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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

七十八




 まだ仄白ほのしろく、雲ひとつ無い空に光が一筋、王城の城壁から昇り、弾けた。
 朝の光に透けながら、空に丸く淡い花弁を開く。
 溶ける花弁の名残を追って城壁から次々と、新たな花火が打ち上がった。
 夜明けの合図――今日、新たな王が誕生する合図だ。
 王都の街の中層、上層、そして下層からも、空を切り高い音を立てて光が上がる。
 束の間、王都上空を埋め尽くし、淡い花火が重なり合い、広がった。
 王都の街そのものが、祝いの声を上げているように見えた。

 齢六歳、王太子ファルシオンが新たなアレウス国国王として今日、即位する。




 東にミストラ山脈を背負う正規軍東方第七大隊の軍都、サランバードは、王都より一刻ほど早く夜明けを迎えた。
 西方での戦いはここサランバードからは遠かったが、魔獣の出現に悩まされ、昨年十一月までその対応に追われていた。それも十二月になると鳴りを潜め、今ではすっかり落ち着いている。
 今日王都で行われる即位式に参列する為、大将シスファンは二日前に飛竜で発っていた。サランバードには副将イェンセンが残り留守を預かっている。
 とは言えサランバードが即位式と全く関係ない訳ではなく、即位予定時刻と同時に閲兵式を行い、住民達と共に花火を打ち上げ、料理と酒を街の広場に広げて祝う予定だ。
「副将閣下!」
 廊下を駆け寄ってきた中将グルーは敬礼した。
「本日の域内警備、配置完了しました」
「良し。じゃあまだ倉庫にある酒樽出して各小隊二本ずつ回しとけ」
「は……」
 まだ朝だと――それより勤務中だと戸惑うグルーに対し、イェンセンはやや草臥れた顎髭を指で引っ張りつつにやりと笑った。
「大将閣下もご不在で、王太子殿下が即位される。今日ほど無礼講の日も無いってもんだ。ここで羽目外さなきゃいつ外すんだって話だよ。ゆっくりしようや」
「しかし、今日、揉め事でもあると」
「ちょっとした騒動なら一つ二つ頭はたいときゃ済む。まあだからって自分達から騒ぎだけは起こすなよ」
「は!」
 この祝いの日、自分の隊は仕事だと割り切っていたグルーも、嬉しそうな様子を背中に乗せてまた廊下を離れていく。
 イェンセンは窓の外、シスファンのいる王都の方角へ視線を向けた。
 今日の即位式の祝祭感は遠いものの、二千里を越えてこの地まで伝わるように思える。
「まさか生きてる間に、代替わりを見るなんてなぁ」
 一つ吐く息と共に、イェンセンはしみじみ呟いた。




