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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

五十一




「この度は、西方公への陞爵、誠に喜ばしきことと、一同心より祝福申し上げます」
 ルスウェントは長老会を代表し、卓の頂点に座る彼等の当主へと深々と頭を下げた。
 ヴェルナー侯爵家長老会に属する七人、ブラウドール伯爵、ウルブリヒ子爵、サンドニ子爵、アッヘンバッハ子爵、ライナー男爵、グロウ男爵、シュルツ男爵もまた、ルスウェントの口上に合わせ深く顔を伏せた。
 ヴェルナーはこの陞爵で、臣下として望み得る最高位へと身を置くことになる。
 前侯爵が不意に身罷り、その命を奪ったのが当の嫡子であるヘルムフリートだったと判明した時、ヴェルナーは不要な騒動を起こしたという理由で責を負い、降爵される可能性もあった。
 ロットバルトが一時の空白も作らなかったこと、爵位継承後に内部を安定させながら西海との戦いに於いて王家、そして国に対しても役割を果たし、ヴェルナーの存在を示したことが与えた影響は大きい。
 王が不在の混乱と不安、そして戦乱の中にあって国王代理王太子ファルシオンを良く支えていた。
 その積み重ねが今回の、最高位である四公――その一角となる西方公の名を与えられるに至ったのだと、この存在があったことにルスウェントは改めて、感嘆を覚えていた。
 先代でも同じ結果を得たかもしれないが、先代の場合それは当然のことと受け止めただろう。
 ブラウドールを始め、それぞれが祝福の言葉を続ける。
「財務院長官として挙げられた成果も、此度の陞爵を後押しされたことと存じます」
「御父君もさぞ御喜びでしょう」
 混乱の時期に揺らいだ屋台骨を建て直し、更に高みに昇らせたことで、長老会の信頼と結束も一層高まっていた。五月の陞爵を終えてヴェルナーが公爵に叙されれば、それに伴う長老会の受ける栄誉や利益もまた確固たるものとなる。
「今日は善き事柄ばかりです。この後は侯爵とも親交の深い近衛師団大将――王の剣士もお招きしております」
「近衛師団総将に就かれるだけではなく、日頃から王太子殿下の覚えもめでたい。他家から先見の明を羨ましがられております」
「我々もヴェルナー家長老会の一員として奢らぬよう、一層身を慎まねば」
 ロットバルトは祝福の言葉に対し礼を述べ、そして端的に、王太子ファルシオン即位後の玉座と国家を支える役割の重さに言及した。
 普段――特にこの一年、憂慮に顔を合わせることが多かった長老会の場も、喜びと祝福の空気に満ちている。
 次に進めるべきは内部、ごく身内の問題の整理だ。
 まずは前侯爵夫人である、オルタンスの立場を明確にする必要があると、ルスウェントは考えていた。




