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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

七十五




 四月二十七日、フィオリ・アル・レガージュの港には、早朝からレガージュ船団の船が道を作るように、五基ある桟橋の両端に、定間隔に停泊していた。
 港の桟橋前には広場を埋め尽くして多くの人が整列し、全面の海へ顔を向けていた。
 彼等の視線の先、波が陽光を砕く沖合から、船影が近づいて来る。
 先月末、和平条約締結の際にバージェスを訪れる船を迎えた時と同じく、前列に並ぶのはレガージュを管轄する南方公としてアスタロト、内政官房の高官二名。
 南方将軍ケストナー、第七大隊大将ダイク。広場の左右に正規軍の儀仗兵の列。
 交易組合長カリカオテ及び幹部ビルゼン、エルンスト、オスロー、レガージュ船団長ファルカン。
 レガージュ領事スイゼル子爵。
 ユージュ。
 四日後の五月一日に予定されている王太子ファルシオン――次のアレウス国王の即位式に招かれた国賓を乗せた各国の船が、今日、このレガージュに入港するのだ。
 国賓はいずれも国主級であり、レガージュとして国賓を迎えるのは、これが初めてのことだった。
 まず到着した船はマリ国王、イグアス三世のもの。
 海運国家マリを四十年間の長きに渡り治め、即位前よりも更に発展させてきた。統治の初期にマリ海軍を七つの船団に再編したこともイグアス三世の功績として挙げられる。火球砲を開発させ、現在では王国が有する七つの船団全てにおいて、半数以上の船に火球砲を備えている。
 総船数は七つ全てで百を超えた。
 そのマリ王国海軍艦隊は二、四番の桟橋に七隻、自らの国王を迎える為に分かれて停泊している。
 国王を迎える為、メネゼスは西海との和平条約締結の立会人を務めた後、一旦レガージュを離れ自国海域まで戻ると待機し、洋上で王の船団と合流した後、再びレガージュを訪れた。
 メネゼスの旗艦が、近付いて来る九隻の船団の先頭に見える。
 アスタロトは眩しい陽光に手を翳し、船団を透かし見た。
「メネゼス提督の船団は七隻レガージュに残ってるから三隻、国王の船が一隻で、あと五隻は護衛かな」
 答えたのはレガージュ船団長ファルカンだ。
「マリ王国の船団は七つございます。そのいずれかでございましょう。メネゼス提督の船団はマリ王国第二位と聞いておりますので、今回同行しているのは或いは第一位の船団かと――」
 ファルカンの言葉に息を吐き、再び目を凝らす。
 やがて桟橋に、白く優美な船が接岸した。
 港に配置した儀仗兵の隊列が、国賓を迎える為に手にしていた儀仗を真っ直ぐに立てる。
 甲板へ現れたのはメネゼス、それから――
 陽光に照らされた甲板に鮮やかな布地が揺れる。
 アスタロトは瞳を丸くした。
「女王――」
 いや、この任に着くにあたり、各国国賓についての情報は予めスランザールから説明を受け、頭に入れていた。
 ただ、これまでマリ王国としては提督メネゼスとその船団、そして火球砲の印象が強かった。
 その国主となればカラヴィアスやシスファンのような人物を想像していたが、メネゼスを従えて桟橋に降り立ったのは白髪を美しく纏めた、小柄な、優しげな女性だった。穏やかな笑みを浮かべたふくよかな頬が、その存在の上品さを増している。
 メネゼスとマリ海兵が先導し、海運国家の国主であることを証明するように、波に揺れる桟橋を平地と同様に、ゆっくりと歩いてくる。
 身に纏うのは赤を主体に色鮮やかな布を組み合わせた、印象的な衣装だ。鍔のない円筒状の帽子から、顔の横と首を覆って白い布を腰まで垂らしている。先の尖った、同じく色鮮やかな靴が、歩むごとに裾から覗く。
 港で待つアスタロト達の前まで来ると、マリ王国国王、イグアス三世は穏やかに微笑んだ。
(この人が、マリ王国国王――)
 年齢は六十を一つ過ぎたばかりと聞いている。
「遠路遥々、ようこそお越しくださいました。まずは王太子ファルシオンに代わり、心より御来臨を歓迎いたします」
 アスタロトは膝をかがめて上体を深く伏せ、ケストナーやカリカオテ達もそれに倣った。



