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王の剣士 七

最終章

『光を紡ぐ』

十二




「ファルシオン殿下、少しの間じっとしていてくださいませ」
 肩幅や両腕、背幅、着丈など、衣装官達が四人で手早く採寸していく。
 ファルシオンが即位式で纏う正装を用意するのだ。
 全て新しく縫い上げる。下履き、重ねの上衣二枚、それから足元まで流す長衣、肩から帯びる二種の幅広の帯に、背に纏う長布。それぞれに細やかな刺繍が施される。それから靴も。
 それにしても室内は、足元から天井までを細く仕切られた棚が隙間なく埋めていた。棚一つ一つに布が整理されてしまわれ、明るい色から暗い色へ、また四季を思わせる色の並びも、その緩やかな色の移り変わりが目に鮮やかだ。
 ファルシオンはあちこち測りを当てられ採寸されるに任せながら、首を傾けた。
「これは、全部使ったことがあるの?」
「私も長くおりますが、それでも一度も使われたことのない布も、ございますでしょうねぇ。ここにはおよそ千種類の布を用意してございますので」
 そう言って衣装官長リーネルトは赤系統の布が収められた棚を示した。
「頻繁に使われる色は、この暗紅色――王家の色でございます。それから隣の列の近衛師団士官の方々の為の黒と」
 色彩の変化を黄金の瞳が辿る。
 その一つ一つが、ファルシオンのまだ知らないこの国の事柄の一つ一つにも思える。
 小さく溜息をついたファルシオンへ、リーネルトは微笑んだ。
「御即位の式典で一番上に羽織られる御衣装は、これから織り上げさせていただきます。三月の頭には織り上がってまいりますので、その際に殿下の御身に合わせさせていただきとうございます。恐れ入りますがお待ちくださいませ」
「ふた月もかかって織るのだな。大変なことだ。布はここで織っているのだろうか」
「織り上げるのは、ホーンハルト地方のウルブリアという街の職人達でございます」
「ホーンハルト……」ファルシオンは瞳を細めた。国の地理や産業の授業で学んだ。「繊維業が盛んな地域だ」
然様さようでございます。中でも西の街道沿いの都市ウルブリアには、腕の良い職人が集まっておりますゆえ」
 一度行ってみたい、と呟き、にこりと笑う。
「とても楽しみにしている。ウルブリアの職人達にも楽しみにしていることを伝えて欲しい」
「殿下のお言葉を頂ければ、みな喜びより一層腕によりをかけることでございましょう」
 リーネルトは恭しくお辞儀した。
 ファルシオンはもう一度、棚をぐるりと見渡した。その瞳がふと、黒系統の布を収納した棚の前の、衣装掛けに止まる。背後の布に溶け込んでいたが――
 黄金の瞳が見開かれる。
「これは――」
 人の上半身を模した衣装掛けに掛けられているのは、漆黒の布だ。
 一目で判る、近衛師団の色。大将以上の将校が肩から背にかけて纏う長布。
 だが通常のものではなく、唯一、特別なもの――
 ファルシオンは息を抑え、近付いた。
「王布にございます」
 リーネルトの言葉が追う。
 王布――近衛師団総将のみが纏う、王の守護者たる証だ。
 漆黒の布に銀色で王家の紋章が緻密に、美しく刺繍されている。
 艶やかに磨かれた木の床に映るほどに流れ落ちる布へ、ファルシオンはそっと手を伸ばした。
 本来、王布は引き継がれて行く。近衛師団総将が次代へ代わる際、前代が纏っていた王布を、新たに近衛師団総将へ就いた者へ手渡すのだ。王の前で。
 だが、アヴァロンの纏っていた王布は、アヴァロンと共に失われた。
 滑らかな手触りだが、冬の空気のせいかどことなく冷えている。
「これは、もうできているの?」
 そっと、細く息を吐くように尋ねた。
 リーネルトの声がファルシオンの耳に、少し遠い場所から聞こえてくるように届く。
「然様でございます。いつでも、王太子殿下の御手から、新たな近衛師団総将様へ、お渡しいただけます」






