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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

四十



 五日に一度、午前十刻に定例の十四侯の協議の場が設けられたのは、昨年五月以降のことだ。
 王の不在以降――それまで内政官房や地政院、財務院などが個々に検討し朝議などを通じて王の裁可を得ていた方針や政策について、重要なものはこの十四侯の協議の場を経て、国王代理である王太子ファルシオンの裁可のもと進められるようになっていた。
 五日に一度と設定されてはいるが、案件によって都度召集もされ、一時期は日に二度も召集されることも少なくなかった。
 西海との戦いが終結し、年が明けて一月後半になると召集の頻度は落ち着き始め、それは国内の情勢が安定し始めたことも表していた。




 十刻の鐘の音が、高い天窓から静かに落ちてくる。
 大気を震わせる余韻を残し、最後の一音が鳴り終えると、内政官房長官ベールは玉座へのきざはしの中段へ、身体を向けた。
 王太子ファルシオンは中段の踊り場に置かれた仮の玉座に腰掛けている。その斜め後ろにスランザールが座り、階の下には近衛師団総将代理グランスレイが玉座と、階下に置かれた卓をそれぞれを視界に収める位置取りで立っている。
 室内の空気は静まり返り、身を引き締めるようだ。
「十四侯、御前に揃っております」
 ファルシオンが頷き、ベールは十四侯の座る長い楕円の卓へ身体を戻した。
「月の初めの協議にあたり、まずは国内の情勢を確認したい。地政院長ランゲ」
 ランゲは立ち上がり、階のファルシオンへと恭しく一礼した。
「地政院より、ご報告いたします。各方面、特に東方、北方の辺境部において魔獣の流入が収まっており、治安が回復するに伴い、物流も安定し始めました。十二月末には、商隊の五割が従来通りの活動を再開しておりますが、更に先月一月半ばには商隊のほぼ八割、従来の活動を取り戻していると、中間報告が上がっております」
 各区域の正規軍の編成が、一年前とほぼ同等に戻ったことが治安維持に大きな役割を果たしている。
「東方、ヴィルヘルミナは」
 ファルシオンの幼い声が尋ねる。
 前東方公――現在東方公は空席のままだ――の所領した、東方域最大の街。乱平定の後、一時的に国領に組み込まれた。
「ヴィルヘルミナについては、街そのものの賑わいは一時期落ちましたが、これも十二月末には従前と同水準まで戻っております。現在は、一部損壊した前東方公の館の復旧作業に取り掛かりました」
 ファルシオンが頷く。
「南方、北方はどうか」
 ランゲは手元の資料の項を繰った。
 南方、そして北方については魔獣の被害こそあったものの、昨年五月以降も比較的落ち着いている。
 南方で大きく影響があったのは、交易都市フィオリ・アル・レガージュだ。
「レガージュは港、そして街の復興を終え、新たな交易船の建造も進んでおります。諸外国、特にマリ及びローデンの交易船も回復し、二月の入港数はこれまでで最大になると、報告がありました」
 そして西。
 ランゲは更に資料を捲った。
「バージェスについては、後ほどアスタロト公爵閣下から詳細はご説明いただきます。そのほか、サランセリア地方では三月から帰農が始まり、現在ボードヴィル周辺や、特にエンデに避難していた農民達の動きが大きくなりましょう」
 一度ファルシオンを見上げ、再び書類に視線を落とす。
「ただ、帰農せずエンデに所在を移す者も多くおりまして、エンデ領事館では移住の申請がここ二か月続いております。街区の拡張を今後進める必要があり、施工を行う正規軍と調整中です。また、財務院とも」
 ファルシオンへは二月に入って、エンデの街区拡張に関し、素案が上げられている。
 エンドノリア地方、正規軍西方第六大隊の軍都でもあるエンデは人口二万の中核都市だ。シメノス流域に位置し、西の基幹街道がその前を走っている。シメノスを挟んで北にカトゥシュ森林を擁しつつ、周辺は平原が多く、穀物の生産で知られていた。
 昨年、西海との戦火を避け避難してきた農民達で、人口は一時的に二万五千ほどに膨れ上がっていた。
 この内帰農する者は三分の二にとどまり、三分の一がエンデに残る意思を示している。
「エンデの街は、シメノスと支流とに挟まれているのだったな」
「はい」
「四か月もすれば出水期がくるのだろう。治水工事などは、しっかりと行ってほしい」
 ランゲが深く頭を伏せる。
「心得ました」
 ランゲの報告が一段落したのを確認し、ベールは卓へ視線を巡らせた。
「各方面において、補足することがあればこの場で王太子殿下へお伝えしたい」
 アスタロトが立ち上がる。
「バージェスの復興状況について申し上げます。先日、国王代理ファルシオン殿下におかれましては、バージェスへ御来臨いただき、改めて御礼を申し上げます」
 バージェスでの出来事は、先日のランゲの熱弁もあり、既に十四侯の間では周知の事実だ。
 アスタロトがそのこと――レオアリスの帰還に触れるかと意識が集中したが、報告はバージェスの復興状況のみだった。
「先日ご覧頂きましたように、街全体はほぼ修復を終え、これから外壁や通りの石畳などの補修、橋の装飾を施すなど、細部の修復に入ります。四月の和平条約締結の折には、更に美しい街を殿下にご覧いただけます」
「楽しみにしている」
 ファルシオンが微笑む。
 ファルシオンも復興以外には触れず、視線をヴェルナー侯爵ロットバルトと、そして大公ベールへと移した。
 ベールはファルシオンの視線を受け、卓へ戻す。
「では、財務院から報告を」
 ロットバルトが立ち上がる。
「昨年十二月に御裁可を頂き、年明け一月から農業税の一年免除、人頭税の減税を布告しております。各地の税収状況について正確な報告が上がるのは四半期ごととなりますが、各領事館の一月末報告では特に人頭税について減税の諸手続きが進んでいるところです」
