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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第二章『風姿』


 あんな顔をどこかで見たな、と歩きながらレオアリスはそれを考えていた。
 最近の悩んでいる様子だと言われるとそうなのだが、それよりももっと前、記憶を辿るくらいのずっと前の事だという気がする。遡ると言っても、アスタロトとの記憶はここ四年ほどのものでしかないが。
(ああ、そうか)
 それで何となく思い出した。初めて出会った頃だ。
 アスタロトが公爵家を飛び出して、西のカトゥシュの森で出会ったあの時は、抱えている問題から不安そうな顔を見せていた。
 ただ記憶にある限りでは、それ以来そんな様子は見ていない、と、思う。
 あの時アスタロトが悩んでいたのは、立場に対して自分の意思をどこへ持っていけばいいか判らなかった為だったか。
(――)
 無意識に足が止まる。後ろを歩いていた数人が、不意に立ち止まった不調法者を避けて通り抜けながら、何をしているのかと迷惑そうに振り返る。その彼等の顔が、おや、と意外な驚きに変わった。
「ねえ」
「あれ、そうだよ、見た事ある」
「王の」
 王、という言葉に我に返り顔を上げると、周囲にいた人々が立ち止まり、視線が集中していた。「王の剣士だ」、という声、それを聞いた周りから更に「どこに?」と広がり、もっと遠くからは通りの流れが止まったせいで何事かとやや喧騒が広がり始めた。
 レオアリスは周りを見回し、「邪魔してすみません」と断り通りの端へと足を向けた。
「一人ですか」
「やっぱり王の剣士でも祝祭は来るんですね」
「こんなところで会えるなんて、嬉しいなぁ」
「第一大隊の出し物見に行きますから!」
 賑やかな雰囲気のままに幾つか声が掛かり、レオアリスも声を掛けて来る人々へ笑い返した。道の端に除けたはいいが、今度は人々が立ち止まった為に通りの流れも滞ったままだ。迷惑になるだろう。
「すみません、行く所があるので、これで。祝祭を楽しんでください」
 レオアリスは会釈して、まだ名残惜しそうな顔の人達から離れ、足を今歩いて来た坂の下へと向けた。行く所と言ったものの、特にもう目的がある訳ではなく、何と無くだ。
 残念そうな声を含み、だがゆっくりと、再び通りは流れ始めた。すれ違う人々は誰もが楽しげな顔をし、隣にいる誰かと笑い合っている。
 平和な、好ましい光景だと思うと同時に、対照的に先ほどのアスタロトの様子が思い起こされた。
「――」
 本当はアスタロトが一番、この中で楽しそうな顔をしていたはずだ。本当は今も、瞳を輝かせてあれこれと屋台を覗き込んでいただろう。
「あー、もう、……失敗だ」
 苛立ち混じりそう呟くと、レオアリスは振り切るように顔を上げた。
 正面から来た男とぶつかりそうになり、文句を投げかけられるのへ一言詫びて、通りを埋める人々の間を縫って早足に歩き出す。人が多いせいで足を速める事もできず、まだるっこしい。
 ただ、別れてから四半刻も経っていない。アーシアを待つと言っていたから、まだ居るだろうと期待した。
 改めて先ほどの遣り取りを思い返しても、反省しか頭に浮かばない。せっかくの祝祭で、最近沈んでいたアスタロトも楽しそうにしていたのに、何もあんな話をする必要は無かったのだ。祝祭を見て回りながら、その最中でさえ自分の意識が半分、ルシファーの問題に向いていた事に今更ながらに思い当たり、悔やまれる。
 それもルシファーがアスタロトにとって大切な存在だと知っていたのに、ルシファーを単なる離反者としてしか捉えていなかった。
 焦る気持ちを堪えて漸く混みあう大通りを抜け、人通りの無い裏路地へ入るとレオアリスは駆け出した。
 すぐに、先ほどの広場への角が見える。アーシアが迎えに来るまで居てくれ、と半ば祈るような気持ちで路地の角を曲がった。
「――」
 誰もいないがらんとした広場を目にして、レオアリスは溜めていた息を吐き出した。当然と言えば当然だ。アーシアを呼ぶにしても、ここからでは伝えようがないから、どこかへ移動したのだろう。
(どこに? ここで呼べなけりゃ多分どこだって変わらない)
 そもそもアーシアを呼ぶと言ってもアスタロトは伝令使を持っていないのだから、考えてみれば幾らアーシアでもそんなに都合良く来る事などできない。多分レオアリスが気にしないようにそう言っただけだ。
「――馬鹿か、俺は」
 先ほど立った低い塀にどさりと腰を降ろす。視線を巡らせれば、その向こうに広がるなだらかな王都の街並は、賑やかな響きを変えていない。
「何やってるんだ」
 尋ねるにしても、もう少し別の話し方をすれば良かったと、今更ながらに思う。
