目次


第3章 旅の仲間

11 出発

 

 翌朝は鳥の囀りが始まる前に起き出し、ラウルは井戸で顔を洗うと、朝食用の水を素焼きの壺に汲んだ。
 顔を上げた空はまだ星を瞬かせている。
 あと半刻もすれば、あの星の光もすっかり太陽の輝きに隠れてしまうだろう。今日もよく晴れそうだ。
 ラウルの肩でオルビーィスが翼を広げて軽く風を扇ぎ、ラウルの顔の横で首を空に伸ばす。
「飛びたいのかな? 良い天気になりそうだもんね」
「ぴぃ!」
 いつでも出発できると言うように胸を張る。
「オルビーィスは準備万端だね」
 微笑んで、それからふと一抹の寂しさが込み上げた。
 順調に行けば明日には、オルビーィスとはお別れだ。
 十日も一緒にいただろうか。
 ほんの短い間なのに、オルビーィスの真っ白な鱗や空色の青い瞳が常に傍にあったような気がする。
 目頭がじわりと熱くなり、ラウルは慌てて目元に手を
「痛ぁ! オルビーィス、髪の毛、髪の毛を引っ張っちゃダメ!」
 ラウルの髪の毛の端を咥えぐいぐいと引っ張っている。
「抜けちゃうから!」
「朝から元気だな」
 オルビーィスの口を開けさせようと四苦八苦しているところへ、グレスコーの声がかかった。
 ちょうど玄関から出てきたところだ。
「ラウルを困らせてやるなよ」
 子供にでも声をかける口調でそう言い、ラウルと同じように井戸で水を汲み上げ、顔を洗う。
「へへへ。やんちゃで。その時その時、一つ一つ教えないとです」
 ようやく髪を離したオルビーィスを目の前に持ち上げ、「髪の毛を引っ張っちゃいけないよ、痛いしね」と言い聞かせていると、鍛治小屋の扉が開きセレスティが出てきた。
 ラウルよりも早く起き出し、鍛治小屋に籠っていたようだ。
 グレスコーが「おはよう」と声を掛け、
「決まったか?」
 と問うと、セレスティは頷いた。
「はい」
 剣が。
「決まったんですか? どの剣に?」
 ラウルも身を乗り出す。
 セレスティは八本の剣の内、この旅にどれを持っていくか、ずっと検討を重ねていた。
 何度となく大剣シュディアールを手に取ろうとしては重さ故に断念するを繰り返し、ラウルはハラハラしていた。
「はい。この剣をお借り致します」
 セレスティはラウルへ、剣を両手で捧げるように示した。
 剣を見て目を見張る。
「ノウム」
 打つ時に、「君の好きなように打てばいい」と言ってくれていた両手剣だ。
 今いる剣達の中では、一番セレスティに相応しいかもしれない。きっとセレスティの役に立ってくれるだろう。
「ノウムを選んでくれて、ありがとうございます。よろしくお願いします」
 我が子を認められたような気分だ。
 ラウルは深々と頭を下げた。
 家に戻るとラウルは暖炉に残っていた炭で湯を沸かし、この春摘んだばかりの香りの良い茶葉でお茶を淹れた。
(あとは、双子――)
 寝室を双子に譲ってラウル達男三人は居間でごろ寝をしていたから、まだ二人が起き出していないのは分かる。
 今日は朝の七刻に発とうと決めていたが、そろそろ六刻になる。
「うーん」
 扉の前に立ち、ラウルはどうしようか、一度唸った。
 旅の仲間が揃ったことに一度は浮かれたものの、いざ出発となると、そのことそのこと・・・・がやはり問題だと思えてきたのだ。
「起こさねぇって手もあるよなぁ」
 と言いつつグレスコーが後ろを通り抜ける。
「はい。うーん」
「起こしてあげましょう」
 朝食の用意をしながらセレスティがやんわりと笑う。
「十六歳はもう大人です。でもまだ純粋な」
「はいはい。俺は擦れた大人だよ」
「ふふ」
 おどけるグレスコーに「それが頼もしいのです」と返す。
 十九歳のセレスティがラウルよりも歳上のように思える。
 肩に乗ったオルビーィスの尻尾が背中を叩く。
 ラウルは頷き、寝室の扉を叩いた。


