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王の剣士 七

<第三部>

第七章『輝く青』


 
 朝焼けの空の中、赤い鱗を纏う飛竜が、緩く弧を描きながら王城へと降りてくる。
 早朝、五刻。もう動き始めていた王都の住民達の何割かは、南からやってきた七騎の赤鱗の飛竜に気付き、そして目敏い者は首を傾げた。
 七騎の内三騎は正規軍の飛竜だが、残り四騎の鱗の赤は正規軍の乗騎であるそれではなく、もっと深く、そして艶やかな、柘榴石を纏ったような色だった。体躯も軍の飛竜と比べると、一回り大きいことが判る。
 住民達は正規軍のものではないその飛竜が、ではどこの飛竜なのかまでは知り得なかったが、王城の三階にある着騎場に直接その飛竜達が降りて行ったことに驚きを覚えていた。
 飛竜は平時は王城の門より先にそのまま入ることはできず、正門で降りて厩舎に預ける決まりになっている。王城に直接飛竜を下ろせるのは、四公爵及び各官衙かんがの正副長官までだ。近衛師団の大将級であっても、それは例外では無い。
 相当の賓客、もしくは緊急の要件を持って来たのだと判る。
 昨日、ボードヴィルで起きていた反乱が無事鎮圧されたと、その報が王都の街を駆け巡った。その関係なのか。
 また今日何かの報せが出されるのかと、見上げていた人々はほとんどが、不安や急くような想いが入り混じった表情で王城を見つめた。




 七騎の飛竜が王城の南棟三階に張り出した、半円状の広い露台に降りる。
 王城に飛竜を降ろす際に使われるこの場所は全体が円形をしていて奥行きがあり、飛竜は五騎まで降ろすことができた。
 先に降りた正規軍の飛竜三騎は騎手を降ろすと、次に柘榴の飛竜を降ろすために再びふわりと空へ浮かんだ。
 まず飛竜から降りた北方将軍ランドリー、西方第五大隊大将ゲイツ、そして西方第七大隊左軍中将ワッツは露台の奥に一度敬礼を向け、続いて降りてくる飛竜を見上げた。
 翼が風を煽り、そこにいた十数名――正規軍将軍アスタロトと、副将軍タウゼン、参謀総長ハイマンス、南方将軍ケストナー、南方軍第一大体大将アルノー等の髪と軍服の上衣の裾を揺らす。
 柘榴の飛竜の背から、女が軽やかに降り立つ。
 その前後に、少年一人と青年が二名。ティルファングとレーヴァレイン、そして里を訪れた時にも会った、確かカロラスという男だ。
 アスタロトは一歩進み出て、真紅の瞳を彼等の長カラヴィアスへ注ぎ、丁寧に礼をした。
「再び――今回は、この王都であなた方にお会いできて光栄です、カラヴィアス殿」
 カラヴィアスもまた一礼し、その面に朗らかな笑みを刷いた。
「私こそ、再びお目にかかれて光栄だ。先日里にお越しいただいた際は、ご要望に沿うことができず、誠に失礼した」
 その瞳がアスタロトと並んで立つタウゼン達へと向けられる。
 アルノーの姿を見つけ、また笑みを浮かべる。
「改めて、剣帯の礼を述べさせていただく。の竜も礼ができたことに満足したようだ」
 炎の竜が現れた切っ掛けなのだとさらりと言われ、アルノーは武人というには穏やかさの勝る面に複雑な色を昇らせた。
「いえ――あの剣帯には、それほどの価値は」
「額の多寡では無い、気に入るかどうか、それだけのことだ。そして彼は気に入った。我等も」
 カラヴィアスは笑い、その瞳を細めた。
「さて、このような早朝に正規軍将軍御自らお迎えいただき、改めてお礼申し上げる。王太子殿下へのお目通り、貴国の指定される如何なる形でも我々は構わない。なるべく早い時期にはお願いしたいが」
「本日、午後に場を整えています。ですがまずは部屋に案内させますので、旅の疲れを取ってください」
「何もかも、有難い。さすがにアルケサスから王都までの道程は些か疲れた。あなた方は良くあの砂漠を徒歩で越えてこられたものだと、改めて感服したところだ」
 にこりと笑う。
 だが朗らかでいて鋭いその瞳が、この場に降り立った時ここに無い姿を探し、そして姿がないことをどう考えたのか、それはアスタロトには読み取れなかった。







