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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

八十二



 この国が新たに動き出す、その期待感と高揚が即位式の会場となる王城南棟五階の大広間に満ちていた。
 千名を収容できる広間は、二十本の列柱が吹き抜けになった二階部分の回廊を支え、更に高い天井へと伸びている。列柱の白く丸みを帯びた柱には浮き彫りや透し彫りに彫刻が施され、金彩で彩られた。
 広間の長辺に当たる、二階の回廊南面に並んだ窓と、同じく広間一階南面に並ぶ三連窓から陽が注ぎ、天井から吊り下がる水晶をふんだんに用いた大燭台は光を纏わせ、広間とその空気を染めていた。
 二階回廊北側には重厚な、鋼鉄の装飾を施した、広い片開きの扉が一つ。これは居城に繋がり、この扉を用いるのは王家に限られている。
 そこから回廊の北東の角近くに、階下の広間へ降りる優美な階段が設けられていた。
 即位式は九刻から始まるが、八刻半の段階で広間には既に殆どの参列者達が揃い、互いの抑えた会話が風が梢を揺らす音に似て、広い空間を埋めていた。
 参列者の為に並べられた椅子は五百席、東面へ向き、中央に一本敷かれた真紅の絨毯の左右に三列ずつ置かれた。
 侯爵家八家、伯爵家二十家、子爵家三十五家、男爵家四十四家。
 加えて法術院――椅子に座り何やら一人そわそわしている法術院長アルジマール。
 司法庁長官クロフォード。
 王立学術院副院長ラザール。
 王都の商業組合長や豪商、下層から上層まで東西南北地区六十地区の代表など、王都有力者達。
 多くはそれぞれ妻、または夫を伴っての参列だ。
 フィオリ・アル・レガージュの交易組合長カリカオテ、レガージュ船団長ファルカン、ユージュ。
 正規軍副将軍タウゼン、各方面将軍ランドリー、ミラー、ケストナー、ゴードン。各方面大隊大将の中では西方第七大隊のワッツと東方第七大隊のシスファンが一際目を引いている。
 近衛師団副総将グランスレイ、セルファン、参謀長クーゲル、相談役ハリス。第一大隊フレイザー、ヴィルトール、第二大隊ロンベルク、クライフ、第三大隊ハイマート、デル・レイ。
 参列者の椅子の後方には右に正規軍、左に近衛師団のそれぞれ小隊が彫像と見間違えるほど背筋を張り、身動ぎせず並んでいる。
 真紅の絨毯の真横に、一定の間隔を置いて儀仗を身体の脇に立てた近衛師団隊士が控える。
 玉座近くに置かれている来賓の一角は、否が応でも注目を集めた。
 西海評議会代表レイラジェ、バージェス領事館 エブラーン、ミュイル。
 ルベル・カリマのカラヴィアス、トールゲイン、ティルファング。
 ベンダバールのプラドとティエラ。
 西海と、剣士の氏族。特に剣士達の醸し出す空気は、穏やかな様子であっても肌を引き締めるように思えた。
 今日陞爵を予定しているヴェルナー、ランゲを含む公爵家四家、そしてスランザールの座る椅子はまだ空席のまま。
 そして、大広間を西の扉から東の面へ、縦に横切る長い真紅の絨毯の正面に、玉座が置かれていた。
 王母となるクラウディアと王女エアリディアルの座る椅子は中央の玉座から一間ほど離れた南側にやや内を向いて置かれ、対する北側には国賓の為の椅子が三組、二列に並べられている。マリ、ローデン、トゥランの為のものだ。
 国賓として招かれた各国の王やその一行は、一昨日の内に王都に到着し、それぞれ王城五階の貴賓室に滞在していた。
 この間にごく非公式の親睦の席が設けられたが、国賓、来賓を迎えた正式な晩餐の席は、即位式終了後、今日の夕刻五刻から用意されている。
 期待と心地良い緊張感に覆われていた大広間へ、西面に設けられた両扉が開き、儀仗と細長い喇叭を手にした近衛師団隊士が二人、粛々として入室した。
