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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

七十九




 四月一日に西海との間に和平条約を締結したバージェスでは、今は港湾機能の強化に向け、桟橋の建造が進められている。
 街が復旧され王都直轄領になったもののそれで全てが整ったとは言えず、実際にはまだ動き出したばかりだ。
 王家直轄の港として、そしてフィオリ・アル・レガージュと並ぶこの国の新たな玄関口として、熱量を持つ為には、バージェスを寄港地とする交易先、そして交易路を開拓していく必要がある。
 レガージュと既存の交易先を食い合うことは避けなくてはならないが、レガージュを経由地としてバージェス以北への物資の輸送体制を確立すること、何よりバージェスを中心とした独自の交易圏形成が急務であり必須だった。
 新たな交易先として一番に考えられるのは、かつてバージェスと交易を行っていた北方の国々だが、大戦後三百年、西海に阻まれて国交は途絶えており、交易船は訪れていない。
 今後難航が想像される交易路の開拓は、次期西方公でもあるヴェルナーを中心に、財務院、地政院、内政官房、正規軍、そしてレガージュと、緊密な連携を取りながら検討が進められていた。
 まずはファルシオン即位後、三か月以内に北方への使節団を派遣し、かつて親交のあったグラクェニクとラヴィエクの二国と再度国交を結べるかを探る予定だ。
 北だけではなく、西への航路も探したい。これは西海の協力に加え、マリやローデンの持つ情報を得るなど国家間の連携、そして何より、アレウス国の造船技術の向上が不可欠だった。
 一方で、レガージュを経由してバージェスまで足を伸ばす交易船は日に日に増え、国外から国内へ、国内から国外へ、レガージュとバージェスを通じて南から北へ、物流の循環が生まれ始めている。
 街への移住希望者は引きも切らず、日々領事館に列をなしている状況で、街は活気に溢れていた。



 同じく西方、第七大隊の軍都ボードヴィルでは砦城の修復をほぼ終え、ナジャルに破壊された大屋根の一部と塔が、この秋には修復を終える予定になっていた。
 幸い激しい戦闘の中でも居住区への被害はほとんどなく、ボードヴィルの修復は大屋根と塔が完了すれば終わる。
 ただ少々厄介なのがシメノスに置かれた堰で、流れがある中での作業の為、設計も含め最低でもあと二年はかかる見込みだった。西海軍との戦いで勝利に大きく貢献した堰は、記念碑として一部が保存される。
 黒い板塀と杉葺きの屋根が特徴的なボードヴィルの街にも人々が戻り、砦城とサランセラム丘陵を繋ぐ通りは常に賑わっていた。
「スクード少将! 王太子殿下の御即位、いよいよですね!」
 部下のマウイとオズマが、城壁に立っていたスクードへと敬礼して歩み寄る。
「なんだか緊張してきました」
「俺は気持ちが躍ってきた」
 マウイとオズマが笑う。
 スクードは、彼等と共にボードヴィルに侵入しようと、シメノス側の高い岸壁に切り出された細い階段を登ったことや、ヒースウッド伯爵邸から身重のラナエを連れて逃れたことを思い浮かべた。
 サランセラム丘陵での西海軍や、死者の軍との戦い。
 ナジャルとの戦い。
 僅か半年の間のことだったが、十年も共に過ごしたように感じられる。
「ここで役割がある訳じゃないが、あの時、俺たちの前にいらした王太子殿下が即位されるのは、感慨ひとしおだな」
 マウイは少し照れ臭そうに、鼻先に指の背で触れた。
「こないだのワッツ大将の言葉、嬉しくって何度も思い返してます。兵達もあれから顔付き違いますよ」
 ワッツは三日前、即位式参列の為王都へ向かう際、ボードヴィルの兵達を一堂に集めてこう言った。


『このボードヴィルは反乱の中心地にこそなったが、俺達が取り戻し、その後は西海軍を食い止める要衝としての役割を見事に果たした』
 ボードヴィルは複雑な立場を経て、今、即位式の日を迎えている。
 今いる彼等に責はなくとも、一度は王都に反旗を翻した。
 その引け目が駐屯する兵達の間に、どことなく、どうしても、漂っていた。
 ボードヴィルにいることそのものが、そう思わせていたのだ。
『ナジャルとの戦いを、俺達はこの目で見た。俺達がこの身で、この剣で戦い、王太子殿下をお守りした』
 あの戦いの中で、ファルシオンは戦場に、このボードヴィルにいた。
 共に戦った。
『そして、勝利した』
 ぐるりと、ワッツが剃り上げた頭を巡らせる。
『誇れ。国の、歴史の転換点に、俺達は居た。そして新たな国造りに大きく貢献した』
 一人ひとりの視線を捉える。
『誇れ』


