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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

二十



「あなた方の翼は実に見事ですねぇ!」
 アルジマールは第一声、輝く響きでそう言った。
 カイルとセトにずずいと近寄り、背中の翼を覗き込む。
「院長」
 ロットバルトの声が追い、アルジマールは「おっと」と首を戻し、二人を見上げた。後ろに立つプラドの鋭い視線が刺さる。
「失礼――飛べるんですか?」
「そう長くは……」
 やや面食らった様子のカイルの横で、セトは面白がって「半刻飛べればいい方ですな、大概邪魔なだけじゃ」と笑った。
 アルジマールは緑の瞳を複雑に輝かせた。
「面白い進化ですねぇ、実に実に。法術でも浮いたり飛んだりはできますが、例えばこの彼に翼を物理的に付けて、というのはかなり難しいんです」
 この彼――右横に立つロットバルトを指差す。「支点がどうしてもね……いつかやってみたいんだけど……」
「人体実験は自発的同意を得て行ってください」
「ちょっと後で、お二人、じっくりその翼……」
「アルジマール院長」
 穏やかで柔らかく――ひやりと、声がアルジマールの背を撫でる。
 アルジマールはまた首を引っ込め、それから右手を差し出した。
「法術院長アルジマールです。お見知りおきを」
 カイルとセト、それぞれと握手を交わし、プラドとティエラを交互に見て「彼も体調は問題なさそうだね」と言った。
 それからにこにこと、カイル達へ笑顔を向ける。
「大将殿――レオアリス殿とは、昵懇です。いつか剣を調べさせてくれるって約束してます。僕は全力を尽くします!」
「そんな約束をされていた覚えはありませんが」
「僕何度も話したよ。大将殿にこにこしてた」
 ロットバルトは微笑んだ。
「ただ話をしただけのことを自分の都合の良いように解釈する人物とは、仕事上の付き合いは遠慮したいですね」
「すいませんでした」
 真顔で頭を下げたアルジマールへ、プラドは胡散臭そうに目を細めた。
「大丈夫なのか、この胡散臭い術士で」
 口に出している。傍らのティエラが肘を引いて嗜めた。
「まあ、こと法術に限っては、右に出る者はこの国には存在しません。その点はナジャルとの戦いで確認頂けているかと」
「うんうん。じゃあ早速話をしましょうか」
 そう言って座るのもそこそこ、アルジマールは身を乗り出した。
 昨日と同じ、王城西棟にあるこの部屋は、午後のまだ一刻という時間だと却って陽射しは淡く、仄かな影を落とすだけだ。
「僕も可能性を信じています。あとはどう探すか、どこを探すか、それに尽きます。この地図を」
 六人が囲む卓の上にはレガージュを中心に、北はバージェスの辺りまでの海域図が広げられている。
「西海の――」
「この矢印は?」
 海図上に矢印状の流線が記されている。一色ではなく三色を用い、それぞれ地図の上で動くようだ。
 ロットバルトはその内の一つに指先を置いた。
「海流です。レガージュに確認し、十一月からこれまでの変化を色違いで示しています。また海中の流れについては、西海の知見を得られるよう打診しているところです」
 沿岸部はやや複雑な動きを表し、そして大きく円を描くように、時計回りに巡る流れが一つ。
「とは言え、海流が干渉できる状態であれば、そもそも物見や探索が機能するでしょう。そのことを考えれば海流の影響は考慮に入れずとも良さそうですが」
「いや、情報は幾らでも有難い。絞り込んでいかなきゃいけないからね」
 アルジマールはコツコツと爪先で地図を叩き、そのまま大きな円を示す矢印に沿ってなぞった。一旦南へ降り、円を描きながら西、北、そしてレガージュの沖合に戻る。
「あなた方は昨日、大将殿が置かれている状況について、可能性を打ち出した。まずはそれを確認する手法を検討しよう」
 一つには探索、とアルジマールは人差し指を立てた。
「探索のやり方も幾つかある。使い馴染んだ物を媒介に辿る、伝令使を媒介にする、場所を絞り込んで範囲的に探す、現場で直接見る・・。けど、伝令使も現場の探索も反応しないのは確認済みだからそれ以外」
 ロットバルトが蒼い瞳を向ける。
「以前、西方公を探し出したやり方はいかがですか」
「うん、僕も考えた。前提が『隠されてる』のであればね。けどあれは厳しい。海だと立体だし、流れがあるし、厳しいと言うより」
 無理だ、と言葉を綴る前に、カイルは身を乗り出した。
「あの、それはどのような術なのですか。もし少しでも」
 どんな可能性でも掴みたいという想いが、表情の判別しにくい面でさえ見て取れる。
 アルジマールはもう一度、思考を巡らせ、首を振った。
「前にね、西方公の居場所が全く見当つかず、探索にも引っ掛からなかった。今と、同じかな。だからやり方をひっくり返した」
 指先を地図に落とす。
「探索の術で、探せない場所を探した・・・・・・・・・・んだよ。隠されている場所を」
 カイル達の目が瞬く。
「法術で探せない場所――」
「つまり、例えば黒森ヴィジャ全体を探して法術で視認できない場所があれば、そこだと……」
「そう」
 二人が呻いたのは、法術士ならではの思考からだろう。顔を見合わせる。
「そんなことが、できるのですか、実際――」
 口にすれば一言で済むが、実際に行おうとすれば途方もない。
 大地を覆う投網をかけ、引っ掛かるまで絞っていこうというのだ。
 カイルがそう言うと、「いいね」とアルジマールは手を打った。
「今回の対象は海だ、まさにその表現が相応しい」