 次の間へ案内されてまた半刻ほど待った後、レオアリスは長老会が行われている議場の扉の前に立った。
(ヴェルナー侯爵家の長老会か)
 長老会は一族、血族とはまた別に、侯爵家以上に存在する合議制の組織体だ。一族同様、それ以上に当主である家を盛り立てようとする。
 それは長老会に属すれば、自家よりも高い地位と財力を有する家の庇護を受ける事ができ、長老会を構成する家の連携の中に身を置く事ができ、当主たる家のもたらす利益、組織体の中で生まれる利益、双方を享受できる為でもあった。
 時に長老会の決定は当主の意向を上回る事すらあるが、ただロットバルトは以前、ヴェルナーは長老会という合議制を取りつつも、他家――例えばアスタロト公爵家などに比べると、当主であるヴェルナー侯爵の権限が強いのだと話していたことがある。
 当主がロットバルトに移行して、その関係性がどうなったのかは聞いてはいないが、ルスウェントの言動からは当主を第一に置いているのは感じ取れる。
 扉が開かれ、暖められていた空気が廊下へと流れた。一歩進み出る。
 広い議場には細長い卓が置かれ、既に当主であるロットバルトを始め長老会の八人が揃い、席に着いていた。
 殆どが六十歳を越えているだろうか。長老会の中では筆頭であるルスウェントが一番若い五十代前半。
 そして彼等の中央に座る当主、ロットバルトは遥かに若く、その容姿と纏う空気が八人の中で最も目を引いた。
 レオアリスは執事が導いた席の前に立ち、姿勢を正して列席者と向き合った。
 中央、細い卓の一番奥に座るロットバルトへ視線を向ける。
 複雑な環境の中に身を置いているのだと、先ほどの短いひと時の中でも良く解った。
 この場に出席するのは荷が重いが、これまでの支援、何よりロットバルトの為だと自分に気合を入れる。
「――本日はヴェルナー侯爵家長老会の場にお招き頂き、御礼申し上げます。近衛師団大将、レオアリスと申します」
 左腕を胸に当て、恭しく上体を伏せた。
 静かに上げ、再び姿勢を整える。
 室内の空気が静寂と共に心地よく張る。
「長老会の皆様に改めてお目にかかれたことを、光栄に存じます。また、長年のヴェルナー侯爵家、そして長老会の皆様の御厚情、御高配に対し、心より御礼申し上げます」
 まず受けたのは長老会筆頭の役を担うルスウェントだ。
「本日は急な招待にも関わらず、応じて頂き、お礼を申し上げます」
 ルスウェントは言い、当主に先んじて発言する目礼をロットバルトへ向け、顔をレオアリスへ戻した。
「先の戦いでは、貴殿はその力によって多大なる貢献を果たされました。この国を構成する一人として、我々長老会はあの戦いを支えた全ての兵、全ての存在、そして貴殿に感謝しています」
 ルスウェントの言葉に向かいに座るブラウドール伯爵も頷く。
「前当主は早くから貴方の支援を打ち出されておられた。現当主――爵位継承前の侯爵を近衛師団で貴殿と共に置かれたのは、流石慧眼であられたと常々振り返っては感服しております。近い場所で貴殿をご覧になられたからこそ、当主もまた貴殿を、ヴェルナーが支えるに相応しいと判断されたのでしょう」
 ブラウドールは豊かな口髭に満足そうに触れた。六十代後半、白髪混じりの灰色の髪、同じ色の瞳だ。
 レオアリスは改めて、今度は軍式を取らず一礼した。
「私こそ、ヴェルナー侯爵の御厚情に深く感謝しております」
 再びルスウェントが引き取る。
「我々長老会一同もまた、当主同様に貴方を支援していきたいと考えています」
 そう言い、ルスウェントは微笑んだ。
「これまでお話しする機会が中々得られませんでした。本日はぜひ交友を深めさせて頂きたく、とは言えこの長老会の場では、中々形式を越えた会話はお互いし難いでしょう。四刻から、長老会が主催する晩餐の場を用意しています」
 話をさせて頂くのを楽しみにしている、と告げられた言葉に、レオアリスはもう一度謝意を述べ、一礼した。





