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王の剣士 七

<第三部>

第四章『遠雷2』

十一

「東方第七大隊大将シスファンからの情報について、ご報告致します」
 正規軍副将軍タウゼンは、きざはしの半ばに仮の玉座を置いたファルシオンを慎重に見上げ、報告を続けた。
 内政官房、財務院、地政院、正規軍、そして十侯爵家が集まる十四侯の協議の場で、高い飾り窓から落ちる薄い午後の日差しがファルシオンの前に落ちている。
「十日前の六月十八日、東南ワシュール・ロー街道沿いで、野盗の一団が人型の魔獣に襲われました。野盗の人数はおよそ五十名、全滅しております」
 ファルシオンは唇をきゅっと噛み締めた。魔獣の出現に関する情報は日々伝えられ、被害は増すばかりだ。
 ゴドフリーが眉をひそめる。
「七体で五十名もの――、野盗もそこそこ戦いに慣れているだろうに、それをか」
「はい。人型は他の魔獣よりも厄介との報告もございます」
「七体という情報は確かなのか、タウゼン将軍。五十名もの野盗が全滅したというのだろう。誰がその場を見たのだ」
「おそらく、間違いないかと。ご指摘の通り、現場発見当初は生存者が誰もおらず、ただ魔獣に襲われたという見方でこの件は調査が遅れておりましたが、その後ワシュール・ロー街道沿いのキセという街で証言者が見つかり、全容を掴むことができました」
 どうやらタウゼンは、ただ魔獣による被害を報告しているのではないようだと、その場に居る者達の表情が次第に変わる。
「証言者は二人の姉弟です。野盗達は襲撃された前日、商隊を襲い、姉弟を捕らえていました。その姉弟を保護した領事館が、二人から聞き取った事です」
「その二人は、助かったのか」
 ファルシオンの安堵がタウゼンの双眸に映る。
「良かった。どうやって――正規軍が二人を助けたのか?」
 そう尋ねたが、正規軍は事件の後にこの事を知ったのだ。タウゼンも首を振った。
「いえ、正規軍ではございません。姉弟の話によると、彼等を助けたのは二人組の若い男達で、その二人が七頭の魔獣を全て斬り倒したようです」
「二人? たった二人と」
 タウゼンの言い間違いではないかと、列席者達が顔を見合わせる。
「領事館の報告によりますと――」
 タウゼンは一度言葉を区切り、ファルシオンの表情を素早く確認し、溜めた息と共に慎重に押し出した。
「おそらく、その二人は剣士だと」
 一瞬、言い難い空気が謁見の間を占めた。
 近衛師団総称代理として出席していたグランスレイの面が一瞬動き、引き締められる。
「剣士――」
 ファルシオンは黄金の瞳を見開き、玉座から身を乗り出した。
「……ほんとうに剣士なのか」
 タウゼンは頷いた。
「七体を僅か二人で斬り倒した事、また彼等はルベル・カリマと名乗ったという事ですので、ほぼ間違いはないと考えます」
「ルベル・カリマ?」
 ファルシオンには聞き覚えのない言葉だ。タウゼン達の顔を見回し、傍のスランザールを見る。
「それは、その剣士のどっちかの名前なの? スランザールは知っているか」
 スランザールが玉座に向き直る。
「おそらく氏族名でございます。そもそも剣士は幾つかの氏族で構成されておると把握しております」
「氏族――じゃあ」
 レオアリスの、と口にしようとしてファルシオンはその言葉を飲み込んだ。
 余り口にしてはいけないと思っていたし、何よりレオアリスの氏族というのならば、彼等は失われている。
 スランザールはファルシオンの想いを読み取り、落ち窪んだ瞳に憂いを帯びた。
「大戦後期の古い文献に、『ルベル・カリマ』の名があるのを見つけました。同じ文献に記されていた氏族名は合わせて四つ」
 ファルシオンが瞳をみはる。
「『ベンダバール』、『カミオ』、そして、『ルフト』」
「四つ、それほど――」
 階下で呟きが洩れる。
 時折、在野の剣士が話題に上る事があるが、在野と言いつつも軍などに関わっている剣士の方が稀な存在だとの認識はあった。
 だが、では彼等が実際にはどこに、どのような組織形態もしくは構成をとり存在するのか、その点はほとんど知られていない。
 四氏族。
 新たに出てきた情報だ。
「今回確認できた文献によると『ルベル・カリマ』の長の名はカラヴィアス、『カミオ』の長はスワルド、『ルフト』の長が、ジン――これはあのジンでございます」
 黄金の瞳が緩く見開かれる。
 きざはしの下で、アスタロトもまたファルシオンと同じ想いを覚え、身動いだ。
