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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

五十六



 柘榴色の鱗を連ねた艶やかな翼が、降り注ぐ陽光を弾きながら冷えた風を切る。
 眼下を流れる大地は、低い山脈を一つ越えると疎らに雪に覆われるようになった。
 雪の白と大地の枯れた色、残る緑が布を切り貼りした模様のようだ。
 緩やかな斜面を描く丘、平原、谷。森や林、畑。くねりながら流れる川、まっすぐに伸びる石敷きの街道。
 二騎の飛竜は柘榴色の躯を大気に託し、悠然と飛び過ぎる。
 やがて二騎の前方、空と大地との間に微かな影が点のように現われると、みるみるうちに明確な姿を現わし始めた。
 小高い山に似て、広く裾野を伸ばす街。山頂に戴く優美な城、空に伸びる尖塔の数々。
 鳥が舞い飛ぶように見えるのは飛竜の影だ。王都上空を飛ぶのなら、正規軍の赤鱗か近衛師団の黒鱗か。
「もう四半刻もかかりません」
 首の長さ分先を飛ぶ飛竜の背へ、トールゲインは声をかけた。
 柘榴の飛竜はルベル・カリマのもの――アルケサスを原産とする。
 先を行く飛竜の背で、カラヴィアスが視線を流して頷く。
 つい半刻前までは空を行くのは自分達の飛竜だけだったが、今は緑鱗の姿も見え始めた。柘榴の飛竜に気付き、緑鱗は近付くのを嫌って速度を落とし、乗り手の訝しむ声がその都度上がる。
 眼下ではこの国の大動脈である主幹街道が遥か四方から王都へと伸び、街道を往来する乗合馬車や荷馬車、商隊、馬や徒歩の旅人達が王都を目指し、或いは王都を背に各地へと旅立って行く。
 王都、アル・ディ・シウム――
 カラヴィアスにとって訪れるのは三か月ぶりだ。
 街は既に活気を取り戻し、十一月に見た時よりも華やかな空気を纏っている。
「さて、もう話は済ませたのかどうか」
 王都にいる男の面白みのない顔を思い起こし、柘榴の飛竜の背でカラヴィアスは口元に笑みを浮かべた。
 街門に立つ衛兵の姿が肉眼で見える辺りで、トールゲインが飛竜をカラヴィアスへと寄せる。
「長、今回は街門前で降ります。以前のように王城から招かれている訳ではありませんので」
「飛竜はどうする?」
「民間の厩舎に預けます。街門の前面に幾つかあるでしょう。一番厩舎の造りがしっかりしたところを選びましょう」
 トールゲインが指差したのは長方形の広い平らな屋根で、ちょうど一頭、飛竜がその前の草地へ降りたところだ。
 屋根の中央には広い開口部が設けられている。そこから飛竜が飛び立つのだろう。
 トールゲインが先に飛竜を降下させ、カラヴィアスも後に続いた。



「こりゃあすごく立派だ。旦那、こいつはどこの、何て種で?」
 飛竜屋の男は降り立った二頭を迎えて駆け寄り、驚いた顔を上げ、大型の飛竜の全身を覆う艶やかで深い赤の鱗をしげしげと見回した。
 トールゲインが男に手綱を預ける。
「南に棲息する種だ。緑鱗より気性が荒い、丁寧に扱ってくれ」
「承知しました。体格がでかいしちょっと今まで扱ったことがねぇんで、規定の料金に色付けてもらいたいんですが」
「幾らだ?」
 飛竜屋は「通常一日七ルスなんですが、十――二頭なら合わせて二十ルスのとこ、まあ十八でいいですよ」とやや下からトールゲインを眺めた。
「十八か。人の宿より高いな。元値の七ルスも相場より高いだろう。十五にならないか」
「いやぁ、飛竜は買い替えられんですよ、滅多にゃ。特にお客さんの飛竜は。ですからしっかり預からせて頂くにゃ、せめてこのくらい」
「構わん」
 やり取りを見ていたカラヴィアスが頷く。
「値引きも不要だ」
「えっ」
「相場より高かろうが、その分には責任を持つと言うのならいいさ。取り敢えず二日分、前金で払う。我等にとって大切な飛竜だ、信頼して任せるとしよう」
 飛竜屋はトールゲインの向こうに立つカラヴィアスをちらりと見て、ぎこちない愛想笑いを浮かべた。