 スクードは視線を転じた。
 陽の光が、空に点々と散らばる雲を際立たせながら重なり合う丘に降り注いでいる。
 サランセラム丘陵は、うねる波のように下草が広がる一面の緑。




 王都から近い北方の中規模都市、アス・ウィアンは一昨年の秋、バインドによって壊滅状態になった。
 北方地方の振興策の一つとして、北方公ベールはアス・ウィアンの復興にあたり、新たに学院を創設し、学院を中心として居住区や商業区を配置した都市を計画。一時西海との戦いで復興工事は中断していたが、今年三月に再開させた。
 五年後に開設する王立学術院と北方公の私設学術院を中心に、学術都市としての発展を目指す。
 また、黒森の辺縁部に三年後、シュランから引いた水道管を通じて温泉を供給する保養地が完成する予定で、保養客の交通手段確保の為に、新たに北の主要街道から北方の街カレッサを経由して街道を分岐させる。




 北の基幹街道沿い、黒森に至る最後の街であるカレッサは、黒森から流出する魔獣が他の街より少なく被害も最小限に留まった。
 この四月で復興を終えた街は、僅かに残っていた残雪も消え、周辺の村から冬の間に消費した生活必需品や食料の買い出し、また作り溜めた日用雑貨や工芸品、家畜の売買を目的にした人々の賑わいが連日続いていた。
 通りや宿、店先で交わされる会話はこの先の期待に満ちたものばかりだ。
 中央広場にある商工組合も飛び交う賑やかだった。
「ファルシオン殿下が即位されたら、陛下とはまた違う形でこの国も栄えていくといいな」
「レオアリスが近衛師団総将になるんだって」
「ずいぶん前、黒森から買い出しに来てたんだってな」
 値切りまくってたとか――と笑いが起きる。
「見た見た、元気でねぇ」
 それが立派になって、と感慨深げなのは家畜を売りに来た農家の女将さんだ。帳場の係員に、今回売ろうと連れてきた牛や鶏の一覧を記した紙を手渡す。
 係員は一覧の紙に日付を書き込んで押印した。
 室内の掲示板に張り出すと、それを見た購入希望者が組合を通じて売買交渉ができる。
「見たと言えば去年の二月、ここに来た時見たよ。立派になってた。部下と、めちゃくちゃ綺麗な女の子がいて」
 一部の話題はそこから、あの少女とレオアリスとの関係、帳場の女性陣はレオアリスが伴っていた並はずれて見目の良い青年将校が誰かに移って盛り上がっている。
「王都は違うよねぇ」
 もう一つ注目されているのは、北方公が進める保養地の開発だ。
「三年後には黒森の端にシュランの温泉もできるし、街道が通って、近衛師団総将が彼で、この街もうんと栄えるよ、きっと」
「有難いことだ」
 西の基幹街道とも街道を繋げる予定で、バージェスやフィオリ・アル・レガージュからの人や物の流れが生まれることも期待の一つだ。
 このカレッサの街も大きく変わるだろう。
「でも黒森といえば、吹雪を呼ぶ魔物がいるらしいじゃないか。保養地なんて造って大丈夫なのかねぇ」
「あれはどうもシュランを守ってるらしいぞ」
「縄張りってだけって聞いたけどな」
「ちょっと見てみたい気もする。安全なら」
「守っているったって魔物だ、下手に踏み込んだら危ないだろう」
 そんな会話を背に中年の女が一人、組合を出て、賑やかな広場を抜けると裏通りへと歩いた。
 表通りよりも古い、石造りの建物が並ぶ筋を二本過ぎたところで足を止め、古びた扉を押し開ける。
 軋みと鈴の音を立てて開いた扉の上には「クラリエッタの店」という看板がかかっている。
 法術の術具や術そのものを扱う店で、店主のクラリエッタはかつて、王都で市井ではあるが、高位の術師として法術の研究に勤しんでいたこともあった。
「やれやれ、賑やかだ」
 店内に入った太りじしの女――クラリエッタは、主要通りの賑わいとは無縁な閑散とした店の中で、帳場の台の上に巻物を二つ、置いた。
 隅に立ててあった台帳を捲って巻物の項に新しく二つ、書き入れる。
 台帳をぱらぱらと捲り、途中の項で捲る手を止めた。
「セト達のとこは、すっかりツケも解消しちまった。すっきりしたらすっきりしたで寂しいもんだね。まだまだたっぷりつけといてやるのに」
 セトが聞いたら表情のわかりにくい口元をへの字に曲げるだろう。

