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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

八十四




 新王、ファルシオンの即位は沸き返る万雷の拍手を以って迎えられた。
 その熱量を持った空気と窓から射す鮮やかな陽光の中、真紅の絨毯の左右に立つ近衛師団の儀仗兵は手にしていた儀仗で一度床を付き、儀仗を立てたままその場へと片膝を落とした。参列者達の左右に立つ近衛師団隊士、正規軍兵士も同様に膝を下ろす。
 即位式は次に、国賓からの祝辞へと移る。
 マリ王国国王イグアス三世が立ち上がり、参列者達へと微笑むと、その歳月を重ねた穏やかな顔をファルシオンへ向けた。
「マリ王国を代表し、アレウス国の新王陛下の御即位、心よりのお祝いを申し上げます」
 穏やかな声は慈愛と厳粛さを含み、長く国家の柱たる所以ゆえんを感じさせる。
「わたくしがこの喜ばしき日に立ち会えたこと――我がマリへ、変わらぬ親交の証をお示しいただいたことへ、深い感謝の想いを。言葉一つでは表すことは叶いませんが、ここに申し上げさせていただきます」
 後ろに控えるメネゼスへ、優美に首を巡らせ、視線を向ける。
 メネゼスは一礼し、純白の封書を主君へ差し出した。
 イグアス三世は柔らかな仕草で受け取り、封蝋を切ると、開いた。
「互いの交易の発展を祈念し、マリ王国からの心よりの祝いとして、マリの磁器――茶器や水差し、花瓶など、幾つかをお持ちいたしました」
 感嘆の声が上がる中、ロットバルトはイグアス三世の向こう、メネゼスを見た。その視線を待っていたかのようにメネゼスが得意げな笑みを返す。
 マリ王国が生産する磁器は光を透かすように薄く繊細で、絵付職人による美しい模様が施された名品が揃っている。
 運搬、特に船での運搬にあたっては取り扱いに細心の注意を払い、緩衝材の分一点ずつ場所を取ることもあって、アレウス国内でも高値で取引されてきた。
 特にイグアス三世が今挙げた茶器や水差し、花瓶のような繊細な造りの品を――ただ自国の名産品を贈るというだけではなく、一国の王に贈る、何より繊細な扱いを要する品々を、マリの船が問題なく運べることを示してもいる。
 こうした国家間の贈呈物は、自国の国力を知らしめる場でもある。
「加えて――我が国で建造した交易船を三隻。またその道具類、マリとアレウス国間の海図を、アレウス国と国王陛下へ贈らせて頂きます」
 大広間が感嘆のどよめきに満ちる。「交易船――」「海図を」
 交わされる囁きの中、イグアス三世は柔らかく微笑んだ。
「今後の両国の、そしてここにおられる二国との交易が、一層その結び付きを固いものにしてゆきますよう」
 続いてローデン国王バリエドが立ち上がる。
「マリ王国の素晴らしい贈り物の数々に霞むのではと畏れもするが――私からもローデンを代表し、本日の御招待への感謝と喜び、そして新王陛下の御即位への心からの祝意を捧げさせて頂く。これまでと同様、そして新たな、一層の親交を。また――」
 笑み含みに左隣のイグアス三世へ視線を送り、ファルシオンへと戻す。
「重なるとは思っておりましたが、それも海洋国家故ですな。我が国からも交易船を三隻と幾許かの品――我が国の得意とする象嵌を施した衣装棚や長押なげし、卓など、アレウス国王陛下の祝賀に相応しいのではと愚考するものをお持ちした。我等が心からの祝いの想いに代えて、贈らせて頂きたい」
 また――、とバリエドはイグアス三世へもう一度視線を向けた。
「マリ王国が海図を贈られるのであれば、我が国も、交易を一層推進する為に後日、相応しい海図を贈らせて頂こう」
