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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

二十六



 湾内に入り、身体に伝わる揺れは緩やかになった。もうすぐ陸に、レガージュの街に戻る。
 アルジマールは一つ息を吐き、カイルとセトへ顔を伏せた。
「カイル殿、セト殿、あと少し、我々に預けてもらってもいいですか」
 二人が慌てて更に深く頭を下げる。
「お願いします。何もかも、頼って申し訳ありませんが――」
「いいえ。力不足で恐縮です。せめて居場所が特定できれば転位陣を応用できるんですが。探索ですら認識できない相手を引っ張り出すとなると」
 夕方の四刻、まだ夕陽が明るく照らしている西の空にも、一刻もすれば夜がやってくる。
「殿下に、話そう」
 ぴんと張り詰めた声を、アルジマールは振り返った。
 アスタロトは卓に手をついて身を乗り出し、瞳に強い光を灯している。
「ファルシオン殿下の力があれば、きっと王が言う道が開ける。王と確実に繋がれるとしたら、殿下しかいない。それにレオアリスが戻ってくるって知ったら、殿下だってすごく喜ぶ。話すべきだ」
 アスタロトの言葉に少しの間考えを巡らせ、小さく首を振る。
「難しいかな。確かに、大将殿が戻ってくると聞けばきっと殿下は心からお喜びになる。それを本当はずっと待っていらっしゃる」
 何度となく胸元に手を触れる仕草をアルジマールも良く知っている。
「そうだよ、だから殿下に話して、レオアリスを引っ張り出す方法を正式に探そう。だってもう連れ戻すだけだ。王がそう言ったんだから――きっとできる」
「保証がない」
「保証なんてそんなの、どこまで行ったってないよ。保証ができるまで待ってるなんて無駄だ。一つ問題があるから、その問題を解消するまで動かないなんて、そんなの馬鹿げてる」
 卓に置いたアスタロトの手の指先が、白い。
「殿下の力があれば、可能性は倍になる。倍じゃなくてもっと」
 アルジマールは組んでいた腕をほどき、落ち着かせようと片手を上げた。
「僕が心配してるのは殿下のことだ。殿下はまだ六歳にもなられていないんだよ。芯を持ち、しっかりしておいでだけど、そこに僕らが依存しちゃいけない。殿下が懸命にそうあろうと、自らを律しておられるからだ」
 それが崩れるのが僕は怖い、と、そう言ってアルジマールはアスタロトの瞳を正面から見つめた。
「それに、陛下のことを、ファルシオン殿下にどうお伝えするのか――」
 アスタロトが息を詰め、唇を引き結ぶ。
 王が、敬愛する父が既にいないことを、ファルシオンは事実として正面から受け止めている。だからと言って悲しみや淋しさ、思慕が薄れた訳ではない。
 レオアリスを守っているのは王の、おそらく――最後の思念であり、ファルシオンがそれを知るということは、もう一度、父の死と向き合うことになる。
 塞がりかけた傷口が再び開くことになれば、ファルシオンを保っている芯が崩れる。
「僕は、その言葉が見つかっていない」
 芯が崩れるということは、心が崩れるということだ。
 懸命に、ぴんと張っている糸に更に負荷をかけ、それが切れた後結び直しても、もう同じ強さは持たない。
「殿下の気持ちを緩めて差し上げるのは僕らの役割だけど、これ以上負荷はかけられない。殿下のお心を守るのが第一なんだ。だから一旦、確実へ近付ける方法を考える時間が必要だよ」
 アスタロトは手をついていた卓から身を起こし、その手をぎゅっと握った。
「時間は、そんなに無い。どのくらいあるかなんか判らない。今すぐにだって――できる限り、可能な限り早く、できることを試して、レオアリスを見つけなきゃ」
「陛下は今少し委ねよと仰ったんだろう。まだ時間はあるよ」
「そんなの、わかんないよ!」
 弾く言葉を口にして、アスタロトははっと口を噤んだ。
 息を吸い、ゆっくりと吐く、その仕草に複雑な思いが滲んでいる。
「――ごめん。殿下のことを考えれば、本当にその通りだ」
 ユージュも、そしてプラドもティエラも二人の話を黙って聞いている。
 セトも、カイルもだ。口の挟みようがない。
 アルジマールは椅子の上で背を起こした。
「君の気持ちは僕にもわかるよ。大将殿のことは絶対に何とかしたいし、僕もそれにはファルシオン殿下にお力添え頂くのが一番だと思ってる。だからこそ失敗できない。それにもう一つ」
 心の問題に加えて、ファルシオンの立場のことも。
「殿下は三か月後にご即位を控えていらっしゃるし、戦後の処理もまだ色々あるし、ご多忙だ。殿下がレガージュにお越しになるとしたら、公的な、そして明確な理由がないとね」
 不確定な情報だけでは、今のファルシオンは動けない立場にある。
 船がやや斜めに傾き、それから船体が何かに当たる。
 桟橋に着いたと、甲板から声が落ちる。
「慌てることは無い。大将殿の傷は僕が直すって言っただろう?」
「――わかった」
 アスタロトは込み上げる言葉を飲み込み、こくりと頷いた。






