Novels


王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

四十三



 二月六日、賑わい始めた午前九刻を過ぎの王都中層に、白昼の花火が一つ、打ち上がった。
 通りにいた人々が空を見上げ、建物の窓が開いて住民達が顔を覗かせる。
 打ち上げたのは北の区域に店を構えるデント商会だ。
 三階建の屋根から、二発、三発目が打ち上がる。青い空へ光が散り、吸い込まれた。
 マリーアンジュ・デント――マリーンは屋根の上で、幅広のむねに巡らせた手摺壁に手をついて身を乗り出し、歓声を上げて空を見上げた。
「最高ー! なんて久しぶり!」
 朝の風が心地よく耳の周りを吹き過ぎる。
「じゃんじゃんやっちゃってー!」
 手を振った先で、『角灯』と呼ばれる屋根に突き出た階段室近くにいた『花火師』が、新たな光る花を空へと開いた。
 花火師は民間の術士が研究費稼ぎに行う副業の一つだ。
「一発十ルス」
 ダンカが手にした小さな黒板へ、白墨で四本目の線を引く。十ルスは王都では三日分の食費くらいになる。
「いいのよ今日は、お祝いなんだから。デント商会、これからどんどん身入りがあるしねー」
 続けて五発。白昼の花火は色が淡く、硝子細工のように見える。
「九十ルスです」
「んもう、変なところばっかり商人らしくなって……じゃああと六発!」
 マリーンは大きく手を振った。
 空に立て続けに三つの光の花が開く。また二つ。通りや窓から歓声が上がる。
 デント商会が花火を打ち上げた理由を知っている人々からは歓声に被せるように拍手と、祝福の声が広がった。
「ほんとうに、良かった――」
 こんなふうに花火を上げられるようになったことも。
 昨日、王城が発表したことも。
「即位式の日は、王都中から花火が上がるわね」
 最後の一つは、朝日を浴びた花が開くように、ゆっくり、丸く、空へ広がった。




 昨日夕方、王太子ファルシオンの即位に向けた新たな東方公及び西方公の封領、そしてまた次期近衛師団総将の任命が、王都、そして国内へ公示された。
 東方公にランゲ。
 西方公にヴェルナー。
 近衛師団大将として、王の剣士、レオアリス。
 王都の住民達にとってもそれは、加速する復興の後押しであり、五月の王太子ファルシオン即位へ、膨らむ期待になった。