「あなたと、そしてルベル・カリマの剣士のみなさんとこうしてお会いできて、嬉しいです」
 ファルシオンは幼いながらも落ち着いた口調で、そう言った。
 午後の一刻、会談の場所には謁見の間ではなく、王城の五階にある賓客を迎える為の広い応接の間が用意された。十一月十二日、ボードヴィル平定から二日後のことだ。
 室内には正面の壁の前に二つ、ゆったりとした絹張りの椅子が斜めに向かい合って置かれ、賓客を迎える儀礼に則り左の椅子にファルシオン、そして右にカラヴィアスが腰掛けている。
 カラヴィアスの伴ったカロラス、レーヴァレイン、ティルファングの三名はカラヴィアスの並び、二つの椅子を挟んだ右側に座り、反対に王都側の同席者としてアスタロト、ベール、スランザール、ヴェルナー、ランゲ、そしてグランスレイとアルジマールが椅子を置いていた。もう一列後方には今回サランセラムに派遣した正規軍を率いた北方将軍ランドリーを始め各方面将軍と、アルノー、ワッツが控えている。フレイザーもまた同席していた。
 この場の誰もが意識していたのは、カラヴィアス達の最大の目的だと考える、レオアリスの姿が無いことだ。
 始まったばかりの会談の場はやや緊張があるものの、窓は大きく陽光を呼び込み、広い室内を十分に光で満たしていた。
 ファルシオンは黄金の瞳でカラヴィアスをじっと見つめた。
「まずは、心からお礼申し上げます。魔獣狩りのことは報告を受けていました。何よりあなた方のお力添えがなければ、風竜を倒すことはできなかったかもしれません」
 カラヴィアスもまた、幼い王太子の姿へ眼差しを返し、唇を綻ばせた。
「唐突なお願いにこのような場を設けていただき、そして重ねての御言葉、感謝致します、王太子ファルシオン殿下。そしてまた、御尊顔を拝せたことに」
 カラヴィアスの黒い双眸は微笑みの中にも鋭さを失わない。
「国王陛下の面差しがやはりお有りだ」
 瞳を見開いたファルシオンへ慈しむ笑みを浮かべ、「ただ、国王陛下に直接お目にかかったのは、随分昔のことですが」
 そう言った。
 ファルシオンが瞳を瞬かせる。
「それを考えれば長い間不義理をしていたと、そう反省もしております。我等もまたこの国に暮らす一人には変わりない。ですから、先の要請を我ら一族の現状もあり、一度はお断りさせていただきましたが、アルケサスの――こと四竜ともなれば傍観している訳にも参りません」
 カラヴィアスはしなやかな剣を感じさせる体躯で、椅子に腰掛けたまま、膝の上で両手を組んだ。
 黒い、差し込むような瞳。
「あの竜について少々説明の必要があろうかとも思い、今回、罷り越した次第です」
 ちらりと、王都側の出席者達が瞳を交わしたのは、まず剣士としての話が出るかと考えていたからだ。
 一方でアルケサスに現れたという、炎の竜。それはこの会談の最大の関心ごとでもあった。
 王都側の同席者とは対照的に、ルベル・カリマの三人はカラヴィアスの言葉を黙して聞いている。
 ファルシオンは瞳を見開いた。
「あの竜は――炎が形をとったようだったと聞きました。あれは、やはり四竜のひとつなのですか?」
「お考えの通りです。四竜と名付けた内の最古の竜――と、我等は認識していますが、本体はアルケサスの我が里の地下深くに寝床を構えています。本体が出歩くには些か大きすぎまして。原初オルゲンガルムという真名を持つようですが、一体何万年生きてきたのやら」
 ファルシオンが驚きに大きな瞳をさらに丸くするのを見て微笑む。
「いずれ、王太子殿下はあの竜にお会いになることもお有りでしょう」
「会いたいです」
 即答に微笑みが軽やかに弾ける。
「あの竜も、王太子殿下にお会いしたら殊の外喜ぶでしょう。御父君の黄金の瞳を称賛していたようですから」
 カラヴィアスが王について触れる度、アスタロトはほんの僅かだがヒヤリとした感覚を覚えた。それから安堵も。ファルシオンは寂しさを覗かせながらも、カラヴィアスが口にする王という言葉に誇らしさも見せている。
(でも、レオアリスがここにいたら)
 そのことが、まだ不安なのだ。
 ファルシオンやアスタロト達にとっては既に半年、ファルシオンは悲しみや不安の中でも、父王の存在を拠り所と、そして目指すしるべとして前を向こうとしている。
 けれどまだ、レオアリスは目覚めて一月も経っていない。
 半年も眠った原因は、剣を一振り失いながら自らの限界まで更に剣を使ったからだ。
(今回だって)
 もう二日、眠っている。
(また、限界まで――何だよ)
 風竜を倒そうとするなら仕方がないのだとも思う。自分だって命を掛ける意思もなくルシファーと対したつもりはない。
 けれど、どこかに不安定さがあり、そして自らをまるで顧みていないような、そんな印象が拭えなかった。
「さて、あの竜の件ですが」
 カラヴィアスの言葉にアスタロトは顔を上げた。
 彼女の双眸が束の間、自分にも向けられていたことに気付く。
