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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

三十六




 深く艶やかな青色の日除け布が、天蓋から斜めに流れている。
「ここ……」
 すぐ傍に柔らかな光を感じた。
 視線が先に動き、それから首を左へ傾ける。
「――ファルシオン殿下……」
 そこにあった黄金の瞳が目一杯見開かれ、それからファルシオンは身体全部寝台に上り、抱きついた。
 しっかりとした重みが身体に伝わる。
「殿下――? ええっと」
 ファルシオンの身体を受け止めつつ巡らせた瞳が、今度は反対側にいたアスタロトを見つけた。
「アスタロト」
 途端にアスタロトは声を上げ、寝台に突っ伏した。
 そのまま喉の奥から、堪え切れない嗚咽を零す。
「え――?! おい、どうし――え、何だ、ここ……ボードヴィル?」
「王都だ」
 アスタロトの向こうでプラドが答え、レオアリスはファルシオンの背に手を当てたまま瞳を見開いた。まだ少し思考がぼやけた感覚のまま、寝台の二人とプラドを見比べる。
 プラドは王都と言った。
 記憶を辿る。
「王都……? じゃあ、戦いは――ナジャルは――?」
「倒した。お前が最後に斬った。覚えていないか」
「――少し……いえ」
 記憶を整理しようと、レオアリスは眉を寄せ瞳を細めた。
 途切れ途切れの映像が、浮かんでは消える。
 海面の向こうに逃れていくナジャルの躯と。
「……覚えています。ナジャルと戦って――けど、その後が、良く……」
「お前はただここに居るのではない、多くの方々の尽力でここにおる」
 ややしゃがれた、耳に馴染んだ懐かしい声。
「え――」
 一瞬誰のものか分からず、レオアリスは瞳を瞬かせ、声の主を探して顔を向けた。
「きちんとお礼を言いなさい」
「心配させおって、幾つになっても、お前は」
 王都だ。ここは。
 けれど――確かに、カイルと、セトの姿が映る。
 驚きが遅れて込み上げた。
「――じいちゃん?! セトじいちゃんも……? え、何だ、どういうこと」
「どーいうことじゃない!」
 アスタロトはがばっと身を起こす。涙が真紅の瞳からぼろぼろと零れている。
「アルジマールと、おじいちゃん達と、ファルシオン殿下がお前を見つけて、連れ戻したんだからな! 海ん中探しに行って、西海まで協力してくれて、私だって、珍しくなんか結構がんばったし、ちょうどバージェス復興中で、でもベールが次の総将急かすし、最初プラドさんがおじいちゃん達連れてきて、そんでもってロットバルトが話聞いて、お前がまだ生きてるかもって言って――」
「待て待て待て、ちょっと良くわからな」
「二か月も! また! 寝てたんだ! 今度は海の中でふわふわふわふわ――いっつもいっつもいっつも大怪我して死にかけて寝てばっか、もうほんとっいい加減にしろ!!」
 怒涛のように畳み掛け、アスタロトはまた寝台の縁に突っ伏した。
「うわあああん!」
「アスタロト、おい」
 レオアリスは振り絞るように泣いているアスタロトの背に手を当て、ぎゅっとしがみついているファルシオンの髪を撫ぜながら、プラドと、カイルとセトの顔を見回し
「え、情報量おお
 ファルシオンの向こう、窓際にロットバルトを見付けた。
 安堵を覚える。
「ロットバルト、良かった。全然状況が判らない」
 ロットバルトは笑って寝台に歩み寄った。
「まあ、目が覚めてこの状況では、混乱はするでしょうね」
 ファルシオンの傍らに立ち、すっかり寝台に乗ってしがみついているファルシオンの姿を見て笑みを零した。アスタロトは寝台にうつ伏せたまま、まだ時折盛大にしゃくりあげている。
「簡単に申し上げれば、貴方はナジャルを倒した後行方が分からなくなり、十一月の戦いからおよそ二か月が経っています。正確には二か月と七日ですね」
「二か月……アスタロトも言ってたけど――ナジャルを倒した後から?」
 驚き、それから、「そうか、倒したんだな」と呟きを落とす。
「そうです。レガージュの海で、最後に貴方がナジャルの躯を二つに断った――ただおそらくはその際に、剣を二振りとも失ったと考えられます。そして生命に関わる怪我を負った。我々は二か月、貴方を探し出せなかった」
「剣を――、ああ」