 マリとローデンの交易船を贈られるということは、その造船の技術もまた、贈られることを意味する。
 そして海図はバリエドの言うように、交易をより容易に、一層活性化させる為に投じる一石だ。
 当然二国とも、国防に関わる海図は別に備えている。
 二国がアレウスとの交易と親交に意欲的であることも含んだ奉呈物に、感嘆含みの密やかな騒めきが、波のように流れる。
 静まらない波の中、次に立ち上がったのは、ワ・ロウ・イ。
 イグアス三世とさほど年齢は変わらないが、受ける印象は正反対というほどに異なる。
 東の大国、ミストラ山脈以東の戦乱の頻発する地にあって、四百年の長きに渡り国家を維持、拡大してきた強国だ。
 その四百年の間に、皇家の地位と権力は揺るぎないものになった。
 その余波――余波と言い表すには大き過ぎる、皇家の別格化。様々な特権。そこに生じる解消し難い格差、抑圧――拭い難い腐敗。
 多くの物語がトゥラン皇国という国の影に付いて回る。
 長い歴史の中でこごったそれらを、ワ・ロウ・イは香水として纏うようだ。
 トゥラン皇国皇太子の挨拶は、暫くの沈黙の後、年齢からは連想できない粘度を帯びた声で、始まった。
「昨年、崩御された前アレウス国王陛下は、我がトゥラン皇国が治世の参考にと目すほど、長く国内を安定して統治され、栄えさせてこられた」
 ワ・ロウ・イが立ち上がった時から、大広間はしんと静まり返っている。
「その治世は今後も永遠に続くと思え、まさか余が在命中に代替わりを迎えるとは、考えも至らぬことであった。心よりの哀悼の意を、我が父、トゥラン皇帝の名代として、この場に捧げさせて頂く」
 ゆるりと伏せた面を、ファルシオンへと上げる。
 その双眸に躍る光とワ・ロウ・イの帯びる言い知れない圧力に、ファルシオンはそっと息を吸った。斜め後ろでレオアリスがほんの僅か、纏う長布を揺らしたのを視界の端に捉え、吸った息を静かに吐く。
 ワ・ロウ・イの言葉が続く。
「此度、新たな王となられるお方は余りにお若いとお聞きし、そもそも国政、国交の何たるかを理解されているか、老婆心ながら懸念も持っておりましたが――」
 傲岸な光を帯びる双眸を細める。
「今日、余にとっては一つ、余生の楽しみを頂いた。御祝い申し上げる」
 皺を刻んだ口元が、薄く笑みを浮かべた。
「アレウス国王陛下の御即位に際し、余が持ちきたった祝いの贈呈物は、ここに――」
 枯れた手が、自分の後ろに控える五名の侍従を示す。
「この者達よりどれでもお好きなものを一つ、召し上げられると良い」
 場の空気は予想を外れた言葉に束の間凍り付いた。
 思わず椅子から身を乗り出しかけたアスタロトは、傍らのロットバルトの「公」と呼ぶ静かな声に、立ち上がる寸前で思い止まった。
 ロットバルトはアスタロトが身を戻したのを確認し、視線を玉座を挟んだ国賓の席へと向けた。
 イグアス三世は穏やかな微笑みを湛えたままふっと息を吐き、バリエドは力強い眉を顰めた。
 どれでも一つ、と、そう言われた当の従者達は、表情を僅かも変えず、無機物のように立っている。
 視線を一身に浴びてもワ・ロウ・イは眉一つ動かさず、細めた目をファルシオンに据え、即位したばかりの幼い王がどう応えるかを測っているかのようだ。
 実際に、ワ・ロウ・イは測っている。ファルシオンがどう応えるのかを。
 トゥラン皇国の意を損なえば、この先の国交と交易に不利益を及ぼしかねない。
 とはいえ人を物と同様に扱うワ・ロウ・イの申し出をそのまま受ければ、アレウス国は奴隷的な扱いを受け入れるのだと、マリ王国、ローデン王国、そして何よりここに参列している国民へ、王自ら示すことになる。
