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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

二十八



 
「ファルシオン殿下に、バージェスの復興状況の視察に来ていただこうと思ってる。それが一番の方法なんだ。殿下の日程を調整して欲しい。可能なら明日にでも」


 アスタロトはバージェスの街の、復旧した区画の建物を一つ、仮宿にしていた。
 開口部の広い窓からは、日中ならば建物の重なり合う合間を縫って青い海が見える。すっかり日も暮れた通りから、兵士や労働者達が酒を酌み交わす賑わいが聞こえてくる。
 アスタロトの言葉を携えた伝令使を王都のロットバルトへ送ったのが四半刻前、伝令使はすぐに戻った。翼に流れる鮮やかな赤い筋が特徴的な隼だ。
『アルジマール院長から状況は把握しています。ですが、そうすぐには殿下は王都を動けないでしょう』
 ロットバルトの返事を聞き、アスタロトは卓の上に身体を乗り出した。
 アルジマールから聞いているなら話が早い。
「とにかく今すぐ、すぐがいいんだ。明日がダメなら明後日だって!」
 今目の前にいるのは伝令使だと思い直し、隼の嘴に触れてもう一度言葉を繋いだ。
 しばらく待って戻った回答に、アスタロトは思わず椅子を鳴らして立ち上がった。
 控えていたアーシアが何事かと主人を見ている。
『ファルシオン殿下は二月初日の朝議で、次期近衛師団総将を示すおつもりです。その対応も含め、ご予定が』
 言葉は途中で耳に入らず消える中、アスタロトは息を飲み込んだ。
「近衛師団総将――」
 次期近衛師団総将を示す。
「誰を」
 今、いないレオアリスでは無い。ファルシオンがレオアリスが戻る可能性を知らないのなら、グランスレイか、セルファンか。
「きっとグランスレイだ」
 けれど、ファルシオンは待っていたはずだ。
 レオアリスが戻ってくるのを――周りもそう考えていたはず。
「私は聞いてないぞ」
 王都へ戻れとも言われていない。
「そんな大事な――」
 いや、アスタロトがその場にいたら混乱すると、そう考えたのかもしれない。
(考えたの、きっとベールだ。あいつが考えそうなことだ。そんなこと示すのに私を呼び戻さないのだって、私は絶対反対するもん、そんなの)
 近衛師団の人事は王の権限に基づいており、正規軍将軍とはいえアスタロトがどうこう口を出すものではない。
 アスタロトは卓に両手をついたまま、伝令使と自分の中間の空間を睨み据えた。
(二月……四日後って)
 正式には五月初めの即位式で近衛師団総将を任命する予定だ。
 その準備も考えて三か月前の、二月。四月一日の西海との条約締結の儀では、次期近衛師団総将として列席するのだろう。
(でも絶対、殿下だって納得してなんかない。グランスレイはグランスレイでそりゃ相応しいって思うけど、今決めちゃったらレオアリスが戻ってきた時に、殿下はもうあと少し、ほんの少し待たなかったことを悩んじゃうよ。レオアリスは絶対戻ってくるんだから――)
「今じゃなくても、あと、あと十日、せめて」
 伝令使へ手を伸ばしかけ、その拳を握り込む。卓の上に再び両手をついた。
 ロットバルトと話をして、いい方法を考えて、それからファルシオンとも?
 けれど確証がなくファルシオンへレオアリスのことを話すのは避けようと、そう決めたところだ。アルジマールが譲らなかった点でもある。
 アスタロトは絶対戻ってくると信じていても、ファルシオンが知るのは戻ってきた時がいい。
「伝令使じゃ、まどろっこしくて話にならない!」
「アスタロト様?!」
 アスタロトは跳ねるように顔を持ち上げた。
「王都に行く。今すぐ」
 驚いたアーシアがアスタロトの傍に寄る。
「今からですか? でも、もう夜で」
「うん」
 自分で唯一覚えた転位の術式も、バージェスから王都ほど距離が離れていると、アスタロトでは飛べない。
 レガージュの転位陣を使うか、アーシアの翼で一日かけるか――
 二つとも選ばず、アスタロトは伝令使を見つめた。
「アルジマールに。私を王都へ転位させてって伝えて! 今すぐ!」





