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王の剣士 七

<第三部>

第七章『輝く青』


 
 全ての視線がイリヤへと向いている。
「先ほど、ヴィルトール中将と貴方が口にした名は、近衛師団第一大隊中将、ヴィルトール殿のことですね。彼が一時期、ボードヴィルに身を置いていたことが報告資料に記録されています。貴方との関係は」
「それは」
 レオアリスは場を見下ろした。
 自分が関係者席にいれば良かったと、そう思う。少しなりと、この状況に対して責任を持つことができた。
 ふとイリヤの向こうへ視線を止める。
「――」
 ロットバルトが目線を上げている。
 ほんの僅か視線が噛み合い、ロットバルトはそれを裁判官席に戻した。
「近衛師団のボードヴィルへの関わりについては、私が在籍時のことではありますが、近衛師団の作戦行動に関わります。適切な人物からお話を頂ければと」
 裁判官席で幾つか言葉が交わされ、それから裁判長は事務官を呼び寄せた。
「近衛師団総将代理、グランスレイ殿に、証言を依頼します」
 事務官の案内で関係者席にいたグランスレイが席の間の狭い階段を降り、証人席に入る。
 ヒースウッドを証人台に置いたまま、グランスレイは裁判官席へ一礼した。
「グランスレイ殿。急な証言となり恐縮ですが、ご協力ください」
 グランスレイが頷き、裁判長は改めて、近衛師団のボードヴィルとの関わりを尋ねた。
「我々は、ボードヴィルに王太子旗を掲げる動きがあるという情報を得ておりました。問題の把握の為、近衛師団第一大隊より、中将ヴィルトールとその部下四名をボードヴィルへ向け、まずは関わっていると見られたヒースウッド伯爵邸へ潜入、その段階で消息を断ちました」
 グランスレイの言葉は揺るぎがない。
「彼等の消息は掴めないままでしたが、四月末日、西海との条約再締結の当日になり、フィオリ・アル・レガージュからシメノス河口に隊士の遺体が流れ着いたと連絡が入り、隊士一名の死亡が判明しております。中将ヴィルトールは一時生死不明でしたが、後にボードヴィルに在ることを確認しています。いえ、在ったと、訂正させて頂きます。現時点の所在が不明でありますので」
「ヴィルトール中将がボードヴィルにいたという確認は、いつ、どのような方法によりされたのですか」
「ヴィルトールはボードヴィルから、一度手紙を王都へ届けました。それが先月、十月初旬のことになります。伝令使や使者を送らなかったのは、それが叶わない状況に置かれている為と、その手紙に記されておりました」
 レオアリスは証人席のグランスレイを見つめた。
 グランスレイの語っていることは事実だ。
 イリヤの失踪を近衛師団が追ったという点を、語っていないだけ。
(とことん生真面目なくせに)
 生真面目だからだ。
 真実を語る法定の場でありながら、イリヤが『ミオスティリヤ』ではないことを証明する為に発言するのは、グランスレイがあくまでも、王家を守護する近衛師団隊士だということを表している。
 ファルシオンの為に。
「ボードヴィルにおけるヴィルトールの役割は、ボードヴィルが掲げた王太子の補佐――まさにこの王都において我々近衛師団が王家を守護し奉るように、ボードヴィルにおいて、近衛師団が王太子を守護する形を兵士達に見せることが目的で、ヴィルトールは生かされたと考えます」
 グランスレイは証言を終えたことを告げ、再び背筋を伸ばして一礼した。
「被告人。今の考え方に間違いはないか」
 イリヤは息を吐いた。
「ありません」
 その上で顔を上げる。
「発言を、お許しください」
 裁判長が頷き、イリヤは裁判官席を見上げた。
「ヴィルトール中将はヒースウッド邸に潜入時、ラナエを救い出そうとしてくれました。その結果ルシファーの罠によって重傷を負い、ですが、ルシファーによりながらえました。それは俺に対して、脅しとする為です。俺が彼等を巻き込んでしまいました。でも俺はそれでも――、ヴィルトール中将が生きていてくださって良かった。彼が、ボードヴィルで、真実を知りながらどれほど支えてくれたか」
 被告人席を囲む低い柵に手を置き、背筋を伸ばす。
「彼は、ルシファーに従ったのではなく、命の危険に晒されながらも、王都の意思を受け――王家の、国王代理ファルシオン殿下の為に動いていました。お――私は、身命を以ってそのことを断言します」
 法廷内は衣擦れの音も抑えられ、静けさが満たした。
 ロットバルトは法廷を見渡し、裁判官席へ、その面を伏せた。
「ボードヴィルでの謀反について、私が証言できること、そしてまたその証言者は以上です」
 証言者として席に座るセイモア医師とカスパール領事へも軽く目礼し、姿勢を整える。
「繰り返しとなりますが、イリヤ・ハインツは我がヴェルナー侯爵家の縁戚であることを、改めて申し上げます。それは地籍が証明しています。また、イリヤ・ハインツに謀反の意思がなかったことについても、各証言からご理解頂けるものと考えます」
 法廷内は顔を見合わせる者、頷く者、様々だ。
 ただイリヤへと向けられている視線からは、開廷時の色は薄れている。
「証言を終える前にもう一つ――」