(ジン──)
 鼓動が高まり、ぎゅっと、胸の奥が痛くなる。
 玉座のファルシオンもまた、悲しそうな顔をした。ただその中には微かな喜びも滲んでいる。
「……ルフトというのか」
 ぽつりと呟き、その響きを噛み締める。
 ファルシオンは玉座の肘置きを掴み、今にも立ち上がりそうだ。
 今、あの場所に行ったら――そして今聞いていることを告げたら、目を覚ますのではないか。
「……もう一つは? もう一つの氏族の長というのは、だれなのだ」
「ベンダバールについては、残る記録がございません」
 そうなのか、とファルシオンはやや落胆して呟いた。すぐに顔を上げる。
「じゃあ氏族は? その四つだけなのか?」
「その点は判明しておりません。この四つの氏族名が文献に残されていた理由は、彼等が担っていると考えられる役割の為と推測いたします」
「やくわり?」
「四竜の監視でございます」
 思わぬ言葉に、ファルシオンは驚いてスランザールをまじまじと見上げた。スランザールがゆったりとした長衣の腕を、世界を示すように広げる。
「西の風竜、北の黒竜、南の赤竜、そして東の地竜。我々は最も脅威とされる竜をそれぞれ定義し、記録しました。
「いずれも長く微睡むもの。喫緊の脅威とは異る性質のものでしたが、現実に北の黒竜は四年前に目覚め、そしてカトゥシュ森林において滅び、風竜は大戦でジンに倒されたものの、王太子殿下もご承知のとおり、此度は骸のまま復活しております」
 風竜の存在故にボードヴィルは、一層複雑な構造を帯びた戦線となっている。
 一度目覚めれば、四竜とはそれだけ国に危機をもたらすものであり、今尚隠れた脅威なのです、とスランザールは静かに続けた。
「話を戻しましょう。申し上げたように、剣士は四竜の封じ手を担うとも考えられておりました。ジンの氏族ルフトが黒竜の目覚めた黒森にあった事を考えると、ベンダバールは風竜を監視していたのかもしれません。風竜が目覚めた際に、或いは」
 失われたのでは、と。
 階下にはアルジマールもいるが、スランザールの言葉をどのように考えているのか、口を挟む様子はなくかずきの下から覗く口元は軽く結ばれている。
「残りの二竜、恐らくまだ国内に眠っていると仮定して、これを監視するのがルベル・カリマと、カミオではないかと考えられます」
 アスタロトが身動ぎ、タウゼンは斜め横のアスタロトの横顔を見つめた。
 きざはしの前から扉へと、真っ直ぐに伸びる深緑の絨毯を挟んだ向こうで、地政院長官代理ランゲが憂鬱な声を洩らす。
「風竜だけでも厄介なところに、まさか今、赤竜や地竜が目覚めるなどという事が無ければよいのですが……。スランザール公、その点は」
「それは誰にも判らぬことじゃ。そうならぬよう祈るしか無い」
 ゴドフリーが壇上を見上げる。
「彼等の所在は明らかなのですか。所在が判っていれば、此度の西海との戦いに参戦を求める事ができるのでは」
「当然、その議論はあるだろう」
 階の手前に立つベールが十四侯の顔触れを見回す。大方の意見はゴドフリーと同じだと、彼等の目が物語っている。
 この状況下で飛び込んできた新たな情報――
 剣士の氏族という実体を持った情報に対する期待、剣士が参戦すれば戦況は大きく変わるのではないかという、その期待は確かに生まれていた。
 かつての大戦でレガージュ戦線に参戦したザイン、そして風竜を倒したジンのように。
「――バインド、そしてフィオリ・アル・レガージュのザイン、少なくともこの二人はいずれかの氏族との関わりが考えられる」
「では、レガージュのザインに尋ねれば、もしくは彼に」
「お待ちください」
 言葉を挟んだのはランゲだ。彼の口調にはその場の期待とはやや異なる色があった。
「まず、剣士は、どこまで信頼して良いのか」
 アスタロトがランゲを睨む。
「どういう意味だ」
「公」
 タウゼンが素早く窘め、アスタロトは眉を寄せランゲから視線を逸らした。ランゲが顔をひきつらせる。
「いえ、私は」
「意見は口に出した方がいいよ」
 恐縮して一歩引いたランゲに対し、アルジマールが灰色の被の頭を向ける。
「この状況下で、擦り合わない意識ほど怖いものはない」
 ランゲは一度下唇を舐め、アスタロトと、それからファルシオンを見上げた。
「その、剣士は、組織に属する事に向いていないと言われております。もちろん、欠点という意味で申し上げている訳ではなく──」
「じゃあ、どういう意味で」
「公、今は」
「ランゲ侯爵の懸念をやや修正させて頂ければ」
