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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

四十八



 高さ一間半(約4.5m)はある玄関扉から冷えた空気が広間へ流れる。
 ロットバルトは広間の中央にオルタンスがいるのを見て取り、ほんの僅か瞳を細めた。
 控えていた侍女に外套を預け、バスクを始め揃っている使用人達へ笑みを向ける。バスク同様、以前の自邸から引き続き勤めている者も多い。
「ロットバルト。お帰りなさいませ」
 オルタンスは黒髪を揺らして優美にお辞儀すると、柔らかな笑みを浮かべて歩み寄った。すっと背筋を伸ばし両手を前に組むと、品の良い愛らしさが漂う。
 ロットバルトの正面に立ち、オルタンスは斜め下から、頭ひとつ分高い位置にある顔を見上げた。
「貴方にお話があるの」
 ロットバルトはオルタンスが伸ばした手を取り、儀礼通りに手の甲へ口元を寄せた。
「ご無沙汰しております。お待ち頂いていたようで申し訳ありませんが今日は長老会に大事な来客もあり、何かと繁忙です。他の機会にして頂けませんか」
 オルタンスは眉を寄せ、艶やかな黒髪が縁取る白い頬をほんの少し膨らませた。
「貴方まで何をおっしゃるの。バスクも先ほどからわたくしを追いやろうとして――けれど、わたくしは貴方と大切なお話をしなければと思ったからこそ、ここで待っていたのです」
「以前からのお話であれば、先日お断りをお伝えしているはずですが」
 ロットバルトは玄関奥の大階段へ足を向けた。横幅二間の階段は中段の踊り場で左右に分かれ、二階はこの玄関広間を見下ろす回廊になっている。
 三階までの吹き抜けとなっている広間は、玄関側の二階と三階にあたる壁に窓があるが、午後一刻とはいえ降りしきる雪で空は暗く、今日は明かり取りの役を果たしていない。代わりに幾つもの燭台に灯した灯りがほんのりと空間を照らしていたが、玄関広間はやや暗く、冷えている。
「まあ――いけません」
 オルタンスは階段の手前でロットバルトの前にさっと立ち、決然と、たおやかな面を張り詰めて持ち上げた。
「貴方は侯爵、このヴェルナーの当主でいらっしゃるのよ」
 バスクは口を開きかけたが、主人が軽く手を上げて合図をしたのを見て、一礼して一歩下がった。
「その上、これから更に高みに昇られる身。そんな方が正式な場で傍らに伴う女性の一人もいないだなんて、決して好ましくありません。それは以前、わたくしも少し気が急いており、充分に考えないままわたくしの妹を、とお薦めしましたけれど」
 眉を寄せて首を振り、申し訳なさそうに甘やかな吐息を零した。
「いくらわたくしの血縁でも、貴方には相応しくはなかったのでしょう――もう、そんな出過ぎたことは致しません。けれど、やはり傍らに寄り添う者が必要なのです」
 手を伸ばし、二の腕にそっと置く。
 節目がちに顔を傾け、腕に触れた自らの手に額を寄せた。
「もし――ええもし、貴方が、ご自身に相応しい方が外にはいないとお考えなら、そうした方が現われるまではわたくし、代わりを務めて差し上げますから」
オルタンス婦人フラゥマ・オルタンス
「オルタンスと――」
 ロットバルトは腕に置かれた手をやんわりと外した。
「それは貴方がお気を煩わせる案件ではありません。お構いなく。時間があればもう少し、ご理解頂けるよう話をするところですが、別の機会があればそうさせて頂きましょう」
「待って、まだ、お話が」
 再び、馬車寄せに轍の音が響く。
 扉係の従僕が呼ばわった名前を聞いて、オルタンスは伸ばしかけた手を引いた。
「ルスウェント伯爵の御到着です」
 ロットバルトもほんの僅か、驚きと厄介そうな色を眉に乗せた。ルスウェントの到着は予定より半刻早い。
 バスクを手招き幾つか指示をすると、ルスウェントを迎える為に玄関へ身体を向けた。
「わたくしは、少し休ませて頂きますわ」
 オルタンスは侍女に客間に案内するよう言いつけ、侍女よりも先に歩くようにして玄関広間を出て行く。
 扉を潜ったルスウェントは外套に乗った雪を払いつつ、オルタンスの姿を目で追い、ロットバルトへ深く一礼した。





 オルタンスは歩きながら何度目か、溜息を零した。
 館の二階、長い静かな廊下を歩く侍女の背に溜息が落ちる。
 しばらく待って振り向かない侍女へ、オルタンスはそっと歩み寄り、声をかけた。
「ねえお前、今日、長老会に来客があるというのはどなたなの? 聞いていて?」
 オルタンスは長老会の仕来りに詳しくはないが、長老会が部外者を招くことは珍しい。
 侍女、サリーは足を止めて恭しく顔を伏せた。
「はい。近衛師団大将閣下とお聞きしております」
「誰――?」
 聞き慣れない呼称に優美な眉を寄せる。
「今度、王太子殿下の御即位に合わせて近衛師団総将になられる方でございます。御館様が近衛師団にいらっしゃった折、上官であらせられました」
「ああ、あの剣士とかいう。そう言えば当家が後見すると、ロットバルトが仰ったのだったわ。本当に、あの人は御心が広いのですね」
 両手を胸の前で組んで微笑み、それからオルタンスは首を傾げた。
「それにしても外部の方が長老会に出席なさるなんて」
 前侯爵の存命中であっても、オルタンスは一度も席を用意されたことはない。
 一度ねだってみたことがあるのだが、宝石などは幾らでも買い与えてくれたものの、それは一顧だにされなかった。
「そんな方が出席されるのならば、わたくしも長老会に出たいわ。外部の者が出られるのなら、まずわたくしが出席しなくては。わたくしは当主の義母ははですもの。どのようなお話がされているのか、知っておくのは責務だと思うのです」
 サリーは顔を伏せ、「お部屋にご案内致します」とだけ言って歩いていく。
 オルタンスも侍女が望みを叶えてくれることを期待していたわけではなく、また廊下を歩き出した。
 磨き上げた廊下に二人の歩く影が淡く揺れ、靴音を窓枠に積もる雪が吸い込む。
「遠いわ。主棟のお部屋ではないの? お庭が良く見える青白の間が好きなのだけど」
「申し訳ございません。本日は長老会の皆様とお客様がお使いになりますので」
 やや素気ない返事にオルタンスは溜息を落とした。
 それから何事か思いついて顔を上げ、瞳を輝かせてもう一度、「ねえお前」と言った。









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2022.2.27
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