 二人は扉の左右にそれぞれ儀仗を立てて控えた。両開きの扉の前から玉座へと、長く敷かれた真紅の絨毯がより存在感を持つようだ。
 次第に大広間に漂っていた密やかな会話のさざめきは、静かになっていった。
 囁きが消え、しんと静まり返った中、大広間の北面、回廊の奥の扉が開くと正装を纏った官吏が五名、手にそれぞれ台座を捧げ持ち、その内四人が柱廊の壁を背に並んだ。
 一人は台座を捧げ持ったまま、大理石の床に靴音を鳴らし、先に近衛師団隊士が入った西面の両開きの扉へと回廊を歩いていく。深い赤の絹張りの台座には、金彩を施された細い巻物が乗せられている。宣上官と言い、口上の役を担う。
 宣上官――内政官房官がその役割を担っている――が扉の左に控え、姿勢を正すと、台座の上の巻物を手に取り、右手で巻物の上部を引き上げた。
 朗々と声を張り上げる。
「これより、国賓をこの場へお迎え致します。御臨席の方々、御起立をお願い申し上げます」
 声に従い、居並ぶ諸侯は椅子から立ち上がり、後方の西面へと向き直った。
 衣擦れの音はすぐに消えて静寂が満ちる。
「――マリ王国国王、イグアス三世陛下、御来臨です」
 読み上げる声に合わせ、背の高い両開きの扉がゆっくりと開く。
 近衛師団隊士による喇叭が高らかに吹き鳴らされ、割れんばかりの拍手の中、裾を引いて入場したのは、マリ王国国王イグアス三世だ。
 豊かな白髪を美しく結い上げた小柄で優しげな面差しに、気品のある穏やかな笑みを浮かべ、拍手で迎えるアレウス国諸侯へ答えた。傍らにマリ王国海軍提督メネゼスと、二名の文官を従えている。
「王妃殿下クラウディア様、地政院長ランゲ侯爵、スランザール公のお成りです」
 イグアス三世の後から、近衛師団隊士と内政官房官、そして王妃クラウディア、ランゲ、スランザールが入り、クラウディアはイグアス三世へとお辞儀を向けると、先導して歩き出した。
 イグアス三世はクラウディアに続き、真紅の絨毯の上をゆったりとした足取りで進んだ。
 身に纏うのは赤と金を主体に、色鮮やかな差し色の布を重ね合わせた印象的な衣装だ。小振りの王冠から垂らした長く細い白布が歩を進めるごとに揺れる。
 先日、フィオリ・アル・レガージュの港に降りた際は布が顔の横と首元まで隠していたが、今は繊細な細工の鎖で両側を側頭部に留め、その面を誰からも目にすることができるよう顕していた。
 絨毯を歩き切ると、イグアス三世は玉座の左に用意された椅子の前に立った。向けられた諸侯の視線に穏やかに微笑む。
 クラウディアとランゲ、スランザールは自らの席へと歩き、同じくその前に立った。
 続いて新たな喇叭が一音、鳴らされ、参列者達が再び扉へと体の向きを変える。
「ローデン王国国王、バリエド陛下、御来臨です」
 三十三歳とまだ若い王は、六尺を超える武人然とした体躯で、先ほどイグアス三世が扉を潜った時よりもそれを狭く感じさせた。
 合わせて入った王女エアリディアルとアスタロトの先導のもと、三人の共を連れ、真紅の絨毯の道を広い歩幅で悠然と歩く。
 ローデンが得意とする銀細工に象嵌と珊瑚玉を散りばめた王冠は遠目にもその精巧さと威風を見てとることができ、彼等の王の人となりを良く知る職人の手によるものだろうと思わせた。
 先に立っていたマリ国王イグアス三世に恭しく一礼し、居並ぶアレウス国諸侯へまた一礼すると、その隣の椅子の前に立った。
 マリとローデンが同じ海洋国家として親交の深い間柄であることを示すように、二人は互いの方へ僅かに身を傾け、ひと言、ふた言、笑みを交えて言葉を交わしている。
 自らの席の前に立ったアスタロトは、二人の国賓の姿から、視線をたった今入ってきた両開きの扉に向けた。
 三番目に入るのは、トゥラン皇国の皇太子だ。
「トゥラン皇国皇太子、ワ・ロウ・イ殿下――御来臨です」
 開かれた扉の中央に立つ姿は、アスタロトの想像通り、それまでとは異なる騒めきを場にもたらした。