 軍都サランバードから更に東、アレウス国東端ミストラ山脈の麓の小さな村――サンデュラスでも、早朝から即位の祝いの空気が漂っていた。
 二年前、一時近衛師団の一部隊が駐屯して領事館や警備隊の体制、人選、様々なことを整えた。その後二か月ほどでサランバードの正規軍が村の外に駐屯することになった。
 最後に残ったアリヤタ族の姿はこの近辺から消え、彼等の内臓から作った触媒で得ていた収入も、前領主から受けていた配給も無くなったが、もともとどちらも警備隊がほとんど独占していて村人達には充分落ちてこなかった。
 村人達は駐屯兵の協力を得ながら農作業に戻り、昨年の収穫量は一昨年の倍に増えた。日々生活は豊かになり、以前はミストラ山脈の麓にへばりつくような印象を持っていたが、今はすっかり明るい雰囲気に変わっている。
 狭い村の通りを、十一、二歳頃の少年が同じ年頃の少女と、それぞれ両手に籠を抱え、やや駆け足で抜けて行く。籠に入っているのは今日売る為に作り溜めた、乾燥させた果実だ。
 無花果、林檎、葡萄。
「今日はさ、一日農作業休んでいいんだよ」少年は得意げに、傍の少女へそう言った。「休みがあるっていいよな! 毎日働いてなかった時はみんな、顔がどんよりしてたけど今は楽しそうだしさ」
 街がすっかり変わって、二年。
 少年が街の駐屯兵達に剣を学び初めてから、同じ時が過ぎた。
 彼等が忙しく教えてもらえない日も、一人で剣を振るのを一日も欠かさなかった。
 いつか王都に行く為に。
 そう夢見ていた少年にも届いた、王太子ファルシオンの即位と、新たな近衛師団総将の話。総将に就任する剣士の名前。
「俺、決めた。あと二年して十四になったら、王都に行って近衛師団の入隊試験受けるんだ」
 少女は無理、と言うかと思ったがちょっと唇を尖らせ「剣士になりたいって言わなくなっただけ賢くなったもんね」とからかうように言った。
 少年の夢が二年前、現実的に――そしてより熱を持ったものになったのを知っているからだ。
「まだそれ言う、キーナはさ。いつの話だよ」
 そう頬を膨らませる身長も伸びて、食事を十分に摂れるようになったのに加えて剣を教えてもらっているのもあり、細かった体に筋肉もついて来た。
「でもそしたらさ、い、一緒に、王都に行こうぜ」
 ほんの僅か息を呑んだ少女の前で、少年は陽射しよりも明るく笑った。




 東方最大の街、ヴィルヘルミナは昨年十一月初めにベルゼビアの乱が終結し、その後一旦は王家直轄領に編入された。この区域を管轄する正規軍東方第二大隊も再編成後、新たに駐屯して街道の安全維持などに努めている。
 ただ直轄領下にあった期間は短く、ランゲの公爵陞爵と東方公就任にあたって再び東方公領に戻ることになっていた。
 それに先立ち、この四月からランゲにヴィルヘルミナの管理が任されている。
 ランゲはこれまでの街の方針である文化、芸術を重視してきた施策を継承しつつ、ベルゼビアの館を開放することを通達した。噂を聞きつけた旅芸人や若い芸術家達が、このひと月で早くも集まり始めている。
 ランゲ自身が芸術にあまり造形が無いと言ってほとんど規制を設けず口出しもせず――投資も最小限に――、その場に任せきりなのが功を奏しているのだろうと、住民達は他の三公爵や前公爵に比べて華やかさの欠けるランゲへの、ちょっとした揶揄からかいと敬愛の念を込めて噂している。
 ヴィルヘルミナは東方一豊かな街だが、もともと東方は厳しい要件の多い地方でもある。西方や南方は豊かな穀倉地帯に加えバージェスとフィオリ・アル・レガージュを有する分、今後の発展の兆しが明るいが、東方、北方は作物の生育に適さない地も多く抱えている。
 地政院の長としてもランゲは、新たな手段を生み出し、西方、南方に負けず国土全体を更に豊かにしていくことを己の使命としていた。
 ヴィルヘルミナはいずれ国内随一の芸術都市として、新たな王の治世を華やかに彩るものになるのだが、それも十年近い歳月を要する。




 南方中域、イル・ファレスの小都市ロカも、今日は朝から新王即位の祝いの空気に満ちていた。
 この街唯一の医師であるセイモアは、郊外の果樹園へ往診へ出かける為、賑やかさを増し始めた朝の大通りを抜け、馬の手綱を引いて街門へと向かっていた。
「セイモア先生! 往診ですか!」
 セイモアは振り返り、焼き菓子店の店先から声をかけた店主へ手を振った。
「そうだよ。緑樹園にね」
「今日は王様のご即位のお祝いだっていうのに、先生はいつも熱心ですねぇ」
 店主の言葉に内心、この日だからこそ、とセイモアは呟いた。
 王都で行われたイリヤの裁判から半年。
 新たな王に御世替わりし、この国が先へと向かって行く中で、ラナエやあの果樹園の子供達もその流れに共にいるのだと伝えてあげたい。
「じゃあこれ、持ってってください。あそこの子等に」
 売り物の焼き菓子を手早く包み、店先に寄ったセイモアへと手渡す。
 これも持っていきなよ、と周りから幾つも声がかかる。
 セイモアの腕も馬の背負う荷物も、渡されたものですぐに一杯になった。
「ありがたい。大喜びするよ。みんな食べ盛りで、食べるものはいくらあったっていいくらいだからね」