 二人の客が街門へ向かうのを見送ってから、飛竜屋の主人が預かった柘榴の飛竜の手綱を取った。
 もう一人近寄った若い男も慎重に手綱を引き、初めて見る柘榴の飛竜が思いのほか大人しく従ったことに息を吐く。
 主人が厩舎内の一番いい柵に飛竜を入れるのを見て、「へぇ」と呟いた。
「さすがに二十もらったら疎かにはできねぇですね。にしてもこいつ、市に出したらいい値つくんだろうなぁ」
 主人はぎょっとして思わず入口を振り返った。今は他の客が一人しかなく、位置も離れている。聞かれてはいない。
「そういうことを口にすんな」
「へぇ? 冗談ですって。うちはそんな店じゃないでしょ、親方。下手なとこに預けなくてよかったってことで」
「聞かれるだけでも信用問題だし、第一首が跳びかねん」
 若い男は首を押さえた。
「跳ぶって、なんすか、ずいぶん物騒ですね。あの二人そんなヤバい客ですか」
「お前が想像してる輩じゃないけどな。この鱗、思い出したよ。って言っても直接見たのは初めてだけどあの二人、多分あのルベル・カリマだよ」
「――ルベル・カリマ?」
「剣士だよ。覚えてねぇか、ほら去年の秋」
「去年――?」
 あっと青年は手を打った。
「そういや去年、赤い飛竜が王都に来たって、正規軍の色とも違うってあん時ちょっと噂になりましたね」
 王都の飛竜を扱う商人や厩舎を営む者達の中で、見たこともない柘榴の飛竜について話が盛り上がったのだ。
「へええ。西海との戦いでもかなり戦功立てたって、あの……あの二人は戦ったんすかね。片方女でしたけど。けどやっぱ二日分前金でぽんと払って、さすがじゃないですか」
「何言ってんだ、値引きもさせてもらえんとなると、却って気が重いや」
 先に二人の素性に気付いていたら安くしたのに、と飛竜屋の主人は首の付け根を指で掻いた。



「通ってよし」
 街門の衛兵はトールゲインの示した通行証を確認し、一組前の荷車へ告げたのと同じ響きでそう言った。
 カラヴィアス達が通った後も、しばらくするとまた「通ってよし」と声が聞こえる。
 街門を抜けるとまずは半円形の広場がある。大通りが正面に、それ以外の小路が放射状に敷かれている。
 広場をぐるりと囲う建物は、看板を見ればほとんどが小料理屋を併設した宿屋のようだ。
 これから正午に差し掛かろうという広場はあちこちから美味そうな香りが漂ってきて空腹を刺激する。昼時を目指して王都に到着した旅人達がぞくぞくと広場に集まり、広場は活気にあふれていた。
 街門から入った人々は様々な土地から集まっているのか、それぞれ出立いでたちはまちまちだが、顔はみな明るく、街を眺め、登っていく広い大通りの先を見上げ、そしてその先、重なり合う屋根の向こうに覗く王城の尖塔を指差している。
 カラヴィアスも王城に一瞥を向け、首を周囲の建物に巡らせた。
「腹ごしらえしてから行くか。プラドの居場所は分かってるからな」



 陽射しが小さな広場を隅々まで照らしている。
 八日前に積もった雪はその後何度か小雪をちらつかせたものの、もう広場の片隅に申し訳程度に残るだけだ。陽射しを浴びて溶けた雪が小さな水の流れを作っている。
 王都の中層は主要通りから一区画も離れると、生活感を滲ませながら穏やかさが漂う路地が入り組んでいる。家々の玄関の前を幾つか抜ければどの道も大抵、広場に通じていた。
 緩やかな斜面で形成された王都は、空に張り出すように造られた広場が多く、住民達や滞在者らが思い思いに寛ぐ場になっている。
 今日の空は晴れて澄み渡り、視線を遠く投げれば地平に滲むように、ハイドランジア湖沼群を擁するエセル山脈まで見通せた。
 煉瓦積みの腰壁に腰掛け、プラドはじっと、地平と一体になった山脈へ、瞳を注いだ。
 風竜の揺籃の地。
 ベンダバールはカトゥシュ森林に拠点を置いていたが、プラドが物心ついた時には風竜はハイドランジアに姿を潜めて久しく、風竜の監視という役目は既に形骸化していた。
 プラドが自らの剣を持て余しがちな年齢になった時、ベンダバールの長はこの国を離れることを決めた。プラドが長に付いて国を離れる決断をしたのは自然な流れだった。
 母と兄、そして妹は、この国に残ることを決めた。風竜への敬意と共に、父の墓標もこの地にあったからだ。
 説得はしてみたが、彼等が残ることを選んだのであれば、プラドはそれを否定するつもりも無かった。
 国外に出て、戦いを求めて転々としながら、時折アレウス国の家族からは便りが届いた。
 最初の十数年は頻繁に。
 アレウス国内で、それまで小康状態だった西海との争乱が激化したこと。
 目覚めた風竜による、ハイドランジア一帯を巻き込んだ戦禍。それを聞いてももう、ベンダバールは故郷へ戻ることを選ばなかった。
 大戦は長く続いたが、風竜が現れてからは終結までそう時間はかからなかった。
 風竜の死は一人の剣士――ベンダバールではなく、ルフトのジンによってもたらされ、その後ほどなく大戦も終結した。
 大戦の途中から――彼等の母が亡くなった後は、家族からの便りはほとんど届かなくなった。記憶に新しい報せは兄のゲントからだ。妹、アリアがルフトの長、ジンと結ばれたこと。
『風竜を斬ったジンを、アリアは毛虫みたいに嫌ってたんだが』
 その次の報せでは、二人の子が生まれるのだ、と。
『安心しろ。顔を見せにくれば歓迎する』