 ここ最近アスタロトの様子が違うのが気になっていて、今日は話を聞くつもりで誘ったのだが、何を抱え込んでいるのか――もう少し別のやり方で聞けたら良かった。
 ルシファーが関係しているのではと考えた事もあるが、それでも急ぎすぎたと思う。
 もう少し――
 ただ、これまでもう何度か尋ねてもいて、いずれもアスタロトは答えを返さなかった。
『レオアリスには関係無いよ』
「関係無い、か」
 これまでの付き合いの中で関係無いと言われたのは、記憶にある限り初めての事で、それは少なからずこたえた。
 一方でそう口にする事自体、関係無いというのが事実だからなのか。
(踏み込まない方がいいのか)
 アスタロトが自分一人で解決しようとしているのなら。
 これまでお互い、大体の事は本音で話して来たと思う。その中で、レオアリスもまた、自分の中で考えが纏るまで話さなかった事は当然あった。
(――思い上がりだな)
 結局はアスタロトを判ったつもりになっているだなのかもしれない。
『ファーを斬るの?』
「――」
 判らない。答えられなかった。
 目の前に対峙した時、どんな状況にあるか、まずはそこからだ。
 だが裏を返せば、場合によっては斬るつもりがあると、そう肯定していると取れただろう。
 アスタロトはそれが判っていて、それの事が関係ないと言わせた原因なのかもしれない。
 ゆっくり息を吐き、再び下に広がる街へ瞳を向けた。
 街は先ほど見た時よりも、濃い夕暮れの中に沈んでいる。
 踏み込むべきではないと思う反面で、街を覆うその青い影が、はっきりと根拠のない不安を掻き立てた。
いや、不安の根底にあるのはルシファーに対するアスタロトの信頼だ。信じきっている、とも言えるような。
 それが、本当に放っておく事が正しい判断なのかと、レオアリスの意識を揺さぶってくる。
「――じゃあどうするんだ」
 誰が答える訳でもなく、微かに湧いた苛立ちをそう言葉に変えただけだ。何度尋ねてもアスタロトが話したくないのなら、それ以上はどうしようもない。
 答えが出ないまま、レオアリスはしばらくの間、楽しげな騒めきを纏う街を眺めていた。




 かちり、と時計の針が音を立てる。
 クライフは壁の時計盤を素早く拾い見て、隣りのフレイザーをちらりと見た。第一大隊の執務室に今いるのは中将達だけだ。レオアリスは祝祭、グランスレイは総指令部に行っている。
「そろそろ終わるかー」
 と伸びをすると、ヴィルトールも「ああ、もう七刻なんだ」と言って手にしていた筆を机の上に置いた。
「取り敢えず、明日から四日間仕事が手に付かないからやれるだけと思ったけど、こんなところかな」
 祝祭三日目、明後日から三日間にかけて行われる各大隊の出し物と、その準備で明日から四日間は通常の任務は基本的に無い。今日中に仕上げておく書類なども片付き、それぞれの机の上に積まれていた。
 クライフは傍目には判らない程度、のつもりで、息を吸い込んだ。
「ヴィルトール、ロットバルト、帰りちょっと祝祭見てかねえ? 上将も行ってるし、まあ上将とは合流できねぇだろうけど」
「アスタロト様と二人で行ってるのに邪魔しちゃだめだろ。けどそうだね、せっかくだし帰りがてら見てこうか」
「私は遠慮します。状況や構造は大体理解している、敢えて見ても余り得るものは無いでしょうしね」
 いつも通り、というか予想通りではあるが、ロットバルトのその答えにクライフは不満たっぷりの顔を返した。
「お前さ、情報収集とかじゃねぇんだよ、楽しいから行くの!」
「楽しいと一概にくくるのもどうかな。個人の視点に拠りますよ」
「大多数が楽しいと思ってるからこんだけ盛り上がるんだろ!」
「まあそうですね。私も全く興味が無い訳じゃない」
 同意を得てクライフはやっとほっとした顔になった。
「そうだろ、そりゃそうだよなー、なんてったって一番でかい祭なんだから」
「祝祭は国家や都市に必要な機能ですし、消費が促進されて経済的にも有益ですからね。毎年財務院が調査をかけてますが、あの報告書は面白い」
「いいわもう」
 頭が痛そうに額を押さえ、クライフは追い払うように手を振った。そのままフレイザーへ視線を向ける。
「……フレイザーは?」
 クライフは極力さりげなさを装って尋ねたのだが、ヴィルトールが元々それが目的だろうと笑い、クライフは横目でじろりとヴィルトールを睨んだ。睨まれてもヴィルトールは涼しい顔だ。
 すぐフレイザーへ視線を戻したが、幸いフレイザーはヴィルトールが笑ったのは見ていないようだった。
「そうね……」
 フレイザーは少し考え込んだあと、首を振った。視線が一瞬、主のいないグランスレイの席に向けられる。そこにフレイザーの想いが透けて見える。
「今日は止めておくわ。楽しんで来てね」
「そーか、残念」
 クライフは不自然な感じでわはは、と笑い、席を立った。
「じゃ早いとこ行くかー」
「そうだね」