『知らんくせして知ったかぶりするのが流儀かね?』

 五年前か。
 あの時、あの子供はクラリエッタからすればまるで無経験で無力に感じられた。
 祖父セトと冬が明けたばかりの頃、買い出しに来て――
(まだ十四の手前だったって言ってたね)
 その後、数日して、一人で店を訪ねてきた。
『竜のことを教えて欲しいんだ』
 薄暗く埃っぽい店内は今と変わらず、あの時の瞳が思い起こされる。
『悪いこた言わない』
 おとなしく村に帰れ、と告げた。
『王都なんてそんなにいいもんじゃないよ。故郷が、一番幸せだ』
 頑なに王都を目指そうとする理由は、まだ年若い少年ならではの未熟さと無謀さと、焦燥感だと思った。
『若い内は勘違いもするもんだ。道を引き返すのは恥ずかしい事じゃない』
『そんなんじゃない』
 王都に、行きたいのだ、と。
 無謀な若者を待つのは、死という暗い淵だ――そう思いながら、何故かクラリエッタは、自分でもはっきりしない期待に動かされ、彼を手助けした。
「まったく、あたしが期待した以上だったねぇ」
 王都で御前試合を制したと客から聞いた時は驚いたが、剣士だった、と聞いて更に驚いた。
 それで驚くのは打ち止めだと思ったが。
「近衛師団の総将とはねぇ」
 クラリエッタは太い首をすくませ、想定外の現在にくすりと笑った。




 陽はもう既に、鬱蒼と葉を茂らせた黒森の樹々を縫って注いでいた。
 カイルは手に籐で編んだ籠を持ち、まだ積もる雪の下に芽を出した白い花を一つ、摘んだ。ピールと言って葉と花の香りが高く、茶葉に適している。
 北の地に春を告げる草だ。
「サラがもう生えとる。今年は実りも豊かそうじゃの」
 ムジカが嬉しそうに、カイルの後方でやや紫がかった草の根を雪の下から掘り起こしている。サラはその根を茹でてすり潰し、固めて餅にする。春に新しい芽を出し、冬の手前まで収穫できる、保存食に適した植物だった。
 彼等の養い子の好物で、ムジカは良く「食べたいなら手伝え」と、根をすり潰すのを手伝わせていた。大変な作業ではあるが、それも楽しい想い出だ。
 日々降る雪はその量も頻度も減らし、森は動物達が雪の上に残す足跡も多くなっている。あと半月もすれば、黒森の中でも地面が雪の下に覗くようになるだろう。
「レオアリスに送ってやれば喜ぶぞ」
 セトが言うと、ムジカはじとりと恨みがましい目を向けた。
「自分らばかりあの子のところで楽しい想いをしおって」
「そうですよ」とメイがムジカに乗っかる。
「次はわしらが行くからの」
 ここのところレオアリスの話題になる度に、ムジカ達だけではなく他の村人からも同じ恨み言を言われる。
 これ以上は敵わないとセトは両手を上げた。
「そうせぇそうせぇ。わしらは一巡してからでいい」
 カイルとセト、ムジカ、メイの四人は薄くなった雪から覗く薬草を摘みながらそぞろ歩いた。向かっているのはかつての、剣士ジン達の里の、跡地だ。
 交わす会話は他愛のないものだが、ただ、今日が何の日か、四人とも心の底に静かにいだいていた。
 誇らしさと喜び――、一抹の寂しさと。
 樹々の間に呼び交わすような鳥の声が広がり、カイルは茂った樹々の葉の間から、青く澄んだ空を見上げた。
 陽光の眩しい一日になるだろう。








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2022.7.16
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