 間を置かず到着したのはローデン国王を乗せた、ローデン王国の船団だ。従える船は十隻。
 レガージュ船団の船半数、そしてマリ海軍船団は王の船とメネゼスの旗艦を残して一旦沖合に引き、開いた桟橋へとローデンの船が三隻、接岸する。
 現われたローデン王国の国主は即位十年を過ぎた三十三歳の青年国王で、六尺(約180cm)を越える体躯は頑健そのものといった印象だ。
 桟橋を大股に歩き、港へと上がった。



 もう一国、今回参列の使者があったのが、トゥラン皇国だった。
 到着したのはマリ、ローデンより半日遅れ、午後三刻の陽もやや傾き始めた頃だった。
(回答があった出席者は、トゥラン皇国の、皇太子だ)
 今年六十八歳になったと聞いた。
 白っぽい沖合に船団の姿が浮かんでいる。
 トゥラン皇国の船は、マリやローデンとは趣きを異にしていた。
 帆船には変わりはないが、全体に細長く、両舷に下ろした櫂が海上での均衡を保っている。
 伸びた船首が先端で優美な内巻きを作り、船首から舷縁へ、精緻な彫刻による模様と色とりどりの彩色が施されている。
 マリ王国、ローデン王国の船が並ぶ桟橋へ、優美な船は滑るように着岸した。
 波に揺れる船の甲板にまずは一団が現われる。
(あれは)
 トゥランの皇太子は彼の親衛隊が特徴的なのだ、とスランザールが言っていた。
 なるほどと息を呑む。
 一団は十人ばかりの従者――皇太子の私設護衛官で、昼夜の区別なく常に皇太子の身辺に付き従い、を皇太子を警護しているのだと聞いた。
 初めて彼等を見た者は、一様に驚いた様子を見せた。
 アスタロトも、横に並ぶケストナー達もだ。ケストナーなどはアスタロトよりも一層、驚いているかもしれない。
 皆揃いの官服を纏っている。薄く上質な布を体型に添わせて足首まで流し、その下にもう一枚、燕脂色の布が喉元から足先まで、肌をぴたりと覆っている。
 十名全て、十代後半から二十代後半だろう、線の細い青年だ。
「女――いや、男ですな……」
 ケストナーが呻くように呟く。傍らで第七大隊大将ダイクも、それからファルカンや、カリカオテ等も顔を見合わせている。
 彼等の驚きのとおり、十名全員が女性と見紛うばかりに整った面をしていた。
 儚げな美しさにしなやかな所作も加わって、﨟長ろうたけた、という表現が相応しい。
(ほわあ……)
 アスタロトも思わず驚きを零した。
 整った顔といえばレオアリスも整った顔をしているが、レオアリスとは異なる。アスタロトの知る限り一番はロットバルトだが、雰囲気というか系統が違う。
(ティル――いや、あいつは顔はかわいいけど儚さが欠片も無いし)
 表向き皇太子の護衛官とされているが、その実、下世話な言葉を用いれば『夜伽の相手』と噂され――
(あの見た目揃えて、全員暗器使いって……こわい……)
 やや暗殺寄りの武技を持った護衛なのだという。
 護衛官達は船から渡された階段を使って桟橋に降りると、一糸の乱れもなく整列し、甲板を見上げた。
 続いて甲板に現れたのは、黒く艶やかな木材と黄金で造られた輿だ。
 トゥラン皇国では貴人は輿で移動し、身分の高さを輿の装飾が表した。黄金と黒の組み合わせは、皇帝と皇太子にのみ許された組み合わせと言う。
 アスタロトは顎をもう少し、持ち上げた。
 輿の周囲に四人、すっと立ったからだ。
 華やかな刺繍の入った長衣と、何より特徴的なのは、朱色で文字か、それとも模様かを描いた白い布を、額から鎖骨の辺りまで垂らして顔を隠している。
 輿を担ぐのではなく、彼等が前に進み始めると、黄金の輿はあたかも見えない担ぎ手がいるかのように進んだ。
(あれは、法術――?)
 皇太子を乗せた輿は重量を感じさせず、護衛達の待つ桟橋へとふわりと降りた。