 ユージュは岸壁の上の、父がいつもそうしていた場所から、眼下に広がる海と、急な斜面で形成されたフィオリ・アル・レガージュの街並みを見下ろした。
 見慣れていた光景は、少しずつ変わり始めている。
 ファルシオンの即位式参列の為に訪れた各国の船が所狭しと桟橋に停泊し、その隣り、シメノス河口を挟み北の崖側では港の拡張工事の真っ最中だ。
 レガージュ船団の船と、交易船。今マリやローデンへ出ている船も少なくない。
 港や広場、通りの賑やかさが海から吹き寄せる風に乗り、ユージュが立つ高い岸壁の上まで伝わってくる。
 今まで見たこともない活気が、肌に感じられた。
 それはこれから、更にこの街の活気が増して行くのだと、ユージュに確信させてくれる。
 母が目指し、繋げる為に父が守り続けてきたもの。
「父さん――母さん」
 心をぎゅっと掴む父の面、暖かで厳しい双眸。
 浮かぶ母の面影は門に刻まれた横顔ばかりだが、それでも色を持ち、その瞳はユージュへと柔らかく向けられているようだ。
 ユージュは口元に、力強く柔らかな笑みを刷いた。
「ボクが引き継ぐね」




「新たな王様と、新しい近衛師団総将の就任を祝おう!」
「この街からカトゥシュへ旅立った。立身出世にあやからないかい」
 あちこちの街角で、関係あるのか無いのか良くわからないくらい様々な祝いの品が店先に広げられている。
 北西地域、カトゥシュ森林へ向かう街道があるフォアの街では、王太子ファルシオンの即位と彼の新しい近衛師団総将の就任を――就任にかこつけて――祝う人々で賑わっていた。
 建物はどれも三階までの造りで、この近隣の街よりも立派だ。道の両側に連なった壁は薄紅の煉瓦と白塗りの漆喰で組まれ、雪の多い北西に位置しながら街全体が暖かい印象を受ける。
 建物ごと、二階の高さに正方形の彫刻が飾られているのが特徴的だ。 彫刻の模様はまちまちだが、竜を象った物が多く見られた。かつて風竜のすみかだったカトゥシュ森林が近く、この街の者達にとっては竜の存在はより現実感のある、かつ親しみも覚えるものなのだ。
 旅人に襲いかかる恐ろしげな絵を掲げるのは武具屋、金銀財宝の山の上に寝そべり満足げな絵がかかるのは宝飾店。
 竜の凍る息を防いでいるのは毛皮屋。
「この服さえあれば出世間違いなしだ」
「関係あるのか?」
「あるある、多分ねぇ」
「多分て」
 街門近く、貸し飛竜屋の小屋の前で捻り鉢巻の男は、片手を大きく振り飛竜を探す客を招いている。
「王の剣士はうちの飛竜を使ったよ! 貸した俺が言うんだから間違いねぇ!」




 正規軍西方第六大隊の軍都エンデは、西海との戦いの最中から避難民が集まり、彼等の生活と活動を支える為に街の拡張を続けてきた。
 大河シメノスとその支流に挟まれた三角州に、低い石積みの堅牢な塁壁と共に築かれた城郭都市は、二つの川を天然の堀としている。
 避難民の内五割が終戦後も定住を希望し、人口は三千近く増え、およそ二万三千人。街は元々の街区と、戦い後定着した新しい住民達が多く住む新街区に分かれ、シメノスの支流で区切られた新街区へ渡る橋がちょうど完成したところだ。
 街から少し離れた場所には西の基幹街道がシメノスに並走し、周辺に広がる農地はちょうど春の種まきが始まっていた。











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2022.7.16
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