「あれは世の均衡を崩す存在――レオアリスの剣が風竜の再生力を上回るのであれば、あの竜が出ると言っても同意するつもりはなかった。まあ、あの存在を我々が自由に操れるものでは到底無い、今回は出たのは彼等の領分でもあったからです」
 あっさりとレオアリスの名を放り込み、カラヴィアスはファルシオンと、そして座を見回した。
「ジンが風竜を断った時とはまた状況が異なるが、とはいえ剣の力が足りていないのは明白。二振りの内一振りを失ったままの状態であれば、無理もないことです」
 柔らかな布に包んだような剣の気配はそのままに、カラヴィアスの纏う空気がすっと澄む。微笑みは口の端にうっすらと名残るのみとなった。
「この国にある剣士氏族の代表として、お尋ねしたい」
 その瞳は身の内に潜む剣を連想させる。
「あなた方は彼にどこまで、何を求めるおつもりか」
 広い応接の間が緊張に満たされる。
 口を開こうとして、アスタロトはそれを堪えた。いきなりアスタロトが答えることでは無く――それに、この、鳩尾の辺りにある塊をどんな言葉で言い表せばいいのか、それが見つからない。
 カラヴィアスの鋭い視線を受け、ファルシオンは椅子の上で、一度瞳を伏せた。
 幼い眉を寄せる。
「レオアリスに戦ってほしいと言ったのは、私です。でも、本当は怪我とかしてほしくない。命を――レオアリスだけじゃなくて、みんな」
 小さな手が、ぎゅっと握り合わされる。
「レオアリスが辛いのなら、もう」
 そう言いかけたファルシオンの言葉を、ロットバルトがやんわり制した。
「王太子殿下。発言をお許しください。カラヴィアス殿も」
 ファルシオンはまだ陰った瞳をロットバルトへ向け、カラヴィアスは促すように首を傾けた。
「財務院を預かるヴェルナーと申します。半年前までは近衛師団第一大隊で彼の下におりました。恐れながら、殿下の御心に完全に添う意見ではないにしても――彼はこのアレウス王国の近衛師団大将です。国王陛下が任じられ、そして王太子殿下ご自身がまた、再度そう任じられた」
 蒼い瞳を一度ファルシオンへ向けて僅かに笑み、カラヴィアスへ向ける。
「カラヴィアス殿。貴方は我々が彼に何を求めるのか、とお尋ねになられた。私のこの答えがあなた方の納得される答えとなるかは判りません。しかし我々は、彼が客人ではなく、この国を支える近衛師団大将としてこの国に在ると認識しています。この先も。無論、命を落としかねない戦いなど、本来一人が負うものではありません」
 堪らずアスタロトは身を乗り出した。
「レオアリスは、友人です。私の、大事な」
 もう、黙っていられない。
 傍らのタウゼンが驚いたのが判ったが、止める様子もなかった。止められても止まらなかったと思うけれど。
「あの馬鹿が限界まで戦おうとすることに、私は――」
 アスタロトはその言葉を探り当てた。
 そうだ。
 それだ。
「――私は、怒ってるんだから! 何度死にかければ気が済むんだって!」
 同席者がみな呆気に取られている。
 場違いだと、そう解っていたが、止まらなかった。
 肺の奥底から、思いの丈を吐き出す。
「あいつ本当――あいつの戦い方本当に、どうにかしてください! まともな戦い方根本から叩き込んで欲しい!」
 全て吐き出した肺が、酸素を求めて掠れた音を鳴らす。
 一瞬の空白の後、室内に朗らかな笑い声が弾けた。
 カラヴィアスが椅子の上で体を捩っている。
「――なるほど」
 カラヴィアスはようやく息を吐き、再び、上げた面の頬を綻ばせた。
 ティルファングは唇を尖らせているが、それだけだ。レーヴァレインとカロラスも笑みを滲ませている。
「ああ、良く判りました」
 そう言って再び、椅子に端然と座し、膝の上で手を組んだ。
「もう後は我等が四の五のとは言いますまい。まあベンダバールはどうかは知りませんが、彼等はそもそもこの国を自ら選んで去った身、今更主張も何も、と個人的には思いますがね」
「レオアリスは、ここにいても、いいんですか」
 ファルシオンは王太子という立場を束の間忘れ、年齢相応の響きでそう言った。
「それは、レオアリス本人とあなた方の間でしか決められないものでしょう」
 黄金の瞳が意志を持って瞬くのを見つめ、カラヴィアスは組んだ手を解いた。
「さて、では一度会わせて頂けまいか」
「承知しました。でも、今はまだ、眠っていて」
「構いません。先日見た負傷の状態からしても、おそらくそろそろ目を覚ます頃合いでしょう」
 ファルシオンの瞳がますます輝く。
「良かった――」
 カラヴィアスは今度は、内包する剣の鋭さを一切感じさせず、微笑んだ。
「アスタロト将軍の仰る通り、少し、戦い方を考えさせなければならない」












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2020.6.28
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