 オルタンスは繊細な絹のひだの前で白い指を組み、憂を帯びた表情を傾けた。
「まあ。わたくしは、晩餐の席に出られないのですか?」
 顔を伏せたバスクを瞳を細めて見下ろす。
「本日の晩餐は、あくまで長老会が主催されるものでございます」
「そんな……わたくしはヴェルナーの、前侯爵ジーグヴェルトの妻なのです。あの人だったらわたくしを、このように貶めた扱いをなさらなかったわ」
 眉を寄せれば﨟長ろうたけた美しさが香り立つようだ。
「恐れながら、長老会の皆様は仰るような意図をお持ちではございません。そもそも本日はどなたもご婦人を伴っておられませんので、オルタンス様がお気になさることでは」
 みなまで聞かず、オルタンスは頬に手を当て、細い息を零した。
 黒髪がさらりと、零した息を追って落ちる。
「正式な晩餐の場に前侯爵の妻とはいえ、わたくしのような者の席がないことがどのような意味か――どのように見られるか、それが分からない者が主邸の執事だなんて……ケステンが生きていたら、わたくしの想いをすぐに理解して席を整えてくれたでしょう……」
 オルタンスは俯き目頭を抑えたが、前主邸執事のケステンと親交のあったバスクとしては彼の憂慮を何度も聞いていた。
「けれど、ええ、お前がそうした調整をできないのは仕方がないわ。だからこそ、ロットバルトとお話がしたいの」
「畏まりました」
 バスクはこれ以上否と言える立場ではない。伝えるだけは伝えようと、バスクは侍女へ言伝ことづてた。
 侍女が出ていくのを見送り、オルタンスは露台への硝子戸へ向けて置かれた椅子に浅く腰掛け、細い首を持ち上げ、背筋を伸ばした。
 降りしきる雪で白く染まっている硝子戸が、影絵のような姿を際立たせる。
 しばらくして扉が開く音を聞き、オルタンスはそっと首を巡らせた。
 浮かべた微笑みが落胆に変わる。
「――また、貴方ですの、ルスウェント伯爵。まるでここはルスウェント伯爵邸のようですね」
「当主が御忙しいことは充分お分かりでしょう。その為私が代わりました、ベドナーシュ婦人」
 オルタンスは白い頬を微かに震わせ、ルスウェントへ向ける瞳に刺を混じえた。
「ルスウェント伯爵、あなたなら、わたくしの話をまともにお聞きいただけるのかしら」
「お話の内容に拠ります。本日の晩餐へ御出席を希望されているとお聞きしましたが、そもそも本日は長老会の場です。バスクからその旨、お聞きになっていないのであれば恐縮ですが」
「長老会が今日の会を催されることは知っています。けれどわたくしは、前侯爵の妻として、義理の母として、ロットバルトを支えなくてはと――」
「侯爵とお呼びください」
 バスクのそれとは異なり、一切容赦の無い響きでルスウェントは言い切った。
「貴方とロットバルト様との間には血縁関係はなく、貴方ご自身も前侯爵ジーグヴェルト様の妻という立場ではあられたが、御正室ではあられない。エルゼリート様がお生まれだったからこそジーグヴェルト様も貴方をお迎えになりましたが、そこまではお考えではなかった」
 オルタンスが最も嫌う言葉を、ルスウェントはまるで斟酌もなく告げた。
 オルタンスの頬から血の気が引き、ルスウェントを睨む。
 前侯爵ジーグヴェルトが正室としたのはヘルムフリートの母、そしてロットバルトの母の二人までだった。
 前侯爵との間に娘が居なければ、オルタンスがヴェルナーに迎え入れられることは無かっただろうとも言われていた。
「わ――わたくしには、あの方との間の娘を、エルゼリートを相応しく養育する責務があるのです」
「エルゼリート様のことは当然、ヴェルナー家に養育の責任がございます。しかしながらロットバルト様が爵位をお継ぎになった際、貴方には充分な財産を分与されたでしょう。ご実家のベドナーシュ家も、後継者を必要としておられる」
 オルタンスはますます青褪めた。
「――わたくしに、エルゼリートを置いてここを出ろとでも仰るの……」
 ベドナーシュ家は男子が無く、ベドナーシュ子爵も一昨年身罷っていた。次代はオルタンスと姉、妹の三人だけだ。長女は他家、同じ子爵家に嫁いでいる。
 オルタンスの生家が伯爵位以上であれば、ルスウェントも少し扱いを変えただろう。
 ただそもそも前侯爵がオルタンスを正妻ではないとは言えヴェルナーへ迎え入れたのは、ヴェルナーに余計な関与をする危惧がないからでもある。
 オルタンスがヴェルナーへ嫁ぐ際の持参金も不要としたが、それも余計なしがらみを作らない為だった。
 ロットバルトが爵位を継ぎ、そして公爵への陞爵を控えている今、前侯爵夫人としてオルタンスが近い立場にいることを、ルスウェントとしては決して好ましく思ってはいない。
「そうは申しませんが、前侯爵の御息女を相応しい淑女へと養育されることが、貴方の行なうべきことでは」
 オルタンスは悔しそうにルスウェントを睨んだ。白い頬が昇った血で薔薇色に染まっている。
「わたくしは、それだけの存在なの」
 それには答えず、ルスウェントは窓の外へ顔を向けた。
「雪も大分積もり始めたようです。このまま過ごされると自邸へは、雪の中を歩いて帰ることになります。馬車が動く内にお戻りになった方がいいでしょう」
 そう言って控えていた従僕へ、馬車の用意をするよう声をかける。
 にべも無い態度を前に、オルタンスは怒りに震えながらも精一杯の礼節と矜持を保ち、優美に礼をした。












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2022.3.6
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