「いよいよ出発だね!」
 リズリーアは元気一杯に朝食をたいらげ、水色の瞳を輝かせた。
「昨日、法術の準備、念入りにしちゃった。特にあたしに期待されてるのは治癒だよね。必要になったらすぐ言って。一日一人、そうね、一回ずつくらいなら完璧に治してあげる。切り傷程度ならだけど」
 うきうき。
 きらきら。
 ごそごそ、と足元に置いた肩掛け鞄から巻物を取り出す。
「これ。中級の治癒とか覚えたいから巻物持ってくんだ。あっ、中級は骨折とか対応できるんだけどあたしはものは試しにって感じだから、治らなかったらごめんね。努力するけど。あと、内臓系とかは上級にならないと無理だから、内臓傷付けないように注意してね」
「おお。骨折の対応は有り難い。上級ならば内臓も治癒できるとは……」
 セレスティが関心しきりに頷いている。
「そんな術士はここらにゃいねぇ。ちゃんと内臓系は守れよ。骨折もこいつに直せる保証はないんだぞ」
「母様は治せるよ! だから私もやればできるもん」
 得意満面だ。
 うん。
 ラウルはリズリーアとヴィルリーアに向き直った。
「リズ。ヴィリ」
「な、何?」
 ラウルの表情に、リズリーアはやや顎を引いた。耳の下までの黒髪が警戒気味に揺れる。
「もう一度確認するけど、君たち、本当にボードガード親方から依頼された?」
 リズリーアは急に顔を引き攣らせ、背筋を張った。
「ほ、ほ、本当だよ!」
「リズちゃあん……」
 ヴィルリーアがおろおろとリズリーアを見る。
「直接かな?」
「そそそ、そうだけどっ?」
「嘘だろ」
 グレスコーが横からずばりと放り込む。
「どっ、どどどっ、どうしてっ、うっううっ嘘とかっ」
「リズちゃあん……」
 ヴィルリーアはリズリーアにしがみついた。
(この双子、まるで嘘がつけないな……)
 微笑ましさを覚える。
「そりゃ、アーセンの奴がこの件を子供に依頼する訳ねえからなぁ」
「あたしたち子供じゃないもん!」
「子供だし、法術士としちゃ駆け出しだ」
 グレスコーは背を反らし、腕を組んだ。
 良く日焼けした肌と頬の傷が言葉の説得力を増している。
「イル・ノーのクリスタリア・トルム法術士は面識はねぇが、俺も名前は聞いてる。法術は王都仕込みだってことだから腕は確かだろう」
「そうなの!」
 状況を忘れ、リズリーアは飛び上がらんばかりに顔を跳ね上げた。嬉しさが満面に弾けている。
「母様の法術、すごいんだから」
「アーセンがこの件で依頼するなら、クリスタリア・トルム自身だろう。なんせ目的は竜だ」
 きりふり山の主(あるじ)――まだ主がオルビーィスの親だと決まったわけではないが、竜である可能性は非常に高い。
 リズリーアは恨みがましい上目遣いになった。
「な……何、今さら、連れてかないとか言う? 昨日、みんなであんなに盛り上がったのにっ」
「リズ、ヴィリ」
「裏切り者ー!」
「リズ」
 と、ラウルはゆっくり呼んだ。
「竜がいるんだよ。オルビーィスの親だ、確実にいる」
「――知ってて来たよ」
 ラウルは微笑んだ。
 竜がいることは知っていても、竜そのものは知らないのだ。
 竜舎の者達であっても、見たことがある者は殆どいないという。
「――でも、法術士が必要なんでしょっ?」
「うん。必要だよ。だから今からでも、母君に」
「母様王都で学会だもん!」
 しーん。
「あと半月、帰ってこないから!」
「です……」
 ヴィルリーアが隣でコクコク頷いている。
「学会」
「ということは」
 セレスティがグレスコーとラウルを見る。
「高位の法術士は、いずれの方も軒並み王都ということですね、おそらく」
