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王の剣士 七

<第三部>

第四章『遠雷2』

十三

 東方公ベルゼビアの所領ヴィルヘルミナはヴァーレン地方に位置する、王国東部で最も栄華を誇る都市だ。
 王都から馬で十日、およそ三百里離れたこの都市は、国内最大規模の人口である二万五千人の住民を擁し、都市内及び近郊では鋳造業や硝子工芸が隆盛、また周辺地域は小麦などを始めとする有数の穀倉地帯として、国内の生活を支えていた。
 街は小高い丘の上に領主ベルゼビア公爵の城を戴き、北西正面の平野に扇状に街が広がっている。
 街壁を広い水路がぐるりと囲み、各街門にはそれぞれ水路を渡る橋が架けられていた。橋はいずれも街側へ、鎖と滑車で跳ね上げる構造だ。
 北西街門は水路を挟み、東の果てミストラ山脈に至る東の基幹街道が横切り、南街門前ではもう一つ、北東のグレンドル地方からここヴァーレン地方を南へ抜けフェン・ロー地方へ至る、グレン・ロー街道が交わっていた。
 城の背面は深い森とその中を広い河が蛇行して横切り、一里ほど行けば森の中に大地が亀裂のように口を開けている。
 攻めるに難い街と、それがこの街を一目見たミラーの、改めての感想だった。


 東方将軍ミラーは当初ヴィルヘルミナに迫った東方軍を、七月初頭現在では、ヴィルヘルミナを挟んで西及び東の、それぞれ徒歩で一日の距離にある街に分散して置いていた。
 西の街ベンゲルに第二大隊、東の街レランツァに第四、第五、第六大隊を配し、自らの本陣は王都寄りのベンゲルに定めた。
 ヴィルヘルミナは街門を閉ざしておらず、商隊などの通行は未だ可能だったが、街の警備隊及び東方公に追随する貴族九家の所有する警備隊、合わせて一万、またそれに加えて東方公へ下った正規東方軍第三大隊が、街の前面に広がる平原に常に五千の兵を展開し、ミラーの動きを牽制していた。
 東方軍を布陣しておよそ二ヶ月、その間ミラーは何度も使者を送り対話を求めたが、ベルゼビアに応じる気配は無いままだった。
 当初の牽制的な小競り合い以降、ミラー、そして王都はヴィルヘルミナへの武力攻撃を控えていた。その最大の理由は、ベルゼビアを追い詰める事により、囚われている王妃クラウディアと王女エアリディアルの身に害が及ぶのを避ける為だ。
 ただ、ヴィルヘルミナを攻めないミラーの思惑には、もう一つ重要な要素があった。
 東方公の動きを牽制しつつ、状況によっては西方へも兵を割く必要が残っているからだ。
 東方公の戦力はほぼ街の警備隊の連合軍よせあつめとは言え、兵数は拮抗している。西海が侵攻している現状で、内部の争いによる兵の損耗は避けたい。対西海の見せ方としてもだ。
 王都も国内の、それも西海とは無関係に近い異なる争いを起こす事は望んでいなかった。
 ヴィルヘルミナとこの一帯は、鋳鉄や農業などの産業の観点から国にとっても重要な地域であり、戦火が及ぶ事もまた、極力避けなくてはならない。
(それは東方公にはお見通しだろう)
 故にベルセビアはヴィルヘルミナの中から様子を見ている。
 現状はそれだけでいい。
 そして王妃と王女を手中にしている以上、堅牢なヴィルヘルミナを滅多な事では動かないだろうと踏んでいた。
 とはいえ、今はそこで止まっているものの、西海との状況の変化によってはそれ以上の事を仕掛けてくる可能性も高い。
 ミラーは司令室の椅子に腰掛けて腕を組み、卓上に広げた地図を睨む。
 ヴィルヘルミナの詳細な街図だ。王妃と王女を救出する事を最優先課題とし、その為の経路や手段について、これまでに幾通りも検討を重ねてきた。
 街門が閉ざされていない為、街への侵入はさほど難しい事ではない。
 困難なのは、街からベルゼビアの城への侵入だ。小高い丘に至る道、もしくはその斜面には、一切の障害物が無かった。
「さて、首尾良くいくかどうか」
 独り言に近いそれに、副将ホメイユは「そろそろ刻限でございますな」と頷き、ミラーと同様に卓上の街図へ注いでいた視線を上げた。
 地図が広げられた卓の端に、銀の格子の鳥籠が一つ置かれている。籠の中、吊るされた止まり木には鳥籠の住人の姿はない。
 ホメイユは懐から取り出した懐中時計を開き、文字盤を確認した。
 六刻。窓の外にはまだ陽が残っている。
 ぱさりと軽い羽音が耳を打った。
「――ちょうど、来たようです」
 空だった籠の止まり木に、黄色い金糸雀かなりあが小さな躰を揺らしていた。