 手の中から消えた感覚を覚えている。
 鳩尾に手を当てて、レオアリスは驚いて目を見開いた。
「でも――戻ってる」
 当てていた右手をぐっと握り、そうか、ともう一度呟く。
「ここにいる方々は、それからアルジマール院長も含めて貴方を探し、見つけ出して、連れ戻した。その手法についてはまたそれぞれ話があるでしょう。これからゆっくり、話をされればいい」
 レオアリスはファルシオンとアスタロト、祖父達、そしてプラドを見た。
 カイルとセトは安堵の篭った笑みを浮かべて頷き、プラドはやや離れた長椅子の肘掛けにもたれ、一度視線を返しただけだ。
「とにかく、無事に戻って――、安心しました」
 ファルシオンの柔らかな銀髪に触れている、指先の感触を確かめる。
 触れた場所から温もりと安堵が、身体に深く広がるようだ。
(戻った。そうか)
 指先の、その向こうの白い敷布に微かな音を立て雫が一つ落ちる。
 レオアリスは視線を上げた。
「この先慌ただしくなるかと思いますが、まずは身体を」
「ロットバルト」
 気が付いて、ロットバルトは右手で目元を覆った。
「――」
 息を飲み込み、奥歯を噛み締めるようにぐっと口元を引き結ぶ。
 顔を反らせた拍子に頬を伝った雫が、数滴、落ちた。
「えっ、お前、泣――」
「これは」
「あーーーーっ!」
 アスタロトががばりと跳ね起きる。
「見れた!」
 呆気に取られつつ、レオアリスはアスタロトと、それからロットバルトを交互に見た。
「ええ?」
「ばっちり見たぞ! やっぱりお前だって、すっごい嬉しいんじゃん! へへん!」
 アスタロトは自分もまだ涙が乾いていないまま、勝ち誇ったように胸を張っている。
「――嬉しくないと言った覚えはありません。だいたいこうした反応は人が有している機能の一つで、何も珍しくは」
「見栄っ張りなんだから。素直にな――」
 蒼い双眸を向けられ、アスタロトはぱっと口を噤んだ。
 寝台の向こうに素早く隠れ、それでも縁から顔半分を出し、「見たもん。そんな目したって忘れないもん」とブツブツ言っている。
 レオアリスはまだ驚きが引かないまま二人のやり取りと聞いていたが、ふわりと胸の奥に込み上げた感情を、そのまま笑みに変えて零した。
「はは……」
 それから深く、息を吸う。
 驚かされてばかりで、まだ思考がまとまらない。
 けれど一つだけ確かだ。
 自分がどんな状態にあったかは、覚えている。
 それでも。
 ここに戻って来れて良かった。心からそう思う。
 この場所に。
 寝台に右肘をつき、レオアリスはぐっと奥歯を噛み締めて身体を起こした。しがみついたファルシオンをどうするか束の間考え、そのまま抱えて引き上げる。少し重い。
「まだ動かなくても――」
 ぱっと手を伸ばしたアスタロトに、どうも心配性になったみたいだと笑う。
「大丈夫だ、傷はほとんど治ってる。ちょっと筋力が落ちてるんだ。ずっと寝てたせいだろうな」
「筋力って、そんな問題じゃ」
 幾つか置かれた枕に身体をよりかからせると、肩でもう一度ゆっくりと深呼吸し、寝台の周囲を見回した。
 プラドと、カイルとセト。ロットバルト、アスタロト。
 ファルシオン。
 ここにいない、思い浮かぶ顔は数え切れない。
 静かに、頭を下げる。
「本当に、有難う。ご迷惑をおかけしました」
「そんなこと全然、ないよ!」
 アスタロトが寝台に両手をつき、慌てて離す。
「みんな、わ、私も、待ってた――戻ってくるってわかってたから! 昨日の十四侯の場でも喜んでたし、それから一番、心配して我慢してたのファルシオン殿下だから、殿下に一番礼を言って」
「有難う、アスタロト」
 また涙を滲ませ顔を真っ赤にしているアスタロトに笑いかけ、ファルシオンを見下ろす。
「ファルシオン殿下――」
 レオアリスはファルシオンの髪をもう一度撫で、肩に手を置いて、それから軽く目を見張った。
「……寝てる」
 ぎゅっとしがみついたまま、ファルシオンはすっかり眠ってしまっている。
 どうりで重いと思った、と、レオアリスは笑みを浮かべて呟いた。












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2022.1.10
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