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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

三十四



「ヴェルナー……、ロットバルト!」
 アスタロトが声を上げ、長い廊下の先を行く背を追いかける。西に落ち始めた太陽が窓の形を床に落とし、アスタロトの影がその上を過ぎる。
 ロットバルトは近寄るアスタロトへ目礼し、彼女が前へ来るのを待った。
「お前のところに行こうと思ってた。もう戻るんだろ? 様子はどう? 目を覚ました?」
 畳み掛ける言葉に、ロットバルトの口元に笑みが浮かぶ。
「朝、昼、夕と――それほど頻繁に顔を出されるのなら、ご自身の居室で預かられれば良かったのでは」
「そっ、それは――、それは、ほら、さすがに」
 笑い含みに返され、アスタロトは顔を真っ赤にして挙動不審にきょろきょろと廊下を見回した。
 とは言え一昨日夜に王都に戻ってから、顔を見に行くのはこれで六回目だ。
「だ、だってヴェルナーは後見だし、私んとこで預かるより適任だろ。今までもそうだったから今回同じでも問題ないし、王城内なら殿下がすぐ様子見に来れるし――」
 近衛師団の宿舎での療養も考えたが、それだと手が足りず、そもそもファルシオンがそう簡単には訪ねられない。
 目が覚めて状態が安定していると判るまで、レオアリスの当面の療養場所としては前回同様、王城西棟四階にあるヴェルナー侯爵家の為の居室が用意された。
 侯爵以上に対し王宮の一角に用意されている、一時的な休息等の為の居室だ。便利でもあるし充分居心地よく整えられているが、忙しいと自分の館に戻らず王城に寝泊まりする状態を誘発し健康に良くないのではと、アスタロトはちらりと傍らの青年を見上げた。
(夜会で飲み過ぎてへべれけになった時とかなら便利だろうけど)
 ちなみにアスタロトはこれまで興味本位で一度しか泊まったことはなく、毎日しっかり自分の館に帰っている。美味しい食事とアーシアが待っていてくれているから。
「それで、起きた? ほんのちょっと目を開けたりとか」
 この問いも六度目だ。
「朝の段階ではまだ。日中も特に知らせは来ていません。一昨日の今日で、傷の影響も有りあと二、三日は寝ているのではと、これはアルジマール院長の見立てですが」
 分かってはいたが少し肩を落とす。
「もう、二か月も寝てたんだから充分じゃないか。早く起きてくんなきゃ」
 バージェスの館で一瞬目を開けてから、レオアリスは呆れるくらいずっと眠ったままだった。
 王都に戻ってもう二日経つ。もう心配は無いのだと思っていても、やはり僅かな不安が残る。
 それに、早く話がしたい。
 あの戦いがどんなだったか。
 この二か月のこと。
 これからのこと。
 それができることを思うと鼓動が早まる。
「それほど急ぐ必要はないでしょう」
 なんだか素っ気ないと、アスタロトは頬を膨らませた。
 落ち着かない気持ちを共有したいのに。
 落ち着かなくて、それから心が浮き立つようだ。
「こんな時くらいさあ」
 ロットバルトだってあんなに手配やら何やらしたのだ、今回の結果に喜んでいるはずだし、そうならばもう少し感情の揺らぎとかを見せてもいいのではないか。
 泣けとまでは言わないが。
(でも見たいな)
 バージェスで大泣きした身としては、余計仲間が欲しい。
 とは言えそんな姿を見ることはないのだろうなと思いつつ、アスタロトは後ろに一つに括った髪を揺らした。
「殿下は?」
「この後、公務を終えたらおいでになります」
 昨日の十四侯の協議で見たファルシオンの明るい表情を思い出し、頬に笑みが浮かぶ。
「じゃあきっと、もう起きる」
 そう言って先に立って歩き出す。行ったら起きているかもしれない。自然と足は早まった。




 部屋付きの女官が扉を開き、アスタロトは寝室に先にいた人影を見て、さっと顔を輝かせた。
「おじいちゃん」
 寝台の脇にカイルとセト。
 それからプラドだ。
 カイルとセトが、深々と頭を下げる。
「どうですか」とアスタロトはやや駆け足で二人に近寄った。ロットバルトが女官に何事かことづけてから室内に入る。
 左奥に壁付された寝台と、反対側の暖炉の前に低い卓とそれを囲む椅子が四つ。ただカイル達もプラドも寝台の傍にいたようだ。
「つい今しがた来たばかりじゃが、良く寝とるの」
「そっか。でもすぐ目を覚ますよ。プラドさん――」
 アスタロトは口元を押さえた。
 プラドが寝台の傍に立ち、レオアリスの鳩尾に手を伸ばしている。
 何かを聞こうとしているように――その目的は、アスタロトにもすぐにわかった。
 レオアリスの剣が戻っているかどうか。
 どくりと、耳の奥で鼓動が響く。
「――」
 レオアリスが近衛師団総将に任命されるかは、剣の有無にも掛かっている。
 有れば確実だ。
 無ければ――
 それに剣が無ければ、身体への影響も出るだろう。
 身を持ち上げた不安を、首を振って払う。
 大丈夫だ。
 プラドは身を起こし、目を細めた。
「問題ない。二振りとも、剣は戻っている」
 予想以上にあっさり返った言葉に、アスタロトは詰めていた息をゆっくり、吐いた。
「良かった――」
 近寄って、掛け布を整える。
 右肩に刻まれていた傷跡は今は夜着の下に隠され見えないが、ほとんど癒えているはずだ。
 王が癒したのだから。
「二振りもの剣が、一度失われてこれほど早く戻るのは驚くべきことだ」
 プラドの言葉がそれを裏付けている。
『今少し委ねよ』と告げた、その言葉に対してアスタロト達の行動は少し早かったかもしれないが、それでも王は、その手からレオアリスを戻した。
「ファルシオン殿下が来たら、きっと目が覚めるよね。これだけいっぱいの人が待ってるんだし」
 でも、といたずらを思いついたように瞳を輝かせる。
 夕方、五刻を報せる鐘の音が、王都の街から響いてくる。気付けば陽はだいぶ、低く落ちていた。
 扉が叩かれ、女官がファルシオンの到着を告げる。
「殿下だけじゃなくて、グランスレイとか、フレイザーもヴィルトールもクライフもここにいたらさ、さすがにこの部屋も狭くなっちゃうけど、面白いかも。レオアリスが見たら何事かってびっくりするよ」
 枕元をぽんと叩き、扉に向き直ってファルシオンを待つ。
 もうこの後は、楽しい会話を期待して待つだけだ。
 それが嬉しくて、アスタロトは頬に笑みを浮かべた。









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2022.1.3
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