 複雑な色彩に彩られた光が室内に降り注ぎ、白い大理石の床に散らばり揺らめいている。
 静けさの中で七色の陽光は、硝子の欠片のように質感を持って見えた。
 白く繊細な指先が光の欠片へと伸ばされ、想像した質感を得られずにすり抜ける。
 エアリディアルは手のひらの上に影だけを残すその光を、束の間見つめた。
 降り注ぐ光も、設えられた調度品も、天井の装飾も――とても美しい部屋だが、温もりを感じる事は無かった。
 エアリディアルは南面の広い窓に面を巡らせた。ベルゼビアのこの城は、ヴィルヘルミナの街を一望する丘の上にあり、窓の向こうに街の瓦屋根が連なっている様子を見る事ができる。
「――エアリディアル」
 細い声が彼女を呼び、エアリディアルは服の裾を揺らめかせて声の主の側に両膝をおろした。
 天蓋から白い布が流れる寝台に横たわっているのは、王妃である母クラウディアだ。
 面差しはすっかりやつれ、ただ表情とその瞳は変わらず穏やかに、自分を覗き込むエアリディアルの藤色の瞳を見上げた。
「お目覚めになりましたか、お母様。ご気分は」
 寝台から伸ばされる右手を、エアリディアルは自分の両手の中に柔らかく包んだ。その手は細り、冷えている。
「今日はとても良いお天気でした。ご覧ください、空も澄み渡って――」
「そう。きっと、遠くまで見渡せるわね」
「はい」
「王都も――」
 ファルシオンのいる、と。
 エアリディアルは微笑んだ。
「殿下のお元気なご様子が、きっと王都にございます。お母様とお会いになる日を、楽しみにされておいででしょう」
「そうですね」
 王妃のやつれた面を温かな笑みが覆う。エアリディアルは両手に包んでいた王妃の指先に額を当てた。
 遠慮がちに扉が叩かれ、女官が静々と室内に入る。
 そこで立ち止まった意味を汲み取り、エアリディアルは母にもう一度微笑むと、女官の側に寄った。
 女官――ここで侍従長代わりを務めているメリメルトがエアリディアルだけに届く声でそっと告げる。
「ベルゼビア公爵がお成りです」
 エアリディアルは透き通る頬を引き締め、母の横たわる寝室を出た。
 扉を背に守るように広い部屋の中央に立つ。広い窓から夕暮れの日差しが斜めに差し入り、長い影を床に落としている。
 ほどなく、扉が開かれた。
 ゆったりとした長衣を纏った男が室内に歩み入る。空気が重く揺れる。
「御機嫌伺いに参りました、王女殿下」
 東方公ベルゼビア公爵はその面に友好的な笑みを刷いたが、酷薄な印象は僅かばかりも崩れなかった。
 エアリディアルは敢えてその場に立ったまま、ベルゼビアと向かい合った。
 ベルゼビアは前触れもなく、思い出したようにこの部屋を訪れる。
 その都度尋ねる言葉は同じだ。
「御心は変わられましたか」
 エアリディアルは藤色の瞳をひたとベルゼビアへと据えた。
「いいえ」
 明瞭に口にしたその答えが聞こえていないはずも無いが、ベルゼビアはエアリディアルの前に数歩進み、膝をついた。
「貴女の御心が変われば、我々は如何様にも、王女殿下をお支えする準備がございます」
 恭しく上体を伏せ、そして顔を持ち上げる。
 闇色の双眸がエアリディアルを捉え、光を含んだ藤色の瞳がその色を拒む。
「何度も申し上げております。わたくしはこの国に対立の構図を作るつもりは一切ございません」
「ですが、王妃殿下は――」
「わたくしも母も、この考えは変わりません」
 エアリディアルは細い身体をすっと伸ばした。
「ベルゼビア様。貴方がもし再び、二心無く王太子殿下にお仕えくださるのであれば、今回の事はわたくしに唆されたと言っていただいて構いません」
 藤色の瞳がベルゼビアを正面から捉える。
「わたくしの命を代償に、もう一度、王太子殿下をお支えいただけませんか」
 エアリディアルの覚悟を、ベルゼビアは含んだ笑みで迎えた。
「貴女の武器は貴女自身でしかない事を、良くご存知だ」
 腰の前できつく組み合わされた両手の血の気の失せた白さが、エアリディアルが噛みしめる無力さを表しているようだ。
「王女殿下。貴女がそのような方だと信じる者は、一人もいないでしょう」