 ファルシオン即位は、遠く二千里離れたフィオリ・アル・レガージュにおいても、歓迎をもって迎えられた。
 マリを始め諸外国の国主がレガージュを窓口に訪れたこともあるが、今回の祝賀式典を始め、レガージュにとっても大きな商機になる。
「王都の商人にゃ負けてられねぇ」
 再開したバージェスにも。
 レガージュの商人ブレンダンはつるりとした頭に申し訳程度、小さな帽子を乗せ、息子と忙しく倉庫を確認して回っていた。
 即位式へは既に多くの品を納めている。
 即位式だけではなく、国内の復興に向け日用品を始めとした需要が高まり、売上は去年の同じ頃よりも五割ほど伸びた。
「王太子殿下の即位式でがっつり商品入れさせてもらったし、こん次はマリともローデンとも、それからトゥランともどんどん船を出して、交易路を拡げてかねぇとなぁ。トゥランは珍しい品が山とありそうだ」
「今の港の状況じゃ、船があんま受け入れられないよな。交易組合と領事館は三か月でまずは二基、最終的には二十基に桟橋を拡張するってことだけど」
 交易組合は港の拡張計画を今月頭に発表した。
 既に着手もしている。
 桟橋、倉庫の増設、造船所の造船機能強化など港湾機能の強化は、五年計画で進められる。
 現在は桟橋五基、それぞれに六隻ずつ、合わせて三十隻の船が停泊することができる。ただレガージュの交易船、そしてレガージュ船団の船も含めてだ。
 拡張後は桟橋二十基、船は百隻を超えて停泊可能となる計画だった。港の左右の岸壁に張り出し、波を抑える為の防波堤を築く。
 それに伴い、街も岸壁の上へと拡張していく。
 バージェスとの連携も視野に入っていた。
 ブレンダンは視線の先、走っていく少女の姿を捉え、片手を上げた。
「おっ、ユージュ! 昨日はお疲れさん! 三国も迎えてくたびれたろう!」
「ぜんぜん!」
 立ち止まったユージュは遠間から、ブレンダンに手を振った。
「今、もう全然疲れたりしないんだ。疲れって何って感じ! やりたいこといっぱいなんだ!」
「そりゃいいや! けど無理すんなよ、お前さんが新しい守護者なんだからな」
『父さんと母さんの想いは、ボクが継ぐ。レガージュはこれからも、ボクが護るから』
 ユージュはそう、街の人々に誓った。
 ちょっとまだ頼りないけどなぁ、とブレンダンが笑う。
 だがその分は自分達が支えるからいい。
「お前さんも明日には王都に行くんだろう、たっぷり土産を持って行って、レガージュとうちを売り込んできてくれよ!」
「わかった、任せて――! またね!」
 青い海を背景にして駆けていくユージュの背中に、ブレンダンも、ブレンダンの息子も、忙しく荷役に従事していた男達も手を振った。







 昨日の四月二十八日には、マリ、ローデン、トゥランの国賓を迎え、王城では歓迎の晩餐が開かれた。
 日が明けた二十九日の午前に行われた十四侯の協議では、外交を担う部署の新設が議題に上がったところだ。現在の内政官房の一部署ではなく外に部署を出し、現在主な親交のある三国以外、北方の国も含めて国交を広げて行く。
(わたしも、言葉を身に付けないとなぁ)
 アスタロトはしみじみと思いながら、館に昼食を食べに行くつもりで王城三階の廊下を歩いていた。
 レガージュでも昨日の晩餐でも、通訳を介して十分会話は成立したが、とは言え自分の言葉で語りたい。
 ベールやロットバルトはさすが、それぞれの言葉を問題なく操っていた。
(ファルシオン殿下も――挨拶と、簡単な会話くらいだけど)
 まだ六歳なのに、と舌を巻く想いだ。
「アスタロト」
(レオアリスも私と同じかと思ったら、マリ語で挨拶してた……)
 ちょっと――いや、だいぶ悔しい。
「アスタロト」
「負けないぞ!」
 勢いよく振り返ってキッと睨む。
 驚いたレオアリスが一歩足を引いた。
「――何に……?」
「レ、レオアリス――」
 顔にじわじわ血が昇ったのは、レオアリスに抱いている好意だけが理由ではない。
「何でもないよ」
 首を傾げたが、いつものことだと思われたようだ。
「今、時間あるか? 少し話そう」
「じ――じか、時間は、ある、いや、ない――ようなあるような」
「前に、話そうって言っただろ」
 覚えている。
 アスタロトは頬を紅潮させつつ冷や汗を同時にかいた。
 話をしたかったような、話したくなかったような。
「無い?」
「あ、ある」
 こくこく頷く。
 なら――とレオアリスは廊下の窓の外を指差した。
「すぐそこの庭園がいいかな。天気もいいし」
 とレオアリスは先に立って歩いていく。
 まだ立ち止まっているアスタロトを振り返り、「ほら」と呼んだ。









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2022.6.12
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