 十九年前、ルフトが失われたことを知った。兄の便りの、すぐ後のことだ。
 その報せを寄越したのはルベル・カリマのカラヴィアスだった。
 里ごと滅びたこと。
 ただ、アリアとジンの子は生まれ、黒森の小さな村に預けられたこと。
 プラドはそれでも戻らず、今では数年に一度、カミオか、ルベル・カリマからの伝令使によって僅かな情報を得るだけになっていた。
 そして昨年、カミオはアレウス王国が、アリアとジンの子を幽閉したと伝えてきた。



 気配と、続く足音にプラドは振り返った。
 腰壁に座るプラドへと歩み寄るのはカラヴィアスだ。トールゲインを伴い、その横にティエラがいてプラドに手を振った。
「たったひと月ほどでも久しぶりだと感じるものだな、ベンダバールのプラド」
 カラヴィアスはプラドが座る腰壁の正面、地平に見える山脈を一度視界に収めた。
 唇に薄らと笑みを刷く。
「こんな所で感傷に浸るようになったとは、随分と繊細な性格だったのか」
「プラドは思慮深いんです、カラヴィアスさん」
 カラヴィアスの後ろからティエラが口を挟む。
「なかなか力任せな戦い方をしていたと思ったが、そうか」
「そうです。今も色々、考えあぐねているみたいで」
 プラドが口を挟む前にティエラがそう言う。
 中層に宿を取ったまま、気が付くとプラドは何事か考え事をしていて、ティエラはその姿を特に何も言わず眺めていた。
「私としては――」
 途中で言葉を止め、ティエラはカラヴィアスの視線に首を振った。それはプラド自身の口から出すものだと、そう考えたようだ。
 カラヴィアスは僅かに首を傾け、それからプラドと向き直った。
 プラドも立って向き合う。
「王都へはどのような用件でいらしたのだ、カラヴィアス殿」
「レオアリスに会いに来た。近衛師団総将に就任すると、お前が知らせてくれたからな」
 そこがプラドの黙考の理由だと解っていて、だが言葉を飾る素振りもなくカラヴィアスは答えた。
 プラドは言葉を探し、一番無難なものを選んだ。
「――その為にわざわざか」
「まあ事前連絡はしていないが、王城に行けば会えるだろう。お前も行くか?」
 黙り込んだプラドに、カラヴィアスが笑う。
「この国に来た目的を果たすかどうか、迷っているのだろう。あの時の状況、情報と、今の状態は異なる。レオアリス自身も」
 プラドは視線を遠く、エセル山脈に投げた。
「唯一残された血縁は、ベンダバールだ」
「今更、生まれてからずっとこの国に根ざした者に、ぽっと出てきた男が血縁だと言ってみたところで、他人よりも遠い存在だとは思うがな。とは言え言いたいことは解らないでもない。氏族ベンダバールの意向もあるだろう。向こう・・・を発って半年近くか? 持ち帰る成果は必要だ」
 ふと日が翳る。
 いつの間にか空には薄い雲が出ていた。
「考え込んでいるよりも、直接尋ねてみたらどうだ。本人に」











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2022.3.27
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