 ベルゼビアは王妃達の部屋を辞すと、廊下をゆったりと歩き出した。これまでのところの動きは、ベルゼビアの想定からさほど逸れてはいない。
 王都は西海を、それこそ三百年来といえる混乱を、いまだ抑えきれていない。この分であれば遠からず、幼い王太子への信頼は揺らぎ始めるだろう。
 夕刻の朱色の光が滲む廊下の先へ視線を向け、酷薄な双眸を細める。
「ブラフォード」
 城の中庭を囲む回廊になっている廊下は、連なる細い柱の間ごとに庭に向けて張り出した石造りの縁台が設えられている。そこに腰掛けているのはブラフォードだ。
 ブラフォードは父であるベルゼビアの姿を見て立ち上がり、一礼した。
 ベルゼビアは再びゆったりとした歩調で廊下を歩き、息子の前に立った。
「ここに来て未だ役割を負わぬ者はお前だけだと、マンフレートが嘆いていたぞ」
 マンフレートはベルゼビア公爵の長子であり、ブラフォードより二歳年上の兄だ。
「私ごときの役割など何も。兄上がおられればベルゼビア公爵家は安泰です――何処かの家とは違って」
「比べるべくもない」
 揶揄の響きに冷笑が浮かぶ。ブラフォードも同様の笑みを刷いた。
「本日の王女殿下の御機嫌はいかがですか」
「お前も足繁く伺うと良い。歳も近い者同士であれば、王女殿下の頑なな御心も開くだろう」
「それもまずは兄上のお役目では」
「マンフレートには既に妻がいる。王女殿下をお迎えする訳にはいかん。お前に期待している」
「これは、父上らしからぬ――」
 ブラフォードは笑いとともに頭を伏せてベルゼビアを見送り、そして背を向けた。