 ヴィルトールが頷きながらロットバルトに素早く目配せし、ロットバルトが仕方なさそうに軽く息を吐いて立ち上がる。
 回廊に出たヴィルトールは扉が閉まると、呆れた色を隠さずにクライフの顔を横目に眺めた。
「本当はフレイザーと二人で行きたいんだろうに、すぐ引き下がって」
 クライフがむっと口を尖らせる。
「しょうがねぇだろ。――副将がこの後戻るし、それ待ってんだろうし」
「弱気だなぁ。どうせ一度もまともに伝えてないんだろう。伝えてみたらいいじゃないか。祝祭なんて結構いい機会だよ」
「――勝ち目ねえし」
 ヴィルトールとロットバルトは互いに視線を合わせた。世話が焼ける、と二人の顔に書いてある。
「ホント弱気だな。やってみなきゃ判らないだろうに」
「無理だって、俺じゃ」
「らしくないなぁ――」
 ヴィルトールがやれやれと息を吐きつつ、ロットバルトにも何か言え、と目で訴える。ロットバルトは二人の会話を面倒そうな様子で黙って聞いていたが、組んでいた腕を解き、うなだれるクライフの肩を一度叩いた。
「まあ、貴方もそれなりに捨てたものではないと思いますよ」
 全く予期していなかった言葉を掛けられ、クライフが凍り付く。数瞬の空白の後、はっと我に返った。
「……えっ何お前今の何、えっ、え? 褒め?」
「だから――、貴方には貴方なりのいい点があると」
 面倒そうな口調ながらロットバルトがもう一度そう言うと、食い入るようにロットバルトを見つめていたクライフの目に、じわ、と涙が浮かんだ。
「お前――、本当はいい奴だったんだなぁ……。すげぇ、……何かすげぇ嬉しいぜ……」
 滲んだ涙を手の甲で乱暴に拭う。
「俺、お前は超人非人で他人の事なんかどうでもいいと思ってる心底冷てえ奴だと思ってたんだ――。でもそうじゃない、俺が間違ってたぜ」
 クライフは険しい山を登り切った熱い男達のように、がっちりロットバルトの手を握った。
「許す! 今までの事全部!」
「――選択を間違えたな」
「い……っでででで! 痛ェって! 手ぇ砕ける! 何か友情じゃないものが入ってね!?」
 ロットバルトはものすごく嫌そうかつ冷えきった視線を向けつつ、手を離した。
「要は自分次第だという事ですよ。後悔するのもね」
 聞いているのかどうか、クライフはふうふうと子供のように、赤くなった手に息を吹き掛けている。
「――」
 特に返答を待つ訳でもなくロットバルトが執務室へ戻ろうとした時、クライフは口を開いた。
「――まあ、でもよ、まあ俺もやっぱ、尊敬してんだ」
 そう言うと、回廊を支える一本の柱の横に立ち、クライフはもうすっかり暗くなった中庭の中央にある噴水に視線を送った。懐かしむように眼を細める。
「フレイザーとはさぁ、同期だろ。四六時中じゃねえけど結構、同じモノ見て来てんだ、俺ら。フレイザーと肩並べてぇってのもあったし」
「フレイザーは一歩出てたからね。結構目標にしてた隊士も多かったと思うよ」
 ヴィルトールはロットバルトに説明するようにそう言った。「二人とも副将が中将の頃から直轄の部隊だったんだ」
「まあだから副将の事も良く見てたし――フレイザーが惚れる男はどんなもんかって――、だからフレイザーが副将に惚れるのも判るんだよな。俺なんかあの人の足元にも及ばねぇよ」
 クライフは振り向くと、二人の同僚に明るい笑顔を向けた。
「副将も奥さん亡くしてだいぶ経ってるし、フレイザーが告ったら行けるんじゃないか? 俺も一応陰ながら応援してんだ。フレイザーには幸せになって欲しいしな」
「――うっ」ヴィルトールはそっと目頭を押さえた。
「不憫な奴……」
「止めろ、何か腹立つ」
「感心しましたよ。貴方がそれほど客観的に自分を認識しているとは」
「ちょ、何か褒められた気しねぇんだけど」
「褒めてはいませんからね」
「ええ?!」
「先ほども言いましたが、何を選択するか、最終的には自分次第でしょう。。逃げるのも、踏みとどまるのも、いずれにせよ」
「逃げ――る訳じゃねぇ」
 反論したが、ロットバルトは構わず執務室へ戻った。閉まる扉にクライフが恨めしそうな眼を向ける。
「んだよ、泣ける事言うかと思えば結局いつも通りか。この後付き合えっての」
「ロットバルトにしちゃ珍しいくらいだよ。変わったよなぁ、奴も。ま、かなりめんどくさそうだったけど。で、行くの?」
 祝祭、とヴィルトールが中庭の出口を親指で示す。クライフはその宵闇の向こうの、賑やかだろう街を想像した。
 今の心境とは正反対だ。
 クライフは胸に溜まった空気を吐き出すような、切ない溜息を吐いた。
「――飲もう。奢るから」
「はいはい。色々聞いてあげるよ、私が」
 ヴィルトールは息子の肩でも叩くようにクライフの肩を叩き、回廊を玄関へと向かった。





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