『ひよっ子しかいねぇってことだな、わははー』
 ヴァースが盛大に笑う。
「また君は。リズもヴィリも、君より年上だろ?」
『おれ様は形成されて三千万年だー!』
「えっ」
 全員の顔がヴァースへ向いた。
 三千万年。
『敬えー。崇めろー。奉れー』
「――頭がついてかなかったわ」
 グレスコーが視線を反らし、セレスティも頷いた。
「もはや何と言えばいいか……」
『敬えー。崇めろー。奉れー』
「すごい、父様が目の色変えそう」
「うん」
 双子は素直に目を輝かせている。
 ラウルはヴァースから視線を反らした。
 内心、そこまでの年月の重みが今こんな剽軽ひょうきんな結果になっていることにちょっと責任感じるな、などと思いつつ。
 双子へ視線を戻す。
「……その父君は、今」
「学会!」
 また学会ぃい……。
「王都――?」
「ううん。その近くの都市。北の公爵様が主催する学会に行ったの」
 ほぼ王都と同じだ。遠い。
 ラウルとセレスティとグレスコーは、また瞳を見交わした。
 セレスティが背筋を伸ばす。
「ラウル。貴方が二人を心配する気持ちは私も分かりもます。一方で彼らの気持ちも、私は分かります」
 五年前の戦いに何も貢献できなかった、とそう話した時のセレスティは、心の底から悔しそうだった。
「十六歳はもう、子供だと周囲が管理する年齢ではありません。自身で考え、行動し、様々な経験を積み重ねていく歳です。初めに彼らと約束したように、危険になりそうだと判断したら、その時点で戻ってもらうので良いでしょう」
 ラウルはセレスティを――彼の手が剣を振り続けて厚みを増している様を見た。
 もう一度、リズリーアとヴィルリーアを見つめる。
 二人の目は真剣そのものだ。ヴィルリーアは逃しそうになる視線を懸命に堪えてはいるが。
「――そう、ですね」
「置いてかれたって絶対、付いてくもん!」
「だよねぇ」
 こっそりついて来られる方が危ない。
 グレスコーを見たが、特に止める様子もない。
 セレスティは自分の胸に手を置いた。
「私が盾になりますし」
「そんな機会滅多にないし!」
 リズリーアが前のめりに拳を握る。
「ちゃんとあたし達が、法術でみんなを助けるから」
 ヴィルリーアと二人立ち上がり、お互いの右手と左手をぎゅっと繋ぐと、ラウルとセレスティとグレスコーを一人一人見つめた。
「あたしたち、旅の仲間なんでしょ?」
「まあそうだな」とグレスコーが言い、セレスティは「盾は任せてください」と言った。
 ラウルも立ち上がり、卓の上へ右手を差し出した。
「うん。よろしくお願いします」
 セレスティが手を重ね、リズリーアとヴィルリーアもその上に手を置く。
(おお)
 何か、ちょっとした物語のようだ。
「おじさん、おじさんも! ほら!」
 リズリーアはまだ加わっていないグレスコーを急かした。
「若いなぁ。小っ恥ずかしいんだよ、この歳になると」
 それでもリズリーアに目力一杯に促され、グレスコーも渋々と立ち上がり右手を重ねる。
「旅の成功を願って」
 セレスティが最初の一言を発する。
「みんなでがんばろー!」
「せ、成功させましょう……」
「気を抜くと大怪我するからな」
『おれ様とオルーがいるからよー、大船に乗ったつもりでいろよー』
「ぴい!」
 一巡した。
 手にかかる重みと手のひらの熱。
 ラウルはやや気恥ずかしく、そしてやや、気負いつつ、集まってくれた四人を見回した。
「一刻後。きりふり山に出発しましょう」










次へ



2023.4.2
当サイト内の文章・画像の無断転載・使用を禁止します。