 華やかで陽気な音楽が街の喧騒と夕刻に近付いた空に混じり合う。
 人々が交わす言葉や笑い声が風に乗り、時折音楽に合わせてどっと揺れた。
 ヴィルヘルミナの街は王都に敵対し東方軍の監視を受けているにも関わらず、街壁内の活気は一向に衰えていなかった。
 領主である東方公ベルゼビアが王都に反旗を翻した五月中旬の当初こそ、住民達は彼等の領主の王都に対する大それた企てに慄き、一時不安が人々の心の大半を占めたものの、東方軍の攻勢が抑えられている事もあり、街の活気は六月半ばにはすっかり元に戻っていた。
 中にはベルゼビアが王位継承者と戴いた、王妃クラウディアを讃える声すらあるほどだ。
 連日門前広場には朝から賑やかな市が立ち、夕刻になると酒や簡単な食事を出す屋台が活気を増す。広場から街の中に続く通りは王都の整えられた大通りとは異なり、何度も曲がりくねりながら家々の間を抜けて行く、独特な造りをしていた。
 通りの途中途中には、住民達が集う為の円形に開けた広場が造られている。
 その広場の一つに人だかりがあった。
 笛や太鼓、そして弦楽器からなる七人の小さな楽隊が曲をかき鳴らす。さほど大きくもない円形広場を四、五十人ほどの住民が囲み、楽隊はその一角で音楽を奏でていた。
 笛を吹き鳴らす男の傍らには銀の鳥籠が置かれ、その中で音楽に合わせるように金糸雀が歌を口ずさんでいる。
 丸く開けた広場の中央で踊っているのは三人の女達だ。薄衣を纏った上半身を官能的に揺らし、足元は音楽に合わせ小気味良い拍を刻む。
 身体を揺らす都度、手足に付けた幾重もの細い金環が、しゃらりと金属の重なり合う音を立てる。
 楽の音が次第に緩やかになるにつれ、踊りもそよ風に遊ぶような穏やかなものに変わる。
 やがて暮れかけた空に、最後の楽の一音と共に金属の揺らめく音が吸い込まれていくと、ほんの束の間の静寂に入れ替わり、広場を囲んだ住民達から拍手が沸き起こった。
 観客達の間を四人ほど、帽子を持った男達が投げ銭を受け取りに回る中、この一座の座長らしき四十代初頭の男が礼の口上を述べ上げた。




 北西街門大通りに店を構える宿の一室で、先程広場で踊っていた踊り子の一人、スキアは艶やかな黒髪を一度解いて、もう一度高い位置で結び直した。同じ仕草で左耳につけていた銀色の耳飾りを外すと、細い筒状のそれの先端をそっと開く。
 スキアが――彼等の一座が投宿しているこの宿は、商隊などの大所帯を相手にしており、四つの寝室に続きの間のある部屋が用意されているなど中々の羽振りの良さだった。それもまた、このヴィルヘルミナという都市の隆盛の一端を垣間見るようだ。
 今は続きの間に一座の十五人全員が集まり、思い思いに寛いでいた。部屋の片隅の卓には、金糸雀を入れた小さな鳥籠が置かれている。
「これを」
 スキアの前に紙の切れ端が差し出される。差し出したのはゲルドという座長の男だ。
 細かな字が書かれた切れ端を受け取り、スキアは爪を鮮やかに染めた指先で手早く耳飾りの筒に押し込んだ。
 黒い瞳の美しい顔立ちを鳥籠に近づけ、小さな扉を開けると中にいた金糸雀の首にかかった細い鎖に、耳飾りの筒を繋いだ。
 ゲルドが横にいたもう一人の男へ、首を巡らせる。
 ゲルドよりもやや年かさの男――バーデンは頷き、鳥籠に近寄ると骨ばった手を伸ばした。
 目を閉じてバーデンが二言三言呟くと、金糸雀は澄んだ声で囀った後、鳥籠の中から姿を消した。




 しばらくすると、籠の中には再び金糸雀が戻った。
 スキアが右手を差し入れ、細い指先で金糸雀の首の鎖から耳飾りの筒を取り戻す。
 筒の中には新たな紙の切れ端が収められていた。それを座長のゲルドに手渡す。
 バーデンがゲルドとその手元を見た。
「ゲルド少将――」
 ゲルドに視線を向けられ、ゲルドさん、と言い直す。ゲルドは手にした紙を細かく千切った。
 室内はそれまで寛いでいた様子から、鋭く張り詰めた空気に一変した。全員がゲルドの言葉を待つ。
「情報を逐一報告しつつ、慎重に動けとの指示だ。当初の予定通り、まずは城へのつなぎを作り――」
 首尾よく城に潜入できた場合には、と、言葉を切る。
 ゲルドは十四人の部下を見渡した。
「東方公を暗殺する」










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2018.7.16
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