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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

六十五



 王都は前日の王太子ファルシオン誕生祝賀の空気を残したまま、翌二十五日午後一刻、王城謁見の間において十四侯の協議が開かれた。
 レオアリスは玉座のあるきざはしを背に、ファルシオンの斜め後方に控えて立ち、議場となっている謁見の間を見渡した。スランザール、四院の長であるベール、アスタロト、ランゲ、ヴェルナー。侯爵達と、法術院長アルジマール、司法院。
 その中心にファルシオンがいる。列席者達に向ける面は、昨日、母である王妃と姉エアリディアルに向ける年相応のそれとは異なり、ずっと大人びて見える。
 ただ、昨日のものとは異なりながら、今の姿もファルシオン自身なのだと、自然とそう思わせた。
(まだ六歳――)
 初めてその前に膝をついた時は四歳だった。
 この一年で、この半年で、わずか三か月で――ほんの一日でも。気付けば一歩一歩、着実に成長して行く。
 そのことに温もりと、そして静かで穏やかな希望が胸の奥に灯るのが感じられた。
「協議を始めよう」
 昨日の祝賀への感謝を述べた後、ファルシオンはそう言った。
 協議の議題は三件。いずれもバージェスと和平条約締結に関するものだ。
 三つ目の議題に関連して、楕円の卓の後列にある近衛師団の席にはヴィルトールが出席している。レオアリスはヴィルトールと目を合わせ、普段と変わらない眼差しに彼がこれから担う役割に想いを向けた。
「まずはバージェスの復興について、私から」
 アスタロトが立ち上がり、席を見渡す。ちょうど天窓から落ちる光の一筋が、アスタロトの前に落ちている。
「最初に――今回、私にバージェス修復を任せて頂き、有難うございました。得難い経験をさせて頂きました」
 ファルシオンと、卓全体に頭を下げる。
 戻した瞳がファルシオンの斜め後方に立つレオアリスの上に流れ、慌てた様子で――はたから見ればちょっと面白い顔をして――咄嗟に逸らされた。
「ええと――、街の修復は三月十二日、完了しました。修復作業に従事した兵は、西方第七大隊から四百名、それと周辺の農民達が六百名、王都から呼んだ職人も加えて、およそ一千名が協力して、三か月、ずっと頑張ってくれたおかげです」
 ファルシオンは嬉しそうな表情で頷いた。
「三か月で――三か月ものあいだ、毎日たいへんな作業をしながら、バージェスを甦らせてくれたことに、心から感謝している」
 微笑みを含んだ幼い声が耳に触れ、アスタロトも頬を綻ばせる。
 こうした一つひとつを確実に受け止めて労う言葉をくれるのは、ファルシオンの素直さと性質によるもので、この先国王として立つ為にとても大切な資質の一つだ。
「殿下にそう言っていただけたら、みんなも喜びます。本当に力と、技術を尽くしてくれましたから。あとは復興に向けた仕上げですが、それは内政官房や地政院にしっかり引き継いでます」
 アスタロトはファルシオンと、傍らのベールへ顔を傾けた。
 ベールが微かな笑みを刷き立ち上がる。
「諸般の手続きを整え、バージェスは本日付で王家直轄領となったこと、御報告申し上げます」
 建造物を含めた街区の測量。街区内の建造物、水路、上下水道など財産の点検、その台帳化。
 或いは町の統制、運営機能の編成。
 細々とした諸般の手続きがあったが、その説明は別途行われており、ベールはこの場での報告を端的にとどめた。
 だがこれで、四月一日の和平条約締結は直轄領として迎えることになる。
 締結における必須条件ではなかったが、街の修復、そして直轄領編入が締結日前に終えられたことは、和平へのより確かな基盤を築けたように感じられた。
「もう一つ、街の拡張に当たっての移住希望者の調整です。これは殿下の御即位後、西方公を代理として、十四侯の意見も踏まえながら進めて行くこととなります」
 続いて地政院長官ランゲが立ち上がる。半年前はやつれ気味だった頬は、今は血色を取り戻している。
「地政院より国王代理、王太子殿下へ、バージェスの今後の都市計画について提案させて頂きます」
 地政官員が楕円の卓に座る十四侯の各侯へ、書面綴りを配って回る。
 全て回りきったのを確認し、ランゲは面に緊張と紅潮を巡らせ、書面の表紙をめくった。
「最初の項をご覧ください」
 紙を繰る音が束の間流れる。
 幅広の紙面に書き記されているのは街の平面図だ。西側が海岸に面し半円状に広がる街の造りはバージェスと判るが、現在のバージェスよりも三、四倍は広い。
「バージェスの街区拡張図でございます。現在の人口二千人規模から、一万人規模の街へ拡張するものです」
 拡張とは言え街の建造は久しく無かったもので、楕円の卓を囲む諸侯から感嘆と期待の声が漏れる。
 ファルシオンは手元に拡げた街区図へじっと瞳を注いだ。
 今ある建物、水路や通りは黒、拡張する街区は青で記されている。
「図面にしてございます通り、まずは街区及び水路を、海沿い及び内陸――かつての一里の控えの範囲内に拡張する計画です」
 海沿いの、『条約の館』がある半円広場から水路と通りが放射状に広がって、一里の控えとして分けられた半円の区域を街が美しく埋めている。
「とても広くなるのだな。一万人――王都の一割だ。すごい」
 感慨深い響きで続けた。
「指標石の半分と、一里の館は今のままで残すのだろう」
