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第3章 旅の仲間

9 If Winter comes, can Spring be/手帳


   半日がかりの葬儀を終え、弔問客を送り出したのが午後三刻を過ぎてからだった。
 一息つくまもなく玄関へ向かうセルゲイの背を見ながら、ラウルも見送りのために薄暗い廊下を歩く。
 父と仲違いをする前なら、叔父はこんなにあっさりと帰ろうなどとしなかった。
 アンナやラウルたち――特に一番年下のアデラードに寄り添い、慰めてくれただろう。
 きっと爵位を継ぐラウルにも、一つ一つ心構えや考え方、これから必要な手配などを教えてくれた。
 今、無言で前を行く背中には、話しかける隙がない。
 レイノルドも父のやや後ろを、ラウルに背を見せて黙って歩いている。
 セルゲイの妻のマルグレーテが長いこと病に臥せっていて、二人が急いで帰るのもそれが理由だ。
 どうすれば良いのだろう、この先。
 叔父に戻ってきてもらえれば。
 レイノルドに。
 紙の束が落ちたような音に目を向ければ、ラウルの進む先に革の手帳が落ちていた。
(叔父さんの)
 手を伸ばし、指先が触れた瞬間、ラウルはびくりと動きを止めた。
 振り返ったセルゲイの手が手帳をひったくるように取り返す。
 叔父はラウルの目を覗き込み――ただそれも一瞬で、拾ってもらったことへの礼を短く口にし、早足で玄関を出て行った。
 その時、レイノルドが振り向いていたのが分かったが、ラウルは視線を合わせられなかった。
 自分の驚きがレイノルドに伝わってしまったら――

 玄関先の庇の下から、走り去る馬車を見送る。
 馬車がすっかり見えなくなってからも一人そこに立ち、ラウルはセルゲイの手帳に触れた指を見つめた。
 触れた指先に伝わって来た、『声』――

