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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

八十三



 微笑みを微かに残し、ファルシオンは歩き出した。
 全ての視線と意識が真紅の絨毯の上を歩く幼い王太子、ファルシオンの上に注がれる。
 左右に等間隔に立つ近衛師団隊士は向かい合う隊士とその手の儀仗を互いに合わせ、再び引いて身体の前に立てる。
 次々と、割れる波に似た動きと音の中をファルシオンが歩く。従えるのは若く、その身に宿す剣を思わせる剣士。
 儀仗を鳴らす音――ファルシオンの歩み。
 居並ぶ参列者達が、一歩一歩玉座へと進む新たな君主を追い静かに体の向きを変える。
 やがて玉座の前に至る。付き従っていたレオアリスがファルシオンへ一礼し、玉座後方左側へと進んで正面、広間の全ての動きを視界に収めて向き合う。
 ファルシオンは三人の国賓と来賓へと黙礼を向け、参列者へ――そしてクラウディアとエアリディアル、四公に目礼すると、玉座を背に、静かにそこへ立った。
 束の間の静寂が大広間を覆う。
 参列者が息を呑んだのは、幼い頬の柔らかな面の、今は引き締まったそこに前王の面影を確かに見出したからだ。
 ベールが自席の前に二歩、進み出る。
「これより、アレウス国第二代国王、即位式を執り行う」
 先王の治世は千年に渡り続いた。
 アレウス国にとって、そして諸侯にとって、王位継承は初めてのことだ。
 未だにそれは、戸惑いと、喪失感――あの王が、自分達の目の前から居なくなったことへの――、愕然とする想いを浮かび上がらせる。
 特に即位式の流れを一から組み立てる中で、携わる者達は何度となく、その想いに駆られた。
 ベール自身もまた、自らの中に漂う、理論では整理し難い想いを今も感じている。
「――昨年四月末、先王陛下が崩御され、我等は長い悲嘆の中にあった。だが陛下が造り上げられたこの国、政、法、そして陛下が敷かれた世は消えゆくことはなく、今もこの国と、我々の世を護り、秩序を以って維持されている」
 その上に立ち、今日を迎えた、と。
 言葉を繋ぐ。
「我等は先王陛下とその治世に衷心よりの感謝を捧げつつ、今日、新たな王を戴く。先王陛下が混乱を見越され、国王代理としてその任を託された王太子殿下はこの一年、御自らが先頭に立ち、我等を導き、我等に寄り添い、混乱と混迷を共に切り拓いてこられた」
 ベールは諸侯を見渡し、ファルシオンを見つめた。
 王が失われ、一年。
 その間を支えた幼い――若い、後継者。
「我等の新たなる王が、この国の新しい歴史と未来とを創り上げ、我等はそれを共に支え奉らんことを、この即位式を以って誓うものである」
 綴られた想いの余韻は参列者達の上を流れ、大広間に染み入る。
 ベールが一歩、身体を戻し、入れ替わってスランザールが進み出る。
 近衛師団隊士が儀仗を掲げ、石突で床を突く。
 その音と同時に、回廊に控えていた四人の官吏の内、二人が回廊を歩き始めた。それぞれが捧げ持つ真紅の天鵞絨びろうどを張った台座には、三つの品が載せられている。
 一つは宝剣。
 一つは宝珠をあしらった首飾り。
 一つは宝冠。
 宝剣と首飾りを運ぶ官吏がスランザールの横に立つ。
 差し出された台座から、スランザールはまず宝剣に手を伸ばした。両手で掬うように持ち上げ、額の位置に掲げ、ファルシオンへと向き直る。
 身体を沈めてファルシオンを拝し、宝剣を差し出した。
 ファルシオンは右手を伸ばし、宝剣の鞘を掴んだ。クラウディアがファルシオンの腰へ、革に金の繊細な装飾を施した剣帯を帯びさせる。
 ファルシオンは鞘に架かる鎖と組紐を剣帯へと括り、自らの手で宝剣を腰へと佩いた。
 宝剣は審判――国政を正しく進め、時に果断に裁く意志と誓約を込めている。
 続いてスランザールは、天鵞絨の台座からもう一つ、宝珠の首飾りを両手で捧げ、持ち上げた。
 首飾りは三日月型の台座を持ち、白金で作られた台座の中央にある宝珠は金緑石。太陽の光の元ではその色が青みがかった緑に、夜の灯火ともしびを受けては紫を帯びた赤に変わる貴石だ。
 エアリディアルが受け取り、ファルシオンの首に掛ける。幅広の白金の台座が宝珠を挟み、鎖骨の上に三日月を作る。
 磨かれた球体の滑らかな面と深い輝きが、王の誠実、清廉、叡智、深い思慮を表す。
 ファルシオンは二つを身に帯び、幼い、引き締まった面を持ち上げた。
 最後の一つ――もう一台の台座を捧げ持つ官吏が進み出る。
 真紅の天鵞絨が張られた台座には、宝冠が窓から差す光を弾いている。
 この宝冠は宝剣、宝珠の首飾りと同様、この日の、ファルシオンの為に新たに造られた。
 銀髪と黄金の瞳が映えるよう、金と白銀を組み合わせた地金に、金剛石と碧玉を散りばめた。
 中央には小鳥の卵ほどの大きさの宝石――白色虹石があしらわれた。淡い白色の中心に放射状の虹彩が躍る、王家が所有する中でも最も美しい貴石だ。
 スランザールは白色虹石へ視線を落とした。
 澄んだ白い石の中にゆれる放射の虹。
 考えてみれば王は、宝冠すら戴いていなかった。
 宝冠が無くとも王が王であることは疑いようもなく、誰しも、その前に立てば自然と身を正しこうべを垂れた。
 全てを委ねて。
 あの時代はもう終わったのだ、と、唐突に、頭を殴られたかの如く、スランザールは自覚した。
 余りにも当然に、無意識に――言い換えればその存在に、子供のように依存していた時代は。
 自分の前に立つ、まだ幼いファルシオンの姿を見つめる。
 一年前の、今日。