「――では、今回も、そのやり方が」
 返ったのは否定だ。
「困難だろう。流石に海全体に網を掛ける訳にもいかないし」
 落胆したカイル達へ「不可能とまでは言わないけど、より可能性の高い手法を探したい」と付け加え、アルジマールの指は海図の上の流線をぐるぐると回った。
「――もう一つ可能性が高いのは……復元投影かな」
「復元投影――? それは」
「大将殿の消息が途絶えた場所で、その時のことを再現するんだ」
「そろそろわしゃ、法術院長殿が何を仰っとるのか分からなくなってきたぞ」
「アルジマール院長、法術知識の無い私にも判るようにご説明願えますか」
 ロットバルトも軽く眉を寄せている。
「うん。要はあれだよ、以前ラクサ丘の、西――元西方公の館を復元するのにやった」
「ああ――貴方が上将を護符代わりにした」
「君そういう覚え方はどうかな……すみません」
 ぺこんとカイル達へ頭を下げたが、プラドも含めて何が何やらさっぱり判らない顔だ。
「あの時は館を再現したんだけど」
「館?」
 完全に理解の外にいるプラドが胡乱そうに問い返す。
 ロットバルトが捕捉する。
「元西方公捜索の一環として、何らかの原因で消失した彼女の館を、アルジマール院長が復元したのです。私は現場を見ていませんが、復元した館は中に入ることもできたと」
「せっかく再現したのに、ルシファーと大将殿がまた消しちゃったけど。せっかく再現したのに」
 未練がましくぶつぶつと文句を言っている。
「法術で、そんなことまで可能なのですか」
 カイルとセトの困惑した様子に対し、アルジマールは良い生徒を見つけたとばかりに身を乗り出した。
「うん。つまり場の記憶を再構築するんだよ。系統は風と土。あなた方には向くんじゃないかな」
 二人は頷きようがないのだが、構わずアルジマールは指先を自分のこめかみに当てた。
「僕らの脳は記憶する。事象そのものは既に過ぎ去ってしまったにも関わらず、記憶した事柄を脳内に視覚的な像として呼び起こすことができるね」
 問いかけか、確認か。
「脳が記憶している限り、引き出すことができる。場も同じ――脳の代わりにそれは、土や大地、それら場に刻まれた記憶、記録を再構築するんだよ」
 脳も場も、記録するのだと。
「普遍的だ」
 両手を胸の前に何かを持ち上げるように広げる。見えない球体を支えるように。
「脳から引き出す記憶は経験や経過に影響されるけど、場に刻まれた記録は上に層が積み重なるだけで、変わらない。これを読み取るのが土系統、そこに大気の系統を混ぜて術を構築するんだ」
 アルジマールは両手の間の何もない空間に、光る緑の瞳を据えた。
 そこに何かを見るようだ。
「事象を細分化していくと、つまり究極まで解きほぐすと、極々小さな粒になる。目に見えないほどのね。それらは何処にでもあって、大地を、植物を、空を、僕らを構築してる。その粒を用いて、引き出した場の記録を再構築する。ね?」
「理論は、朧げながら……」
 セトが呻く。
 プラドはふと、ティエラを見た。椅子に座ったまま目を閉じている。
「――」
 プラドはそのまま視線を戻した。
「うん、話してたら復元投影の方が現実的に思えてきた。そうしよう。ナジャルを倒した直後の大将殿を再現する」
 カイルとセトは驚きか、喜びか、それとも怖れにか、いずれともつかず呻いた。
「そうすれば」
「院長」
 ロットバルトが口を開く。そこに宿した響きは慎重――微かな警戒。
「仰る意味は概ね理解できますが、為そうとされていることを確認させて頂きたい」
「何だい?」
「貴方は再構築しようと仰っているのですか――」
 蒼い双眸を注ぐ。
人を・・
 プラドの視線がロットバルトから、アルジマールへと動いた。
 アルジマールの緑の瞳の奥に、異なる光が揺らぐ。
 室内に重苦しい空気が満ち――ややあって、アルジマールは唇を突き出した。
「違うよ。というか、それはできない」
 空気はふっと重苦しさを消した。
 誰ともなく息を吐く。
 生命を構築できるとしたら、それは大きく、自然の摂理から離れてしまうように思えたからだ。
 どれほどそれを望んだとしても。
「理論的には術式を構築できても生命は――構築できない。だから復元投影なんだ。あくまでも、その場が記録している姿を投影するだけ」
「内部に入れる状態を復元した、元西方公の館とは異なると?」
「うん、投影だから触れないよ。声とかも再現はできない」
 窓がカタリと音を立てる。風の音が耳についた。
 アルジマールは手を上げた。その指で三を示す。
「そうと決まったら準備に入る。他に終わらせなきゃいけないことがあるのと、術式構築にそう、三日欲しい。四日後に、フィオリ・アル・レガージュの海域で試そう」
 途方もない話だが、アルジマールには筋道が見えているようだ。
 カイルはセトと顔を見合わせ、アルジマールへ深々と頭を下げた。
「有難うございます」
「まだ礼を言うのは早いよ。大将殿の状況さえ分からないんだからね」
 二人は顔を上げ、首を振った。
「まずは、一歩でも二歩でも進めれば」
「それにわしらにもひとつ、できることがあります」
 黒森に迷い込んだ幼いレオアリスを探した方法。
 養い子がどこにいるのか、尋ねれば森は教えてくれた。
「貴方ほどの力もなく、海で、同様にできるかわかりませんが」











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2021.11.14
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