「ミュイル大将」
 ヴィルトールは議場の扉の前で立ち止まり、廊下を歩いてくる相手に声をかけた。
 西海との和平条約締結に向けた事務官級会議は、月に二度実施されることとなり、西海側の責任者としてミュイルが参加している。
 会議が行われる短時間しか王都には滞在しないが、西海の将校の姿が王城で見られることも、今回、一月半ばに行われた四回目にして馴染んできたように思う。
「ヴィルトール殿」
 ミュイルと握手を交わし、ほんのわずかだが近況についてヴィルトールは西海語で尋ねた。ミュイルはアレウスの言葉をほぼ問題なく話せるが、ヴィルトールに合わせて西海語を用いてくれる。すぐにヴィルトールが根を上げるが。
「なかなか発音が難しいね」
「いや、短期間にかなり上達されている。嬉しくなる」
 ヴィルトールも事務官級会議に、近衛師団を代表して出席している。
 事務官級会議は内政官房、地政院、財務院、軍部が顔を連ね、議題は和平条約に盛り込む要素と、条文の構成が主だ。
「どうですか、国内は」
「我々は少数の穏健派だったからな、混乱もあったが、多くはナジャルの恐怖と海皇の圧政に苦しんでいた住民だ、少しずつまとまってきている。ヴォダ将軍の第三軍も早くに協力してくれた」
「レイラジェ閣下の人徳が大きいのだ」とミュイルはにこにこ破顔した。
 ヴィルトールも笑みを浮かべる。
「そう思う。我々の間でも、レイラジェ将軍のお人柄は伝わっているよ」
 事務官級会議で互いの理解を深めるのは、和平への基盤形成の重要な要素だ。
 ヴィルトールは会議の場で改めて、ファロスファレナでの経験を語った。西海穏健派の意志、西海第一軍の移動要塞ギヨールとの戦い、そして最後のファロスファレナの果たした役割。
 この和平において、いずれも欠くことができないものだった。
「ヴィルトール殿のお陰だ。感謝する」
 そう言い、ミュイルは少し意識を改めるようにヴィルトールの瞳を見た。
「――ずっと、探している」
 その言葉に、彼等の意思が篭っている。
 ヴィルトールはただ頭を下げた。







 轟々と落ちる滝の音が足元から湧き起こり、左右に切り立った崖に反響している。
 崖は高さおよそ百間(約300m)、幅は狭いところでも二十間(約60m)。広大なアルケサスの東南、砂の荒野に唐突に現れるのは、やや弧を描きながら西から東へと走る大地の裂け目――断崖の谷だ。
 岸壁の上部は剥き出しの岩で、表面は熱で溶けたような滑らかさを持っていた。切り立った崖は下に行くに連れゴツゴツとした岩に変わり、そして半ばを過ぎると植物生え始め緑に染まる。
 轟く滝が幾筋も、崖の半ばから足元へと落ちる。谷底には翠色の川が流れ、川の行先はぽっかりと空いた更に深い亀裂へと、音を立てて消えて行く。
 高く聳える崖によって空は切り取られ、それこそが川のように薄青色を縦に伸ばしていた。
 断崖の間、目で追えるだけでも七つ、谷底から聳り立つ巨大な岩の柱が次第に高さを変えながら、張り出し舞台のような台地を連ねている。その台地にルベル・カリマの里はあった。
 台地に降り立つには飛竜を用いなければならず、何よりこの里に辿り着くには、地図のない、熱砂と呼ばれるアルケサスの過酷な日差しの昼、そして急激に冷え込む夜を幾昼夜も越えなければならない。
「プラド!」
 ティエラは厩舎の前にプラドの姿を見つけ、駆け寄った。
 柘榴の鱗の飛竜がプラドの前に引き出されている。
「どこへ行くの?! 今朝目が覚めたばっかりなのに……!」
 傍らにいたカラヴィアスが面白そうな目を向ける。
「やはり来たな。そら連れて行け」
 プラドは眉をしかめている、が、いつものことだ。
「どういうことですか?」
 息を切らしながら尋ねたティエラの問いに、カラヴィアスは
「黒森へ行くつもりなのだとさ」
 と混ぜっ返すように瞳を細めた。
「黒森……」
 ティエラはプラドに向き直った。
「私も行く」
「一人で行く。ここで待っていてくれ」
「いいえ。私も行く。プラド、あなた」
 ティエラは黒い瞳をプラドのそれへ、じっと据えた。
「謝罪をしたいのでしょう。彼等に・・・
 黒森の端の小さな村、そこに暮らす彼等――レオアリスの育て親達に。
 そしてもう一つ、ルフトが滅んだ場に立ちたいのだ。立って、祈りを捧げるのか、想いを馳せるのか――
 ただ、今のプラドは剣の回復の為の眠りから覚めたばかりの不安定な状態だ。いつまた眠るとも、そしていつ剣が戻るともわからない。
「私も関係があるのだから、私も行くわ。第一、あなたは目が覚めたばかりなの。うっかり眠っちゃって万が一飛竜の上から落ちたら、今のあなたじゃ命の危険だってあるの」
「それほど心配する必要ない。自分の身体のことは自分自身でよく解っている」
「あのね、安心できるわけないじゃない。絶対ついて行くわ」
 じろりと見据え、ティエラはカラヴィアスへ向き直った。
「カラヴィアスさん、私にも飛竜を貸していただけますか」
「用意している」
 口の端に笑みを浮かべ、カラヴィアスは厩舎へ視線を向けた。
 ティルファングがもう一頭、柘榴の飛竜を引き出してくる。
 諦めたような溜息を零したプラドをもう一度じろりと睨み、ティエラはプラドの左手をしっかりと握った。












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2021.10.10
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