 ――最後まで愚かだった。
 ――だから死んだ。当然の結果だ。

 湧き起こった一抹の不安。
(そんなことは、無い)
 叔父がそこまで、父を。
「ラウル?」
 長いこと黙っていたのか、セレスティの問いかける声にラウルは顔を上げた。
 小さいけれど暖かな居間だ。
 一人で暮らしていたラウルにはそれでも充分広く、今こうして五人と一匹になってみると窮屈なくらいの。
「すみません」
 すっかり喉が渇いている。
「お茶を淹れてきますね」
 茶葉と茶器を人数分、盆に乗せて戻る。
 暖炉の網に置いていた鉄瓶から熱い湯を注ぐと、爽やかな香りがふわりと立ち上がった。
 湯気を立てる木彫りの器を配り、ラウルはまた椅子に座った。オルビーィスの前にも水の器を置く。
 器に首を突っ込んで尻尾を振りながら水を飲む姿に微笑み、椅子に立てかけていたヴァースを見て、ずいぶん静かだったな、珍しい、と一人笑う。
 それぞれ喉を潤したのを見計らい、セレスティがラウルを真っ直ぐ見た。
「踏み込んでいることを承知でお聞きします」
 手元の木杯を床に置く、木材同士がぶつかる柔らかな音。
「何故、長子である貴方が今、オーランド子爵家を継いでいないのですか」
「そう、それ――」
 リズリーアも身を乗り出す。水色の大きな瞳はずいぶんと真剣にラウルに据えられている。
 それを語ろうとしていたのだった。
 思い出話に時間を取り過ぎた。
「俺が、オーランドを継がなかったのは」
 複雑といえば複雑、けれど一言で表せる。
 その資格を失った。
(違う)
 資質、だろうか。
「廃嫡になったからです」
 グレスコーは承知している話だろう、眉ひとつ動かさなかったが他の三人、特にセレスティには衝撃的な言葉だったようだ。
「廃嫡とは――」
 言葉を探した後、セレスティは眉を寄せた。
「ラウル、貴方とこうして話をして、廃嫡となる問題が貴方にあるようには思えません」
 セレスティにそう言われるのは嬉しい。
「そうよ!」と何だかリズリーアが怒っているのも。
「何か事情が? それはお聞きしてもいいものですか?」
「はい。ただ、俺自身の、まあ恥ずべきところというか。そこを話すのが肝心なのに、時間がかかっててすみません」
「かまわねぇさ。物事を理解するには順序ってもんがある」
 そう言ったのはグレスコーだ。
「下手に気ィ回して浅く聞いたって上っ面でしか理解できないもんだ、結局のとこな。それじゃそこらで聞く無責任な噂話と変わらんだろう。現に俺はオーランドの領主殿方がどんな悩みを抱えて領地を見てたかなんて、こうして聞くまで知らなかった」
 見え方がだいぶ変わった、と。
 ラウルは礼を口にする代わりに微笑んだ。
「俺は、結局爵位につく前に廃嫡になりました。グレスコーさんは良く知ってると思いますが、ある決闘から逃げたのが一番の原因です。決闘はもう正式には認められていないので、そのことに対する問責と、その上決闘そのものから逃げたっていう不名誉と」
「それって何か、矛盾してない? あたしはおかしいと思う」
 リズリーアが唇を尖らせる。傍らでヴィルリーアも頷いた。
「ラウルさんは、決闘をしない判断をしたのに」
「うん――」
 セレスティが二人に微笑み、だがそれについて何も言わなかったのは、彼には一定程度、理解できるからだろう。
 改めてラウルに向き直る。
「しかし、決闘とは大事(おおごと)です。きっかけは? きっかけがあったのでしょう。貴方から決闘を持ちかけたのですか?」
 そのあたりは曖昧だ。
 きっかけは些細で、でもあっという間にそこへと転がってしまった。
「父の死について、叔父セルゲイが関わったのではないかと、噂が流れたんです」
 ロッソの街の住民達に、父と叔父の不仲は知れ渡っていた。
「キルセンにも流れてきたな。噂好きの奴らはどこにでもいる」
 グレスコーはどんな噂を聞いていたのか、肩を竦めた。
「イル・ノーでもちょっと、聞いた」
 とリズリーアはばつが悪そうだ。
「えっ、リズちゃん知ってたの?」
 驚いた顔のヴィルリーアにリズリーアは「またヴィリは……」と呆れ顔で頬を膨らませた。
「でも噂話なんてろくなものじゃないもん。ヴィリは聞かなくて良いの」
 双子だが自分が年上のように、リズリーアはヴィルリーアの頬をぷにぷにとつつく。
 その様子につい口元を綻ばせ、それからラウルは椅子の上で背筋を伸ばした。
 この後をこそ、知ってもらわなくてはいけない。
「噂が広がる中で、レイノルドはある日、ロッソへ来て言いました。お互いの親の不名誉を晴らすべきだと」
 オーランド子爵邸の前の広場で二人は口論になった。
 小さい広場ながら人通りも多い。
 自分は噂のようなことは思っていないと、いくら言ってもレイノルドは引かない。
「俺たち二人が言い争いのようになっているのを聞いて、人が集まり始めてました。その時集まった人たちの中の誰かが、名誉を賭けるのならば決闘をしたらどうかと、そう言ったんだったと思います」
 いつの間にか、決闘をしなければ許されないような空気になっていた。
 レイノルドが引けば噂を認めることになり、反対にラウルが引くことは、子爵家の次期当主としての姿勢と尊厳を問われる。
 狼狽えている間に、決闘の日は二日後と決まってしまった。
 従兄弟と――、それもつい数ヶ月前まで兄弟同然に育ち、一緒にオーランドを盛り立てようと語り合ったレイノルドと、決闘なんてしたくない。
「剣を抜いて、斬り合うなんて」
 なら自分が、負けを認めればいだろうか。
 剣を抜かず、真偽の分からない噂でセルゲイの名誉を傷つけたことを詫びればいい。

 ――最後まで愚かだった。
 ――だから死んだ。

 けれど本当は、父は――?

 違う。
 ラウルの知っているセルゲイは、そんなことはしない。
 泡のように浮かぶ疑問をその都度振り払う。
 そんなことを考えることそのものが嫌悪感を抱かせた。
 ラウルは一睡もせず、決闘の朝を迎えた。


 結局、ラウルはレイノルドが指定した決闘の場に行かなかった。
 正確には時間通りに着けなかった。
 約束の時間などとうに過ぎ、遅れて現れたラウルを、レイノルドはこれまでに見たことのない硬い表情と憤りを帯びた眼差しで迎えた。
 結果的に、どちらも剣を抜くことなく収まったのだけが幸いだ。

 人々はラウルの不名誉な行為を呆れ、信義を損ねる者は自分たちの領主として相応しくないと言い交わし、その声はオーランド領にあっという間に広がった。
 オーランド領を包括するヨルン伯爵にも噂が伝わるほどだ。
 ヨルン伯爵は早急にオーランド子爵家としての名誉を回復するよう急がせた。領地の経営不振についても、改善せよとの厳命がヨルン伯爵から下った。
 話し合いの結果、ラウルは廃嫡となり、叔父セルゲイが後を継ぎ、新たにオーランド子爵に叙された。
 ラウルが今後一切子爵家に関わらずくらがり森で暮らすことを条件に、母やエーリック、アデラードはキルセン村の館で暮らすことを認められた。












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2023.4.2
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