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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

四十七




 王都では朝から雪が降っていた。
 三階の、薄曇りの窓から見える通りは、人々も足早に行き過ぎる。硝子に額をつけるようにして物珍しさに息を吐くと、窓は白く染まった。
 プラドとティエラはマリーンの家を出て、中層西の区域に宿を取っていた。
 あの家はとても居心地が良かったが、そこにずっといればいるほど、意思は揺らぐように思えた。
 ティエラは白く曇った硝子の上に指を滑らせ、一筋の線を引いた。細い筋の分、向かいの建物の窓と壁が見える。
 この国に来てから雪は何度か見ているが、それでも空から音もなくゆっくりと降る白い欠片は、見るごとに珍しい。初めて見た時もマリーンの家にいて、中庭に駆け出し、石畳みに薄く積もった雪に足を滑らせプラドに呆れられた。
 それもこの国に来なければ経験しなかったことだ。
向こう・・・も、北に行けば雪が降るのだろうけど、私が生まれてからは北の方へは移動してないわよね」
「南が騒がしいのが続いているからな」
 いつものように短く返る。
 物足りないが、一言も返さない、ということはこの旅ではほとんど無い――確か――のだし、返事が返ってくるだけでも、氏族にいた頃より一歩前進だとティエラは思っている。
 窓の下に作り付けられた収納兼椅子に腰かけ、床の上で旅の道具を検分しているプラドを振り返る。
 引き締まった横顔に視線を注ぐ。この国に来る前は、こうして静かな時間を共有することも無かったと思うと、胸の中に柔らかな温もりが広がるようだ。
 ティエラは本当に、随分前からずっと、プラドと共に生きたいと思っていた。自分でもかなり積極的に意思表示をしていると思うのだが、プラドがどう思っているのかはさっぱり判らない。
 ざっと三百歳ほど歳は離れているが、剣士としてはさして気にする要素ではない。
(歳上が好みなのかしら……)
 とは言え氏族にいた頃、歳上の誰かと特に親しかったと言えばそうでもない。
 はっとして、顔を上げる。
(嘘、カラヴィアスさんとか――)
 彼女は誰より強く、とても魅力的だ。
「プ、プラド」
 身を乗り出しかけて、プラドが床に広げているものに改めて気が付いた。
 簡易な寝具や革の水袋、角灯、火打ち石や火口箱。ミストラ山脈を越える為に用意したものをずらりと並べている。
「旅装品なんて、後でも――」
 ふと口を噤み、それからティエラはえっ、と立ち上がった。
「帰るの……?」
 ベンダバールが今いる土地へ。
「点検をしているだけだ。とは言え発つとなれば急だからな」
 真意は判らず、ティエラは窓際を離れてプラドへと近寄った。
「プラド、あなたはどうするの? レオアリスは、この国にもうしっかりとした足場を築いてるし、多くの人に受け入れられてる。五月になったらもっと」
 ずっと聞こうと思っていた。
 この国に来た目的。
 レオアリスを連れて氏族に戻るのかどうか――
「長は、どこまで言っていたの?」
 プラドにどう指示したのかまでは、ティエラはその場にいなかったから聞いていない。厳命なのか、本人の意思次第なのか、置かれている状況を見て判断しろと言われたのか。
 ティエラ自身には、連れて帰る為にプラドと共に行けと、長はそれだけを告げた。
 ベンダバールの長――ティエラの父。
 長が何故、後継ぎであるティエラを、この国へ共に寄越したのか。
 常に戦場を渡り歩いていたベンダバール、その放浪の中で生まれたティエラにとって戦場、戦いが日常で、叫びと血と煙の傍らに身を置くことに違和感も、思うところもなかった。
 そんなティエラの目にこの国の風景は、どれも新鮮に感じられた。西海との戦いがあったとしても、国土は豊かで、人々の笑い合う姿がある。
 レオアリスはもう、その景色の中にいる。彼等の一部だ。
(もう、いいんじゃないかしら)
 連れて帰る必要があるとそう考えたのは、レオアリスが幽閉されていると伝え聞いたからだ。伝令使を寄越したのは、ルフト、ルベル・カリマ、ベンダバールに並ぶもう一つの氏族、カミオ。
 連れ帰れと長が厳命していたら、プラドは従うだろうか。
「――」
「ティエラ」
 視線を上げると、プラドがじっと見つめている。
「何?」
 束の間視線を合わせ、
「――いいや」
 そう言ってプラドは点検を終えた旅装品をまた鞄の中に丁寧にしまった。
 鞄を寝台と壁の間に置く。すぐ発てるようにか、それともしばらく取り出すつもりがないのか、そこからは汲み取れない。
 ティエラはプラドの右腕を見た。
 折れた剣はまだ戻っておらず、ただ完全に失った訳ではないせいか、最近は長く眠ることも少ない。カラヴィアスから譲られた剣の回復薬も使わずしまい込んでいる。
 プラドはもう一つの窓辺に寄り、鈍色の空を見上げた。
「今日は止みそうにないな」
 ティエラもその視線を追う。
「夜まで降ったら、明日は街全体が真っ白に覆われるのね。明日、街を歩きましょ」
 素気ない答えが帰るかと思ったが、プラドは「そうだな」と言った。