 澄んだ空に星が輝き始め、陽の光は西の地平に残るだけだ。
 ロットバルトは西の空が広がる窓辺に浅く腰掛け、首を傾けて地平に滲む最後の朱金の帯を見ていた。
 扉を叩く音に入室を促す。
「失礼致します、灯りを――」
 遠慮がちに入室した王城の女官は、硝子の傘に納めた蝋燭と細長い銀の火差し具を手にお辞儀した。
 一月末の午後四刻、灯りを灯していない室内は空の夕暮れよりも淡い。
「有難う」
 先端に火を揺らした火差し具を蝋燭の芯に近付けると、ぽつりとひとつ、灯りが灯った。硝子の被いの奥で細い火がゆっくり瞬く。
 ロットバルトは視線を窓の外に戻した。
 地平に沈む太陽が、大気に滲んでいる。
 もう僅か、四半刻もなく地平に消えるだろう。
「ロットバルト様――」
 視線をもう一度戻すと、ルスウェントが開いた戸口に立っていた。
 ルスウェントはまだほとんど灯りの灯っていない室内を見回し、点灯具を手にしたまま窓辺を見つめている若い女官へ一つ、咳払いをした。
「灯もつけず、どうかなさいましたか」
 すっかり手を止めていた女官が慌てて二つ目の燭台に火を灯す。
 ロットバルトは窓辺から立ち上がり、ルスウェントへ軽く一礼した。
「今、点けて貰っているところです。少し考え事をしていたので」
 燭台に火が全て灯り、室内は窓の外に夕闇を押し出したように明るくなった。女官が退出するのを見送って、ルスウェントが数歩進み、立ち止まる。
「先ほど、王太子殿下のお話があったとか。本日のご予定にはなかったと思いますが、財務の関係でしょうか。何か急な案件が――?」
 ロットバルトはほんの僅か、苦笑を浮かべ窓辺を離れた。
 入室の際に職名ではなく名前で呼んでいたのは、ファルシオンの案件が財務院に関わることではないと、ルスウェントも判っているからだ。
「ルスウェント伯。貴方の御子息は確か、九歳になったばかりでしたか」
 唐突な質問に面食らい、ルスウェントの返答は少し遅れた。
「その通りです。まだまだ行動が子どもで――我が息子に、その、関係が?」
「ヴェルナーを継がせるお考えはありませんか」
 今度こそルスウェントは呆気に取られ、半ば口を開いてロットバルトを見つめた。
「申し訳ございません、何を、意図して仰っているのか――」
 部屋を横切るルスウェントに対し、ロットバルトは窓の前に置かれた執務机に座った。ルスウェントが向きを変えその前に立つ。
「今すぐとは言いません。ですがいずれ、ヴェルナーにも後継者が必要になる」
 卓の上に両肘を置いてやや身を乗り出し、組んだ手に顎を乗せ、ロットバルトは柔らかく微笑んだ。声は穏やかだが、財務院の業務内容でも話すように淡々としている。
「現時点ではヴェルナー内部を見回しても適切な者がおりません。御子息は貴方に似て優秀と伺っています。養子縁組ならばルスウェント家にも利があるでしょう」
 黙って聞いていたルスウェントは息を吐き、微笑んでいる当主を半ば非難するように見つめた。
「ヴェルナーの後継者は、貴方の血を引いた方を望みます。我が子には我が子の意思が――いえ、」
 向けられる蒼い瞳から目を逸らし、ひとつ咳払いをする。
「ルスウェントの大切な跡継ぎです」
 声には後ろめたさがどことなく滲んでいる。
 ルスウェントは切り替えるように一つ首を振った。
「そもそも、ヴェルナーの新たな基盤が整ったばかりの今、そのようなことを口にされるのは好ましいものではございません」
「一考程度はしてもらいたいものですが」
 残念そうな口振りで、ただそれまでの会話を戯れに紛れさせるように、ロットバルトは話題を変えた。
「来て頂いたのは丁度いい。先ほどの王太子殿下の御要件について、貴方のお考えをお聞きしたい」











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2021.12.12
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