『陛下。西海に赴かれるにあたり、留守を預かる我々に安心を頂けませんか』

 世界は何一つ変わらず、盟約は続くのだと。


 スランザールは西海との不可侵条約再締結の為に王都を立つ王へ、そう懇願した。
 窓から射す白い光の中、王は口元に微かな笑みを浮かべていた。

『世界は変転し続けるもの』

 託宣のように。
 あの時感じた感覚――自分の足元にある硬い床が偽りのものに過ぎず、一歩踏み出せばそこに暗く深い奈落が広がっているような。
 奈落に沈む冷気が靴裏から這い上がるような戦慄を覚えている。

『古い盟約は時を経て、変わり行く世界を縛り、変転を妨げるだけのものに成り果てる――誰も千年を見越した盟約など、作りようがないのだからな』

『陛下、どうか――』


 王へと、強く願った。
 王に、足元の奈落ではなく――深く長く背後に尾を引いた陰ではなく、正面に差し込む光を是として欲しいと。
 それを王はれなかった。
 けれど。
 あの場へ、飛び込んできたのは、光。

『父上――!』

 とても眩しい。

 玉座のきざはしを降り――王は笑った。
 世界は変化していく。
『何を恐れるのだ』
 と。


 そう、ファルシオンは光だ。
 まだ生まれたての光。これからますます輝きを増すだろう光。
 この先の未来へ変化をもたらし、体現する者。
 幼い王を支え、この王と共に、新たな国を造っていく。
 新たに――及ばないながらも、この国に生きる自分達の手で。
 スランザールは宝冠を両手で持ち上げ、誰からも見えるように高く掲げた。
 窓から淡く射す陽光すら纏って輝く。
 ファルシオンへ、一歩、靴裏を滑らせるように進む。ファルシオンは浅く頭を伏せた。
 スランザールは両手に掲げた宝冠を、静かに、幼いその頭の上へ、置いた。
 それはあたかも、自らの手から――それはとても小さいものだが――、そこへ、未来を託したようだ。
 緩く足を引くスランザールの動きと、頭を上げるファルシオンの動きが調和を持って重なる。
 スランザールは微笑み、参列者達へと、宣言した。
「これより、ファルシオン・ソル・オリエインス=アレウス二世国王陛下の御世が始まる」