 ヴェルナーが深緑の絨毯を挟んで正面に立つランゲへ、蒼い瞳を流す。
「今、議論の要点に置くべきは信頼できるかの視点ではなく、剣士の参戦に可能性があるかどうかではありませんか」
「そ、その通り――、まずは議論が必要でしょう」
 ランゲは渡りに船と頷いた。
 場はやや緊張しているが、ヴェルナーがこの件についてどのような意見を述べるのか、窺う視線が集中する。
 この件の、もう一つ奥にあるものについて、ヴェルナーはこれまで全く口を開いていない。それは諸侯の密かな興味でもあった。
 グランスレイもヴェルナーへと、慎重な視線を注いだ。
 タウゼンが目礼を向け、問いかける。
「剣士の氏族への参戦打診について、ヴェルナー侯爵のお考えをお聞かせ願えますか」
 現状を打開する為に、今回入った剣士の情報はまたとない好機だとタウゼンは捉えていた。
 可能であれば、ルベル・カリマと名乗ったその二人の剣士を探し出して渡りを付け、できる限り早く戦況を好転させたかった。
 開戦からおよそ二ヶ月、特にボードヴィルに展開する西方軍はぎりぎり持ちこたえている状況だ。
「ルベル・カリマ、あるいはカミオ、あるいはその両者、参戦の可能性について」
「可能性は当然あるでしょう。打診をしないという選択は現実的ではありません」
 アスタロトがぎゅっと唇を引き結び、白い華奢な指先を握った。タウゼンの目がアスタロトへ動く。
 ヴェルナーはまだ言葉を継いだ。
「ですが、私は過度な期待はできないと考えています」
 予想外の言葉に、正規組参謀総長ハイマンスがもどかしそうな表情を浮かべる。
「しかしヴェルナー侯爵、彼等は戦いを好む種族です。であれば、此度の戦いだけでも参戦するのでは」
「剣士はただ単純に好戦的という訳ではありません」
 ヴェルナーの言葉が意識をひやりとさせ、ハイマンスは失言だったかと思わずアスタロトと、ファルシオンを見た。
「彼等が何の為に戦うか――、それは個々の意志に依るところでしょう。まあその点も、今更深く議論するものでもありません」
 ファルシオンが視線を落とし、再び上げる。
 何の為に戦うのか。
 ファルシオンは充分に、知っている。
「期待できないとは言ってもあくまでも想定に過ぎませんが――、これまで何度か、今回のような機会はありました。四年前の黒竜しかり、現状のボードヴィル然り――、彼等にその意思があれば、いずれかの段階で既に出て来ているのではありませんか」
「まあ確かに、彼等が自分から表舞台に出てくることってほとんど無いんだよね。でも君はそうすると、剣士の参戦には反対だと?」
 アルジマールがいつもの風情で首を傾げる。
「そこまでは申しません。彼等の協力が得られれば、この状況を好転させられるのは紛れも無い事実です。ただ老公の仰った文献を踏まえれば、彼等は自らのその役割を優先するのでは?」
「……そうかも知れぬ」
 スランザールが頷き、アスタロトはスランザールを見上げた。
「でも」
「困難な要素を申し上げたまでで、打診する価値はあるでしょう」
 続くヴェルナーの言葉は淡々としていたが、その意味するところは鋭くこの場に落ちた。
「ただ、先程信頼を視点にせずと申し上げましたが、それは我々の立場としての話です。彼等が・・・我々を信用するかは、それこそ測りかねると考えます」
 アスタロトが俯く。
 謁見の間は思案するように、しばらく傍らの相手と小声でやり取りする微かな騒めきが続いた。
 ファルシオンはずっと胸に手を当てていたが、その手をぎゅっと握り、顔を上げた。
「私は、剣士の氏族と話をしたい」
 スランザールが白い髭を蓄えた頬を引き締める。この情報が入った段階でファルシオンがそう言うのは判っていた。
「ヴェルナーの言う通り、もしかしたらそんなことを言える立場じゃないのかもしれない。わたしたちは――」
 ファルシオンの言葉に列席者達がそれぞれ視線を落とす。
「でも、断られるかもしれないけれど――会いたい。会って力を貸してもらえるよう、頼もう」
「……では」
「ファルシオン殿下」
 硬く、だが決然とした声が、謁見の間に響く。
 ファルシオンを呼んだのはアスタロトだ。
 アスタロトはファルシオンの座るきざはしへ、一歩踏み出した。
「私を剣士の氏族への使者として、お送りいただけませんか」
 ざわざわと空気が揺れる。
 タウゼンはアスタロトを見つめ、昨日アスタロトと交わした会話を反芻した。
 タウゼンが一連の事を報告した時も、アスタロトは自分が行きたいと、そう言った。