 レガージュの港に降りた時皇太子は輿に乗ったまま顔を見せることはなかったが、今はその姿を顕している。
 大公ベール、ヴェルナーに先導され、六名の供を連れ真紅の絨毯の上を歩く様は、傲然と、という表現と、見たこともない彼の国の宮中の様子や空気が、自然と頭の中に浮かぶほどだ。
 齢六十八歳。細い面の中の、光を放つ双眸。幾重にも重ねた絹服の下にあってさえ、肉などほとんど削げているのではないかと見えるほど痩せているが、肉体的な不健康さは見られない。矍鑠かくしゃくと――百まで苦も無く生きそうだ。
 六名の供は皆、女性と見紛うばかりに美しい青年達だった。首元から手首まで身体にぴたりと添う黒地の衣服に、腰帯で留めた足首までの長さの透けるほどに白い紗の布を纏っている。
 一見嫋(たお)やかに見えるその体躯も目線も、剣を以って皇太子を害そうと目論んだ時、踏み出すことを躊躇わせる鋭さを持っていた。
 彼らに囲まれ歩くワ・ロウ・イの表情は皇国第二位の地位を如実に映し出し、細めた瞳の奥の光は目に映す価値のあるものだけを映し、値踏みするようだ。
 視線は絨毯の左右に並ぶ参列者の大半を、壁の装飾でも捉えるように過ぎる。
 僅かに異なる色が加わったのは、真紅の絨毯の道が終わりかけた時だ。
 西海のレイラジェ、ミュイル。
 その横に席を並べるティエラ、プラド、ティルファング――それからカラヴィアス。
 双眸をごく僅かに細め、視線を戻す。
 カラヴィアス達の向いに立つアスタロト、最前列に立つエアリディアル、先導を終え一礼するロットバルトへ目を向け、既に待つマリ国王イグアス三世とローデン国王バリエドと悠然とした目礼を交わし、用意されていた椅子の前に立った。
「本国がどんな状態か、伺わせるようだな」
 カラヴィアスは傍らのプラドにだけ届く声でそう言った。
 プラドは無言だが、トゥラン皇国の徹底した身分制度の在りようは国境を越えて届いている。
「あれほど傲岸な目ができるとは、なかなか」
 命はあの存在にとって、蝋燭の火よりも容易く消えるものだろう。
 物騒な笑みのカラヴィアスを、プラドはやや呆れた色を浮かべて横目に見た。
 とは言えトゥランは外交面においても真意が捉え難く、真正面から付き合うのが難しい国だ。
 前国王の在位中は、両国の距離的な条件もあり文書による国交が主だったが、今回、即位式とはいえ――皇太子を出してきた。
 そして即位式の流れの中とはいえ、こうして主役を迎える為に座りもせず立っているというのは、トゥランの慣習と皇太子が持つ生まれつきの支配者然として放つ空気を見れば異例だろう。
 ただし、長く国家を安定させているトゥランと確固たる国交を築くことは、国として重要国策の一つだ。
 新たなアレウス国王は、この厄介な国とどう国交を作って行くのか、この先真価を問われることになる。
 三名の国賓が揃うと、場の空気が落ち着く数呼吸を置いて、両開きの扉傍に控える近衛師団隊士が、再度、黄銅色に光る喇叭を口元に当てた。
 高らかに、張りのある音が、高い天井へ届くまで吹き鳴らされる。
 両開きの扉が、静かに、光を呼び込むように開く。
 参列者達の視線が――、マリ王国国王、ローデン王国国王、トゥラン皇国皇太子の視線、そして意識が、開いた扉の前に現れた姿へと、集中する。
 幼い――けれど、まだ子供でしかないその姿に、凛とした威厳を纏って、王太子ファルシオンが立っている。
 その斜め後ろに控えて立つ、近衛師団正式軍装を纏うレオアリスの姿。
 ファルシオンは自らに集中する数百の視線へ向き合い、一度、胸の中に溜まったものを解放するようにゆっくりと息を吐き、微笑んだ。












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2022.7.24
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