 そしてもう一つ。
 ワ・ロウ・イが従える五人は従者であり、私設護衛官でもある。皮肉混じりには夜伽を務めるとも言われ――そしてその裏の、暗器使い――ワ・ロウ・イの意を受け暗殺を担う姿も持つ。
 問題が複層的すぎるのだ。
 ファルシオンの背後に控えるレオアリスは、意図を汲み取り難いワ・ロウ・イの面からベールとスランザール、ロットバルトへと視線を向け、彼等が場へ入る様子がないのを見て取り、ファルシオンの横顔へと視線を戻した。
 そう長くはない沈黙の後、ファルシオンはワ・ロウ・イの双眸を受け――にこりと笑み返した。
 浅く黙礼を向ける。
「まずは、先王への弔辞と、私への祝意のお言葉をいただき、誠にありがとうございます。私は本当に、まだ未熟者です。これから、諸外国に学びながら役割を果たしていきたいと思っております」
 マリ国王、ローデン国王へも面を向ける。
「今後、若輩の身をお導きいただき、より一層、国同士の親交を深めさせていただければ、これに勝る喜びはありません」
 二人の笑みに目礼を返し、ファルシオンは一呼吸、静かに肩を上下させた。
「お贈りいただいた身に余る品々に、心からの感謝を申し上げます。我が国からも後ほど、心ばかりの返礼を、お受け取りくだされば幸いです。それから――」
 黄金の瞳を向ける。
「ワ・ロウ・イ皇太子殿下の御心はありがたく思っております」
 ワ・ロウ・イの双眸に鋭い、そして嘲笑と侮蔑を孕んだ光がぎる。
 その眼差しを受けてファルシオンは、もう一度微笑んだ。
「我が国は、そして私も、貴方の従者のお一人を、今後一層の親交を深める御使者として、喜んでお迎えします」
 参列者達の息を呑む気配、そしてこの場の空気を揺らすことを控える抑えた眼差しが、ファルシオンとワ・ロウ・イへと注がれる。
 息苦しささえ覚える空気を変えたのは、一つの拍手だった。
 国賓席のイグアス三世が、ふくよかで優美な手を軽く持ち上げ、両手を軽やかに打ち合わせている。
 間を置かずローデン国王バリエドも、無骨な手で張りのある音を響かせた。
「トゥラン皇国から頂く贈呈は美しく二つとないものが多く、それ故に扱いに慎重を要するものが多かった」バリエドが快活な笑みを広げる。「此度、大切な従者を手放されるワ・ロウ・イ殿下も、より一層両国の国益に繋がることと、お喜びでしょう」
 バリエドの笑みにワ・ロウ・イが色の無い視線を返す。
 イグアス三世の背後に控えるメネゼスは僅かに身を乗り出し、
「申し上げた通りの方でしょう」
 密かに告げた声に主君が穏やかに微笑むのを見て、身を戻した。
 ワ・ロウ・イは束の間ファルシオンを見据え――、皺を刻んだ口元を、酷薄な笑みの形に動かした。
「御意向のままに――とは言え、まだお若い王ならではの甘いお考えであった」
 ワ・ロウ・イはしゃがれて纏いつく響きでそう言い、悠然と腰掛けた。
 静まり、どことなく緊張を残した大広間の空気に、張りのある女の声が響く。
「国賓の皆様に続いて、私にもご挨拶のお時間を頂いております」
 立ち上がったのは来賓席に座るカラヴィアスだ。
 立ち姿とその声ひとつで、場の空気が一変したように感じられる。
「この重要な場に貴重な機会を頂き、光栄に存じます。その機会をお借りして、国王陛下へお伝えしたいことがございます」
 一歩進み出たカラヴィアスは、ファルシオンへ敬意を込めて一礼した。
「昔語となるだろうほど、古い話です。さほど長くはございませんが、どうぞ耳をお貸しください」








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