 王城第二層、西の区画に広大な敷地を有するヴェルナー侯爵家主邸は、朝から降りしきる雪の中、使用人達が慌ただしく動き回っていた。
 庭園に積もった雪を整え、馬車道を除雪し、玄関周りを掃き清める。邸内もチリひとつ落ちていないほどに磨き上げ、暖炉に薪を焚べて邸内全体を温めた。
 午後二刻から開かれる長老会の為に、久し振りに当主であるヴェルナー侯爵ロットバルトが戻るのだ。
「ロットバルトは、まだお戻りではないの」
 当主の館の玄関広間で、来客を迎えた執事のバスクは若い――三十歳を越えたばかりの――婦人を出迎え、恭しく頭を下げた。
 ヴェルナー前侯爵ジーグヴェルトの妻、オルタンス・ベドナーシュ・ヴェルナー。
 儚げで整った面立ちは年齢よりもやや幼くも見える。最高級の絹をふんだんに使って仕立てた服、指輪や首飾り、細い腰に宝石を散らした絹帯を巻き、いかにも贅を凝らした装いに身を包みながらも、控え目な仕草と後部を結い上げ残りを腰まで下ろした艶やかな黒髪の印象が、派手さを抑えていた。
 オルタンスは緑の瞳で微笑んで、上体を伏せるバスクの後頭部を見下ろした。
「今日は長老会があるのでしょう。ロットバルトが戻ってくると聞いたから、わたくし来たんです」
「オルタンス様、どうか御館様とお呼び頂くか、侯爵、と――」
 オルタンスは細く優しげな眉を寄せ、小さく首を振った。
「まあ、ごめんなさい――けれど、わたくしの義理の息子を名前で呼んでは、いけないのですか」
 バスクはオルタンスが脱いで渡した毛皮の外套を受け取り、傍らに控える侍女に預けた。
 前侯爵の後妻であるオルタンスはヴェルナー派ベドナーシュ子爵の次女で、三年前に館に迎え入れられた。前侯爵との間に十三になる娘が一人。ロットバルトが爵位を継いだため、主邸から敷地内の別邸に移り、二人で暮らしている。
 主人がこの婦人の扱いに熱心ではないことを感じているバスクは、対応がややそっけない。
「本日はどのような御用件でございましょう」
「この館に来るのにも、理由が必要なの……」寄せた眉のまま、瞳を伏せる。「わたくしはここで暮らしていたのだし、確かにもう女主人ではないけれど、ロットバルトの唯一の家族だと思っていたのに」
 悄然とした声で、両手を胸の前で絞る。
「あの方がお亡くなりになって――この淋しさを分かち合えるのは、私達しかいないのだもの」
 そう言ってからオルタンスは振り払うように首を振った。
「ああ、でも今日は、わたくしのことではないの。ロットバルトのことよ。ロットバルトったらまだ結婚しようとしないのだもの。今日はその後でも前でも、お話をしなくては」
「御館様には御館様のお考えがおありでございましょう」
 オルタンスが腰まで流した黒髪を揺らす。通常既婚の婦人は髪を結い上げる慣わしだが、前侯爵が身罷ってからオルタンスは娘時代のように髪を下ろし、それが彼女のたおやかさをより引き立てていた。
「そのような――淋しいことを……ケステンならそんな悲しいことは言わなかったわ。とても経験豊富で、この館に来て右も左も判らないわたくしに、礼節をもちながらも、いろいろと教えてくれて」
 そっと手のひらを合わせる。
「ええ、ケステンにはとても感謝しているの」
 ケステンはヴェルナー侯爵家の家令だったが、前侯爵が身罷った際、ヘルムフリートにより命を落としていた。
 バスクは元々、ロットバルトの館の執事だった。ヘルムフリートの起こした騒ぎで一時重傷を負ったが回復し、ロットバルトが爵位を継いだ後、共にこの当主の館に移り、引き続き執事として勤めることになった。
 バスクの後ろで、オルタンスを客間に案内する係の侍女が靴の中で指を焦ったそうに動かしている。その間にも、数名の侍女や侍従、従僕が玄関広間に並び始めた。
 バスクはさり気無く、玄関広間の奥に置かれた柱時計を見た。もうロットバルトが戻る時間だ。
「御館様は戻られた後もご多忙です。長老会の準備がお有りですから。御館様の指示があればお呼び致しますので、まずは客間でお待ちください」
「客間だなんて――わたくし、ここでお待ちしていたいの。決してご迷惑にはならないわ、約束します」
「しかしながら、本日は長老会の皆様のほか、重要なお客様もお越しです。内内のお話は」
 閉じた玄関の向こう、馬車寄せに声が上がる。次いで、轍が石畳を噛む音。
 バスクは主人への申し訳なさにそっと息を吐いた。
「サリー、オルタンス様をご案内して――」
 侍女への指示は、途中で途切れた。
 玄関扉が開き、差し込んだ光と共にロットバルトが広間に入る。
 バスクをはじめ、玄関広間にいた使用人達はみな、恭しくお辞儀した。









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2022.2.20
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