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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

二十一




「では、僕が一つ、防御陣の構成点を打ちます。殿下はまずご覧になっていてください」
 アルジマールはそう言うと、手にしていた細い巻物を目の前に掲げた。
 巻物はアルジマールの手を離れてぱらりと解け、独りでに広がると、紙を埋め尽くしていた文字が光を帯びた。
 アルジマールの右手が巻物へ伸び、中指と人差し指、二本の指先が文字を、吸い上げる。紙面を離れた文字の列が布のように風に靡く。
 文字列は、複雑に組まれた術式だ。
 纏う光は黄金。
 指先に絡ませながら足元を指すと、術式は石造りの床に吸い込まれ、次いで一尺(約30cm)ほどの円陣を構成し――、消えた。
 アルジマールが顔を上げ、ファルシオンと向かい合う。
 王城城壁の一角、冷たい風が二人の頬を撫でて過ぎる。
「いかがですか? やり方は簡単ですけど、力を適切に乗せないと全て終えるまで体力が持ちませんから、お気を付けて」
「むう……」
 ファルシオンが唸る。二人から少し離れた場所にはセルファンと近衛師団隊士等が見守っている。
 アルジマールは二つの重要案件を抱えていた。
 一つは国威高揚の為の飛空艇開発、もう一つが王城防御陣の再構築だ。
 不可侵条約再締結のあの日、王の死によって、王城を覆っていた防御陣が失われた。
 かつて王が張り巡らせたそれと同じ陣を構築することは不可能だと判断し、アルジマールはファルシオンの力を組み込めるよう、防御陣再構築の準備を進めてきた。
 本来、王城の防御陣はあらゆる干渉――術式及び物理的攻撃に対応し、遮断するものだ。そこに組み込まれる術式は複雑を極め、かつ、王以外――王太子ファルシオン以外、防衛上その構成を知らないことが望ましい。
 だが現時点ではファルシオンが一人で防御陣の再構築を行うことは難しく、アルジマールはファルシオンの力を術式に事前に取り込むことにした。
「このふた月で、五十巻の巻物を殿下にご用意頂きました。この巻物が補助してくれます」
「書き写して、詠唱していただけだが、大丈夫だろうか」
 ファルシオンはアルジマールが組んだ術式をひと月かけて巻物へ綴り、更にひと月の間、朝晩に手をかざし術式を唱え続けた。計百回、一回ごとに異なる術式を。
 これらの巻物を補助とし、ファルシオン自身の手で五十箇所に構成点を敷設し、王城全体を覆う防御陣を再構築する。
「もう一箇所だけ、僕がやりましょう。ただやはり王城防御陣ですので、殿下のお力によって構成される必要がありますから」
 これ以上はアルジマールの手を借りることはできないのだと、ファルシオンは神妙に頷いた。




「それでは、殿下」
 居城の東の庭園に降り立ち、アルジマールは一歩引いてファルシオンを促した。三箇所目――これからは全て、ファルシオンが自ら術を施さなくてはいけない。
 ファルシオンがこくりと頷き、進み出る。
 巻物を持つ手を前へ伸べると、アルジマールが行った時と同様、細い巻物は滑らかに開いた。
 ファルシオンの前に浮き上がる。
 黄金の瞳を閉じ、ひと呼吸を置いて術式を唱える。
 開いた細長い紙から光文字と模様が浮き上がり、術式に合わせてファルシオンの周囲を螺旋状に巡った。そのままするすると足元の明るい石に吸い込まれ、円陣となって複雑な模様を輝かせる。
 見つめるファルシオンの柔らかな頬、生毛が仄かな黄金を帯びて光に包まれているようだ。




『君、ファルシオン殿下にはどうお伝えするつもりだい?』
 ロットバルトは問いに対し、珍しく迷うようだったが、答えはアルジマールの考えと同じだった。
『殿下にお伝えするのは、もう少し確証が得られてからと考えています』
 そうだね、とアルジマールは答えた。
 彼等の行おうとしているものは、未だ確証の無い、希望を根拠にしたものだ。
 知ればファルシオンを心から喜ばせることができるが、簡単に足元が崩れる希望でもあった。




 ファルシオンの足元に広がった法陣円が、再びゆっくりと地面に吸い込まれ、消える。
 瞳で尋ねるファルシオンへ、アルジマールはにこりと笑った。
「成功です、殿下」
 大きな瞳が喜びに染まるのが微笑ましい。
 術式はアルジマールの目から見ても完全に敷設され、固着している。その出来映えに感嘆を覚えた。準備段階での術式詠唱が、しっかり組まれてきたことが判る。
 たゆまない努力、思慮深さ――それらはファルシオンの美点だ。
 聡明さは周りの誰もが認めるところで、五歳という年齢を考えれば驚くほどだったが、『王の血』がそれを当然のことのように思わせてもいた。
(陛下の姿の前に、隠れてるけど)
 ファルシオン自身が素晴らしい資質を持ち、育てているのは紛れもない事実だった。
(きっと殿下は、優れた、良き王になられる)
 ただ、多くを負い過ぎている。
 周囲はファルシオンを支えているが、大人ばかりで同年代、近しい者がいない。
(そろそろ御学友が必要だろうな)
 それから――
 せめて、この王子を守る剣士がその傍らに戻れば、気持ちを少しでも軽くすることができるだろう。
 ファルシオンは口には出さず、それでもあの青い石をいつも懐に収めているのをアルジマールも知っている。時折胸元を抑えるその仕草を、周囲の者達は触れなくても見守っていた。
「じゃあ、次に行きましょう。今日の午前中に外周部分を終わらせて、明後日、三日目に居城まで敷設を終えます」
「早く完成させた方が良いのではないか? 午後も」
 アルジマールは首を振った。
「かなり負担がかかりますからね。殿下のお身体も心配ですし、敷設は着実に行う必要があります。それに他の御公務もおありですし」
「わかった」
 素直に頷き、ファルシオンは次の敷設点に移る為に飛竜へと歩いていく。セルファンが手を伸べ、ファルシオンを飛竜の背へ抱え上げた。
 アルジマールは自分の手へ視線を落とした。
 術式の効果を増幅させる貯蔵庫――自らの力を貯め込んだ左右の義眼は、ナジャル戦で使い潰してしまった。二百年、少しずつ溜め込んだものだった。
 とは言え仕方がない。出し惜しみなどしている余裕が無かった。
(海中か――)
 アルジマールにとっても未知の場だ。
 昨日は口に出さなかったが、法術がどこまで機能するのか、確証がない。
 何より、レオアリスが何等かの理由によって隠されているとして――あとどれほど時間の猶予があるのか、そのことが気掛かりだった。












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2021.11.14
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