『正規軍将軍たる貴方が直接出向く必要はありません。まずは使者を送った後、彼等が受けるのであれば王都でお会いになるべきです』
『出向かなきゃ誠意なんて伝わらない』
『貴方には役割がございます』
『座っているだけだ。第一私はここにいたって何もできない』
『公』

『会って話をしたい。それが今の私にできる役割だと、思う』



 ランゲは困惑した顔を隠さない。
「しかし、この時期に正規軍将軍が王都を動くというのは、問題が生じるのではありませんか」
 もともとランゲは慎重派――東方公の意向をまず窺う傾向があったが、ランゲが現在置かれた状況がより言動を慎重にさせている。東方公と近かった自らの立場を安定させたいという意識からか、協議の場での発言も目立つ。
 ただランゲの指摘は闇雲な否定ではなく、いずれも物事の一面を表していた。
 だからこそアスタロトは歯痒そうだ。
「問題は確かにある。だが私がただここに座していても状況は好転しない。正規軍将軍として、今できることを行いたいのです。もし彼等と話ができたとしても、『王都へ来い』では受け入れてもらえません」
 後半の言葉は壇上のファルシオンとスランザールへ向けたものだ。
 タウゼンはアスタロトの発言を擁護すべきかと口を開きかけ、迷いを見せた。
「――確かに誠意を示さねば、彼等も招聘には応じぬであろうが……」
 スランザールは腕を組んだ。
「スランザール公。ファルシオン殿下」
 アスタロトが請うように真っ直ぐ壇上を見つめる。ファルシオンもまた物言いたげにスランザールを見上げた。
「では、士気向上の為の視察という形を取られれば良いのではありませんか」
 そう言ったのはヴェルナーだ。
「現在、各地で新兵を募り、いずれの部隊もやや結束の低下が免れない状況です。先日この場でご報告した通り、報酬の底上げでは結束や士気向上には限界があり、当然国庫も無限ではありません。炎帝公が直接足を運べば何より士気向上に繋がるものであり、財務院の提言の一つとして検討していたところです。アスタロト公にやや手間を負っていただくことになりますが」
「その方がいい。兵士達の力にもなれるなら」
 アスタロトの表情にさっと色が差す。アスタロトはもう一度ファルシオンに向き直り、膝をついた。
「王太子殿下。どうぞ、私にご下命ください」
 ファルシオンが促すようにスランザールを呼ぶ。
「スランザール。私は良いと思う」
 スランザールは階下のベールへ、視線を向けた。
「――ではまず、アスタロト公にフィオリ・アル・レガージュへ赴いていただき、ザインと話をしていただくのではどうか、大公」
「それが良いと考えます」
 ずっと沈んでいたアスタロトの瞳が光を増すのを見つめ、タウゼンは自らを戒めるように、口元をぐっと引き結んだ。












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2018.7.1
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