「ロットバルト!」
 執務室に飛び込んできたアスタロトを、長椅子に座っていたロットバルトは驚きよりも呆れをもって迎えた。
「――どうなさいました、公。つい先ほどまでバージェスにいらしたと」
 夜の十一刻、伝令使の遣り取りから一刻と経っていない。
「そうだよ、顔見て話さないと埒が明かないから来た。近衛師団の――」
 ロットバルトの正面に主計官長のドルトが座っているのに気付き、アスタロトは口を閉ざした。
 ロットバルトはドルトへ目線で退出を促すと、自らも立ち上がった。
 扉が閉まるのを確認してドルトが座っていた椅子へ腰掛け、改めてアスタロトへ、それまで自分が座っていた上座を勧める。
 アスタロトはストンと長椅子に腰を下ろした。膝の上で両手をぎゅっと握る。
「近衛師団総将が、決まっちゃうって、本当に本当?」
「殿下はそうお考えです」
「そんなの駄目だ」
 蒼い双眸が、アスタロトの熱を冷ますように静かに据えられる。
「どこに問題がありますか?」
 そんな問いが戻るとは思っておらず、アスタロトは驚いて口籠った。
「どこって――そんなの、分かってるだろ? もう少しでレオアリスが戻ってくるのに――」
「王太子殿下は現時点での相応しい登用をお考えです。近衛師団に問題が生じることはありません」
「現時点ではって分かるよ。だから近衛師団に問題が出るとかじゃなくて」
 膝の上の拳を更に握り込む。
「私は、レオアリスに総将になって欲しい。そうしたらファルシオン殿下も喜ぶ」 
「確かに、ファルシオン殿下はそうお望みでしょう」
「だろう? だから」
それ・・が今でなければならない理由がありますか?」
 真紅の瞳が呆気に取られて見開き、ロットバルトを見つめた。
「え……ちょっと待ってよ。それ本気で言ってるの? お前が、そんな――」
 ロットバルトは一番にレオアリスのことを考えると思っていた。
 立場が変わっても。
 今回の探索も、レオアリスが生きているだろうという、ロットバルトの考えが根底にあってのことだ。
「感情論で国家の体制、人事を論ずる訳にはいかないでしょう。特に今は視野を広く持つ必要があり、王太子殿下はその重要性を良く理解されています。熟慮された結果のお考えに対し、不確かな情報で王太子殿下を悩ませるべきではありません」
「でも」
 言葉を探して視線を落とす。
 そんなふうに話されたらずるいとさえ思う。納得できなくても納得しなくてはいけなくなる。
「感情論って――私だけじゃなくって、ロットバルトだって、レオアリスが近衛師団総将になったらいいって、思ってるはずだ。そうでしょ、今まで」
「近衛師団総将の人選は、ファルシオン殿下ご自身にとっても国にとっても、重要な意味を持つものです。現状で国を考えれば、自ずと方向性は定まるでしょう」
 アスタロトは椅子から立ち上がった。
「私はヴェルナーに聞いてるんじゃなくて、ロットバルトに聞いてるの! 曖昧にぼかさないでよ!」
「ですから個人的な感情論ではないと――」
「なら個人的に聞く! どっち!?」
 ロットバルトは睨み据えるアスタロトを見上げ、ややあって一つ短い溜息を落とした。
「――私個人の考えならば、貴方と同じです」
 瞳を輝かせたアスタロトが口を開く前に、ロットバルトは蒼い瞳を牽制するように細めた。
「ですが、この議論は体制として行わなければなりません」
 もう一度そう言われても、ロットバルトの本心は聞けたのだから、アスタロトは揺らがなかった。
ヴェルナー・・・・・がそう言うのは、レオアリスが今、ここにいないからだろ」
「――」
「レオアリスがここにいたら、戻るなら、ヴェルナーとしてだって違う議論ができるだろ?」
 ロットバルトの表情を見据え、深紅の瞳が輝きを増す。
「ナジャルを倒して、ファルシオン殿下を護りきったレオアリスが、近衛師団総将にふさわしく無いなんて誰か言うか?」
 アスタロトは腰に両拳を当てた。
「もし年齢がとか言うなら、そんなの私だってそうだし、それこそファルシオン殿下だってそうだ」
「その発言を、公の場でなさらないように」
「どうして? 単なる事実だし、ファルシオン殿下は即位されるのに相応しいよ。まだちょっとの年数しか生きてないだけで。大体王都の住民とか、そういう感情を考えたら、殿下が幼いからこそ近衛師団総将だって年が若くっていいって思うんじゃないの? その方がみんな喜ぶ。まわりがしっかり支えてるのが分かればいいんだし。こういうのは――こういうのこそ、感情論でいいんじゃないの?」
 無茶苦茶言っている自覚はある。
「異論は認める。でもこれだけは譲れない。殿下に視察を理由に、バージェスへ来ていただこう。殿下の存在が鍵だ。レオアリスは戻ってくる」
 見つめる瞳に力を込めた。
 そう、譲れない。
「今、動かないと戻らないぞ。それでもいいのか」










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2021.12.19
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