「おはようございます、ハイマートたいしょ……フレイザー!」
 クライフは葉を落とした銀杏並木の前方にフレイザーの後ろ姿を見つけた瞬間、全速力で駆け出した。
 朝八刻半、これから王城第一層南区画、総司令部仕官棟での大将級会議に副将として同席する。
 第一大隊から第二大隊へと隊を移り、それに伴い区画も西から北に変わってしまった。フレイザーと会う機会もほとんどない。
 足を止めたフレイザーに駆け寄る。緋色の髪が冬の陽射しに光を纏うようだ。
 クライフは束の間見惚れ、息を整えた。
「おはよう――、上将、いつ師団に戻ってくるとか聞いたか? 今日の会議、出られるかな」
「おはよう」
 フレイザーは息を弾ませているクライフへ、頬に期待の篭った笑みを刷いた。
「出席されると、さっき連絡があったわよ」
「よっっっしゃあああ!!」
 拳を手のひらに打ち付け、その腕を開き身体の脇で握り拳を作る。
 次期近衛師団総将の公示があったのは昨日、十四侯の協議でのことだ。
「じゃあ、総将の」
「クライフ。俺を置いていくか?」
 低い声にクライフは首を引っ込めた。
 呆れた顔で歩いてくるのは、たった今置き去りにしたクライフの現上官、第二大隊大将ハイマートだ。
「挨拶の途中でお前……」
「すんません! ハイマート大将」
 クライフは胸に左腕を当て、踵を鳴らした。フレイザーも左腕を軽く胸に当てる。
「ハイマート殿、第二大隊はいかがですか」
「うん、何とか上手いこと動き出した。中心は第二でも、第三や第一から人を入れた寄せ集めだからな。大将も暫定的には俺でも、次は第二の生え抜きを当てていただきたいと思ってる。その方が気持ちの問題としていいだろう」
 ハイマートの苦労が言葉の端々に滲んでいる。
 ただ『次』と言ったのは、その動きが見えているからだろう。
「まあ、クライフが空気を作ってくれてるから、俺は気楽なもんだけどな」
「副将――グランスレイ閣下とセルファン大将の采配ですから」
 フレイザーが誇らしげに言い、クライフはほんの少しだけ――フレイザーに褒められた二人への羨望の混じった顔をした。
「そうだな、有難い」
 二人の会話がレオアリスの復帰から離れたことを、ハイマートは察して顎を軽く上げた。
「次期総将の話だろう。俺に気を使わなくていいぞ」
「あ、いや」
 クライフがこめかみを掻く。
 ハイマートは背後の王城を見上げた。
「近衛師団総将に誰が就くか、前々からもう隊士達も想定してたことだ。ナジャル戦の武功を考えれば俺も彼が相応しいと思う。総将は常にファルシオン殿下のお側にあって、殿下をお守りする役だからな。レオアリス殿がお側にあれば、万が一にも不埒者がいたとして、殿下に害を成せるなどとは露ほども考えられないだろう」
 首を戻し、笑みを刷く。
「セルファン大将が優れた方だという事実は、何も変わらないしな」
 そこまで言ってハイマートは肩をすくめた。
「とは言え、あの方は余り己を主張されない。総将と言うよりはやはり補佐型だ。ここだけの話、副総将に一番向いておられる」
「堅実な方ですものね」
 三人は銀杏並木の続く広い通りを歩き出した。
 大将級の会議が行われる会場は、総将執務室と同じ総司令部棟の三階にある。
 通りの正面に見えてくる、他の三大隊のそれより立派な建物だ。大隊は中庭を棟が四角く囲む二階建ての造りだが、総司令部は左右対称の翼棟を持つ三階建てだった。
 とはいえ、アヴァロンは生前、ほとんどこの総司令部にはいなかった。
 常に王城で、王の傍らに控えていたからだ。
「フレイザーはもう会ったのか?」
「戻ってきてすぐ、まだ寝ている時に一度、顔を見に。王城内ですので、さすがになかなか、頻繁には」
 いつでも来て構わないとロットバルトは言っていたものの、不在の時にヴェルナー侯爵の居室を訪れるのは憚られ、ならば在室時にとも思ったが、いつ在室しているのかがまた判らない。
 ただ、任せっきりではあるが心配はしていなかった。
「あそこにいる間は任せておいて何の心配もないですから。官舎に戻ったら、ゆっくりお話したいと思ってます」
「負傷は癒えているのか。かなり傷を負った状態だったとは俺も聞いた」
 ほんの僅か、ハイマートの声に硬さが混じる。
「以前も半年、回復にかかっただろう。剣士というのはもっと、傷など問題にならないものだと思っていたが」
 フレイザーはさり気なくハイマートの表情を見た。
 ほんの束の間、剣士が以前、多くの人にとってどのような印象を持った存在だったかを思い起こす。
「それだけ負った傷が深いのだろうな。俺なんぞナジャルの牙など、掠っただけでも耐えられん。戦うなんて想像もしたくない」
「本物の化け物でしたからね。本体も、吐き出した奴も――あんな戦場、二度と経験したくねぇっす」
 クライフの左膝はようやく、演習の一部に参加できるようになってきたところだ。
「今日軍議に出るなら、今日から官舎かな? 俺も官舎に移るかなぁ」
「お前は移れ。俺が不便だ。何をいつまでも下町で楽してやがる」
「飲み関係が充実してて」
「全く」
 にしても、と、ハイマートは可笑そうに、口元に笑みを鳴らした。
「俺から見ればお前達も世話焼きだが、あの男――もうあの方か、大概過保護だよな」
「あら、それいいですね。今度会ったら使おうかしら」
 途端にハイマートは及び腰になった。
「おい。俺が言ったって言うなよ?」
「大丈夫ですよ」
「本当だろうな? ただでさえ怖ぇってのに、五月で公爵だぞ。バレたら俺の人生詰むわ」
「大丈夫ですって、バレたって。でもほんとう、貴方が言ったとは言いませんから。では、私は先に人事部に寄りますので」
 心配そうな目のハイマートに軽く会釈し、フレイザーは総司令部の門を潜った。
 少し遅れて歩くクライフは、フレイザーの傍らを歩きたいと言わんばかりの顔をしている。
 ハイマートはもう一つ笑った。
「にしてもお前、本当にわかりやすいのに動かないな」
「何すか?」
「まあいいさ、何か俺にできることがあれば言えよ。お前の後押しはヴィルトールから頼まれてるしな」
「奴の言うことは全て無視してください」
「赴任する話があるんだろ? その前に安心させてやれ」
「あいつは楽しんでるだけですからね?!」
 ハイマートはやや頭を引き、眉根を寄せた。
「三か月目だぞ」
 戦いが終わって。
「――」
「フレイザーを狙ってる男だってそこそこいるぞ。大将になって一瞬近寄り難くなったけどな、今は。お前が当たって砕けるのを順番待ちしてんだよ、一応」
「フレイザーに近寄る野郎は許さねぇ……」
「怖ぇよ。どういう立場で言ってんだよ。引くわ」
 緑の瞳を細める。
「ワッツと話してたんだろ? 西海との戦いから帰ったら求婚するって。ふつー戦場でそれ口にした奴は帰って来ないんだけどな。その決意はどこ行ったんだよ」
「何で知ってんすか?!」
「ワッツが手紙をくれた。お前が第二付けになった時」
「バージェスから何やってんの?!?」
「お前さぁ、お前が行かないんならもう俺が行くぞ?」
「へ――?!」
 激しく打ちのめされたクライフを尻目に、ハイマートはさっさと廊下を歩いていく。
「順番待ち、一番目俺だから」











Novels



2022.2.13
当サイト内の文章・画像の無断転載・使用を禁止します。
◆FakeStar◆