 人頭税は領事館から報告される都市内、また近隣状況ごとに減税率を定めている。
 特に西方域については今回の減税によって、一昨年の税収に対し、五割近い減となることが想定されていた。
「一方で、南方域については昨年は一部地域で豊作となり、北方域はほぼ平年通りとなっています。国庫全体の影響としては、一昨年に対し歳入がおよそ二割二分の減。この内、短期的で昨年度のみの限定的な減はおよそ一割二分ほど。戦乱の農業への影響及び、国内の商業、国外との交易の一次的な停滞によるものです」
 一割が減税によるものだ。
 税収面に加え、昨年は戦乱により投じた軍務費等が例年より五割近く嵩んでいる。
「これに対し、回復の要因として大きく三点、見込むことができます」
 厳しい財政状況を前に沈んでいた列席者達の顔がやや上がる。
「一つには各地の復興作業による特需、もう一つには地政院の施策として進められている新たな農地開墾。そして商隊、物流の活性化による雇用と消費回復、生産向上と安定。この三点を主な要因として、今後三年を目処に減税分、戦乱による損失分を回復できると見込んでいます」
 手元の書類を置き、ロットバルトは卓を見渡すと、静かに続けた。
「しかしながら、申し上げたことはあくまでも見込みであり、施策の推進状況と天候などの不確定要素により、下方修正も考えられます。そして成果を得る為には何より、十四侯を始めとする各機関、地方との意識共有と連携、遂行、及び検証による随時修正が不可欠です」
 ファルシオンはじっと耳を傾けていたが、小さく息を吐いた。
 首を巡らせてスランザールを見て、また息を吐く。
「必要なところがなにか、しっかりと考えて、行わなければならないのだな」
 国家財政の数字は大きいが無限ではなく、財源を投入する先を検討して見極め、並行して歳入確保の為の様々な施策を講じ、かつ、それらを確実に実行しなければならないということだ。
 スランザールはファルシオンから窺える成長に、嬉しそうに白い髭を揺らして頷いた。
「実行と検証あってもの。議論だけで満足して終わってはならないということです」
 続いてベールはゴドフリーへ面を向け、西海との和平条約締結に向けた状況を確認した。
「申し上げます」
 ゴドフリーが席を立ち、ファルシオンへ一礼する。
「先日内政官房よりお示しした条約の草案について、現在双方で再度確認をしております。中旬には再度、正式稿として殿下にお示しできるものと考えております」
「うん。この前も聞いたけれど、西海との交易について、少し深められそうだろうか」
「はい。財務院、そして西海側と調整しております」
 ゴドフリーは深々と頭を下げた。
 ベールは再び、身体をファルシオンへと巡らせた。
「四月一日に向け、西海との条約締結の準備は順調に進んでおります。調印式はバージェスで、マリ王国立会のもと一日正午から執り行い、その後歓談、昼餐の流れとなります」
 条約締結は内政官房が執り仕切る。
 それから四月末の、王の国葬。この時に、昨年の戦いの戦没者についても国として慰霊祭を行う。
 そして、五月一日のファルシオンの即位式を迎える。
「五月一日の御即位にあたっては、居城での礼拝の後、十四侯の協議、四公十侯爵、及び九十九家等を召集した朝議に於いて、御即位、御戴冠――その後国主としてのお言葉を賜り、王城南正門において、国民に向けた姿見式と御即位のお言葉を賜ります」
 一日の内に王都内の祝賀行進、四院訪問、そして晩餐、夜会と続く。
「目が回りそうだ……」
 ベールは柔らかく笑った。
「全て滞りなく整えさせて頂きます。王太子殿下はお心を整えられ、式典に臨まれますよう」
 そう言い、面差しを引き締めた。
 もう一つ、重要な議題がある。
「条約締結、国葬、御即位に向け、更に内部の体制を整える必要がございます」
 ファルシオンの背が自然と伸びる。柔らかな頬に緊張が生まれ、ただ、誇らしさも同時に浮かべた。
 ベールがやや顔を伏せ、続ける。
「まずは、殿下の、そして御即位後の玉体の守護を務める、近衛師団総将の御公示を頂けますよう」
 アスタロトが息を詰めた。十四侯の卓が騒めく。
 近衛師団の出席は三大隊大将が傍聴として後方の席に着いているが、そこにレオアリスの姿は無い。
 ファルシオンは椅子から立ち上がった。
 やや緊張を帯びた声で、問うように告げる。
「私は、近衛師団総将をあらかじめ公示するにあたり、みなの考えを聞きたい」
 ファルシオンは金色の瞳を卓に並ぶそれぞれの顔へ向けた。
「今、総将にふさわしい者は、三名いる。総将代理であるグランスレイ、第三大隊大将のセルファン、それから」
 謁見の間は静かに、ファルシオンの言葉を待っている。
「みなもすでに知っているとおり、西海との戦い、そしてナジャルとの戦いの後、所在のわからなかった、近衛師団大将、レオアリスが戻った」
 ファルシオンが両脇で両手を握りしめるのが見て取れる。そこにファルシオンの想いが込められているようだ。
 喜びや安堵。これからへの期待と、もう一つ。
「近衛師団総将に相応しい者が一人ではないことは、みなが良く知っていることだと思う。それはとても心強くて、嬉しいことだ」
 アスタロトが同じように両手を握りしめる。
 レオアリスが近衛師団総将に就くことはアスタロト自身の望みでもあり、ただ、明確な距離が置かれるということでもある。
「誰を総将とするか――みなはどう考えているか、教えてほしい」









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2022.1.30
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