「然様でございます」
 レオアリスは視線を、天窓から落ちる光の筋にほんの僅か、注いだ。
 一里の控えは不可侵条約再締結の際、互いに一里(約3km)以内に兵を置かないとした区域と、その約定を指す言葉だ。また、五十年に一度の条約再締結の儀に赴く王を警護する役割もまた、『一里の控え』と呼ばれた。
 バージェスを中心にした一里の半円を、指標石と呼ばれる石碑が三十間(約90m)ごとにぐるりと囲んでいた。
 西の基幹街道が一里の控えに至る場所には、館が一つ置かれた。館内にはバージェスに赴く王の為の転位陣が置かれ、一里の館と呼ばれていた。
 西海の侵攻により大地を泥が覆い、一里の館と指標石は傾き、泥に埋もれた。
 戦いの爪痕として今後の戒めとする為、半数は傾いた状態のまま残すと決めたのも、この十四侯の協議だ。
「五年後に、一万人規模の居住が完了しているよう目指す計画でございます」
「この国に、新たな街が生まれる――とても楽しみだ」
 計画の中には諸外国との交易の再開、拡大の為の港の機能強化も含まれている。
 今現在、半円広場の正面に併せて八隻が停泊できる桟橋を築いているが、まずは広場北側に新たな桟橋を設置し、停泊数を三倍に増やす構想だ。
「本開発において必要不可欠な財源について、財務院と検討を重ねて参りました。この先のご説明は、財務院長官、ヴェルナー侯爵からお願い致します」
 ランゲは引き継ぐように言って腰を下ろした。
 ロットバルトが席を立つ。蒼い双眸が楕円の卓を見渡し、ファルシオンへ目礼した。
「では、財政の面からご説明させて頂きます。お手元の計画書の五項をご覧ください。簡略な資料ですが――」
 資料は街区と港の拡張に係る経費、その財源及び、今後の都市機能の維持と運営の為の財政基盤確立、強化について、資材、輸送、人工に係る経費などの基礎数値を基に説明されている。
「財源としてまず、国庫と王家私財の支出割合は四対六を予定しております。家屋を含めた街区の形成、水路や交通路、上下水道の敷設など、概算で総額一千九百万ルーアンを、五年に渡り下降傾斜で計上します」
 正規軍の年間維持費が七万五千ルーアンであり、途方もない額と言えた。
「財政基盤強化については、次項に記載の通り、諸外国との交易から得る収益を安定化させ、次に国内への流通により、人、資源、資金のバージェスを拠点とした活性化を図ります。王太子殿下の御即位後、まずはマリ王国、ローデン王国、トゥラン皇国に港を開きますが、同国との交易はフィオリ・アル・レガージュが既に確立しておりますので、国内の競合を避ける為には新機軸が必要となるでしょう」
 項を繰る音が続く。
「一つは西海との交易。また、西海と他国との交易における拠点港としての役割を担うこと。加えて、北方諸国との交易路の再建など、バージェス独自の基盤を開拓、構築します」
「まずは、北の国々へ、改めて使者を送らなければならないな」
 大戦以前は北からも交易船が訪れていた。氷雪の国と呼ばれたグラクェニクと、その隣国のラヴィエクの二国の名前は文献の中にある。
 西海の航路が閉ざされて以来来航は絶えているが、今回をきっかけに北方の国々との交易の再開を目指していく。
 ファルシオンはその黄金の瞳を、未来を見るように投げた。
 フィオリ・アル・レガージュとバージェス、二つの交易港を持つことで、アレウス国がより、外へ向かって開かれていく。
 東のミストラ山脈、南のアルケサス、北の黒森ヴィジャ。
 そして、西海バルバドス。
 この国を護る天然の塁壁でもあり、見方を変えれば国を閉ざし他国との親交を隔てる壁でもある。
 そこが一つ、開かれる。
「この計画を、しっかりと進めてもらいたい。この場でも引き続き協議をしよう」
 ファルシオンは楕円の卓を見渡し、力強い響きでそう言った。
 次の議題は、四月一日の和平条約締結と、その流れについて。
 西海との調整は全て終了している。
 ファルシオンの前に一枚の書状が置かれた。和平条約の全文を記した原本だ。
 締結の儀において、双方が署名、調印することにより、締結される。
 続けて、三件目の議題――
 この議題については、スランザールが腰を上げ、ファルシオンへ一礼した。
「四月一日を持って、バージェス及び西海の首都イス・ファロスに互いの領事館を置くことを、双方合意致しました」
 これもまた、和平条約に基づくもので、国としての親交、政治的関わりを深めて行くことを意図している。
 イス・ファロスへ領事として派遣されることとなるのは。
 レオアリスは視線を、楕円の卓の後列へ向けた。
 ファルシオンもまた顔を巡らせる。
「近衛師団第一大隊副将、アーネスト・ヴィルトール」
 幼い声に呼ばれ、席に控えていたヴィルトールが立ち上がり、楕円の卓の横に出ると膝をついた。
「そなたをイス・ファロス領事に任命する。イス・ファロスに設置する領事館に赴任し、国交の強化に力を尽くしてほしい」
 ヴィルトールは伏せていた面を上げ、
「身に余る大命、謹んで拝受致します」
 ゆっくりと落ち着いた声でそう言った。




 三月末日――
 翌日に西海との和平条約締結を控え、王太子ファルシオンは修復を終えたバージェスの街に入った。










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2022.5.8
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