 レオアリスはファルシオンの斜め後ろに立ち、意識を広間の細部まで張り巡らせながらも、ファルシオンの姿を、指先に至る全身へと行き渡る静かで、けれど温もりを帯びた想いと共に見つめた。
 六年前、王がファルシオンに授けたもう一つの名は、昇りゆく太陽を表している。
 ベールの宣言が大広間に響く。
「この時をもって、我等アレウス国の民は新たなる王を得た。我等が王が幾久しく我等の頂きに在られ、そして国の栄えが弥増すことを祈念し奉る」


 ファルシオンが頭上に戴く宝冠、その中心にある白色虹石から放たれる虹の放射が大広間へと光を差し掛けるかと思える。
 割れんばかりの拍手の中、ファルシオンは玉座の前に立ち、自分へと注がれる視線と向き直った。
 拍手はファルシオンの瞳を受け、吸い込まれるように静かに消える。
 まず初めに、玉座の右に立っている三人の国賓へ身体ごと向き直る。
「マリ王国イグアス三世国王陛下、ローデン王国バリエド国王陛下、トゥラン皇国ワ・ロウ・イ皇太子殿下。この拙き身の即位の式に、ご参列を頂いたこと、心から御礼申し上げます」
 その瞳を、正面、伸びる絨毯の右側へ向ける。
 来賓席の前に立つ、西海の評議長レイラジェ、アルビオルとミュイル。
 にこりと微笑む。
「西海、イル・ファレス評議会レイラジェ評議長。私達は共に同じ脅威を払い、共に互いの国の復興へ、力を尽くしてきました。これから、新しい国づくりに、手を携えてまいりましょう」
 レイラジェが、並ぶ二人が長く、頭を伏せる。
 瞳をもう一組、レイラジェ達の隣へ。
「ルベル・カリマ、そしてベンダバール、二つの氏族からの多大なお力添えに、この国を代表し、深く感謝申し上げます」
 カラヴィアスは微笑んで面を伏せ、プラドは黙したまま一礼した。
 三名の国賓に着座を勧め、そして来賓、参列者達へも、席に着くよう求めると、その衣擦れと椅子が床を鳴らす音の中、ファルシオンはゆっくりと一つ、息を吐いた。
 再び、大広間が静まり返る。
 黄金の瞳が、自分の前に並ぶ数百の人々へ――この国を支え、この国で生きる一人ひとりの人々へと注がれる。
「――ここに、今日、集ってくれた皆に礼を言う」
 この短い期間に、様々な場面で多くのことを語ってきた。
 その言葉の一つひとつを受け止めてもらって、ここまで来ることができた。
 だから今言葉にするのは、これまでと変わらない――何よりも大切なことだ。
「私は幼くて、力もまだ不足している。けれどこれからも学び、身になじませて、より良い国づくりを、その為の取り組みを一つ一つ、行なっていきたい」
 居並ぶ諸侯をぐるりと見渡し、母と姉を、スランザールや四院の長達、それから三国の王達を――その瞳をレオアリスに向け、また正面に向き直る。
「その為に力を貸してほしい。私と共に、今日、これから、父王と、戦いで亡くなった全ての人々と、そしてこれまでこの国で生きてきた皆と――共に、この国の未来をつくろう」
 再び――、湧き起こる拍手と、そして新王ファルシオンを讃える声が大広間を埋め尽くした。











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2022.7.31
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