先ほどの法廷で大公閣下が仰られたように、十四侯の協議の場でもこれまで議論をされて来ているとのことです。その為にロットバルトにだいぶ色々と押し付けて手探りしてもらいましたが、もうお互い直接顔を合わせて直接話をする段階だと思っています」
 イリヤを救うことにも繋がるだろう、とヴィルトールは続けた。
 ヴィルトールはファロスファレナを発つにあたり、レイラジェに、イリヤを救う為の協力を願い出ていた。
 それがヴィルトールが法廷で、西海穏健派が求める条件として提示したものだ。
 ボードヴィルを騒がせたイリヤ・ハインツが和平の橋渡しをすることをアレウス国が認めるのであれば、アレウス国が面子や尊厳に拘らず、真に和平を望んでいると受け止めることができる、と。
 彼等には何ら利はないが、レイラジェだけではなくミュイルや他の大将達もそれを受け入れてくれたのは、彼等の理念の根底に、失われた彼等の皇太子の存在があったからだろうと思う。
 ヴィルトールはレオアリスをじっと見つめた。
「西海に和平を――西海の変革を望む者がいるのは確かです。私は僅か十日ばかりの間、彼等の軍都ファロスファレナに身を置きましたが、その間に目にした街の姿は我々の王都と大きな違いはありませんでした。人々の暮らしも。私の役割は彼等との繋ぎと、彼等のことを伝え理解を促すことだと考えています」
「ヴィルトール、上将は今は」
 フレイザーはもう一度慎重にたしなめたが、レオアリスは首を振った。
「大丈夫だ、フレイザー。ヴィルトールの話をもう少し聞きたい。穏健派のことを。この先和平を進めるのなら、西海においてはその彼等が要になる。そうなれば遠からずファルシオン殿下もお会いになるだろう。どんな相手か、詳しく知っておく必要がある」











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2020.8.9
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