 ロットバルトは蒼い双眸を改めて裁判官席へ向けた。
「裁判長、あとお一人だけ――その方を関係者としてこの場にお呼びしたいのですが、許可を頂けますか」
「どなたですか」
「先ほど、ヴェルナーが詫びなければならないと言った、もう一人の方です。正確には、お二人」
 裁判長が頷き、今度は証人席に控えていたルスウェントが席を立つと、関係者席の階段を昇っていく。関係者席の上段に座っていたワッツもまた立ち上がった。
 関係者席後方の扉を開き、二人が一旦外へ出る。
 関係者席や傍聴人達の頭が揺れる。
 ロットバルトは言葉を続けた。
「イリヤ・ハインツ――そしてラナエ・ハインツの夫妻には、この十月に第一子が生まれました。ボードヴィルに留め置かれていた彼は、生まれた我が子に一度も会っていないでしょう。イリヤ・ハインツがボードヴィルに留まっていたのは彼等の為でもありました」
 イリヤは被告人席から、瞳を見開きロットバルトを見ている。
 ロットバルトが言わんとしていることが何か――
 今、誰をこの場に招こうとしているのか。
「証言の途中に触れましたが、私がボードヴィルで掲げられた王太子旗の真偽に疑義を持ったのは、彼女を保護したからでもあります。イリヤ・ハインツの妻、ラナエ・ハインツを」
 関係者席後方の扉が開く。
 廊下に満ちた陽光が、そこに立つ人影をくっきりと浮かび上がらせた。小柄な女性だ。胸に大事そうに小さな包みを抱えている。
 イリヤは色違いの双眸を、驚きと、期待と、そして安堵に見開いた。
「イリヤ――」
 やや緊張に上擦った、細い声。
「……ラナエ――!」
 被告人席の低い腰壁に体がぶつかり、腰壁に両手をつく。
「ラナエ、ラナエ――! 無事だったのか! 無事だったんだ、君――!」
 絞り出すような声とともに、二つの瞳から、抑えようもなく涙が溢れ出た。
「良かった……ああ、良かっ――」
 そのまま声にならず、腰壁に両手をついたままイリヤは顔を伏せた。
 イリヤの嗚咽に赤子の泣き声が沸き上がり、重なる。法廷内の視線はすぐに、関係者席の狭い階段を降りてくるラナエへ向けられた。
 彼女が大事そうに抱きかかえている小さな包みに。
 ラナエは関係者席と法定の一階部分とを隔てる柵に立ち、被告人席のイリヤを見つめたまま、両手に抱えていた白い包みの、上に掛けた布をそっと持ち上げた。
「イリヤ――顔を上げて。この子に顔を見せてあげて」
「――」
 イリヤが身を起こし、まじまじと瞳を見開いて、離れた場所に立つラナエの腕の中を食い入るように見つめる。
 ラナエは微笑み、腕の中に語りかけた。
「ほら、あなたのお父様よ。初めて顔を見てもらえたね」
「俺の」
「本当に――初めて」
 ラナエは震えた声を飲み込み、赤子を抱え、真っ直ぐにイリヤと向き合った。そこにはただイリヤと、ラナエと小さな赤子しかいないかのようだ。
 彼等を隔てる柵、そして距離は、法廷内にいる誰の目にも余りに無情に思えた。
 ラナエは一度顔を伏せ、そうして、またその面を上げた。しっかりと。
「イリヤ。あなたが私達のためにしたことを、私はそれでも、それをしては駄目だったと言うわ。あなたがした選択は、間違いだったって」
 イリヤは色違いの双眸を、苦しそうに細めた。
「でも、あなたがボードヴィルの兵士達のために、役割を負ったことは、責められない」
 ラナエはむずかる赤子を腕の中であやし、頬を寄せた。
 赤子の声がまた微かな寝息に変わり、再び顔を上げる。
「あなただけの罪じゃないわ。私も一緒に償う。二人で償いましょう、イリヤ」
 そう呼びかける。
 イリヤはただ、何も返す言葉も無く、被告人席の囲いの中で佇み、瞳を伏せた。
 ロットバルトはラナエへ向けていた面を戻し、裁判官席へ向き直った。
「イリヤ・ハインツは決して、自ら望んで『ミオスティリヤ』の名を標榜した訳ではありませんでした。否応なしに巻き込まれ、そして彼の妻と、その子――彼にとってはまだ生まれていなかった子供の為、そう動かざるを得なかったのだと、改めて申し添えます」
 静寂の中、整然と声が響く。
「これらの証言を吟味していただき、イリヤ・ハインツへの減刑を嘆願致します」
 法廷内にはまだ静寂があり、衣擦れの音も聞こえない。
 ややあって、裁判長はその席で姿勢を正した。
「原告は、一連の証言に関し、反証するところはあるか」
 主席司法官は同じ原告席に着く他の司法官としばらく言葉を交わし、裁判官席へ改めて向き直った。
「反証の材料、根拠はございません。我々原告として主張するところは、今回ボードヴィルに於いて起こされた謀反の事実に関し、国家として断罪し、相応の処罰を持って対することを求めるものです」
 そう言って口を閉ざし、着座する。
 裁判長、そして四人の裁判官達は正面へ顔を向けた。
「では、本日はこれを以って閉廷とする。評議の上、結審の為の法廷は、明日の午後一刻に開廷するものとする」










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2020.7.26
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